014 <青髭> ― Ⅲ
観客たちのまばらな拍手に誘われて、下手からロバの人形が現れる。
ロバの人形は歩くというよりも上下に跳ねるように。いや、正確には上に引っ張られて落っこちるを繰り返しながら舞台の中心を目指して歩いて来た。
「あーあー、ご主人様はひどいなー。歳をとって働けなくなった僕を捨てるだなんて、ひどいなー」
観客の子供たちは冷めた目でロバの人形を見つめ、片言の下手くそなセリフを聞いている。
人形劇団だと言うのだから、それなりの出来のものが見れると思ったが、実際は子供たちが大人の真似をするごっこ遊びのようだった。
「おや犬さん、どうしたんですか? 元気のない」
今度は上手から、元気なく犬の人形が現れた。
「やあロバさん。私もすっかり年を取りましてね、働かない犬は殺してしまおうとご主人様に言われて逃げてきたんです」
疲れたように語るその声は、ロバと違って感情がしっかりと乗っている。動きもさめざめと泣いてるように小刻みに顔を揺らしていた。
まるで本物のように動く犬の人形に、クラウンは感激してグッと前かがみになっていた。だが他の子供たちは相変わらずロバの時と同じように冷めた目で犬の人形を眺めている。
続いて出てきた下手の猫も糸に引っ張られるように歩いてくるが、上手から出てきたオンドリは己に待ち受けている悲劇に、役者も一緒になって嘆きの声を上げていた。
一人だけ人形の扱いが妙に上手いのが一層子供の人形劇団らしさを際立たせているのだが、クラウンにはそんな事は気にならなかった。彼女は今までの中で最も楽しいひと時を送っていると、自覚しながらその物語を楽しんだ。
舞台が無事に幕を閉じると、裏手から二人の役者が現れる。
クラウンは熱い拍手を役者や語り部に送ったが、特に彼女を驚かせたのはロバとオンドリの人形を抱いたバロンの堂々とした姿であった。
拍手を終えて帰って行く観客の背後に
「明日はちゃんと劇場に来るんだぞー!!」
と元気よく声をかけて見送るバロン。
雪かきをしている大人たちの元へと戻って行く子供にも、
「ちゃんと親御さんたちに言うんだぞーー!」
と念を押すように手を振った。
一通り観客を見送り終えると、片づけの為に舞台の方へと振り向いた。するとそこには帰りそびれた観客が一人ぽつんっと立っている。
気配もなく背後に立たれていたことに驚くが、その客はバロンが無理矢理連れてきたクラウンであった。彼女はもじもじと手をいじりながら、何か言い淀んでいる。
「……なに?」
何事かと口を尖らせるバロンにクラウンは勇気を出して声を出す。
「ぁのっ! ……すっごく、面白かった!!」
身構えていたバロンはクラウンの思わぬ感想に、パッと明るく笑顔になった。
「本当か? よかった~。さっきのガキたち全く笑わねぇから心配してたんだよ。だけども明日やるのが本物だからな! 今日の何十倍もすっごい物を準備しているから、お前も明日、お金を持って親御さんと一緒に観に来てくれよな!」
「オイラ、親御さんってヤツがいないんだけど、親御さんがいなきゃ観れないのか?」
元気で素直なクラウンの笑顔に、バロンの笑顔は一瞬にして凍りついた。
彼女はまるで自分の言っている意味を分かっていないかのように、純粋な顔をして聞いてくる。
急に曇ったバロンの笑顔に、彼女は心配になって顔を覗いた。
「……悪い」
気まずそうに伏し目がちになるバロン。
「何が悪いんだ?」
と追攻撃してくるクラウン。
しかもその疑問は悪意なき疑問なものだから、バロンはより気まずくなって誤魔化すように頭をかいた。
「なぁなぁ、それでな、オイラも人形を動かしたいんだ! ちょっと触らせてくれねぇか?」
「これは商売道具だから、そう簡単には触らせねぇよ」
「そうなのか。それじゃあ、明日もまた観に行くよ! あ、でも親御さんってヤツがいないとだめなのか……」
さっきまで元気良く笑っていたクラウンが段々と寂しい顔をする。
