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 とはいえ、呆気ないことに椿の正体は次の日には明らかになった。まだ朝日が昇ったばかりの時間に、断りもなく部屋に突入してきた沙一が叫んだからだ。


「お前、邪鬼をどこへやった!」


「……じゃき?」


 まだ半分眠っている私の胸ぐらを掴み、沙一は目を見開いて私を揺さぶる。いつ見ても綺麗にセットされていた髪は乱れ、胡散臭い笑みを浮かべる余裕もないようだった。


「『還らずの牢』に封じていたはずだ! それがいない! 様子のおかしい鬼を問い詰めれば、花嫁に命じられてお前を入れたという。そしてお前は還ってきた! 邪鬼の牢から!」


 思考を巡らせる。どうやら椿の正体は邪鬼というものらしい。邪な鬼。それが具体的に何を指すのかは分からないが、やっぱり鬼じゃないか、と思って微かに笑いが零れた。


「何を笑っている!」


 頭がぐらぐらと揺れ、眠気も吹き飛んだ。


「さあ? 沙一様があまりに意味不明なことを言うものですから、思わず笑ってしまいました。私は確かに『還らずの牢』に入れられました。でも、邪鬼とかいうもののことは存じません」


「嘘をつけ!」


 思い切り突き飛ばされ、背中を壁に打ち付ける。だが、大した衝撃ではない。家ではこんなこと日常茶飯事だったのだ。


「お前でなければ、一体誰がやったというんだ!」


「私に分かることではございません。だいたい、そのような恐ろしいものが封じられた牢に入って、どうやってただの人間の私が還ってきたというんです? 私が入ったときには、ただの地下牢でした。だから出て来られたんじゃないですか」


 流れるように述べると、沙一は憎々しげに私を見下ろした。


「貴様……!」


 沙一が何事か呟き、私に向けて指を振った。次の瞬間、内臓が捻れるような痛みが私を襲う。


「うぐっ、あっ……!」


 脂汗を流して蹲る私に、沙一は愉悦の滲んだ声音で告げた。


「邪鬼をどこへやった?」


 その勝ち誇ったような表情を見て、この痛みが鬼の力によるものだと知った。ただ指の一振りで他人にこんな痛みを与えられるのだ。それは傲慢にもなるだろう。


 腹を抑え、彼を見上げた。


「私は、何も、知りません」


 まっすぐ沙一を見つめ返した。何も堪えていません、と白々しい顔をして。


 しばらく睨み合っていたが、先に視線を逸らしたのは沙一だった。


「いいだろう。誰が封を解いたかは問題じゃない。今は一刻も早く邪鬼を見つけ、再度封じなければならないのだからな」


 吐き捨てると、踵を返して部屋を後にした。同時に、幻のように痛みも消え去った。


 沈黙が部屋に落ちる。開け放たれたままの襖を閉めようと立ち上がったとき、背後から声がした。


「ずいぶん気付くのが遅かったな。百目鬼も力が弱ったものだ」


「……椿」


 私は襖に手をかける。念のため廊下に顔を出して辺りを窺ったが、なんの気配もなかった。


「心配するな、皆出払っている。邪鬼退治のためにな」


 襖を閉め切り、椿と向き合う。今日の椿は、どこかから調達してきたらしい、濃い紺色の着流しを身に纏っていた。


「いくら弱った鬼の術とはいえ、深春には堪えただろう。治してやろうな。こちらへ来るといい」


 椿がちょいちょいと手招きする。近寄ると、椿の指が私の腹部をスッとなぞった。


「これでよし」


「ありがとうございます。……邪鬼って鬼じゃないですか」


「鬼ではない。根源は同じだがな」


「何が違うんですか」


「鬼は力を求め、それを同胞のために活かすもの。それに対して、邪鬼は求めた力をひたすらに悪逆を為すために活かすもの。そう言われているな」


「よく飲み込めません。私からすれば、鬼も悪逆を為しているように見えます」


「人間からしたらそうであろうよ。そうだなあ、邪鬼は鬼にとっても悪といえるものだ。たとえ鬼に致命的な一撃を加えるとしても、それをやりたいと思えばやってしまう。……分かるか?」


