017 <いばら姫> ― Ⅱ
「フェルベルト様は前にも町から離れづらいと言っておられましたし、その分ハウスト様に期待していたのですが……、勉学が忙しいのも仕方がありません。私が代わりに」
「プフルークさん、それではお話し通りじゃ無いから<童話>を祓いきれないよ!」
リッツも慌てて言葉を挟む。それだけ危険な事だとその場の誰もが知っていた。
「勉強も大事だが、今は人命を優先すべきだ! よし! 今すぐハウストの坊の首根っこをひっ捕まえて連れてくんぞ!!」
息巻き、玄関へと翻すフリードリッヒにローズは宥めるように声を張り上げて、
「いいえ!! 祓うのではなくお嬢様方を救いに行くのです!」
と新たな案を提示した。
「<青髭>を……祓うんじゃないのかい?」
「はい。今からハウスト様を連れて来るにも時間がかかります。それよりも一刻も早くお嬢様方を助けに向かいたいのです! 私には<青髭>を倒す力はありませんが、<いばら姫>の“時を遅くする力”とシャトンの”交渉術”で皆さんの援護をする事は可能です」
確かに<青髭>を倒すには三人の男性が必要だが、さらわれた女性たちを助けるだけなら人数を揃えずとも可能のはず。それならばできるかもしれない。しかし、
「何を言ってるんだいローズ!!」
と、今度は義母が劈くような声を出して割って入ってきた。
「お前が<青髭>なんぞと戦えるわけがない!!」
「大丈夫です、お母様。別に<青髭>と戦うわけでは」
「いいや! お前のことだ。その“人ごろし城”に入るなり、<青髭>を探し出して飛び掛かるはずだ!!」
「そんなことは決していたしません。ここでお母様に誓います。私のグリムアルムとしての力は、人々を助ける為に存在すると。ですからどうかお許しくださ……」
「許すものか!! 第一なぁ、本当はお前がグリムアルムになるのは嫌だったのだ! それでもお前がやりたいと言うから、仕方がなく手助けしているというのに!!」
思いもしなかった言葉にその場の誰もが息を止めて義母を凝視した。スワルニダはローズがグリムアルムになることを本当は望んでいなかったのか。いいや、実際には応援したいのだが相手が相手なので応援しきれないでいる。
氷のように冷たい女の瞳が涙で潤んで最愛の娘を見つめるが、彼女の言葉を本心として受け止めた娘に彼女の想いは届かなくなっていた。
いつものローズならすぐさま謝罪し、母の言う通りに動くはずなのに今は年老いた義母を憐れむ瞳で見返している。スワルニダの心は悲しみから怒りに変わると小刻みに拳を振るわせて、何か言い返そうと目を吊り上げたが言葉が出ない。仕舞いには「もう知らん!」と投げやりな言葉を吐き捨てて、ズカズカと自分の部屋へと帰ってしまった。
今まで母を怒らせまいと振る舞っていたローズだがオドオドする事なく、しかし寂しそうに一瞬だけ目を伏すと、すぐに表情を引き締めて台所の隅にいた義姉の方へと振り向いた。
「お義姉さん、髪を切るのを手伝ってはくれませんか?」
「え? 髪を?!!」
「もしもの為に……です。戦いはしませんが、<青髭>と出会った時の事を考えて男装して行きます」
それはもうほぼ戦うと言う意思表示。エーリカも、ただならぬ雰囲気に義妹を止めなくてはと心では焦ってはいたが、彼女の強固な眼差しに押されて息を飲み込む様に頷いた。
「準備するから……、部屋で待ってなさい」
ローズは客人たちに挨拶し、二階に上がるとすぐには自室に入らず兄の部屋から古ぼけた服を借りてきた。そして自分の部屋に戻ると静かに着替え始めるのであった。
* * *
準備を終えたエーリカがローズの部屋に向かう途中、「すみません」と彼女の背中にマテスが声をかけてきた。
「それ、僕にやらしてもらえませんか?」
彼が指さす先には髪を切るための道具一式。彼の気持ちを汲み取ったエーリカはマテスに道具を手渡すと、何かを託すかのように無言で彼の瞳を見つめた。そして彼に背中を向けると、我が子が待つ部屋へと戻っていく。
