5話 上玉利灯とレイラ・エンペレス
1日はあっという間に過ぎ、時刻は既に翌日の正午に差し掛かるころだった。
昨日の夜、なんだかんだで結局愛のゲームに付き合うことになった。もちろん始めは睡眠時間を確保するためだけだったのだが__
「なあ愛、そこは一回ウサギに全部融合してからネコに融合したほうが効率良くないか?」
「え、そうなの?」
「ほら、このほうが結果的に貰える経験値が多くなるんだ」
「そんなに変わるかなあ……それよりほら、お兄ちゃんもウーサーニャイト作ろうよ!」
「いや、そいつは経験値テーブルDの初心者用キャラで最終ステータスが低いから作る意味は薄いよ。だからまずは終盤でもサブとして使えるハリハリワンサーを目指したほうがいいみたいなんだ」
「えー、でもあんまりこの子可愛くないなー……」
「そうか?ゴツい見た目の割に顔がアホっぽくて可愛いじゃないか」
「お兄ちゃんってワンちゃん好きだもんねー」
__という感じで、『わんこにゃんこ融合!』は意外にも奥が深く、下手をすれば愛よりも僕がハマってしまいそうな勢いなのであった。
その翌朝、愛はちゃんと約束を守ってくれたらしく起床時間は15分ほど遅くなっていたのだが……
堪えきれず大きな欠伸が出てしまう。
結局その『わんこにゃんこ融合!』のせいで結構な夜更かしをしてしまい、トータルの睡眠時間はむしろマイナスとなる始末だった。
「ユウよ……おめー昔から頭はいいのに、ちょいちょい天然っつーかアホなところがあるよな」
「う……」
登校中この話を聞いたタツに、呆れた顔でそう言われたことを思い出す。
失礼な、と言いたいところだが、実際にアホなことをしているので何も言い返せなかった。
そんなわけで、睡魔と戦いながらもようやく昼休みを迎えようとする直前の授業中、とある出来事が起こった。
__ガタリ。
突然、後方の席で椅子を動かす音が鳴った。誰かが席を立ったようだ。
続けて教室の扉を開ける音が響く。まだ昼休みまで時間があるにも関わらず、誰かが授業を抜け出したようだった。普通であれば体調が悪かったとしても何か一言言ってから退席するものだし、無断で教室を出る者がいたら先生だって何かしら声をかける筈だが……板書の内容を説明していた女の先生は顔を曇らせつつも、半分諦めたかのように説明を続けていた。
抜け出した人の顔は見ていないが、僕はそれが誰なのか分かった。僕に限らず、このクラスの人であれば大体予測できるだろう。つまり、これが初めての出来事ではないのだ。
視線を感じた先を見ると、先程まで机に突っ伏していたタツが振り返ってこちらをチラと見ていた。特にジェスチャーは無かったが、そこは長年の付き合いで良くも悪くもアイコンタクトで大体のことは伝わる。僕は無言であまり目立たないように少しだけ頷いた。タツはそれを見ると、やれやれとでも言いたげに手の平を水平にし、そして再び寝た。体のどこかに寝る気スイッチでも付いているのだろうか。照明ばりの切り替えの早さである。
ともかく今は授業中だ。僕も寝ないように集中しよう。
その決意も束の間、口から大きな欠伸が出てしまう。外は相変わらず晴天で、窓から照り付ける日差しがとても心地良いせいだった。
授業が終わり、昼休み。普段であれば教室でタツや他の友達と昼食を食べる事が多いが、今、僕は弁当を片手に持ちながら廊下を歩いている最中だった。授業が少し早めに終わってすぐに教室を出た為、廊下には人がまだほとんどいない。
向かう先は、屋上だ。他に候補はいくつかあるが、この天気の良さであれば屋上でほぼ間違いないだろう。
そんなことを考えながら、階段に差し掛かる寸前の出来事だった。
「わあああっ!どいてぇ!!」
「え?」
廊下の角を曲がった瞬間、前方にドスンと衝撃を感じた。
「うわっ!っとっとと」
後ずさりながら、なんとか足を踏ん張る。僕の方はすんでの所で転ばずに済んだのだが……
「ぐげえ!」
