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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
幕間
89/114

016 <長靴をはいた牡猫> ― Ⅺ






 季節外れの暖かな風が流れる早朝。マテスはすっかり慣れた手つきで玄関先を掃除していた。塵取りに集めたゴミをドラム缶のゴミ箱に捨てようと中を覗くと、荒縄が捨てられているのを発見する。彼はこの紐を何処かで見た気がしたのだが、いい気分のする物でもないし後の仕事が詰まっているので気にせずマッチに火をつけゴミを燃やした。


 ゴミが風に飛ばされぬ様、上手にドラム缶の中を火かき棒で掻き回していると、白斑の茶色い老馬を連れた老人が玄関の門に近づいているのに気がついた。老人もマテスの存在に気がつき軽く手を挙げ挨拶する。


「ローズちゃんかスワルニダさんはいるか?」


 ローズや義母であるスワルニダの名前を知っていると言う事は、彼は近所の住民だろう。


「奥様はお屋敷の中。ローズなら馬小屋にいますが……、呼んできますか?」


「いいや、自分で行く」


 そう言うと老人は酒の匂いを漂わせながらローズのいる馬小屋へと向かった。あまりに香り立つ酒の匂いにマテスも心配して彼の後を追った。



「ローズちゃん、おはよう」


 馬小屋を覗き込むとローズは広くなった馬小屋で愛馬のピラトゥスを丁寧にブラッシングしていた。


「あらルーテルさん、おはようございます。ヴェンデルとお散歩ですか?」


 ローズは元気よくヴェンデルと呼んだ馬の元に駆け寄ると、鼻先を優しく撫でてやる。彼女にとって馬とはこの世の何者にも変え難い大切な友達だ。それが分かっているのかヴェンデルも嬉しそうに(いなな)いた。


「いいや。今日はローズちゃんに贈り物を持って来ただけだ」


そう言うとルーテルはヴェンデルの手綱をローズに差し出す。


「え?」


「ついにグリムアルムになれたんだろ? おめでとう」


 村の噂話の速さにも驚きだが、ルーテルは大切な働き手である馬をローズにプレゼントするようだ。ローズも彼の考えに気が付くと咄嗟(とっさ)


「そんな! 貰えないわ。この子はルーテルさんの大切な家族でしょ?」


と折角の好意を(こば)んでしまう。


「そうだね。でも、グリムアルムになった記念にどうしても贈り物を渡したかったんだ。ピラトゥスも急に独りぼっちになって寂しいだろうしね。それにローズちゃんなら、馬を大切にしてくれるって分かっているから安心して送れるよ。ただし……」


条件がつくのも仕方がないこと。ローズも固唾(かたず)を飲んで次の言葉を静かに待つ。


「ただし、その分しっかり働いて返してくれよな」


 温かな笑顔にローズは泣き出しそうな顔をして、しかし涙は流さず「はい……」と(かす)れた声で力強く返事をした。そしてもう一度ヴィンデルの顔を見つめると、愛おしそうに鼻先を抱き寄せる。


「よろしくね、ヴェンデル」


 心底幸せそうなローズの姿に、マテスも思わず安堵(あんど)の笑みを小さく浮かべた。これでもう彼女を否定するものは何もない。

 ローズは幼子のような笑顔をして、


「ねえマテス、この子に私のとっておきの場所を紹介したいの。付き合ってくれる?」


と言いい、次の仕事も忘れて颯爽(さっそう)とヴェンデルに(またが)った。


 マテスは急いでピラトゥスを連れ出すと何とか彼女を操ろうと悪戦苦闘(あくせんくとう)するのだが、ローズとヴェンデルはすでに長い年月を共にした友人のように軽やかに歩道に駆け出した。



 村のはずれにある緑豊かな丘に着き、ローズは間に合ったと言って(ヴェンデル)から(くら)を取り外して自由に遊ばせた。遅れてやって来たマテスもこの場所に来るのは初めてだが、自由奔放(じゆうほんぽう)のピラトゥスに振り回されてすっかりくたびれて(うつむ)いていた。しかしローズの楽しそうな笑い声に釣られて顔を上げれば、地平線を美しく縁取る朝日に思わず「わぁ……」と小さく声を溢す。



