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スケルトンキー

「リスタ様ですね。承知いたしました。ではさっそくお部屋へご案内いたします。こちらへどうぞ」


 そう言ってオーナーは紳士的にエスコートすると、彼女を一階の通路へと招いた。

 名前を訊かれただけの簡潔な手続きでもう部屋へと案内されているが、大丈夫なのであろうか。リスタは首を傾げつつも、促されるままに足は奥の廊下へと進んでいく。


 長い廊下にはいくつもドアが並んでいるのだが、そこに表記されている部屋番号はどれもバラバラで、『666号室』があるかと思えばその隣には『1303号室』があるなど規則性がまるでない。

 彼女がきょろきょろとドアを観察する間にも二人の足は廊下の突き当りを右に曲がり、窓際の廊下へと向かう。窓の外は夜であるためか何も見えない闇が広がり、反射するリスタの顔しか映らない。

 リスタがぼーっと窓に映った姿を眺めていると、不意に前方のオーナーが立ち止まった。


「到着しました。こちらが、今回お客様に泊まっていただく客室となります」


 オーナーに告げられ、リスタは横を振り向く。彼女のそばにあるドアには『1408号室』と表記されていた。またえらく数字が飛んだなとリスタが半ば呆れる隣で、おもむろにオーナーがカギを渡してくる。


「ではこちらをどうぞ」


彼が手渡してきたのはスケルトンキーと呼ばれる形状のシンプルな鍵で、質感や汚れ具合からかなり年季が入っていると推測できる。

 少女は手の中のそれをまじまじと見つめ、顔を上げて尋ねた。


「入ってもいいんですか?」

「ええ。それはお客様の鍵ですから」


 にこやかに頷かれたので、彼女は遠慮なく鍵を開けることにした。怪しげな雰囲気があるとはいえ、やはりこのように豪華な屋敷の客室ともなれば期待せずにはいられない。

 意気揚々とリスタが鍵穴に鍵を差し込めば、古さに反して滑らかに鍵が回る。カチャ、と子気味好い音を立ててゆっくりとドアが開かれた。

 緊張気味に恐る恐るリスタが顔を覗かせると、そこには彼女の期待以上の光景が広がっていた。


「……すごい」


 あまりの感動にリスタは唖然とする。

 部屋は一人部屋とは思えないほど広く、ふかふかのベッドにソファ、化粧台、テーブルが一つの部屋に収まったいわゆるスイートルームと呼ばれる客室で、家具はどれも高級感のあるものばかり。本当にこれが銅貨三枚で泊まれる部屋なのかと、リスタはついつい疑ってしまう。

 部屋から顔を離し、そばに立つオーナーに話しかける。


「本当にここ、私の部屋ですよね? 部屋間違えてませんよね?」

「はい。間違いなくリスタ様のお部屋です」

「スイートルームですけど?」

「うちは全部屋スイートルームとなっております。多少の差異はあれど、一人部屋はどこもこのような内装です」

「どこもですか? 客によってランクがあるとかは……?」

「お客様は等しく神様です。貴賤きせんなどありません」


 しつこいくらいに質問を繰り返し、ようやくリスタは眼前にある夢のような光景をついに受け入れた。するとあまりの感激に彼女の瞳から涙がこぼれる。


「ありがとうございます!」


 オーナーにお礼をせずにはいられず深々と頭を下げる。苦心して森まで逃げ込んできたところにこれほどの高待遇を受ければ誰だってこうなるだろう。

 オーナーはあくまで微笑みを崩さず、そっとポケットからハンカチを取り出し片膝をつく。


「お客様に喜んでいただけたのなら幸甚の至りです。長旅で疲れたことでしょう。どうぞ、今夜は存分におくつろぎください」


 穏やかな声音で声をかけられながら涙を拭われ、その優しさにまたリスタは感涙しかけるがそこはぐっとこらえる。


「はい。そうさせてもらいます」


 はっきりとした声で返答し、リスタは今日初めての笑みを見せる。


「では、わたくしはこれにて失礼いたします。もし何かご要望がありましたらこちらをお使いください」


 そう言って彼が差し出したのは、手の平に収まるほど小さなベルだった。彼女がそれを両手で受け取ると見た目の割に重量がある。もしかしたら純金でできているのかもしれない。