言葉はないがエーリカの思いもスワルニダと同じだと感じ取ったマテスはより気持ちを引き締めた。そして緊張した手でローズの部屋の扉を二回叩く。
「どうぞ」
呼ばれて入った部屋の中。兄嫁が来ると思っていたローズはマテスが部屋に入ってきたことに驚いた。
「マテス……」
すでに彼女は着替え終わっており、くたびれた茶色いスーツを身にまとっている。
「髪を切る手伝いを……、エーリカさんから譲ってもらった」
それだけ言うとマテスは机の上に櫛と化粧鏡、そして大きくて丈夫な鉄のハサミを並べ始めた。ローズも何も聞き返さずに椅子に座ると髪を切られる姿勢に入る。
鏡の角度を調整し右手にハサミを持つと、ついに彼女の長くて美しい髪を切ろうという時になる。が、いくら待っても彼はローズの髪を触ろうともしなかった。そして堰を切ったかのように
「ローズ、なぜキミが行かなくっちゃいけないんだ!!」
と大きく、悲痛な第一声が心の底から溢れ出た。もう彼女のために言葉を繕う余裕は残っていない。
「今動くことが出来るのはもう私しか残っていないの。一刻も争う事態だから」
「それならば僕も向かう! 僕に憑いているこの<童話>の名前を教えてくれれば、君の力にもなるだろう」
「貴方には無理よ」
「無理だとなぜ決める? まだ試してもいないのに」
「貴方にも恐ろしい目に遭って欲しくないの! 分かってちょうだい!!」
振り返りマテスに向けられる険しく強張る少女の顔。その視線にかつての温かみや優しさはない。あるのは岩のような意地だけ。
「分からない……何故キミじゃなきゃいけないんだ? キミの…………キミの信仰とはそんなものだったのかい?!」
マテスは卑怯な手をとる。彼女の信ずる教えには男装を忌み嫌う文がある。しかし、
「迷える子羊に手を差し伸べる。その為ならば天の主もきっと赦してくれるはず。私たちに与えられたこの封印の力はそういう力なの」
と己の使命を肯定した。
何を説こうが揺るがない頑固なローズにハサミを持つ手に力が入る。そして言ってもダメならばとでも言う様にマテスはトンっと音を立てて机の上にハサミを置いた。その光景を見たローズは彼もまた義母と同じように自分の言葉を聞いてくれないのかと、心底残念に思ってしまった。だがマテスはハサミを持つ代わりに櫛をとると、彼女の髪を優しく梳かす。
「……せっかくの髪が勿体無い。三つ編みにすれば髪の長さも短くなるし切らずに済む」
器用に結われる一本の三つ編み。本当は送り出したくない。だけどもローズの気持ちを無下にもしたくないと抵抗する彼なりの精一杯な思いやり。ローズはその思いを汲み取ることはできただろうか。彼女もまた静かになると、鏡に映る自分を見つめた。
「僕の国でのおまじない」
最後にマテスは黄色いリボンを取り出すと、三つ編みの結び目にきつく結んで上着の中に仕舞い込んだ。鏡に映った少女の顔は幼さを残しつつも戦士としての誇りを持っている。まっすぐ伸びた背中は思っていた以上に小さく、陶器でできた人形のように脆そうだ。
「ありがとう、マテス。帰ってきたら約束通り、貴方の<童話>を祓うから。だからどうかお母様をお願いね」
ようやく見せたいつもの微笑み。その微笑みに決めた意思が揺らぎだす。堪え切れない気持ちになったマテスはローズの肩を強く掴むと、彼女に向かって激しく言った。
「おねがっ……」 「ダメよ!!」
咄嗟にマテスの言葉を遮るローズの声。まるで彼に<何か>を言わせないために声を張り上げたようだった。そうで無くてもせっかく決めた覚悟がその一言で全てが積み木のように崩れてしまいそうだったのかもしれない。
「それ以上なにも言わないで」
とっくに覚悟は決まっている。ローズの瞳は誇りを持った闘志の炎で燃えていた。こんなに力強い彼女を見るのは初めてだ。その瞳で見つめ返されたマテスは、また自分のつまらない言葉で彼女の心を揺るがそうとしていた己の意思を酷く恥じた。
ローズはマテスの手を離れて一人立ち上がる。マテスは最後まで彼女の後ろ姿を見続けたが、ローズは振り返ることもなく自分の部屋を後にした。