馬たちが喰む緑の香り。

遠くに見える教会の赤煉瓦。

銀の鐘の音がこんな遠くまで響いてくる。

白く朝焼けた大空が青の時間に変わりゆき、日の光が手に取れそうなほどに温かい。


「私のとっておきの場所。ね、綺麗でしょ?」


そう言って振り返った彼女の淡い栗色の長髪が、風に舞って透き通りキラキラと黄金に輝いた。



 ―――― 時よ止まれ、(なんじ)は美しい。



 そんな詩の一節が、マテスの頭の中を横切った。

それと同時に何物にも例え難い奇妙な不安感に襲われた。


 凍える馬小屋に揺れる荒縄。朝にゴミ捨て場で見た荒縄はあの時のものと同じものなのかは分からない。だけども辛くて苦しい気持ちを思い出すきっかけになったのには変わりない。

 しかしこの時、この瞬間、確かにマテスは初めて世界を愛おしく思えた。




 * * *




「ローズ! 今日はこれを読んで!」


 時は進みその日の夜、就寝の準備をするローズの部屋にナタナエルが絵本を持って入って来た。その後ろをエーリカ(ナタナエルの母)が「もう、ナタナエルったら!」と困った様子でついてくる。


「毎日ごめんなさいね」


「いいですよ。今度カール様に会ったら自分からお話を教えるんですものね。それまでに沢山のお話を覚えなくっちゃいけませんから」


 小さな子供の向上心にローズも笑顔で返事をした。ナタナエルの手から絵本を受け取り表紙を見ると、もう一度くすりと楽しそうな声を上げる。


「あら、また<長靴を履いた牡猫>?」


「今日はね、シャトンと一緒に聞くの!」


そう言うとナタナエルはいつの間にかシャトンの首を抱き寄せてニカリと元気よく笑って見せた。


「おいコラ、ガキンチョ! 何度言えばわかる。私をその名で呼んで良いのはローズ様だけだ!!」


「まあまあ、良いじゃない。未来のあなたのご主人様よ」


親愛なる主人に軽くあしらわれ、シャトンは困りつつも愛おしげにローズを見つめた。


「我が生涯において貴女様を超える主はおりませぬ。ローズ様」


 いつもと同じシャトンの優しい言葉にローズも幸せそうに見つめ返す。しかし彼女は彼を救うことはせず、


「それじゃあ、ナタナエルのお部屋に行きましょうか」


と言ってナタナエルの背中を優しく押しながら彼ら親子(エーリカとナタナエル)の寝室へと向かった。




 部屋に着くとナタナエルはシャトンの腕を引いたまま、肩まですっぽりと布団を(かぶ)る。ローズはベッドテーブルに置かれたランプの光を弱め、ベッドの(ふち)に腰をかけると絵本を開いた。


「“長靴を履いた牡猫”。昔々、ある所に粉挽(こなひき)の三兄弟がおりました」


 読み聞かせを始めたローズの声は今まで聴いて来たどの声よりも温かく、シルクのように柔らかい。二人の(かたわ)でその光景を見守っているエーリカも彼女に嫉妬することなくナタナエルと同じようにローズの声を聞き入っていた。


「ローズ、明日の買い出しは……」


 廊下から近づいてくるマテスの声に、エーリカが部屋の中から彼に向かって口の前に人差し指を添えて静かにするよう合図する。ローズの話す内容を聞くに今日も“長靴を履いた牡猫”を読んでいるのかと、マテスは少しばかり呆れながらも話が終わるのを廊下で待っていた。



「 ――――そして、長靴をはいた牡猫は大臣になりましたとさ。おしまい」


 話は終わり、絵本を閉じるがナタナエルはまだ眠っていない。彼は物足りなそうな顔をしてローズの顔を見上げていた。


「ねえローズ、もっとお話しして!」


 子供のわがままにエーリカが注意しようとするのだが、その前にローズが「それじゃあ、次はお母様(エーリカ)に読んでもらいましょうね」と気を利かして立とうとした。しかしナタナエルは「ローズがいい!!」と駄々をこね始める。


「ローズ、グリムアルムの話しをして!!」


 グリムアルムの話となれば、外から来たエーリカが話せるものでもない。ローズは困ったようにエーリカを見るが、エーリカも困った顔をしてローズの顔を見返している。そして仕方なしというように手を小さく上げて、話してくれるよう(うなが)した。