 困ったように椿は眉を下げた。私は顎に指を当て、考え込む。


「例えば、椿は何をしてきたんですか?」


「そうだなあ……面白いのは、ある一族を滅ぼしたことか」


「ある一族?」


「ああ、ここからは遠く離れた山の奥に、鬼の一族の集落があった。まだ人間と鬼が敵対していた頃の話だ。その一族は、人間と手を取り合おうとしていた」


「少なくとも鬼にとってはいいことじゃないですか? 人間の女がいないと鬼は繁殖しないんですから」


「ああ、一族もそう考えていたらしい。それに追従する鬼もたくさんいた。だが、それではつまらないだろう? 争っていた方が面白い」


 その赤い瞳が間近でギラギラと輝き出すのを見て、私の背筋に冷たいものが走った。


 この生き物は、通常醜いと嫌悪されるものを美しいと思い、凄惨だと忌避されるものを愉快と感じる破綻者なのだ。


「だから俺は、鬼と人間の和解の儀にとある仕掛けをしたのだ」


「仕掛け?」


「ああ。和解の証として、鬼の一族の長と、一人の美しい人間の女が結婚することになっていた。だが、女の方には想い人がいてな。それでも女は、使命を果たすべく、気丈にも想いを振り払ったのだ」


 嫌な汗が背中を流れた。なぜか私には、この先どうなるかが読めてしまった。


 この男ならきっと──。


「そこで俺は、女の想い人を一族の仕業に見せかけて殺したのだ。死体を女の家の前に置いてな。それを見つけたときの女の錯乱ぶりときたら、三ヶ月は笑えた。まあ、それくらいだが」


「外道が」


 低く呟く。この男、生かしておいていいものか。


「だが、女は立派だった。周囲の人間が戦だといきり立つ中、このような悲劇が二度と起こらぬよう、和解すべきだと説いたのだ」


 私の心に、凛々しい女性の姿が思い浮かんだ。想い人の死にやつれ、それでもその死を無駄にしないために、彼女は心を決めたのだろう。


「そうしてつつがなく婚儀は進んだ。鬼の一族の方は、想い人を殺したことを必死に否定していた。一族の長も、それはそれは丁重に女を扱った」


 それはそうだろう。私の目の前の男のせいで、いわれのない罪を被っているのだから。


「そうして長と女は初夜を迎えた。そのすぐ後だったな、長の悲鳴が響き渡ったのは」


「ああ……」


 私は呻いた。憎しみに呑まれた人間は、なんでもする。なんだってできる。どんな残酷なことだって。


 よく理解できる感情だった。


「女は隠し持っていた小刀で、長の喉笛を切り裂いた。いくら相手が鬼とはいえ、褥では無防備だったろうからな。容易いことだろうよ」


「彼女は……自分で仇を取りたかったんです。戦なんかに任せず、自分の手で」


「その後はもう戦争だ。こうして、鬼と人間の融和は百年ほど遅れたというわけだ。──邪鬼が何か、分かったか?」


 いっそ無邪気な顔で、椿は首を傾げる。私は頷き、背中を向けた。


「よく分かりました。今すぐ椿を封印してもらいます」


「まあ待て」


 襖にかけた手を掴まれる。すぐ後ろに、覆い被さるように椿が立っていた。


「悪いが、俺は封印できない。三百年前も封じられたが、俺は自分の気分で眠っていただけだ。今、瓏樹や沙一に俺の居所を教えたところで、俺は百目鬼のものを皆殺しにして別の場所へ移動するだけだぞ」


「それは、脅迫ですか?」


「なんと取ってもらっても構わない。ただ、俺にはそれだけの力があるのでな」


 椿は余裕綽々といった風情だ。私は掴まれた手に目を落とす。椿の手は私より一回り以上大きく、力は強い。振り払おうと力を込めても、びくともしなかった。


 奥歯を噛む。こんなにも無力な自分が、何よりも嫌だった。


「……どうして、あなたはそんなことを楽しむの」

 

 声を振り絞る。ろくな答えは期待していなかった。きっと、ただ面白いからだと、邪悪に笑うのだろうと思った。


 だが、予想に反して椿は表情を消した。その瞳はどこか遠くを彷徨い、なにかを懐かしむように、細められた。


「……さあな。俺はそのように作られたものだから、としか答えようがないな」


「作られた?」


 聞き返す。椿は手を離し、私を膝に抱えて座り込んだ。抵抗したが、腰をがっちりと捕らえられて敵わない。


 特に害意は見受けられなかったため、私は仕方なくそのまま身を任せた。親が子供に読み聞かせをするように、椿は穏やかな声で語り始める。


「邪鬼を作るには、幾通りかの方法がある。そのどれもに共通しているのが、苦痛を与えるということだ」


「苦痛、ですか」


「そうだ。俺の場合は、生まれてすぐ、足枷をつけられた。それが邪鬼の証だ。見てみろ、足首が細いだろう」


 椿が着流しの裾を捲り、私に見せる。確かに、椿は私よりもずっと背が高い男の形をしているにもかかわらず、その足首だけは私と同じくらいの細さだった。


「俺は一人、陽の当たらぬ地下牢で過ごしていた。そうして運ばれてくる食事は──同胞の肉だ。俺は同じ鬼の血肉を貪って育った。食らわねば飢えてしまうからな。


「そうして五十年ほど経つと、今度は、彼岸花の毒が染みた土に埋められた。鬼は頑丈だ。そう易々と死ぬことはない。呼吸するたびに肺が痛む泥の中で、ひたすら自分と向き合って過ごす。


