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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
序幕
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002<靴屋の小人> ― Ⅱ

「グリムアルムはね<童話>たちをもう一度封印するために集められた、童話提供者の末裔たち。

グリム兄弟は常にある不安を持っていたわ。自分たちは平和な世界を守る代わりに、凶悪な世界をこの本の中に創ってしまった。私たちの世界とは対の世界。

 彼らは別に自分たちがしてきたことを後悔していたわけじゃない。自分たちの行いにより祖国は国としての形を取り戻し、今を生きる子供たちの世界は自分たちの時よりもずっと豊かになったと誇りに思っていたから。だけど、封印された者たちはどうかしら。

 二百あまりの<物語>と言う名の住民たち。長い間、伝説の生き物や精霊として語り継がれていた彼らにとって、本と言う世界はあまりにも狭かった。無理やり一つにまとめられて、潰されて。押し詰められて、変えられて……。いくら相手が凶悪な殺人鬼であれ、物分りのいいお姫様であれ、ここまでの仕打ちを受けたのだもの。いつかこの本から逃げ出して、復讐をするチャンスを伺っているのかもしれない。その時こそ、またこの世が地獄に逆戻りして、世界の終わりを迎えるのかもしれない。

 後悔していないにしろ、その事ばかりを気にしていた兄弟たちは童話集が完成してもなお、何度も何度もこの本に封印の力を送り続けたわ。

 だけど彼らも所詮は人の子。特別な力を持っていても、時間の流れには逆らえない。弟ヴィルヘルムが亡くなり、兄ヤーコプにも最後の時が訪れようとしていた。彼は死の間際に、ある人物たちを呼び出したわ。それは、グリム兄弟と親しかった友人の子供たち。


 『私が死んだ後、この書物の封印が解かれぬようにと見張っておくれ。

もし、封印が解かれた時は、今一度彼らをこの本に封印してほしい。

たとえ長い月日をかけようとも。必ず』


 ヤーコプの遺言に承諾した子供たちは、童話集の提供者たちにも声をかけて、大都市から離れた小さな村に移り住んだの。もし<童話>の封印が解かれても、被害を最小限にするためにね。彼らも多少は<童話>たちへの心得を持っていたから。だけど、最もの理由としてはこの封印の本を人の目に晒さないため……」


 「それでもグリム兄弟が亡くなってから十数年後、本を管理していたあるお家の子供が、この本を開けてしまいました。封印が解かれた童話たちは思った通り。外に逃げ出すといろんな所で暴れまわり、沢山の人たちに混乱と災いを振りまいていきましたとさ。おわり」

 ハンスの長ったるい昔話を終わらせるために、マリアが彼の話の最後を締めくくった。彼女は相変わらず、ウィルヘルムの背後から顔を覗かせ、悪びれることなくにっこり笑っている。

 「ウィルたちのご先祖様はね、その封印が解かれたときに生き残った童話提供者たちなの。

その人たちをまとめてグリムアルム、って言うのよ。そしてね、グリム兄弟の言いつけ通りに悪い<精霊>さんたちから皆を守ってあげてるんだ!」

 自慢げに語るマリアの頭を、背後に隠そうとウィルヘルムは自身のマントで彼女を覆う。しかし彼女は鬼ごっこでもしているように、楽しそうに彼の努力から逃げ回った。

「それじゃあ、私の事も助けてくれるんですか?」

その不安そうな桐子の声に、マリアは元気よく「うん!」と頷いた。

 といった所で、マリアはついに彼女の兄の努力に捕まってしまう。「わっ!」と驚いた声のあとに、マリアはケタケタとかわいい声を出して笑った。

「こらマリア!童話を前にふざけるな。俺の後ろに隠れてろ」

世話の焼ける妹に、大きくため息をつくウィルヘルム。だが彼の瞳には先の敵意むき出しだった眼光などはどこにもなく、一人の兄としての優しい微笑みを浮かべていた。

「でも、どうやって私に<童話>が憑いてるって分かったの……?」

桐子を助けてくれた彼、ウィルヘルムとはあの時が初対面だった。どこかで会った記憶もないし、ハンスから聞いていたとしても、日本からの留学生が沢山いるこの町で、桐子を見つけることは至難の業だろう。だがウィルヘルムは迷いなく「<童話>の匂い」とぶっきらぼうに答えた。

