017 <いばら姫> ― Ⅰ
乾いた空気も冷たくなり秋の訪れを感じる夏の朝。まだ日の光も昇る前に荒々しくプフルーク家の門を叩く音でマテスは無理矢理に起こされた。家主たちが部屋から出てくるよりも早く階段を降りて玄関を開けると、見慣れぬ老夫婦が青い顔をして立っていた。
「プフルーク様のお屋敷はここですか? <童話>を祓ってくれると聞いて、二つ向こうの村からやってきました」
ここから二つ先の村と言えば、馬を使っても一時間近くはする。この村の誰よりも汚れた身なりのままで、こんな朝早くから訪ねてくるとは余程の事態なのだろう。
「どうぞ、上がってください。グリムアルム様をお呼びします」
マテスは老夫婦を部屋に通すと、ローズと義母のスワルニダを呼びに二階へと駆け上がった。手早く二人の部屋をノックして客人のことを話すと、一階に戻り老夫婦のためにコーヒーを入れ与えた。
夫婦は客間の暗闇の中で、強く光るランプの灯りをじっと見つめながら寄り添い合っている。小さく震えているのは寒さからくるものか。二人は出されたコーヒーに口をつけ、体を温めるがまだ震えは治まらない。そうしている内に階段を駆け降りる音と共に、薄手のカーディガンを羽織った寝巻き姿のローズが現れた。
「お待たせしました。プフルーク家の三代目グリムアルム、ローズ・プフルークでございます。早速ですがお話を聞かせてください」
サッと黄色い栞を彼らに見せて自分がグリムアルムであると証明するローズ。思っていたよりも若い、しかも女性であると知った老夫婦は互いの顔を見合わせて青い顔をより曇らせた。しかし背に腹は変えられぬとでも言うように、夫の方から渋々と事態を話し出す。
「アタシらの村の近くに、お屋敷の廃墟が幾つかあるんだが、春の初め頃からとある一軒がやけに薄暗く、気味が悪くなったんだ。元々、村の者は誰も近づかない場所ではあったからそのまま放置してたんだが、二週間ぐらい前に隣人のお嬢さんがその廃墟の近くで神隠しにあったんだ」
「その後も廃墟に近い畑を持つ家の娘が消えました。そしてついにアタシたちの娘までもが……」
老婆は畑仕事で硬くなった両手で、柔らかな涙を隠す様に己の顔を大きく覆った。
彼らの話を聞き終えたローズは険しい顔をして「わかりました」と言い放ち、
「恐らくそれは<消された童話>、<青髭>でしょう」
と目星をつけた。
「昔から古い屋敷の廃墟に住み着き、村人、特に若い女性を誘拐して襲っていると言い伝えられています。急ぎましょう。このままではお嬢様も危ない目にあってしまう。マテス、便箋を四通分準備してくれますか?」
マテスが戸棚から四枚の真っ新な便箋を取り出すと、ローズは急いで同じ文を四通分したためた。
「シャトン、急いでこの手紙をグリムアルム様たちに届けてちょうだい。ハウスト様がこの間言った通り、動くことが出来る方たちが集まれば<青髭>を祓うことができるかもしれません」
「かしこまりました!!」
手紙を受け取ったシャトンはぴゅっと風のように家から飛び出すと、あっという間に野を駆け姿が見えなくなった。
「<青髭>をお話通りに倒すには“三人のお兄さん方”、男性が三人必要です。今、私の<守護童話>に他のグリムアルム様を呼びに行かせました。ですが準備を整えるのに最低でも五時間はかかります。すぐにでもその廃墟に向かいたいのですが……、どうかもうしばらくお待ちくださいませ」
ここに来ればすぐに解決すると思っていた老夫婦は「五時間も待たされるだなんて」とでも言うようにより一層顔色を絶望に染め、互いの肩を強く抱き合い咽び声を上げていた。