「出来ることは一つだけ。自分をこのような境遇に落とした誰かを、世界を、恨むことだけだ。関節が固まり、自我の境目が消失するまで、永遠とも思える時を過ごす。


「結局どれほど埋められていたのかは分からない。ただ、ある日突然掘り起こされ、俺はこのような目に遭っていたのが自分だけではないことを知った」


「他にも邪鬼がいたんですか」


 微かに空気を震わせるくらいの小さな声で尋ねると、椿は首を横に振った。


「邪鬼の幼生、だ。地上に出たばかりで目を血走らせたものどもを、一つの部屋に押し込める。そうすると、誰が何を言わずとも、殺し合いを始めるのだ。なにしろ飢えているからな。目の前のものが全て餌に見えて仕方ない。皆血眼になって眼前のものを引き裂きその血を啜った。──最後の一人になるまで」


「それが、あなた」


「その通り。血の一滴まで舐め終えると、自分の中にかつてないほどの力が漲るのを感じた。そして誓ったのだ。これからは面白おかしく生きよう、とな」


 晴れやかな笑みを浮かべる。私はそっと尋ねた。


「それで、楽しく生きていたわけですか」


「いいや。そもそもなんのために邪鬼などを作ると思う。武器にするためだ。百目鬼の家は古い分、敵も多くてな。邪鬼は同胞に対して力を振るうのに躊躇がない。容赦がないといえばいいか。全てを破壊し尽くすまで止まらない性だ。そんなものがいる家と敵対したくはないだろう」


「それじゃあ、あなたは」


「生き残って部屋を出た瞬間、拘束されて地下牢行きだ。邪鬼になったばかりの頃はそれでも力が弱くてなあ、たったの二百歳だったのだから当然だが」

「はあ……」


 人間の私にはいまいち掴めない感覚だ。


「それでしばらく、百目鬼の邪鬼としての力をふるっていたが、我慢ならなくなってな。ある程度力をつけると、逃げ出した。その後はもう思うがままに傷つけ、争い、殺して、全国を放浪した。あれは楽しいものだったなあ。深春も一緒に行くか?」


「絶対に嫌ですけど……。でも待ってください、椿さんは『還らずの牢』で眠っていましたよね? また捕まっていたんですか?」


「ああ、あれな。八百年くらい楽しく過ごしていたが、流石に同じことの繰り返しで飽きてきたからな。ちょうど俺を追ってきた百目鬼の手勢に捕まって、一眠りしようと思ったのだ。そのうち面白いものに出会えるかという期待もあった。それで深春に出会えたのだから、何が起こるか分からないものだ」


「傍迷惑な存在すぎる……」


 椿の腕の中で身じろぎする。今度は椿も大人しく解放してくれた。私は立ち上がり、腕を組んで椿を見下ろした。


「でも、なんとなく分かりました。あなたが私を構う理由」


「うん?」


「苦しみの多い生で、世界を恨んでいるという点が、似ていると思ったんじゃないですか」


「まあ、当たらずとも遠からず、といったところだなあ」


「真意は他のところにあると?」


「深春にもそのうち分かることだ。気にするな」


 ひらひらと手を振る。そう言われると気になるのだが、ほかに答えが思いつかない。


「それで、深春は俺をどうするのだ。封印しようと思うか」


 真っ直ぐ見つめられて、その視線の強さにたじろいだ。思わず唾を飲み込む。私は一度目を伏せ、それから強く拳を握り、椿の目を捉えて言い切った。


「いいえ」


 邪鬼の作られた経緯を知って、同情したわけではない。私は今も、椿が過去にしたことは許せないし、吐き気がするほど邪悪だと思っている。


 それでも、その罪の償い方は、『還らずの牢』で眠ることではないと思った。ましてや、自分を封印しようとする鬼たちを返り討ちにし、また破壊と災厄を振り撒きながら漫遊することでもない。


 だから、私は。


「封印は、しません」


 いつか因果が巡り、この男に相応しい報いが訪れますように。


 私の胸中を見透かしたような眼差しで、椿はこの上なく優しく笑った。

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[一言] 「の使い方おかしくないか? 「で始まったら」で終わらせなよ。 なんで」で終わって無いのに「が次々でてくるんだ?
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