017 <いばら姫> ― Ⅳ
振り向いた先には黒い影を落とす大男が立っていた。
「<青……髭>……」
シャトンがローズ越しに大男の顔を確認するや、その男の名前を呼ぶ。<青髭>もゆっくりと
「<長靴>か」
と訝しむ声で返事をした。
「我々はお前と争いに来たわけでは」 「何も喋るな」
絞り出すシャトンの言葉に<青髭>が低い声を被せて遮る。
「お前との会話はいつだって、論点を逸らされ疲れさせる」
そう言い終わるや青髭の右手が左腰に差してある短剣に向かって伸びて行った。しかしその前にリッツが背負っていた猟銃を咄嗟に構えて、ローズに向けて発砲する。その判断力たるや、その場にいた誰よりも早かった。だがこのままでは仲間であるローズに当たってしまう。撃たれた鉄砲玉は透き通った水で出来てはいるが威力は普通の銃弾と変わりない。
そこで引き金を引く音を聞き取ったシャトンがリッツの意図を汲み取って、銃弾が届くよりも前にローズの腕を勢いよく引っ張り彼女の姿勢を崩させた。出会ったその日の内だというのに流れるような連携感。長きに渡り紡いできたグリムアルム同士の信頼関係が伺えられる。
銃弾は倒れるローズの髪をかすめて青髭を貫こうと真っ直ぐに飛んで行った。しかし青髭も短剣を抜き取ると、羽虫を払うかのように弾丸を弾き飛ばす。ただの細い短剣が、たった一振りで<童話の弾丸>を無力化してしまった。だが臆することなく、今度はオクタビウスがレイピアを構えて青髭の懐に素早く飛び込む。
『左腕』
オクタビウスの左耳に付けられたカラスのイヤーカフが歌うように耳打ちする。それに合わせてオクタビウスも青髭の胸へ伸ばしていた剣の軌道を直前で変えると左手を切り落とす様に振り上げた。だが青髭はオクタビウスが何をするのか分かっていたかの様に左腕を背後に隠すと、後ろに下がって距離を取る。
「クッ!」
狙いが外れたオクタビウスが悔しそうに声を漏らす。今度は自分の体制が不利な形となってしまったが、すぐに基礎の姿勢に整え直す。
ここまでの時間は瞬きを二度ほどするほどに短く、この状況が最悪なものだと気付くには十二分の時間はあった。
ローズも倒れた後に目の前に居るのが<青髭>であると気付が付くと
「<青髭>?!」
と驚く声をようやく出せた。
彼女の声に青髭が答えるように顔を下すと、休む暇もなく次の一突きがローズを狙う。すると次はフリードリヒが滑り込むようにローズと青髭の間に入り込み、青髭の短剣を己の蛮剣で受け止めた。
「逃げろ! ローズ! 早くっ!!」
「し……しかし、お嬢様方が」
「いいから早く!!」
青髭に恐怖しながらもローズの関心は依頼主の娘に向けられ続けている。だが娘の遺体はまだ部屋の奥にあって、それらを取りに行くには時間もない。ローズは一瞬悩んだ内、一番近くにあった依頼主の娘だけでもと部屋の中へと顔を向けてしまった。
ローズの動きをいち早くに感知したリッツ。しかし彼も銃口を<青髭>に向け続けていなくてはいけないので動けない。
「精霊様ぁ! プフルークさんを手伝ってはくれませんかぁ!!」
「やれやれ、世話が焼けるのぉ」
精霊は切羽詰まりながらもしょうがなしといったような声を出して、右手を出口に向かって大きく振った。すると依頼主の娘が入った袋が精霊の手の動きに合わせてローズの元へと勢いよく飛ぶ。
「うむぅ……血抜きされててこれ以上は飛ばせぬな」
遺体に残された血液を操って袋を運ぼうとしたようだが、ローズの前までが精一杯であった。
「プフルークよ! 妾たちで<青髭>の気を引く。ソレをもって城を出ろ!!」
これでグリムアルムたちの目的が青髭に知られてしまった。だがそれで不利になるわけではない。ローズは言われた通りに自分よりも大きな、しかも遺体が入った布袋を担ぐと階段に向かって歩き始めた。
青髭が獲物を逃がすまいと握っていた短剣に力を加えるが、フリードリヒも負けじと剣を構える腕に力を込める。力比べとしては青髭に負けてはいるが、それもフリードリヒの作戦の一つ。青髭の意識がローズとフリードリヒに割かれている間、二人の大男の陰に隠れていた細身のオクタビウスが素早く青髭の左隣に躍り出た。そして構えていたレイピアで青髭の左腕を叩こうとした。が、青髭もそんな単純ではない。鍔迫り合いをしていた剣を簡単に緩めると、流れるように後ろに下がってオクタビウスの剣を難なく避ける。
二度目の反撃も避けられて悔しそうに顔を歪めるオクタビウス。しかしこちらも攻撃の手を緩めてはいない。攻撃を避け切ったと思っている青髭に今度はリッツが猟銃の引き金を引いた。