他のグリムアルムが来るまでの間、マテスは冷めたコーヒーを入れ直したり昼食を老夫婦に振る舞ったりするのだが、彼らの口にそれらが運ばれることはなかった。義母も疲弊した彼らに同情しつつも「可哀想だが我々にできることは何も無い」とだけ言って、いつも通りの仕事をこなすだけだった。
それから時間は進み昼食の片付けも一通り終えた頃、力強く玄関を叩く音が響いた。
「プフルークさん! ご無沙汰しております! フリードリヒ・ズィゲートです!!」
「マックス・リッツです~。手紙を見て、急いで参りました~」
扉を開けると鼓膜をつんざくような大声を出す大柄な男と、どこか眠気を誘う声の青年が立っていた。そして彼らの後ろにも、顔に影を落とす目深帽子の伊達男と、水死体のように青白い肌の長髪女が不気味な雰囲気を纏って突っ立っていた。
「お師匠様! リッツ様も!! 急なお呼び立てだというのに、来ていただきありがとうございます」
ローズは心底安心した様子で四人を温かく出迎えた。お師匠様と呼ばれたフリードリヒはニカっと眩い笑顔を見せるが、四人の前に立っていたシャトンは申し訳なさそうに自分の帽子を両手で摘んで首を垂らした。
「申し訳ございません、ローズ様。フェルベルト様は空襲で崩れてしまった町の復興で忙しく、急いでも夕方頃でないと来れないとの事でした。ハウストの若造は勉学の方が大事だと言って追い出されてしまいました」
「ありがとうシャトン、十分よ。お師匠様とリッツ様が来てくれたらもう大丈夫」
ローズの力の籠った言葉にシャトンは両耳をピンと立てて喜んだ。だが、その彼とローズの間を目深帽子の男が割って入ってくる。彼は片膝を付いて頭を下げると、ローズの右手を両手で掴んだ。
「おぉ……我が愛しきエンゲルヒェン! 二年前よりも麗しきフロイラインになられた!! 貴女に呼ばれればこのヨハネス・オクタビウス、例え火の中水の中、地獄の底であろうと飛んで参ると誓ったはず!! そう畏まらないでください。<青髭>とは一つ剣を交えてみたかった……、いい機会を頂けた事を感謝します!!」
フリードリヒに負けず劣らぬ大声を出すオクタビウスは自慢の細い巻き髭を見せつけるかのように顔を上げて、情熱的な言葉で困り顔のローズを絡めとる。そんな男を蔑むように、女の冷ややかな声が彼の背中に突き刺さる。
「おやおや、まぁまぁ、<童話>が人間に愛の言葉を囁くなんて、アホらしい。そんな事をしている暇はあるのかえ?」
薄ハナダ色の長髪に緑のスラッとしたドレス。その女性は桐子もよく知っている、ブレーメンで出会った水の精霊ご本人であった。彼女は桐子と出会った七十年後と変わらぬ姿をして記憶の中に現れている。
ヤジを飛ばされたオクタビウスは気にしていないとでも言うように涼しい顔をして立ち上がると、水の精霊に向きを変えた。しかしその目は下劣な物を見るかのように挑発的で、二人の間には見えない火花が激しく散っている。
そんな二人を他所にリッツは自分の自由なテンポを崩さずに、困ったように辺りを見渡した。
「しかしプフルークさん、見立て通り相手が<青髭>だとしたら、条件に合った人は二人しかいませんよ? 後の一人はどうします?」
<青髭>をお話通りに倒すには三人のお兄さん。兄弟でなくても三人の男性が必要だ。実力のあるグリムアルムが二人もいれば条件以上の実力は超えられると思われるが、あと一人足りない。
「まさか、この男を向かわせる訳ではないよな?!!」
スワルニダが突拍子もない事を言い出してマテスを指さした。急に振られたマテスも目を丸くしてスワルニダを見た後にローズを見る。
彼はグリムアルムではないが、<童話>の力を少しは使えるようになっていた。しかし彼は救うべき対象であり、そんな彼にローズが危険な任務を任せるわけがない。
ローズは元々決めていたかのようにキッと目つきを釣り上げて、力強く「私が行きます」と言い放った。