結構な速度で突っ込んできた向こうの方がスピードを制御できずに大きな音を立てて転び、その勢いのまま派手にゴロゴロと廊下を転がっていった。そうそう人生で出すことのない声をあげながら、そうそう人生で取ることの無い体勢で床に倒れこんでいる。
「だ、大丈夫?」
ぶつかってきたのは向こうだったが、あまりに痛そうな転び方をしていたためつい心配して声を掛けてしまう。
相手は、真っ赤な髪の女の子だった。
「イタタ……うん、なんとか大丈夫。そっちこそケガして無い?」
頭を手で押さえながらも、赤毛の女の子はなんとか上半身を起こして両膝をついた状態になる。どうやら大したケガはしていないようだ。
彼女は僕の差し伸べた手に気付く。
「あ……キミ、やさしーんだね!ほんとにゴメンなさい!ワタシ、ちょっと急いでた……から……」
最初は明るい笑顔を見せていた赤毛の女の子は、何故か僕の方を見上げるなり、まるで幽霊でも見たかのようにみるみる顔を青ざめさせていった。髪と同じ色の赤い瞳大きく見開かれる。
「こ」
「こ?」
「こ、こここここコココ」
「……ニワトリ?」
一瞬、赤い髪がトサカに見えた。実際、その活発そうな癖のあるショートボブは天に伸びるかのごとくゾワゾワと逆立っている。
「ココノエ、ユー……!」
驚愕の表情と共に、彼女は消え入りそうな声でその名前を漏らす。僕は内心驚いた。
「あ、うん。そうだけど、君は__」
そう言いながら僕は彼女の手を取ろうとするが、彼女はもの凄い速度で僕の手を避けながら立ち上がると、
「ご、ごごごごめんなさい!それじゃ!!」
「あっ、ちょっと待って!」
僕の制止する声も聞かず、逃げるようにこの場を去ってしまった……
なんだったんだろう?どうやら急いでたみたいだけど、最後はすごく避けられてた気がする……
ふと足元を見ると、彼女が落としたらしき手帳が。彼女が落としたものだろうか。名前の欄を見る。
『レイラ・エンペレス』__
ちなみに僕は彼女のことを知っている。彼女達は、この学校内では有名人だからだ。しかし、面と向かって話をしたことはこれが恐らく初めてである。なので、彼女が僕のことを知っていたのが若干気にかかった。
なんで僕の名前を知ってたんだろう。こういう時、性分なのか何故だかあんまりポジティブな気分になれない。アルさんかセスネさんあたりから聞いたのだろうか。悪い噂が流れてなければいいけど……
「っと、こうしてる場合じゃなかった」
手帳は後で渡しに行こう。今は屋上へ行かないと……
屋上は基本的に使用禁止とされている。しかし田舎の学校特有なのか微妙に黙認状態となっており、昼休みや放課後にチラホラと人を見かけることも珍しくなかった。もちろん先生等に見つかれば注意される為積極的に使用されることは無く、そのせいもあって学校のプチ隠れスポットのような場所と化していた。
昼休みは始まったばかり。屋上には、仰向けに寝転がり空を見上げる姿が一つだけあった。
「上玉利君」
「ん、あれ、九重っちじゃん」
仰向けのまま目線だけをこちらに向け__上玉利灯君は口元を僅かに上げた。
「いやー良かった!九重っちが来てくれて。こんなに天気がいいのに誰も屋上にいなくて暇してたんだよねえ」
上玉利君は寝ころんだまま両手を横に広げ、歓迎のポーズをとる。その姿だけを見ると、まるで空一面を丸ごと掴もうとしているようでもある。
「とか言って、僕が来るの分かってたでしょ?」
「あ、バレてる?さすが九重っち」
「ほら僕、一応風紀委員だからさ。注意はしておかないと」
そう言いながら僕は彼の隣に腰掛け、持って来た弁当を開け始める。さっきの衝突のせいか、蓋を取るとほとんどのおかずが端のほうに偏っていた。
「あれ?そんな事言いながら、結局九重っちもここで昼ごはん食べちゃうの?いーのかねえ、風紀委員がそんな事しても」
「どうせ言っても無駄なのは分かってるから、まあ監視ってことでね。あーお腹減った」