「力の弱い<童話>はお化けみたいに普通の人間に見える事も、気配を感じることも出来ない。しかしグリムアルムの血筋の者たちや、霊感が桁違いに強い一般人は<童話>を見ることが出来るし、彼らのいる場所も匂いでおおよそ分かる。お前は<童話>の匂いだだ漏れで、すぐに〈童話〉憑きだって分かったぜ」

 またウィルヘルムに目つきが鋭く桐子を睨んだ。彼の瞳からは青くも燃えるような冷酷さを感じる。

「……取り憑いた〈童話〉が何なのかではわからないの?」

「この部屋の中は〈童話〉の匂いで充満している。それに、俺はマリアのように〈童話〉を嗅ぎ分けるような器用なマネはできないんだ」

「へへっ! マリアはね、他のグリムアルムと違って〈童話〉を見分ける才能だけはピカイチなんだよ!」

 今度はウィルヘルムのワキの下から、嬉しそうに顔を覗かせるマリアが自信たっぷりに言った。お転婆な妹に振り回され疲れたのか、呆れ顔になったウィルヘルムは、自分の腕の下にあるマリアの頭にポンッと手を置いて撫でてやる。マリアも幸せそうに、彼の手に引っ付くようにして頭を擦り付けながら彼に甘えた。

「しかし、マリアにも〈童話〉の正体が分からないとなると……」

「分かったよウィル。……多分」

「?!」

 その場の誰もが驚きマリアに注目した。だが彼女はまだ不安げな顔をしており、確信を持ち切っているわけではないようだ。ウィルヘルムのワキの下を潜り抜け、更に身を乗り出したマリアが桐子に聞く。

「キリコ、何処かでバラを触ったりした?」

「バラぁ? こんな寒い日にバラなんか咲いて……」

 寒さが極まる二月の冬空。何処にもバラなど咲いてはいなかったが、何処かでバラに関すものを見た気がする。確かそれは、初めにこの図書館の前に迷い込み、道を教わった後、白いイバラで指先を切って……。

「あっ!」

ひらめき晴れた彼女の表情に、マリアも目をらんらんと輝かせて桐子を見つめる。

「バラじゃないけど……真っ白なイバラで指を切ったよ」

 右手人差し指に巻かれた白いハンカチをとると、よく見なくては見落としてしまいそうなほどに小さな切り傷がついていた。しかし、あんだけ派手に血が流れていたというのに、血はすでに止まっており、不思議にも痛みは感じない。

 桐子の右手を掴み取り、まじまじと傷口を見たマリアは勢いよく振り向くと、ウィルヘルムに向かって大きな声を発した。

「童話の正体は<いばら姫>よ!」

「<いばら姫>?! 初めて会う童話か?」

ついに突き止めた童話の正体。その場に張り詰めた緊張の糸がより一層強くなる。

「え? いばら姫ってあの、眠り姫の? そのいばら姫も、危険な悪霊なんですか?」

 慌てふためく桐子たちを落ち着かせようと、静かに語り出すハンス。しかし彼の声もまた、別の戸惑いを隠し切れてはいない様子。

「彼女は確か、かつてグリムアルムに忠誠を誓った〈童話〉の一つのはずよ。だからそんなに慌てなくても……」

「昔、グリムアルムと手を組んでいたとしても、今は人間に憑りついてるじゃないか! 今すぐにでも祓……」「だめだよ! まだ<いばら姫>の声を聞いてない!」

マリアは小さな頬を膨らませて、彼らに向かって怒鳴った。

「ウィル! 〈童話〉だってね、悪い子ばかりじゃないって知ってるでしょ。悪い子たちと一緒に閉じ込められて、怖かったっよ~っていう子や一緒に遊びたい! って言う子も居るんだよ。<いばら姫>だって、桐子と遊びたかっただけかもしれない。それなのに、祓うだなんて……」

 見損なったというように唇を噛みしめるマリアを見て、ウィルヘルムは落ち着きを取り戻し「分かっているよ」と彼女の頭を優しく抱き寄せた。

 マリアのワガママを聞き入れ、その場を無理矢理丸く収まらせようとしていた二人の空気を「え、〈童話〉って乱暴で凶暴なんでしょ?」っと、またもや置いてけぼりをくらっていた桐子が物申す。

 桐子は勿論、いばら姫のお話を知っている。お話の中のいばら姫本人が乱暴で凶暴な存在でない事も。だが先の話を聞いた限り、彼らの言う〈いばら姫〉はそうでないかもしれない。