 それを見たローズは短く息をつくと、絵本をベッドテーブルに置いてナタナエルの方にしっかりと体を向ける。まだ寝る気のなかったナタナエルはもう一本お話が聞けると思うと爛々(らんらん)と目を輝かせて布団に潜り直した。だがローズは先とはまた違う、真剣さの増した声をして静かに語り出す。



「私たちグリムアルムの<童話(悪霊)>を封印する力はね、グリム兄弟から(さず)かったものなの。


 その昔グリム兄弟のお父様が病の床についた時、彼ら兄弟はお父様の具合が良くなるよう何日もかけて天の主にお祈りを捧げました。するとそのお祈りを聞き入れて下さった天の主が、彼ら兄弟の前に現れてこうお言葉をかけました。


『あなた達兄弟のお父様は悪い霊に魂を(むしば)まれている。それを封じるのはお前たち兄弟の使命だ』


と。

 天啓(てんけい)を受けた兄弟は、悪しき者たちを封印する力を天の主から授かると悪い霊を退治しました。それから彼らはこの力を自分たちだけではなく、みんなのために使わなくてはならないと思い立ち、お友達の力も借りながら人々に悪さをする霊たちをいくつも捕まえては赤い本の中に封印しました。


 だけどもグリム兄弟たちが亡くなった後、赤い本を管理していた村に住んでいた男の子が<童話>の封印を解いてしまったのです。

 外に出てしまった悪い霊をどうにか元に戻そうと、男の子は考えましたがまだ子供なので力がありませんでした。そこで本に残っていた封印の力を五人のお友達に分け与え、もう一度悪い霊を集めてくれるようお願いしたのです。それがグリムアルム誕生の物語。だから私たちは今もなお、逃げ出した<童話>たちを集めているのです」


「もう一度<童話>を集めても、また封印が解けちゃうかもしれないよ?」


「そうね。だから今度はこの国の何処かにある“聖なるお山”に本よりも強い強い封印をするんですって。そこには聖母様が眠っているから、彼らの罪を清く洗い流してもらって天の国に(かえ)すのですって。それってとっても大切で神聖な使命だと思わない?」


 今まで漠然(ばくぜん)としていたグリムアルムという存在を、しかと感じ取ったのかナタナエルは痛く感激しているようだった。


「さあもう遅いから寝ましょうね」


 エーリカがそう言いながらナタナエルの布団を掛け直すが、誇りある使命に胸を躍らせてしまった子供にその言葉はしばらく通用しなそうだ。ローズも困ったような笑みを浮かべながらナタナエルにおやすみの挨拶を言うと静かに部屋を後にした。




 ローズは今までに感じたことの無い多幸感に包まれながら嬉しそうに廊下に出る。そして自室に戻ろうと左に曲がると、部屋の出口横でずっと突っ立て待っていたマテスにようやく気がついた。


「あぁ! マテス、居たの。気づかなくってごめんなさい」


「いや、大丈夫。明日の買い物について確認しようと思って……」


 途中で言葉を詰まらせるマテス。ローズが不思議そうに小首を傾げると、「あの……」と気まずそうに話を続けた。


「なぜ天の主は、初めから父親の病気を治さなかったのでしょうか」


 マテスの中に浮かんだ疑問にローズは初め、何の話かと神妙な顔をして考えた。しかし直ぐに先ほどのグリム兄弟の父親の話だと気が付くと、「ああ!」っと納得の声を漏らしていた。


「マテスは何か勘違いしているようですね。天の主はもうすでに(いくつ)つもの病の治し方を教えてくださっていましたよ。ですが兄弟のお父様に取り憑いていたものは病よりも根深い悪霊でしたから、それを(はら)う術を新たに教えてくださったのです」


「主の奇跡でその悪霊を退治する事は出来なかったのですか?」


「悪霊や悪魔を退治することはできませんよ。彼らもまた、主に救われるべき大切なもの達ですから。

ですが心配する必要はありません。私たちにはもうすでに主からそれらを乗り越える為の手段を教わっていますから。だからあなたは大丈夫。私と共にこの苦難を乗り越えましょう」


 ローズは力強くマテスの右手を両手で握ると、柔らかな顔をして微笑みかける。まるで彼女の生きる力を注入するかのようなその真っ直ぐな姿勢に、マテスはただただ困ったように眉を(ひそめ)めてその光から小さく目を()らした。






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