002<靴屋の小人> ― Ⅲ
暗い紺色の空の下。夕日が悪あがきをしているかのように、町には未だに赤い光が残っていた。そんな中、桐子、ハンス、ウィルヘルムとマリアの四人は図書館を後にして、表の大通りに出向いていた。先ほどよりも人影は少なく、街灯や家々の窓にも明かりが沢山点っている。ぞろぞろと並んで一ブロック超えると、また四人は狭い道へと入っていった。そして図書館の裏側、クラウンという青年に襲われたあの袋小路にたどり着く。
先ほど感じた冷たい雰囲気は、頼れる人たちが一緒にいるお陰か多少は感じられなかった。しかし、それでもここは桐子にとってはトラウマの場所。マリアと共に袋小路の中には入らず、入り口の前でじっと立ち止まってしまった。
「また派手に落としたわね」
ハンスは困ったように頬に手を当て、ため息をつきながらウィルヘルムの事をチラッと見下ろした。
綺麗に引き詰められていた石畳は割れに割れており、哀れ無残な姿となっている。巨大な石臼もそのままで、地面にめり込んだまま放置されていた。他にも二次災害と言うのか、飛び散った石畳の破片で、周りの壁も窓も無数の引っかき傷や凹み傷でボロボロになっていた。
「あいつが悪いんだ」
ハンス本人が無意識であろうとも、190センチという巨大な背の高さからかけられるプレッシャーというのは随分と恐ろしいもののようで、桐子よりも小さな少年ウィルヘルムは、彼のプレッシャーに耐えきれず、下に顔をそらしながら言い訳を吐いた。
「アナタたちを襲った〈童話〉使い? だとしても、アナタの〈童話〉ならもっと上手く解決できたはずよ」
ぐうの音も出ないといったウィルヘルムは、一つハンスを睨んでやろうと顔を上げた。しかしそこにはもうすでにハンスの顔は何処にも無く、彼は飛び散ったレンガの破片を一個一個足の先を使って、石臼の近くに集め始めていた。それを見たウィルヘルムも、彼を手伝うように破片を拾い上げると、その凹んだ穴に向かって投げつけた。二人は無言のまま、無意味とも思える修復作業を少しの間進めていた。
「これから何をするんですか?」
入り口でずっと眺めていた桐子の疑問に、ハンスは自分の手提げ鞄からあの真っ赤な表紙の〈グリム童話集〉を取り出した。
「ウィルヘルム達は悪さをする〈童話〉たちから人々を助けるのがお仕事。だけど私はこうやって……」
そう言うとハンスは本を急に開いてみせた。
風もないのにページがパラパラとめくれ始め、またマジックショーが突然始まったのかと、桐子は驚きの目をしてハンスと本を見合わせた。本のページは勢いよくめくられ続けていたが、とあるページを開くとぱたりと動きを止めてしまった。
〈KHM039靴屋の小人〉
どこからともなく、何者かが近づく気配を桐子たちは感じた。一つ二つどころではない。大勢の気配と、うごめく影が彼女達のいる建物の上から、背後から不気味に感じ取れた。一体何が始まるのだ。恐ろしさのあまり桐子は、小さなマリアの腕を強く抱き寄せた。マリアはそんな怯える桐子を見て、可愛い声でアハハっと笑う。何で笑っていられるのかと、不安と恐怖にかられた桐子が疑問に思っていると、彼女の後ろを何かが横ぎった。
「ひっ!」と引きついた声をだし振り向く。そこにいたのはなんと、小さな人間だった。
「<童話>の力を借りて<童話>やグリムアルム達が壊した物を治すのが、私の仕事よ」
いつの間にか四人の周りには、列をなした小人たちがゾロゾロと集結していた。ここに集まった小人たちはみんな疲れきったおじいさんの顔をしており、よくある子供向けの絵本に出てくる三角帽をかぶった可愛い子供の小人や、サンタさんのような白ひげを蓄えた優しいお爺さんの小人は、誰一としていなかった。
代表者と思われる数人の小人たちが、ツルハシやスコップを肩に背負ったままハンスの前にやってくる。
「やあハンスにウィル坊。相変わらず報酬に合わない仕事を押し付けるねぇ」
「先に報酬をくれ! 反乱を起こすぞ!」