 もしかするといばら姫の正体は、何かの疫病をまき散らした元凶なのかもしれない。とてつもない犯罪者だったりするのかもしれない。二百もあるグリム童話。その話のほとんどが残酷な物なのだから、いばら姫が殺人鬼だったって言うのも、ありえなくはない新説なのかもしれない。訳の変わらぬ漠然とした絶望に、桐子は疑心暗鬼に落ち入っていた。

「だから、仲良ししたい子もいるんだよ!」とマリアがふてくされるが、その言葉が桐子の心にまで届くことはなかった。

「あの、ちゃんとお祓いできるんですよね? いい子かもしれないからって、ずっと憑けっぱってわけじゃないですよね?」

不安に押しつぶされた彼女の瞳に、ハンスは同情にも似た眼差しを送り返す。

「大丈夫よ。どんな子であろうとも〈童話〉はちゃんと祓うから。それに、憑りついた〈童話〉以外にも気を付けないといけないモノたちがいるし……」

 それはどういう意味かと首をかしげる。そんな桐子にハンスは話を続けた。

「さっき〈童話〉使いに襲われたでしょう? グリムアルムと違って〈童話〉使い……〈童話〉の力を利用しようする者たちが、〈童話〉に取り憑かれた人間、〈童話〉憑きを狙って襲ってくるの。他にも、何にも憑りついていない野良〈童話〉が、〈童話〉憑きに襲いかかる事もあるのよ。

 〈童話〉の好物は人間の負の感情。取り憑いてきた〈童話〉のせいで不幸になった人間の周りは、野良〈童話〉にとっても恰好の餌場。だからそんな風に悲しくならないで。ほら笑顔! 笑顔!」

と言ってハンスは自分の口角に指を置き、立派な笑顔を作り出した。それにつられて桐子も笑おうとするが、口が上手く上がる感覚がしない。

「……じゃないともう終わりよ。餌場になってしまった人間は、縄張り争いする〈童話〉たちに巻き込まれて無事じゃあ済まないから。運が悪ければ……死ぬわよ」

 死。その言葉のお陰で桐子は立派な笑顔を作り上げる事ができた。しかし緊張していてぎこちない。

「いい笑顔よ。今すぐにでもアナタから〈童話〉を引き剥がしてやりたいのだけれども、安全に〈童話〉を祓うには、あの子が言うように〈童話〉の声が聞こえないと……」

「〈童話〉の声……さっき襲われた時、この図書館に誘導する女の人の声が聞こえていたんです。マリアちゃんとは違う……今はもう聞こえないのですけども、それが〈いばら姫〉の声だったのですかねぇ?」

「あら、そうなの? そんな事が……」

そんなにも意外なことだったのか、ハンスは大きく目を見開いて、微笑んだままだが素直に驚いた。

「それじゃあ口がきけないって訳ではないみたいね」

「あの、〈童話〉の声ってどうしても聞かないといけないのですか?」

「〈童話〉の追い出し方がねー……ちょーと厄介なのよ」

そう言うと彼はまた、何か考え事をするように腕を組みながら頬杖をつく。


「本来の私たちは一般人同然。グリム兄弟たちのような封印の力を持っているわけでは無かったの。けれどももう一度〈童話〉を封印するためには封印の力が必要不可欠。何とかして封印の力を手に入れる事は出来たのだけれども……質が最悪だったわ。


 グリム兄弟たちは〈童話〉に憑りつかれたままの相手でも、紙に物語を綴っただけで〈童話〉を封印することが出来た。だけども私たちは〈童話〉相手に、直に封印の力をぶつけなければ、彼らを封印することが出来ないの。その封印の方法は〈童話〉を物語通りに進めるか、〈童話〉が瀕死になるまで殴り続けるか……。

 かつて、〈童話〉に憑りつかれたままの人間相手に<童話>のお話通りの体罰を与えたり、殴る蹴るをして〈童話〉を封印しようと試みた事もあったわ。けれどもその方法では<童話>が出てくる前に、憑りつかれていた人間の方が先に亡くなってしまった。ていう事件が多々あったのよ。

だから〈童話〉と穏便に話し合って<童話>憑きから〈彼ら〉を引き出し、平和的に封印したいのだけれども……。

 普段なら〈童話〉に取りつかれた人間は、意識も自我も乗っ取られて、すぐに〈童話〉ともお話しできるのよ。でも、〈いばら姫〉は私たちとはお話ししたくないようね」



 普通は意識も乗っ取られている? それでハンスやウィルヘルムたちは必要以上に桐子に対して「お前は〈童話〉か?」と聞いてきていたのかと気付いた桐子は、ぶるりと身を震わせた。

