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絶望の国の幸福ななろう小説たち

作者: 夢野ベル子

日本終わった論が幅を利かせ始めて早幾年。


ここ小説家になろうにおいても、ある言説を聞いたことがないだろうか。


それは『なろう小説とは現実逃避の産物である』というものである。


作者ないし読者の過ごす現実があまりに辛いから、現実逃避として小説の中では現実と真逆の状況を作り出そうというものである。


現実とは要するに不幸な現在の状況である。


エンタメだから、小説の世界ぐらいは幸せに――。


しかし、わたしは、結局のところ小説の本質的な部分は純文学もエンタメも変わらないと思う。

それは「読んでください」という欲望である。

純文学は時代を超えて読まれることを望み、エンタメは多くの人に読まれることを望むという違いはあるが、結局のところ「読まれることを望む」という一点では変わらない。


純文学であろうがエンタメであろうが、『より読まれるという普遍性』を望んでいることには変わりはない。


なぜ、読まれることを望むのかというと、そういう作品が読みたいという読者がいるからである。読者と作者はいわば結託し、共犯関係を構成することで、小説を時代の中に現出させる。


と、わたしは思う。


ところで、なぜそんな話をしたかというと、小説は上で述べたように現実からの要請によって生じる面があるということを言いたいがためだ。


エンタメについてもそれは変わらない。


読者が望む作品が、多く読まれるので、多く書かれる。

つまり、読者の欲望が投射される結果、作者は望まれるように書くというわけだ。


小説は世間が過酷であれば、純文学上の表現としては怒りの葡萄のように切り取られるかもしれないし、エンタメとしては現実の欠落を埋めるがごとく、『楽しさ』を量産するのではないか?


まあ、それすらも相対化され、混濁し、混ざり合っている今の状況からすれば、つまり、純文学がエンタメ化しつつある現状では、本当のところはわからないだろう。


しかし、このエッセイではあえてそれを前提としてのみこんでみよう。


それを真実として話を進めてみよう。


なぜなら、その仮説を真とするならば、『現実の今後』は予想しやすいがゆえに『なろう小説の未来』も読み取れるかもしれないからだ。






日本が終わったという言説は、端的に言えば、『わたしが終わった』のである。


日本のインフラ機能はおよそ20年後には崩壊しているという予想もあるが、およそ多くの人が考える日本が終わったというのは、ひとりひとりが感じている現実の辛さを国に仮託して表現したものだろう。


思うに、『わたしが終わった』のはなぜかというと、①金がない。②結婚できない。③自由がない。④仕事がない。⑤生きがいがない。といった理由からである。


『わたしが』と個人に着目しているが、上で述べた世相の要請という意味からいえば、この『わたし』は世間のひとりひとりの平均的な感想を総体したものである。


わかりやすく言えば、時代的な空気感であり、人の心の平均値だ。


まず、お金がないというのは、この国の相対的貧困率は先進国の中でかなり高いことからも見て取れる。少しググったら、世界第四位の相対的貧困率というデータもあった。

相対的貧困率というのはあくまで相対値なので、誰かと比べたときに誰かが貧乏であるという意味なので、例えば、相対的貧困率が高いからといって、今日の食事にも困るという絶対的な貧困であるとは限らない。ただ、生活保護が年々増えているということから考えても、①お金がないと感じている貧困層は確実に増加しているし、未来の日本において、いきなりそういった貧困が解消されることは無いだろうと予測できる。

つまり、金がないのだ。

そして、金がないというのは生活に困窮するということを指すだけでなく、資本主義的な二級市民化である。誰からも尊敬されない。蔑まれる。富裕層から支配される。そういうことも含んでいる。


次に、結婚できないというのは生涯未婚率――、つまり一度も結婚しない人間が20パーセント程度いることからも明らかである。クラスの5人のうち1人は結婚できないまま死ぬのである。しかも、この数値は年々上がりつつある。人の幸福というものを遺伝子を残すことであるとか、愛されることであると定義してしまえば、生涯未婚の人間は一面では落伍者である。


