11話 日常と非日常①
「っしゃ!これで20勝11敗だぜ!」
夕日が差し込み始めた広いリビングに、野太い声が響き渡った。
「おいおいユウよ、最初の勢いはどうしたんだ?」
休日の九重家__テレビ画面の目の前。
辰はコントローラーを今にも壊さんばかりの力でその手に握りしめながら、隣でへたれている僕に向かって挑発的に笑った。
「タツ、そろそろ休憩しない?流石に30戦近くぶっ続けは疲れたよ」
僕はコントローラーをおろして肩をすくめる。
据え置き型対戦ゲーム『マッスルブラザーズ』__通称『マスブラ』。その最新作を辰とプレイしている最中であった。既に4時間は休憩もせず対戦しているはずだが、隣の男は未だ疲れを感じさせずピンピンしている。相変わらずの集中力と体力だ。
「そうか?俺はまだ全然いけるが……しょうがねえ。愛よ!『マスブラ』の相手してくれないか?」
辰はそう言いながら後ろを振り向く。ベッドにだらしなく寝転んでスマホを弄っていた妹がピクリと反応した。
「……やだ。そのゲーム、キャラが全然可愛くないんだもん」
愛はゆっくり起き上がると、ゲーム画面を見て露骨に嫌そうな表情をする。妹はこういう時割とノってくれる方であるのだが、この顔は絶対にやらない時の顔だった。
「そうか?確かにほぼ全員ムキムキのゴリラだが、中には可愛い筋肉の奴もいるぞ?なあ?ユウ」
可愛い筋肉ってなんだ。
「とにかくやだ!あたし今ウーサーニャイト育てるのに忙しいし!」
ツーンとした表情で愛が僕らに背を向けたところで、エプロンを身に着けた母さんがキッチンから顔を出してきた。
「タッくん、今日も夕飯食べていくかい?」
辰が背筋を伸ばす。
「蘭さん!いつもすいません。ご馳走になります!」
彼は声を高くして、でハキハキと母さんに向かって返事をした。基本的に彼は目上の人に対して礼儀正しい。特にウチの母さんに対してはそれが顕著な気がする。
「あ、いつも通り飯の量はユウの2倍で!」
だが遠慮は無い。
「タツ、いつも通りご馳走になりすぎだよ……」
僕はそう言って呆れるが、母さんはそんな僕らを見て豪快に笑いながら手首を上下に振った。
「いーのよいーのよ!アンタたちは食べ盛りなんだから!いくらでも食べていきなさんな。ただし……」
急に声のトーンを落とし、母さんはその狩人のような瞳をギラリと光らせる。
「もしそれで残したとしたら……上からやるからね?」
「……」
「……」
母さんはそう言い残し最後にニッと笑顔を見せると、そのままゆっくりとキッチンの奥へ消えていった__
「……ユウ。上からって、一体なんだ……?」
「僕もまだ知らないんだ……」
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「はいはーい!質問いいですかー?」
エンペレス姉妹の二女、メア・エンペレスは元気よく手を挙げながら、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「『九重優』の監視って、年中無休、24時間どんな場所でもやってるんですかー?例えばー、トイレ中とかー?お風呂中とかも!」
そう言いながら彼女はワザとらしく首をかしげる。隣に座っていたレイラ・エンペレスが驚き飛び上がった。
「お、おフロ!?さすがにそれは、プライバシーのシンガイだと思います!」
「今更プライバシーもクソもねーけどな」
姉妹達が続けざまにテンポ良く言葉を紡いでいく。その隣で三女、風紀委員長のアル・エンペレスが呆れたように溜息をついた。
「ハハハ、エンペレス姉妹は相変わらず仲が良い__確かにセスネ君の言う通り、この『監視』にプライバシーなど最早あって無いようなものだ。ならば風呂やトイレを含め、全ての場所で監視を行っているかというと……実際には、そこまで徹底的な監視はなされていない」
桜班長は腕を組んだ。
「そもそも『九重優』の監視における一番の目的は『彼にセネルの秘密を知られない』というところにあり、監視それ自体が目的ではない。そして監視があまりに厳重になりすぎると、かえって彼に秘密を知られてしまうリスクとなってしまう危険がある。よって、カメラや人の目を用いた監視はどちらも不自然になりすぎない程度に抑えているというわけだ。むしろ監視で重視すべきなのは『九重優』自身では無く、彼を取り囲む様々な『危険因子』のほうにあると言える」
「『危険因子』とは?」
アル・エンペレスが質問する。桜は頷いた。
「端的に言えば『九重優にセネルの存在がバレる原因』のことだな。外部からの侵入者はもちろんだが__内部にいる隊員達だって、九重優の目の届く場所で『セネル』を使おうとしている者がいればそれも立派な『危険因子』だ。それが意識的であれ、無意識的であれ……な」
彼女はそこまで言うと顔を上げる。
「九重優自身の監視__それに加え、彼を取り囲む危険因子を監視し、問題を発見次第速やかに対処を行うのが我々『監視班』の大きな役割というわけだ」
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「レイラ・エンペレスさんの席って、どこだか分かる?」
2年1組の教室__その扉の前。
僕のいる2年4組とは階数が違うため、滅多にここに来ることは無い。