発砲音を聞くなり青髭はまた短剣で球を弾こうと構えるが、今度は彼の足元に広がっていた血の海が逆再生するかのように宙に浮き上がり、数枚の板状の鏡となって青髭の周りに漂い始めた。
何かあると勘繰った青髭は弾丸を弾かずに寸前で避ける。しかし青髭の背後にも湧き上がった血の鏡が漂っており、そこに弾丸がぶつかると反射してまた別の血の鏡にぶつかり軌道を変えた。
銃弾の威力は衰える事なく、青髭の周りを幾度も反射して男の逃げ道を遮り続ける。終いには青髭の背後、右足に一発撃ち込もうと軌道を変えて落下していくがそれも避けられてしまった。だがそのチャンスを逃すわけもない。右足を上げてバランスを一瞬でも崩した青髭にオクタビウスは疾風のような剣捌きで青髭の左手を軽く点いた。
ようやく当たった一撃。その一撃は余りにも弱々しく傷を付けたようには見えないが、攻撃を受けた青髭は自分の左手から力が抜ける感覚に襲われた。どういう仕組みかは分からぬが、それがオクタビウスの<童話>の能力のようだ。
「よしっ!」
思わずリッツが小さく声を上げる。幸いローズは言われた通りに階段を登り続けている。このまま青髭の動きを抑え続け、自分たちも脱出しなくては。そう考えている次の瞬間、青髭はリッツの懐に飛び込んでいた。
その動きにリッツも一瞬思考が鈍るが、すぐに猟銃を盾のように胸元に置いて守りの姿勢に入る。だが青髭が振り上げた短剣が、その見た目に似つかわしい威力を持って猟銃もろともリッツの胸を切り裂いた。
「マックス!!!!」
飛び散る血飛沫に精霊が思わず悲鳴を上げる。青髭とはだいぶ距離を取っていたはずなのに、まるで瞬間移動でもしたかのように部屋の奥にいるリッツの元まで踏み込んできた。
精霊の悲鳴に思わずローズは振り返り地下室の入り口を見た。しかし角度的に中の様子が分からない。代わりに血相を変えたフリードリヒが素早くローズの方に振り向いて、
「ローズ、急げっ!!」
と怒号のように声を張り上げた。
「早く逃げるんだ!!!!」
「ローズ様!! 早く!!」
今までに聞いたこともない師の焦る声と彼女の腕を引くシャトンに促されて、ローズは訳も分からず階段を上った。その間にも背後からは剣がぶつかり合う鈍い音と精霊による怨みの悲鳴が響いてくる。
腱が切られたかのように左腕が動かなくなった青髭だが、リッツが切られてすぐに飛び込んできたオクタビウスの斬撃を右腕だけで受け流すほどの余力はまだある。それどころか壁に掛けてあった別の剣に持ち替えて、ようやく本気を出すかのようにオクタビウスの攻撃を簡単に跳ね返した。
リッツは深い傷を受けながらも精霊の水を操る力によって止血され、壊れた猟銃を娘たちの流した血で補強しながら今なお戦う意思を示している。
そんな彼らの勇ましく戦う音が聞こえる中、ローズは最悪な状況を想像して目を回していた。だがそれでも彼女は言われた通りに歩みを止めず、がむしゃらに屋敷の外へと向かっていた。
外の世界は眩暈がするほどに白い光と緑の葉の色に染まっている。仲間のおかげで屋敷の外へと逃げ出すことができたローズだが、彼女は奇声を上げながら歩みを続けていた。だがその歩みも石橋の段差につまずき、前のめりに倒れることで途絶えてしまう。
顔面を強く打ち、痛みに悶えながらも顔を横にそむけると、目の前に転がる娘の遺体と目が合った。ゴム玉の様に乾いた無機質な瞳に見つめられ、とっさに体を起こしたローズは思わず食道を逆流する異物を吐き出した。
怖い。今までに感じてきたどの恐怖よりも圧倒的に怖い。何物にも言い難い恐怖がローズを何度も嘔吐かせる。
「もう大丈夫ですよローズ様! あとは彼らに任せて、フェルベルト様が来るのを待ちましょう!」
「大丈夫なものですか!! リッツ様が斬られたのですよ?!!」
己の目では見ておらずとも、あの悲鳴と師の顔を見るにリッツの姿も想像できる。その妄想に囚われたローズにシャトンの励ましの言葉は届かない。それどころかとんでもない与太を彼女は口走る。
「戻らなきゃ……」
「ローズ様?!」
「早く戻らなきゃ! リッツ様が死んでしまう!!」
きっと<いばら姫>の時を遅める力で彼を助けることができるかもしれない。
きっと<青髭>の動きを封じる手助けができるかもしれない。
娘の死体を置き去りに、ローズは狂ったように屋敷へと戻った。
そして彼女は使命に囚われた。
「早く戻って助けなきゃ……、だって私はグリムアルムですもの!!」