「これはアレだ……ミイラ取りがミイラになるってやつかな?風紀委員が不良になっちゃったねえ、九重っち」
彼は空の方へ向けていた上半身を起こすと、ワックスで固めた茶髪を揺らしながらニッと笑った。
上玉利君は僕と同じクラスの生徒で、前の授業で途中退室をした張本人でもある。明るく染まった髪の毛。着崩した制服。首元にぶら下げた小さなアクセサリーを分厚い手袋に覆われた指でチャラチャラと弄っている。もちろんどれも拘束違反だ。
その風貌や行動はザ・不良と言っていいのだが__いざ話してみると、飄々としているだけの至って普通の青年である。不良と言ってもケンカや万引きなど他人に迷惑を掛けることをしているわけじゃないし、実はテストの点数に関しては僕よりも上である。
「上玉利君って、なんで不良なんてやってるの?不良というより不良『もどき』って感じだけど」
「いや、そこは別に不良で良くない?」
僕はソースの味が染み込んだ白ご飯を頬張りながら上玉利君に質問をした。彼は基本的に単独行動を好む。彼自身がそれを望んでいるのかもしれないが、何より誰も彼に近寄りたがらないのだ。どう考えてもその見てくれのせいである。実際、僕も風紀委員になるまでは怖い人だと思ってたし、話すきっかけも無かった。今ではたまにこうして屋上や教室でご飯を食べたりもするし、辰と会話している時に彼の方から話に加わってきたりもするようになっていた。
「理由なんて一つしか無いんだなこれが」
上玉利君は白い歯を見せながら、なかなかのキメ顔で僕に向かって応えた。
「カッコいいから」
「うわぁ……」
「ちょっと九重っち、ドン引きしないでくれる?」
上玉利君は僕の反応が不服だったのか、慌てて補足を加えてくる。
「九重っち、なんでもそうだけど、理由ってのはシンプルな程良いんだよ。なんでだか分かる?」
「どうして?」
僕が深く考えず言葉を返すと、彼は再び白い歯を僕に見せつけた。
「カッコいいから」
「……なるほど。シンプルだね」
少し笑ってしまう。確かに、それはカッコいいかもしれない。
そんな話をしながら昼休みを過ごす。上玉利君は菓子パンの最後の一切れを頬張った後、気分良さげに大の字で寝転んだ。
「いやーいいね、屋上は。空は快晴。辺りは山だらけ。空気もうまいし、風も最高に気持ちいい!何より、この景色を全部ひとり占めにできた気分になれるね」
「あれ、僕もいるけどいいの?」
僕は弁当を片付けながら上玉利君の方を見る。彼はその言葉を待ち望んでたかのように、僕を見返して微笑んだ。
「ほら、ひとり占めにしちゃってもさ。そのひとり占めした姿を見てくれる人がいないとやっぱ寂しいじゃん?この景色は全部俺のものだ!ってのを自慢する人がもう一人欲しいわけ。一人じゃあダメなんだ。二人いてこそ、その時に初めてひとり占めの喜びを味わえるんだよねえ」
「ああ、僕に分けてくれるわけでは無いんだね……」
呆れながら屋上の外を見渡す。確かにそれはいい景色だった。
と、突然屋上のドアがバンッ、と大きな音を立てながら開いた。上玉利君は微笑みを崩さず、目を閉じながら上半身を起こす。
「せっかくひとり占めしてたのにねえ」
「あなた達!屋上の使用は禁止ですよ!」
ドアを開けた青く長い髪の女性は、ズンズンと歩を進めながら僕たちに近づいてくる。
「じゃ、九重っち。後はよろしく!」
「え、ちょっと!」
「ちょっとは不良っぽいこともやっとかないとねえ」
僕が彼女に注目していた一瞬の間に彼は立ち上がり、軽快な動きで屋上を出ていった。
「上玉利灯!またあなたですか!」
その女の子は彼の背中に向けてそう叫んだが、それ以上追うことはせずに一つ大きく息を付いた。
「アルさん」
僕は彼女に近寄る。
「ごめん、僕が注意してたんだけど」
「九重君。もう、アナタは上玉利灯に甘いんだから!」
「はは……ごめん」
アル・エンペレスさん__風紀委員長に軽く説教を貰いながら、僕は残りの休み時間を過ごすハメになった__