「そちらを鳴らしていただければ、いつどこにいても即座に駆けつけます」


 どこにいてもはさすがに誇張であろうが、これを鳴らせば従業員が来るというのは確かに便利かもしれない。リスタは失くさないようローブのポケットにしまい込むと改めてお礼を言った。


「ありがとうございます」

「それでは、当宿をお楽しみください」


 すべてを言い終えるとオーナーは慇懃いんぎんに頭を下げて、元来た廊下を歩いて行った。

 リスタは彼が廊下の角を曲がるまで見届けてから、喜々として部屋に入る。

 あまりにも素晴らしい室内に、ついドアを閉めるのも忘れて部屋を見回す。


「本当にすごい。まるで夢みたい」


 少女は年相応にはしゃいで白いシーツのベッドにダイブした。飛び込んだ衝撃をベッドが吸収して少女の体がふとんに沈む。これほど柔らかなベッドを使えるなど、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 あまりの気持ちよさに急激に睡魔が襲い掛かり、いっそこのまま寝てしまおうかとリスタが目を閉じた直後。


 ――バタン。


 と大きな音を立てて突然ドアが閉められ眠気が吹き飛ぶ。


「え……なんで?」


 驚きを顔にたたえて体を起こすと、リスタは恐々とドアへ近づき廊下を覗いた。

 しかし長い廊下には人っ子一人おらず、不気味なほどに静まり返っている。廊下に並ぶ窓も完全に閉め切られており、風で閉まったというわけでもなさそうだ。


 そもそも、今更であるがこの館にリスタ以外の客がいるのであろうか。いくら格安でサービスがいいとはいえ、森の奥に隠されるようにして建つ館に好き好んで訪れる人間はよほどの常連くらいだ。

リスタはこの近辺の街で暮らしていたわけではないため、地域の噂について詳しくは知らないが、少なくともこの館の存在は一度も聞いたことがなかった。


 ……いや、正確には一つだけ心当たりがある。どこの地方にも伝わる古い伝説だ。

 人気のない森などに迷い込むと、その人間の前に突如現れるという謎の洋館。その洋館に入ったが最後、その者は二度と逃げ出すことができないと言われている。


 まさかこの館が、その恐怖の人食い館だとでも言うのか。

 リスタはドアを開いたまま冷や汗を流して黙考し、あり得ないとばかりに首を振った。


「いやいやまさか……あれはただの伝説であって実際にあるわけ……」

「いかがなさいました?」

「ふひゃぁぁぁ!?」


 集中しているところにいきなり声をかけられ素っ頓狂な声を上げてしまう。

 今いったいどこから声が聞こえたのだろう。少なくとも室内と廊下、リスタの視認できる範囲には誰もいない。混乱して硬直する彼女であるが、ややあってまさかと思いドアの裏側を確認してみれば、


「あ、いた」


 彼女の死角になる形で先ほどのオーナーが笑顔で佇んでいた。いったいどこから現れたのか、先ほど彼は確かに反対側へと歩いて行ったはずだが……。


「……あの、もしかしてさっきドアを閉めたのって、オーナーですか?」

「ドア? いったい何のことでしょう?」


 犯人かと思い尋ねてみるが、オーナーは首を傾げて知らない様子だ。まあ、客に対してあんないたずらをするメリットもないし、ドアが開いていればこのオーナーなら一声かけるだろう。