彼らは不機嫌な面持ちで、ハンスに文句を言い投げた。屋根の上にも小人たちが沢山いて、彼らも大声をあげてバカだのアホだのと罵り騒ぐ。するとハンスは、すっと親指を静かに立てて、グッドサインをだした。それを見た小人たちは一瞬、声を出すのをやめて静かになったのだが、すぐにそれはブーイングに変わった。次に人差し指も立てるがブーイングは鳴り止まない。
「まだ向こうの現場が終わってねぇのに呼び出しといてそりゃないぜ!」
「俺たちだって大人しくグリムアルム様に従ってばかりじゃねーんだぞ!」
彼らの罵声はどんどんと過激的なものとなり、終いには手に持った工具を高く持ち上げ構えた。上からも屋根瓦が降ってきそうな勢いだ。それについに痺れを切らしたのか、静かにしていたハンスも大きく声を張り上げた。
「わかった! わかったわよ! 一人三十枚上乗せで手を打とうじゃないの」
ピンッと新しく立てるハンスの中指を見て、今度こそ小人たちの声はピタリと止んだ。が、彼らはまだまだ不満そう。
「……四十枚」
ボソリと呟いた彼の声と同時に、小人たちの歓喜の声が辺り一面に鳴り響いた。
「分かっていると思うけど、お仕事が終わったらよ! いいわね!」
「わかってるよっ」
小人達はスキップをしながら嬉しそうに瓦礫の前にいそいそと立ち並んだ。彼らは自身の持ち場に着き、小さなスコップやツルハシを空高く掲げ持つ。
「せーのっ!」という掛け声がかけられ、振り下ろしたツルハシがコツンっと瓦礫を小さく叩くと、なんと石畳は見る見るうちに綺麗に修復されていくではないか。額から流れる爽やかな汗をぬぐい、晴れやかな笑顔で次々と仕事をこなしてく。みんな生き生きとした顔をしており、修復作業はあっという間に終わってしまった。小人達がまた、ハンスの元に集まってゆく。
「おら、終わったぞ! さっさとよこせ!」
「クッキー! ケーキ! チョコレート! いっぱいあったら嬉しいな!」
彼らの報酬。それはどこにでも売っているようなお菓子であった。楽しそうに肩を組んで歌まで歌う小人たちもいる。よっぽど好きなのだろう。
「台所の戸棚にいつもの缶ケースがあるから、勝手に持って行きなさい。足りない分は後で作ってあげるわ。今はそれで我慢しといて……」
と、ハンスの話が終わる前に、数人の小人たちは我先にと図書館の屋根を伝って行き、建物の中へと消えていった。小人たちはすっかり図書館の中へと吸い込まれて行き、残されたハンスの背中はどこか寂しげ。
「うふふ……グリムアルムの力をアナタに見せて、信頼を得ようと思ったのだけれども……見苦しいところをお見せしてしまったわね」
思った通りに<童話>を操れず、情けない姿を桐子に見せてしまった。っとハンスは引きつった笑いを起こして誤魔化している。しかしどうやらそんな見栄などは、桐子に対して必要なんてなかったようだ。彼女は今起きた魔法のような出来事にらんらんと目を輝かせて、尊敬の眼差しをハンスに向ける。
「なんですかあれ、なんですかあれ、なんですかあれ!! 小人がっ! 沢山。建物も、さっきよりもピッカピカですよ!」
先まで懸命に作り笑いしていたというのに、自然と桐子の顔には笑顔が溢れていた。この子は単純なのか、馬鹿なのか……。呆れたように小さくため息を吐くと、ハンスはいつも通りの笑顔を浮かべた。
「可愛げが無いでしょう。普段は各地に野放しにしているのだけれども、あの子達もいちをグリムアルムと契約をしている〈童話〉たちなのよ。彼らのお陰で安心して〈童話〉と戦うことができる……って思うと可笑しなことよね」
そう言うハンスは本当に可笑しそうに笑いながら、赤い本を丁寧に手提げかばんにしまった。彼にとって〈童話〉は恐ろしく、忌むべき存在ではないのだろうか。先からの話し方といい本への扱い方といい、ハンスからはどうも〈童話〉を嫌っている訳ではない。といった印象を受ける。
「さっきもちょっと疑問に思ったんですけども……どうしてグリムアルムに協力してくれる〈童話〉たちがいるんですか? 私たち、人間たちに散々〈戦争〉や〈伝染病〉などといった酷いことをしてきた〈元凶〉なんですよね? その、赤い本の〈童話〉って……」
