014 <青髭> ― Ⅳ
翌朝、食堂の暖炉の前ですっかり眠りこけていたクラウンは、女将さんにはたき起こされて朝食についた。
再度、女将さんに医者を呼ぶと言われるが、先生は相変わらず体調が悪いらしく呼びかけても返事が戻ってこない。彼の体調も心配なのだが、クラウンの心は少年たちとの楽しい約束にうずいており、昼食のパンを片手に持つと元気よく宿を飛び出して行った。
昨日の広場へと駆けてくクラウン。途中、建物の瓦礫や暗い顔をする住民たちとすれ違うが、彼女は気にすることなくスキップするように走り抜けた。
「よお、昨日の! こっちだ!」
坂道を下っていると、彼女を呼び止める声がする。
何処から聞こえてくるのかと立ち止まり、辺りを見渡してみると、こちらに向かって手を振る少年を見つけた。彼は昨日ハーモニカ―を吹いていた少年だが、今日は民家の大きな窓ガラスを拭いている。
とりあえずクラウンはバロンの知り合いである彼に呼び止められたので、彼の元へと歩み寄った。
「そういえばまだ名前を聞いてなかったな。俺はグスタフ」
「オイラはクラウン」
「クラウン? 珍しい名前だな。まぁ、いっか。こっち来いよ」
そう言って建物の中へと招き入れられると、クラウンは不思議そうな顔をして彼の後を着いて行った。そしてもう一つの扉の中へと通されると、彼女は我が目を疑った。
なんとそこには昨日見た小さな舞台が組み立てられていたのである。
そう、この民家こそがバロンたちの人形劇場だったのだ。絢爛豪華な建物と、舞台を想像していたクラウンは、口をポカーンと開けて驚き呆けている。
二つの部屋をつなげた場所に小さな舞台が建っており、その周りには切り捨てられた木材や使い古された大小様々な椅子が散乱している。とても今日が開演日だとは思えない。昨日バロンがあと少しの準備だと言っていたのは嘘だったようだ。
「おい、バロン! クラウンが来たぞ!!」
グスタフの大声に、作業をしていた二人の少年は動きを止めてこちらを見た。
「クラウン?」
初めは怪訝そうな顔をしていたバロンだが、クラウンの顔を見ると作業していた手を止めて彼女の元へと駆け寄った。
「よお、遅かったな! 道にでも迷ったのか?」
「すまん、先生の体調が悪くって」
「先生?」
「うん。オイラに色々なお話しを教えてくれる人なんだ」
「へぇ……、例えば?」
「うんと」
そしてクラウンは先生から教わったグリム童話をそっくりそのままバロン達に聞かせてみせた。すると急に子供達は大きな声で笑い出す。
「グリム童話なんて、小学生以下が学ぶことだ。俺なんかもっと面白い話を知ってるぞ!」
そう言ったバロンは得意気に舞台の上へと踊り立つと、大手を開いて不思議な冒険談を語りだす。
「俺の親父は冒険家で、アフリカに行った時には戦車の上で目玉焼きを焼いたんだ! アフリカって所はクソ暑いからな、戦車がフライパンみたいにアッツアツになっちまってたんだ!
