016 <長靴をはいた牡猫> ― I
今いる場所は桐子が見ている夢の中。
夜、暖かなベッドに身をゆだねてぐっすりと眠りにつく。その時に見る夢の中。
それも夢を見ている本人が登場しない、一本の映画を見ているような感覚だ。
――これはただの夢ではない。
そう考えると桐子のいる空間は小さな映画館に変わっていた。
座席は彼女の座る一席のみ。そして目の前のスクリーンには見覚えのない小さな村が映し出されている。
桐子はこの夢に妙な懐かしさと愛おしさ、不安に恐怖といった様々な感情を受け取っていた。
起きた後もこの夢を鮮明に覚えておこうと、彼女はスクリーンに映し出された夢の光景を穴が開くほどにじっと静かに見つめていた。
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静かな馬小屋に眩しくも澄んだ朝の日差しが差し込んだ。
まだ日が昇り始めてさほど時間が経っていないのか、冷たい空気が小屋の中に漂っている。
三頭の馬たちが各自の部屋の中で白い息を吐きながら小屋の入り口に目線を送っていた。
馬たちが見つめる先には一人の少女が朝日を背負い、淡い栗毛色をした長髪を金色に透かして佇んでいる。
深雪のように白い肌。関節の節々は新鮮な林檎の色で染まっている。瞳は濃厚な蜂蜜を垂らしたように美しく、冷たい空気に触れて涙が溢れてしまいそうなほどに潤んでいた。
彼女も白い息を深く吐き出すと、「よし!」と気合を入れて小屋の中に入って行く。
「おはようピラトゥス。ツークとグロックナーもおはよう。……? どうしたのみんな、落ち着きがないわね」
元気よく挨拶しながら各馬の調子を伺うが、どうも今日の馬たちはソワソワとしている。
「待っててね、今すぐご飯を持ってくるから」
朝食を催促されていると思った少女はピッチフォークを手に持つと、干し草が積まれている小屋の奥へと歩みを向けた。
しかし彼女の足取りは干し草に近づくにつれて速度を落としてゆく。終いには農用フォークを握りしめたまま、干し草の前で立ち止まってしまった。何せ黄色く枯れた牧草の上に男が一人、横たわっていたからだ。
薄い白シャツに黒いズボン。中肉中背で何の印象にも残らない体格をしているが、髪は太陽のように煌めく黄金の巻き毛をしていた。前髪から覗かせる鼻は大きく曲がった鷲鼻で、顔色はアルプスの氷雪よりも青白い。
正気を全く感じさせない顔色に死んでるのかと疑うが、微かに聞こえる呼吸音で生きていることが確認できる。馬たちはこれを知らせたかったのだ。
驚きで音もなく硬直する少女と、死体のように倒れている男。その彼女らの頭上の柱には、切れたロープが無言のままに揺れていた。