ある<童話>の与太話
これはとある<童話>の昔話。
この<童話>は人間社会に深く興味を持っており、人間と共存することを夢見ていた。
日課はお気に入りの町で散歩をすること。
公園のベンチで日向ぼっこをすること。
ビアホールでたまたま隣の席になった客の話をつまみに美味いビールを嗜むこと。
そんな彼を他の<童話>たちは変わり者だと馬鹿にした。
だけども彼はそんな戯言を微塵も気にしてはいなかった。
彼には気の合う人間の友人が沢山いたし、波風立たない平凡な日々を心の底から愛していたからだった。
しかしそんな彼は友人たちとも決して"言葉"だけは交わさなかった。
いつもする彼の会話は紙にペンで文字を書く筆談だけ。
彼の友人たちも「コイツは喋れない奴なのだ」と理解して気にもしていなかった。
本当はたくさん喋れるし、面白い冗談だって語りたい。
だけども彼は"言葉"に関する能力を持った<童話>なので迂闊に喋ることができなかったのだ。
“ちょっとでも人間と会話を交わせば、その人の人生を狂わせてしまう”
人間と仲良くしても人間の人生は転ばせたくない<童話>は、それだけは決してやってはいけないと口を強く閉ざしていた。
その日も彼はビアホールで美味いビールを嗜んでいた。今日のつまみは小さな党の演説会。
人はいつの時代もギャーギャーと誰のせいだ、何が自由だと同じ話題を繰り返す。それがなんとも無意味で愛おしいものかと、<童話>は幸せそうにその演説会を眺めていた。
時間が過ぎるほどに議論は白熱し、ついには取っ組み合いが始まるぞ! っと緊張感が走る中、ひとりの若者が客席から演説の舞台へと立ち上がってきた。
登壇した若い男は恐ろしい剣幕で党の者に喰らいつくと、彼らの思想を強引にねじ伏せる。
いくら愛おしく思っていても、いつも同じ議題を聞いていた<童話>はその光景がとても新鮮で面白く感じられた。
若くて荒削りで危険な思考に共感せずとも、その男を応援したい気持ちに<童話>はなっていた。
そして何を思ったのか<童話>は舞台から立ち去る若い男に近づくと優しい声で囁いた。
「神のご加護を」
と、
それから何年か経ってから二度目の大きな戦争が始まるわけだが、
”人の人生を狂わす<童話>” と ”<童話>をも魅了する人間”
本当にタチが悪いのはどちらの方なのでしょうか。