そのあとは北国へ行って雪の怪物と戦った。冒険仲間はみんな怪物の吐いた息で氷漬けにされたけど、親父は起点を効かして雪穴に怪物を閉じ込めたんだ! すると、国のお偉いさんたちに表彰されて英雄扱いされたのさ!」
突如始まった冒険談にクラウンは目を爛々と輝かせた。それは今まで聞いてきたどんな古臭い物語よりも斬新で興味がそそられる物語であった。
「すっげーな。それって童話か?」
「童話? そんな訳あるかよ。親父が体験した本当の話しさ。
他にも親父の勇敢さを称えたお偉いさんが、親父に頼んでジャングルの秘宝を探しに行かせたこともあった。何十日、何か月もジャングルの奥地を冒険した親父の部隊は、途中で遭難しかけたこともあった。だけどもその時、神の思し召しか目の前に大きな鳥が現れて、部隊をジャングルの外とへ導いてくれたんだ。愛嬌のあるいい鳥だったけど、すでに食料の底をついていた親父の部隊は泣く泣くその鳥を捌いちまった。しかしその鳥こそが探していたジャングルの秘宝だったんだ! そう、親父たちは最後の一羽を食っちまったんだ!!」
バロンの楽しそうなケタケタ笑いに、クラウンもずっと「すげぇよ! すげぇよ!!」と目を輝かせて興奮していた。
「まーた、バロンのホラ吹きが始まった」
「ホラじゃない! 本当だ!!」
バロンは鼻息荒くグスタフたちに否定をするが、その言葉でなぜ彼が”バロン”と呼ばれているのかが納得できた。
彼の本名は別にあり、”バロン”とは彼らの付けたあだ名であった。
だけどもクラウンが自分の名前の意味を知らないように、彼女がバロンという名前に疑問を持つことは決してない。
黙々と掃除を続けているもう一人の少年が、心配そうにクラウンに声をかけた。
「それよりもさ、その先生と一緒に病院に行かなくていいの? 良くなるお薬がもらえるかもよ」
「宿の女将さんにも言われたけどよ、お医者さんってお金をとるんだろ? オイラ、お金なんて持ってないから無理だよ」
「口じゃなくって手を動かせよ」
先程まで散々楽しそうに語っていたのに、急に職人肌になるバロン。手に工具が持たれると、せっせと人形の修復に取り掛かる。それを合図にするかのように、他の子供達もふてくされながら客席の掃除をし始めた。
クラウンも何か手伝おうと、舞台の周りに散らばった木材をひょいひょいと拾い上げて、どこに持って行けばいいのかを彼らに聞いた。
だが彼らはその場所を教えるよりも先に、彼女の怪力に驚かされる。
「すげぇなクラウン。大人でもそんなに持てないよ」
そう彼らが驚くように、彼女は自分よりも背の高い木材を軽々と肩に担いでいた。しかもそれは一本だけでなく長さの異なった四本の柱と、大小様々のベニヤ板も脇に挟んで持ち歩いている。彼女としてはなんともないのだが、子供達にとっては予想外の助けであった。
「クラウンが居れば百人力だ!」
嬉しそうにはしゃく少年たちに、普段褒められ慣れていないクラウンは頬を赤らめながら静かに木材を運び続けた。
いつもやっている些細なことが、こんなにも喜ばれるものだとは思わなかった。
すると途端に先生の苦しそうな顔を思い出す。彼はクラウンにとっての唯一の人であった。それなのに自分だけがこんなにも楽しい思いをしていいのだろうか。
「でも、どうすれば先生は元気になるのかな?」
急なクラウンの問いかけに、余裕が出てきたのかバロンが冗談めかしく助言をする。
「大人の男はなぁ、セクシーな女の写真をみると元気になるんだ」
すると二人の少年がゲーッと気持ち悪そうに舌を出す。
「うっそだぁ。女のどこがいいんだよ?」
「大人ってそんなのがいいの? 変なの」
見た目が男の子のクラウンをバロン達は女の子だとは認識していないようだった。
しかしクラウンも彼の助言が理解できずに、首をかしげて不思議に思っている。
「だけどもお前たちだって好きなものが貰えたら元気が出るだろ?」
好きなもの。
そう言われてグスタフは四角い食べ物を想像した。
「俺は腹一杯のチョトレートが貰えたら嬉しいな」
「いいな、それ。ボクもチョトレートやレープクーヘンを腹一杯に食べたい!」
少年たちの思い付くものはどれもこれも甘くて美味しいお菓子ばかり。