 もし自分の意思が素直に〈いばら姫〉に乗っ取られて、初めのクラウンの質問に「そうだ」と答えていたら……自分でも気が付かずに死んでしまっていたのかもしれない。彼に襲われた時を思い出し、その時感じた生への諦めが、胸の奥で気持ち悪く締め付ける。

 緩み崩れた口角にハンスがまた「笑顔」と微笑んで注意した。

「今私たちがする事は〈いばら姫〉の事を知る事よ。なにがきっかけで〈童話〉が暴れ出すのか、他の〈童話〉がおびき寄せられるかは、その子たちによって違うからちゃーんと見極めましょ」

「私にできることならなんでもしますんで、どうか〈悪霊〉を祓ってください。

もう、あんな怖い思い……したくない……」

 硬く拳を握りしめ、懸命に笑顔を作ってみせるが、恐怖で声が震えている。怯える彼女に、ハンスは同じ目線の位置にしゃがみこんだ。そして彼女の笑顔が崩れないようにと、まるで誘導するかのように、あの不自然な笑みを浮かべてみせるのだった。

「もちろん、全力を尽くすわ。でも、あなたの協力も必要なの。頼めるかしら?」

「……何をすればいいのですか?」

真剣な桐子の顔に、クスリとハンスの小さい笑い声がこぼれる。

「もう教えたわよ。その笑顔。〈いばら姫〉もアナタの負の感情を餌にして取り憑いているのだから、しょげちゃダメ。作り笑いでもいいから、私はヘッチャラよーって〈いばら姫〉に見せつけてやりなさい。その間に私たちは、アナタが怪我しない方法で〈童話〉を祓うやり方を探しておくから。

 大丈夫、安心しなさい。ここはグリムアルムの本拠地よ。ラッキーだったわねアナタ。私の目に止まった〈童話〉は絶対に逃さないんだから」

そう言ったハンスの微笑みは、今まで見てきた彼の笑顔の中で一番自然的であった。お陰様で、つられて笑う桐子の顔も小さいながらも自然な笑みを浮かべることができた。


「しかし困ったわね。ぱぱっとお祓いして帰らせるつもりだったけど……このまま図書館に隔離するわけにもいかないし……アナタ、留学生なのよね。学校は? どれくらいドイツには居るの?」

「ギルベルト・ギムナジウムに十一ヶ月間留学予定です」

「十一ヶ月ねぇ……。まぁ、そこは私がなんとかするわ。ギルベルト・ギムナジウムなら、ウィルヘルムも同じ学校だったはず。よかった」

「何がいいんだよ」

 即座に突っ込むウィルヘルム。彼の両腕はマリアの立派なおもちゃと化し、もてあそばれている。二人はすっかり桐子の<童話>に興味が無いようだ。しかし、ハンスはそんなウィルヘルムにニッコリと、張り付いた笑みを向けてみせた。

「学校ではなるべくこの子と一緒に行動してもらえるかしら」

「なっ! なんで俺がコイツの世話係になるような流れになってんだ?!」

「この家に居る為のルールを忘れたの?」

笑顔は張り付いたまま。しかし、ハンスの不機嫌そうな声が兄妹二人にかけられる。

 たじろいたウィルヘルムはマリアの手を強く掴みながらグチグチと悪態を吐くのだが、どこか彼は弱腰である。

「ッチ、別に好きでこの家に居るわけじゃねーよ」

どうもこのウィルヘルムとハンス、彼らの仲は思っていたよりも良好では無いようだ。こんな彼らに本当に頼っても大丈夫なのだろうか。最後の最後にそんな一抹の不安を感じてしまったが、今の桐子にはもう彼らに頼るしか選択が残っていなかった。桐子は改めて二人に深々とお辞儀をし、<童話>のお祓いを依頼するのであった。



「大体のお話は終わったのだけれども……もう少し付き合ってもらえるかしら?」

「なんですか?」

 ハンスの呼びかけについ、疲れ切った声で桐子は返事をしてしまった。彼女の正直な気持ち、早く寮に戻りたいという思いでいっぱいだった。今頭に詰め込んだ理解しきれない大量の情報たちを、今すぐ落ち着く場所で、自分の頭の中で整理整頓したい。だがハンスはゆっくりと立ち上がり、桐子に新しい情報を与えようとしていた。


「お仕事見学。見ていかない?」




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