次に、自由がないというのは、金がなく結婚できないことも関わってくるが、親の介護をする場合に独り身になる場合に兄弟もいないというパターンも増えてくることを指す。介護離職もありえる話だ。いくら介護保険を利用したとしても、介護施設にでもいれない限り、いや入れたとしても、どうしても『わたし』のサポートは必要になる。自由な時間はないし、しかもお金もなければ、介護施設にすら入れられず、24時間の介護ということも考えられる。『わたし』は介護の中で年をとり、親が死んだ頃には再度の就職は難しくなっているだろう。かといって身体は健康なので、生活保護を受けるのも困難だろう。


次に仕事がなくなるかもしれない。

介護離職のほかに、AIの発達によって人がおこなう仕事はほとんどAIによってまかなえるという予想がでている。特にマネジメント系の業務はほとんどAIによって取って代われる。人間の手がかろうじて残るのは、物理的な労働だ。いま高校生や大学生の人らが、仕事をしはじめて社会に慣れてきた10年後には大規模なリストラがあるかもしれない。


最後に、生きがいについては、年間二万人程度の自殺の多さの原因のひとつと言われている。金がなく、結婚もできず、キモがられるキモ金おっさん問題。生活保護よりも低所得なシングルマザー問題。子どもの貧困化。いじめ。学生の自殺率も高い。ちなみに男性のほうが女性の倍くらい死んでいるので、おそらくは誰かのために生きるのが生きがいという人が多い中、その誰かがいないので、生きがいがないのが理由なのかもしれない。

いずれにしろ、今後生きがいに向けた改革がなされる見込みはほとんどないだろう。自殺自体は実をいうと3万人がピークでそれからすれば1万人も下がったといえるが、その下がった原因については不明である。なぜ2万人いるのかという原因も自殺の原因が複合的なために不明だ。



で、こんな絶望みたいなのを書いてどうすんのという話なのだが、もう一度整理すると、こういう未来になるということは、その欠落を埋める小説が登場するはずということを考えているわけだ。


しかも、小説は常に現実を少しだけ先取りする。


したがって、今のうちに用意をしておけば、その小説は読まれるだろうという予測だ。


言ってみれば、『わたしが終わって』も自己充足による幸福はありうるという話。

絶望の国の幸福な若者になってもいいかもしれない。


さて……近未来のなろう小説はどうなるだろう。


それはもうおわかりだろうが、上の欠落を反転させればいい。


①金持ちであること。

主人公は金持ちでなければならない。また、ある程度の権力を有しなければならない。


②結婚する。むしろしまくる。

要するにハーレムである。子どもに重きを置けば、子育てをするということを意味してもよい。


③自由である。

親やその他のしがらみから解放されなければならない。

権力などからも遠ざかる反知性主義的な態度をとる場合もある。

しかし、権力階級であることもまた要請されるので、このあたりはバランスをとる必要がある。


④仕事をしまくる。

重い役職を与えられる。しかし、自由であることと矛盾する場合もあるので、どちらを重視するかによるか。いずれにしろ能力不足などを理由に仕事を奪われたりはしない。


⑤生きがいがある。

例えば、趣味など、生きがいになる要素を数多く持っているということである。

ゆずれない一線といってもよい。



あれこれって今のなろう小説じゃね?

そうかもしれない。

つまり、最初の『現実が辛ければその欠落を埋める現実逃避的な作品が出てくる』という前提を是認すれば、今後10年から20年程度は同じような小説を書いていても安泰だ。


もちろん表現方法は異なるだろうし、いろいろと新しい手法は生み出されていくだろうが、こと『世間が望んでいる小説』というのは、変わらない可能性が高いだろう。


暗闇が濃くなり、むしろそういった幸福な小説たちが増えていくのではないだろうか。

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― 新着の感想 ―
[気になる点]  タイトルからしてそうだけども、  悲観的で皮肉に満ちている所はなー。 [一言]  解釈しだいな所はあるから、現実逃避を、救済やオアシスと考えるならば、それはそれでアリなんだよなー、と…
[良い点] とても理性的な内容で、納得できるエッセイでした。 そりゃハーレム流行るわな、とものすごく腑に落ちたというか。 分析をするなら、どこかを省略化して本質にズームしなきゃいかんと思うのですが、そ…
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