 やっぱりさっきの一件は風の仕業だろうとリスタは無理やり結論付けた。


「やっぱりなんでもないです。それより何かご用ですか?」

「はい。お夕食の方はどうされるのか訊きに参りました」

「夕食……!」


 その単語にリスタが目を輝かせるのと腹が鳴るのはほぼ同時だった。分かりやす過ぎるほどに正直な自分の腹が恥ずかしくなり、リスタは顔を赤くするとうつむいてしまった。

 オーナーは微笑ましそうな目を向ける。


「そのご様子ですと必要みたいですね」

「はい。すみません……」

「いえいえ、空腹は人間なら誰しもなることです。恥じることはありません」


 オーナーに優しくフォローされるが、今はその優しさが逆につらい。彼女は穴があったら入りたい気分だった。


「さっそくレストランへご案内しましょうか。どうぞこちらへ」


 オーナーに手を差し伸べられ、うつむいたままリスタはレストランへと連れて行かれる。

 思えば、男性にエスコートされるのは今日が生まれて初めてだ。そのことに彼女は今頃気づき、先ほどの羞恥心とは別の理由で頬を染める。

 ホテルと見紛うオシャレな洋館で紳士に手を引いてもらえるなど、まるで貴族のお嬢様にでもなったようだ。これで自分が追われる身でなければどれだけ幸せだっただろう。

 リスタは夢心地である反面虚しさを覚え、一人静かに肩を落とす。


 すると、隣に寄り添うオーナーが不意に語りかけてきた。


「お客様、余計なお世話かもしれませんが、夢は楽しまなくては損ですよ? 何があったかは存じませんが、明日のことは明日考えればいいのです。今はただ夢を見ましょう」


 その言葉にリスタが顔を上げるとオーナーは柔和に笑いかけてくる。直感的に彼女には、それが決して上辺だけの感情ではないような気がして心から嬉しかった。リスタの顔に再び笑みが戻る。


「そうですよね……そうします」


 リスタが微笑みを浮かべ、オーナーがゆっくりと頷き返す。そしてやおら空いた手で指を鳴らした。


「なんですか、今の?」

「お気になさらず。ただのおまじないです」

「……?」


 冗談とも本気ともつかない返答にリスタが疑問符を浮かべていると、唐突にオーナーが扉の前で立ち止まった。


「こちらが当宿のレストランとなります。心行くまで晩餐をお楽しみ下さい」


 簡潔にそう述べてから、彼はじらすことなく扉を押し開く。隙間から差し込んだ光に目を細めながら、リスタは扉の奥の内装を目にして、言葉を失った。


 全体的に暗いブラウンを基調とした壁床に、純白のクロスがかかったテーブルが整然と並んでいる。落ち着いた色合いの照明もムードを醸し出し、外見だけなら一流レストランにも引けを取らない高級感にあふれていた。


 驚きのあまり呆然と入口の前で固まり続けるリスタであったが、オーナーがそっと背中を押すと我を取り戻してぎこちなく歩き出した。なすがまま大きなガラスが並ぶ窓際に案内されて、粛々と少女は引かれた椅子に腰かける。

 そのまま彼女は錆びついた人形のように首を回した。


「これ、本当に銅貨三枚ですよね? あとで追加料金ぼったくられてもお金ないですからね?」

「ご安心ください。どれだけ食べても飲んでも宿泊費は銅貨三枚しかいただきません」


 念のためもう一度確認してみても、返ってくる値段は銅貨三枚。ここまでサービスが行き届き過ぎていると逆に不安になってくる費用だが、これ以上疑うのは失礼だろうとリスタはオーナーの誠意を信じることにする。


「お待たせいたしました。こちら野菜スープになります」


 ほどなくして一人の男性がスープを運んできた。銀髪に褐色の肌を持つ燕尾服姿の若い美男子だ。オーナー同様マネキンめいた無機質な美貌に違和感を覚えるが、二枚目であることは間違いない。ここのスタッフは美形しか採用していないのかと変な勘ぐりを入れてしまうくらいには、二人とも端整な顔立ちをしている。


 というより、リスタはここに来てから現在に至るまで従業員と呼べる人間を二人しか見ていない。これだけ大きな屋敷に対してスタッフが少なすぎる気もするが、もしかしたらほかの従業員はもうすでに寝ているのかもしれない。

リスタはここに来るまで時計を一度も確認していないが、予想するにかなり深夜であることは間違いない。となればこんな夜更けに訪れたリスタの方が非常識ということになろう。こんな夜遅くまで営業してくれていた宿に対して、感謝こそすれ疑う資格などない。


 なぜかリスタは急に申し訳なくなり、萎縮してスプーンで静かにスープをすする。

 味は涙が出るほどおいしかった。

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