桐子の言葉に、まだ分からぬかと言った感じのマリアが「んもう!」と怒りながら彼女の前に仁王立つ。
「だーかーらっ! 〈童話〉さんたちみんなが悪いわけじゃないの!反省して、私たちのお手伝いをしてくれているって、今の小人さんたちが教えてくれたでしょ?」
そうマリアは説明するが、それだけでは桐子を納得させる事は出来なかった。
別に彼らは報酬のお菓子欲しさに頑張っていただけではないのだろうか。しかし、彼らの敵に位置するであろうグリムアルムの手伝いをしていたことは確かなこと。最終的には彼らもまた、あの赤い本の中に封印されるだろうに。未だに<童話>の実体がつかめぬ桐子は、その疑問を解くがためにハンスの顔を見る。しかし彼も又、困ったように腕を組んでいた。
「……なぜ彼らが私たちグリムアルムに協力してくれるのか。その理由を私の口からうまく説明することは難しいわ。彼らにもそれぞれの個性や考え方があるから。
だけど私たちにはどうしても彼らの力が必要なの。<童話>の力に対抗できるのは<童話>の力だけですから。彼らの力を貸してもらうためならば、私たちは彼らの願いをどんな形であれ聞き入れてきたつもりだわ。そうやってお互い、信頼関係を築き上げてきた。と、少なくとも私はそう思っている」
「<童話>の力に対抗するには<童話>の力……? それって、どういう意味ですか?」
「さっき、<童話>の追い出し方は殴る蹴るって言ったわよね。けれども、ただ普通に殴る蹴るするじゃダメなのよ。彼らには人間の使う道具や拳での攻撃は効果がない。<童話>の力には<童話>の力。あるいはグリム兄弟が持っていた能力に匹敵するほどの強大な力。それが無ければ、彼らに傷一つつけることも出来ないのよ。
グリムアルムであっても、生身の人間でしかない私たちの力だけでは彼らを封印するどころか、追い出すこともできないの。だから、私たちは善良な<童話>達から力を借りて、他の<童話>たちを祓っているのよ。
確か……ウィルヘルムたちフェルベルト家の一族は、初代から通して同じ<童話>が彼らに忠誠を誓っているわねぇ。アナタが思っている以上に<童話>とグリムアルムとの絆はしっかりとあるようね」
「へー」と桐子から、自然に関心の声が漏れる。
<童話>の封印が解かれたのは、ヤーコプ・グリムが亡くなってから十数年後と言っていた。その後から彼らが活動していたというのであれば……今は2012年、200年近くその信頼関係が続いているということになる。そう言うことならばマリアがムキになってまで、桐子の<童話>に対する偏見を無理にでも矯正しようとしていた事に彼女は納得することができた。
桐子は考えを改め<悪霊>である<童話>をただ毛嫌いせずに、少しでも個として知ろうと思い直す事にした。それを証明するためにと手始めに、彼女は今最も信頼に置けそうなフェルベルト家の<童話>について、彼らフェルベルト兄妹に優しく語りかけて質問した。
「貴方の<童話>は、さっきの大きな鳥?」
その桐子の良き姿勢を感じ取ったのか、さっきとは打って変わってマリアが元気よく彼女の質問に答えた。
「んーん! あれはね、マリアの童話<ネズの木>よ」
嬉しそうに自分を慕う<童話>を紹介するマリア。しかし、ウィルヘルムが「こらマリア!」と彼女に向かって表情険しく叱りつけた。
「自分の<童話>を言うなって、あれほど言ってるだろ!」
「はーい。ごめんなさい」
口では謝るもマリアは一瞬、嬉しそうに桐子に小さく笑いかけた。
「えー、教えてくれないの? 私のは知ってるのに?」
「お前と一緒にするな! グリムアルムの守護<童話>を教えるっということはなぁ、自分の弱点を教えると同じっということだ。お前なんかに教えるっかよ!」
相変わらずウィルヘルムは桐子に対して警戒心を解こうとはしない。そんな彼の態度に、今後本当に助けてもらえるのかと、桐子は疑問の不安を感じて苦笑いを浮かべるしかなかった。