作業の手が止まりかけると、バロンが彼らに喝を入れ直し、作業に無理矢理戻らせた。
クラウンも座席を綺麗に並べながら、
「先生が好きなもの……」
と一人真剣に思い悩んでいた。
それから二、三時間ほどたった頃、予定よりも早く準備が終わり、グスタフたちは昼食を取りに家へと戻って行った。
「みんな、本当にありがとな!」
帰って行く仲間たちの背中を、バロンは元気よく腕を振りながら見送った。
次に集まるのは夕方、本番前の時である。
「クラウンもありがとな。おかげで何とか間に合いそうだ」
クラウンは小恥ずかしそうに俯いて「大したことないよ」と照れ笑いした。
「オイラもお手伝いができて楽しかったし、バロンの親父さんの話も聞けて面白かった」
今度はクラウンの優しい言葉に、バロンが照れ臭そうに顔を赤める。
「クラウンは、俺の親父の話が嘘だとは思わないのか?」
「思わないよ? オイラもバロンの親父さんの話しが大好きだ」
思いもしなかった返事にバロンはより一層顔を赤くした。そしてそれを誤魔化すように、急いで建物を見上げて言った。
「この劇場はな、俺の親父の劇場なんだ」
「え? でもバロンの親父さんは冒険家で、あっちこっちを旅してるんだろ?」
「どっちも本当だよ。どっちも……」
バロンは少ししんみりとした声をしてゆっくりとクラウンに話してくれた。それはきっと彼にとって大切な心の部分なのだ。しかしそれもパッと元の笑顔に戻ってしまうと、カラッと乾いた声で話し出す。
「悪かったな、先生の具合が悪いのに付き合わせちまって」
「ううん、別に。宿に居ても先生は一人でいたいって言って部屋の中には入れてくれないし。でもやっぱり気になるから、もうオイラ、宿に戻るよ。じゃあな」
元気よく駆け出したクラウンにバロンも元気よく腕を振った。
「本当にありがとな! 公演は四時だから! また後でなー!!」
何度も振り続けるバロンの腕に、クラウンも嬉しそうに腕を振り返して帰っていた。
* * *
しかし帰る途中、クラウンは先生の好きな物をずっと考え続けていた。
バロンの助言の女の人の写真も考えたが、イマイチ理解ができなかったので却下した。となるとやはり<童話>かと思ったが、運よくこの場に現れるわけがない。
このまま戻っても追い出されるだけかと思ったクラウンは、小さな公園のベンチに腰を下ろして、ポケットから昼食の固いパンを取り出した。
空模様は相変わらずの灰色空。ぼーっと空を眺めている自分の頭の中とそっくりだと、そう思いながらどうしたものかと考える。すると遠くからかっぽかっぽと蹄の音が聞こえてきた。
思わず視線を落としてみると、少し離れた道路を犬を背負ったロバが歩いて行く。
犬とロバはスッと建物の陰に隠れてしまったが、周りの暗い顔をした人々は気付いてないようだった。
田舎の廃れた町だから、馬が道路を歩くのは普通の事なのかもしれない。が、犬を背負ったロバは見たことがない。それを見てしまったクラウンは、思わず周りの人にも聞こえる声で叫んでいた。
「ブレーメンの音楽隊だっ!!」
まるでバロンの親父さんと一緒だと、そう思ったクラウンは急いでポケットにパンを押し込んだ。そして神の思し召しである秘宝に向かって一直線に走り出す。
その気配に勘付いた犬が来た道の方へと振り向くと、満面な笑みをしたクラウンがものすごい勢いで迫って来る。あまりの不気味さに犬は怯えた声で吠え出すと、ロバの背中に爪を立てた。
ロバも予想だにしていなかった犬からの攻撃に、目を見開いて走り出す。
追いかけるクラウンと逃げるロバと犬。
ジグザグと町の通路という通路を走って行くが、狭い町の中でついに建物の陰へと追い込まれる。二体の動物は大きな声でクラウンを追い払おうと鳴きだした。
「わわわわ、わんっ! わわわん!!」
「ひひーん!!」
情けない、棒読みのような鳴き声に、普通の人なら疑うだろう。しかしクラウンはキョトンとした顔をして困ったように眉を細めた。
「ただの馬と犬?」
「馬じゃないわよ! 私はロバよ!!」
「喋ったー!!!!」
思わぬロバの一声に、クラウンも大きく喚いてみせた。