9話 セネルとX(エックス)②
__『X』、九重優。
その名前が出た瞬間、室内がしんと静まり返った。
「『大災害』は、皆知っているな?」
何人かが、その言葉にピクリと反応を示す。佐護桜班長は、そう言いながら講義室の人々をぐるりと見回した。
「16年前__まだ産まれていない者もいるだろう。九重優が『一度だけ』セネルを使った時があった。彼が産まれて一年にも満たない赤ん坊のころだ。もっとも、私だって当時は可愛~い子供だった頃だがな」
謎のアピールを挟みながら班長は当時の様子を話し始める。ちなみに彼女は年齢不詳だ。今の発言や見た目からある程度推測はできるが__二十……いや、やめておこう。日野辰はあまり深く考えないことにした。
「九重優がセネルを使ったとされるその年、世界は空前絶後の『大災害』に見舞われた。火山噴火に始まり、地震、ハリケーン、大津波など__ありとあらゆる自然災害が同時多発的に観測された年だ。人類はセネルを用いることで、ある程度の自然災害は対処できるようになっていたが……桁違いの威力を持った『大災害』は、想定を大きく上回り人類の命を飲み込んでいった」
佐護班長の言葉を聞きながら、日野辰は幼少の記憶をたどる。当然自身も赤ん坊の頃の話だ。覚えてはいなかった。
書物によると、大災害による死者は当時の人類の7%__億単位での犠牲者が出たとされる。単純計算で15人に1人もの命がその大災害で失われた計算だ。特に貧困国においてその被害は顕著だったらしい。この日本は被害が少ない方だったと両親に聞かされていたが、それでも当時の混乱は相当なものだったそうだ。
「その『大災害』が、九重優の『セネル』によるものである可能性がある」
佐護桜は長い腕を組み、その瞳をくっと細める。
可能性、と言う言葉が気にかかったが、その場では特に触れず彼女は話を続けていった。
「通常Xの対処にあたる際、その対象によって個別に異なった対策を取る場合がほとんどだ。原則として一般人への被害を食い止めることが第一だが、最初っから戦闘によって『処理』を行うことは実はそこまで多く無い。Xと戦う際は、こちら側も多くの損害を払うことを覚悟しなければならないからだ。まず『対話』から入るのはもちろんのこと、必要とあらば彼らの『望み』を叶えることだって行う。生い立ち、境遇などを考慮し、臨機応変に対応していくことが大事だと言える」
そこまで言い終えた後、彼女は黙り込んだ。下を向いたため、その真剣な表情が一旦見えなくなる。
「ところで君たち…」
長く間を作り、班長はようやく顔を上げたかと思うと、先程とは打って変わってニヤニヤとした表情でその言葉を言い放った。
「子どもの作り方は知ってるか?」
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一瞬空気が凍りつき__
「先生!それはセクハラですか!?」
「そうだ!セクハラだ!」
「なっ!?いやいや、私はそんなつもりでは」
「なにニヤついてんだ!オヤジか!」
「そんなんだから独身なんだぞ!」
「おいそこ!独身は関係ないだろう!」
様々な罵倒が飛び交った。
佐護班長はその見た目に反して、普段は意外にもフランクな性格である。悪く言えばオヤジである。もしかすると、班長という立場で必要以上に威圧感を持たれないようあえて話しやすい性格を演じているのかもしれないが……
辰がそんなことを思いつつ、ふと目線だけを横に動かすと、矢田陽がほんのり顔を赤らめて下を向いていた。こちらの視線を感じたのか一瞬目が合うと、彼女は慌てて視線を机に戻す。
「おい、ハル」
「な、何……?」
陽は上気した顔で、恐る恐る横目だけをこちらに向けてくる。おろした前髪のせいで、その大きな瞳の半分以上は隠れて見えなかった。
「……いや、なんでもねえ」
少しからかってやろうとも考えたが、一応講義中でもあるため何も言わないでおくことにする。辰が視線を戻すと、ちょうど罵倒も少しずつ静まってきたところだった。
佐護班長は大げさに一つ咳払いをし、再び真面目な顔に戻る。
「話は戻るが__見ての通り、君らマセガキ共は子どもの作り方を知っている。それは何故か?そういう情報が世の中に溢れてるからだ」
「では、そのような情報を一切無くしてしまったとしよう。テレビ、インターネット、雑誌、あらゆる媒体から情報を排除する。親も、友達も、誰も教えてはくれないとしたら……日野君、どうなると思う?」
突然の指名に辰は少し驚いたが、素直に思ったことを口にした。