「別に、そんなの無くてもお金さえあれば観れるよ」
「オイラ、お金もない……」
ないないだらけのクラウンは、より惨めな気持ちになって塞ぎこむ。
せっかく人形劇を楽しいと言ってくれた大切なお客さんを、こんなにも落ち込ませてしまった事にバロンも大変申し訳ない気持ちになった。
何かいい案はないものかと、考えていると彼を呼ぶ仲間たちの声が聞こえてくる。
片づけの手伝いをしてくれとの催促であったのだが、これがいい案だとバロンは思った。
「それじゃあさ、明日手伝いに来てくれよ。まだ少し準備が終わってないし、そしたらタダで舞台も見せてやる」
これならクラウンも余計な気遣いをしないだろう。
その提案にクラウンは一瞬にして笑顔を戻すと、うんうんと大きく頷いた。
「本当か?! やった! 手伝うよ!」
はしゃいでバロンの手を取ると、力強く握手する。
よろしく。という意味なのだろうが、少々手加減が足りないようだ。「ぃたっ」と思わず悲痛な声が打ち上げられるが、クラウンの耳には届いていない様子。
彼女は嬉しそうに手を解くと、「また明日」と言ってさっさと宿へと帰って行った。
元気を取り戻したクラウンの背中を、バロンは幼い兄妹を見るような目で優しく見守る。
赤く熱を持った右手にも愛おしさを感じつつ、バロンは仲間が待つ舞台の元へと向かって行った。
* * *
元気よく宿へと戻ってきたクラウンに、女将さんが嫌味ったらしく聞いてくる。
「結局ごっこ遊びに付き合ったのかい? 全く、あんなしょうもない物の何がいいんだか。空元気してるみたいで虚しくなるよ」
だけどもクラウンはケロッとしたまま、笑顔を女将さんに向け続ける。
別に女将さんを相手にする時間がないという意味ではない。本当にクラウンは今、機嫌がとっても良かったのだ。しかし逆にそのご機嫌が、女将さんの恐怖心を煽って来る。
部屋に戻ろうとするクラウンに、女将さんは己を奮い立たせて彼女をなんとか呼び止めた。
先生が相変わらず部屋から出ないと言う。
「このご時世、お前さんもわかるだろ? 変な病気持ってても困るし、金があるなら明日にでも病院に連れて行くって、言っとくれ」
女将さんなりの精一杯な抵抗だろうが、意味が分からぬクラウンは少しだけ不機嫌になりながらも、「うん」と素直に頷いた。
部屋に戻ると先生はベッドの上に倒れたまま。布団にくるまり動かない。
「なー、先生。具合大丈夫か?」
声をかけても返事がない。微動だにしない先生に、クラウンは少しだけ不安になる。
「女将さんがな、明日お医者さんを呼ぼうかって言ってたんだ」
ベッドに駆け寄り、頬杖を突くが、眠ったままの先生は振り向いて彼女の話を聞こうともしない。それどころか生きているのかすらも怪しくなるほどに気配を感じない男の背中に、クラウンは様子を見る様に今日の楽しいひと時を話し出す。
「今日な、人形劇を見たんだ。ブレーメンの音楽隊って、ブレーメンに行ってないんだな。ブレーメンに着く前に良い感じの家を見つけて、人を追い出して一生そこに住んだんだって。ってことは悪い奴らだよな? 人の物を泥棒したから。でも追い出した人たちも泥棒だったんだ。泥棒は悪いことだから、追い出された奴らも悪い奴だろ? でも、追い出したのはいいけれど、追い出した奴らの物を盗むのも泥棒だよな? てことはやっぱり<童話>が悪いのか? でも、追い出したのは悪い奴らで、悪い奴らは追い出さなきゃいけなくて、でも<童話>は……」
「お前の話を聞いてると余計に頭が痛くなる。出てってくれ」
ようやく戻ってきた返事に嬉しくなるが、その声色はやはり具合が悪そうだ。
クラウンは彼から離れるのが心細くて仕方がないのだが、先生の言葉は絶対なので名残惜しそうに立ち上がった。
「うん。おやすみ、先生。先生も具合が良くなったら、一緒に人形劇、観に行こうな」
そんな悲しくも優しい言葉をかけて、クラウンは静かに扉を閉じた。