ただ、1年の時に同じクラスだった人も多少いるためそこまでアウェイに感じることは無かった。僕は扉の近くにいた顔見知りの男子生徒を捕まえ、そう問いかける。
「レイラなら、あの席だよ」
男子生徒は奥の机を指差すが、肝心の彼女の姿は無い。教室を見回しても、赤髪の女の子は見当たらなかった。どこかへ出かけているみたいだ。
「何か用事?伝言とかなら伝えとくけど」
「ああ、いや」
僕はポケットに手を入れる。
「伝言というか、落とし物なんだよね。できればレイラさんに直接渡したいんだけど……それじゃあ__」
「レイラはワタシだよ!」
手帳を取り出し男子生徒に渡そうとしたところで、後ろから聞き覚えのある元気な声が聞こえてきた。テテテ、と足音を立てながらこちらへ近づいてくるのが分かる。
「何、何、もしかして他のクラスの人かな? エヘヘ、メアねえじゃなくてワタシに用がある人なんて珍しーな!ね、ワタシがどうかした……の……」
僕が振り向くタイミングで彼女がこちらを覗き込んできたため、近い距離でバッチリと目が合った。
その瞬間、彼女の嬉しそうな表情が一瞬にして凍り付く。
その表情の振れ幅に僕は心の中で苦笑しつつ、できるだけそれを表に出さないように優しく笑った。
「えっと、こんにちは。レイラさん」
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「お、レイラくんが挙手とは珍しいな。答えてみたまえ」
「は、ハイ!あの、えと」
レイラ・エンペレスは真っ直ぐに挙げたその手を降ろすと、言葉に詰まりながらも大きな声で話し始めた。
「ユーは……『ココノエユー』は、ホントに悪いヒトなのかな?」
彼女は顎に人差し指を当てる。
「ワタシ、この前まではユーがメチャメチャ恐いヒトだと思ってたんだけど……で、ですけど!でも、ちゃんと話してみたらゼンゼン恐くなくて、落とし物も拾ってくれてて、イッパイ話も聞いてくれて、その、スッゴク優しくて良いヒトでした!」
そこまで話し終えると、彼女は緊張が解けたのか大きく息を吐いた。教室がザワザワと騒がしくなる。姉のアル・エンペレスが顔を真っ赤にしながら、レイラに座るよう促していた。
「……ふむ。なるほど」
しかし、質問を受けた佐護桜はレイラの言葉を真剣に聞いている様子だった。瞑っていた目をゆっくりと開ける。
「つまりレイラくんは、九重優が『大災害』という『悪い事』をしたから、彼を『悪い人』だと思っていた__そういうことだな?」
「は、ハイ!」
レイラは何度も大きく頷く。
「なかなか面白い質問だ。果たして、善悪の判断は一体どこに存在するのか……しかし、それを論じるにはある種哲学的な話になってしまう。なので結論から言おう。九重優は『良い子』だ__我々が彼を『良い子』に育てた」
最後の言葉を強調しながら、佐護桜はレイラとその周りを一瞥した。
「人の性格は、その半分が遺伝によるもの、そして残りの半分が『環境』によるものだと言われている。生まれ持った性質に限らず、家庭環境、教育、交友関係など__人は、己の過ごしてきた環境や立場によって形成された部分をある程度持っているということだ。そして、『環境』の要素は我々が干渉することができる」
そう言いながら桜は日野辰に目を向ける。それと同時に周りから多少の視線を感じたが、辰は気に留めなかった。
「なに、だからといって別に特別なことをしたわけではない。皆と同じように学び、皆と同じように遊び、皆と同じように愛を受ける__アクスは、これらが確実に達成されるようなサポートを行ったに過ぎない。代永市という『平和な環境』を構築し、そこに安全な人員を配置する__この街は、九重優にセネルの存在を隠すというだけでなく、九重優を『善人』に育てあげるという役割も持っているのさ」
「そしてもう一つ……九重家『内部』における監視については、彼のご家族らに全て一任している。」
間を置いて、再び彼女は話し始める。
「これは昔、アクス(ウチ)の偉い人とご家族のほうで一悶着あったみたいでな……ぶっちゃけ、九重優の母親、蘭婦人は『代永市(監視班)』存在をあまり好ましく思っていないらしい。当時は揉めに揉め、なんとか監視班の設立は了承してもらえたらしいが……その条件として、『九重優』の子育てに関しては彼女達、九重家に全てを任せることになった。これに関してはウチも相当渋ったそうだ。家庭環境はその者の人格を左右する非常に大きな要因になるからな」
佐護桜は珍しく渋い表情になっている。優の母親__蘭さんが苦手なのだろうか?お互いに気が合いそうなタイプなのに、と辰は思ったが、そう単純な話ではないのだろう、と適当に結論付けて無駄なことを考えないようにした。
「心配もよそに、九重優は無事、穏やかで優しい子に育った。これも九重一家の指導の賜物だ。もちろん、元々本人が優しい性格だったのもあるだろう。ここまでして九重優を善人に育てる理由はただ一つ……もちろん、彼に再び『大災害』を起こさせないためだ。万が一、九重優にセネルの存在や自分自身の秘密を知られてしまった時、最後の最後に行動を決定するのは彼自身の『心』だ。そしてその行動は世界の命運を左右するかもしれない。__だから、この街では決して『九重優を悪人に育ててはならない』んだ」