「人から教わる事すらできないのであれば……知りようが無いと思います」
桜班長は頷く。
「話を戻そう。九重優がセネルを使ったのは、物心のついていない赤ん坊の頃だ。本人もその当時のことは覚えていないだろう。__『アクス』は、それを利用した」
そこまで言った後、ここ一番といった様子で佐護桜は両手を広げると、その声を室内に響かせた。
「そう!この代永市という街は、九重優たった一人のために造られ、セネルに関する一切の情報を排除した街__いわば『セネルという概念の無い世界』というわけだ!セネルの存在しない世界など、今や地球上のどこにも存在しない。それこそ意図的にその存在を隠そうとしない限りは、な。全ては九重優にセネルの存在を知られないため……彼に二度と『セネル』を使わせないためだ」
班長は再び両手を組み、目を閉じる。
「これは様々なX対策の中でも異例中の異例……前例が無く、成功するかも分からない、ある意味賭けに近い対策ではあったのだが……幸運にも16年間、九重優にはセネルの存在、そして彼自身の正体を知られることなく、平和な日々を送ってもらうことが出来ている。これもひとえに隊員である君たちの協力あってこそだ」
そう言いながら教室の皆に向かって視線を配らせた。日野辰も彼女と一瞬だけ目が合う。
「ときに……」
ある程度視線を配らせ終えたところで、佐護桜は突然険しい顔になった。
「レイラ・エンペレス!!」
室内に怒声が響く。
「え!ワ、ワタシ!?は、ハイ!!!えと、寝てません!!!!」
隊長の怒声に負けないぐらいの大声で、レイラ・エンペレスは片側だけ乱れた赤髪を跳ねさせ飛び上がるように起立した。隣で必死に笑いを堪える姉達の姿が見える。
「これは生徒からの報告だが……先日の昼休み時間、九重優と激しく接触したそうだな?」
ギロリ、と細長の瞳が鋭く光る。
「は、ハイ!えと、あの時はちょっと急いでて!1階の自動販売機でベリーココアを買ってたんだけど……で、ですけど!3階に上がった時に、アレ?そういえばお釣り取り忘れたかも!ってことに気が付いちゃったんです!それで急いで自動販売機に戻ってみたら、買ったココアも取り忘れちゃってて__」
「そんなことは聞いていない!」
「ご、ゴメンナサイ!!!」
かざり目になりながらレイラ・エンペレスはキュッと縮こまった。
「大事なのは、九重優にぶつかった後の『行動』にある!明らかに不自然な言動を取っていたそうじゃないか!彼は頭がいい。例えセネルを排除したとしても、何かがきっかけで彼に秘密を勘づかれてしまう可能性は十分にあり得る。そういったリスクは出来るだけ排除していかなければならんのだ」
そこまで言ったところで、レイラの隣に座る活発そうな女の子が悪戯っぽく手を上げた。
「サクラせんせー!ウチの末っ子が申し訳ありません!この子バカなので許してやってください!」
「メ、メアねえ!みんなの前でバカとか言わないでよう!」
「言っても無駄っすよ。この子言われたこと3歩歩けば忘れるんで」
「セスねえまで!?」
「もう、レイラに姉さん達!講義中に私語はやめなさい!」
とたんにガヤガヤと同じ机に座った姉妹達__エンペレス姉妹がコントのように騒ぎ始める。講義室から笑い声が漏れた。
「ま、まあ、今回は大ごとにはならなかったから良かったものの、九重優に怪しまれるような行動は極力避けなければならない。……君もだ、上玉利灯」
そう言いながら、佐護桜は席の左端にポツンと座っていた上玉利を軽く睨んだ。視線の先の彼は、両手を水平に広げながら
「へーい」
と一言だけ答えた。
「もちろん、九重優ので能力を使用するなんてのはもっての外だ。そのため、九重第一高校内の生徒や教師および近隣の住民など、『最終結界』内のほぼ全ての人々をセネルを持たない人間……すなわち『ノンセネ』の者達で揃えている。一部を除いてな」
一瞬だけ班長がこちらをチラリと見たが、すぐに彼女は目線を戻し大きく手を叩いた。
「というわけで、本日の講義はここまでとする!何か質問がある者!」
室内の緊張感が解け、ザワザワと周囲が騒がしくなっていく。
喧騒の中、日野辰は自らのノートにまとめた内容を一つずつ読み返した__
『この世界にはセネルという物質が存在し、それを用いたセナーという能力者が存在する』
『セナーの中には桁違いのセネルを持つ者、Xが存在する』
『九重優はXだ』
『九重優に能力を使わせてはならない』
『九重優に、この世界の真実を知られてはならない』__




