013 <名付け親> ― Ⅰ
北国の夏は短く終わり、赤く染まった木々の葉が風に揺られて落ちてゆく。
原色のように眩しく映える青空に子供達の声が愉快に響き渡っていた。
いつもは薄暗い童話図書館もこの日ばかりは陰を薄めて子供達の帰りを優しく見守っている。
しかしその足元には重苦しい空気が流れており、桐子とシャトンが互いに向かい合って闘志の念を放っていた。
「よろしいですか? 桐子様」
「はいっ! よろしくお願いします!!」
気合十分な桐子にシャトンは腰にかけていたレイピアをスラリと抜き取った。
「我が剣さばき、クラウン様ほどではございませんが、スピードには十分の自信がありますよっ!」
そう言い終わるや否や、シャトンの激しい乱れ突きが桐子に向かって襲い掛かる。
飛び交う猛撃を大きく動き回って避ける桐子は一瞬の隙を見つけると、シャトンに向けて両手を鋭く伸ばした。
「目覚めよ<いばら姫>っ!!」
白い茨が飛び出してレイピアの動きを封じ込める。なんて、カッコいい戦いを夢見たが、そんなことは決して起こらなかった。
それが意外だったのか、桐子は目を真ん丸くして自分の両手を見つめている。
その間にシャトンが疾風のごとく彼女の両手を弾き落とすと、あまりの痛さに「いっっっったーい!!」と思わず叫び声をあげてしまった。
よく見ればレイピアの長い刃は黒くて硬いゴムでできており、弾かれた桐子の両手の甲には赤く腫れた一本線が付いている。
「本気で来てくださいませ桐子様。そんなものでは<いばら姫>も呼ばれているとは気づいていませんよ」
どうやら彼らは<いばら姫>をいつでも呼び出せるように特訓をしているようだった。
<童話>の力を使うなとハンスに釘を打たれ、桐子も従おうとしていたのだが、数日前の<若い大男>事件以来、頼ってばかりではダメだと変な方向に目覚めてしまった。
彼女の性格上、ハンスばかりに危ない目を負わせるわけにもいかないと思っての行動だろう。
逆にハンスから頼られるぐらいの力をつけて安心させようと思った桐子は、シャトンたちを巻き込んであれやこれやと内緒の稽古を始めていた。
ついに<童話>と戦う気になった桐子にシャトンは嬉しそうに付き合うが、上司の言葉は絶対であるウィルヘルムはあんまり乗り気ではない様子。
とりあえず<童話>と戦うことになった時の護衛術を助言するだけにとどまっている。
「必殺技みたいに使うんじゃなくって喋るように……、感情を乗せながら自分の手足が伸びるイメージで使うんだ。また勢いだけで突っ込むなよ」
ウィルヘルムの助言を聞いた桐子はもう一度、強敵シャトンに立ち向かう。
三度襲いかかる乱れ突き。攻撃を寸前のところで避けつつも、自分の腕が伸びるイメージでシャトンの剣に手を伸ばす。
[あの忌々しい剣先を封じたいっ!!]
<若い大男>の時の傷だらけのハンスを思い出し、強く念じてみると彼女の腕から透き通った茨が生え出てきた。
ついに出来たと喜ぶのも束の間に、シャトンが茨の隙間を余裕をもってすり抜ける。
彼女の意識した瞬間と、<いばら姫>が能力を発動した瞬間との間にわずかなズレが生じていたのだ。
「遅い、遅い」
優雅に茨をかき分けて桐子の懐に入ってきたシャトンはレイピアの刃で彼女の頬をピシッと叩いた。これが本番だったら彼女の首は地面に落とされていただろう。
しかし特訓の成果は確実に出ている。手を抜いているシャトンを捕まえることができなくとも、弱った<童話>相手ならこの程度の茨で十分だ。
「上手くできたと思ったのにぃ~」
「集中力が足りませんな」
未だかつてシャトンから褒められたことのない桐子は悔しさのあまりに歯ぎしりをする。今度こそ一泡吹かせて全身の毛を逆立ててやろう。と、自分に喝を入れなおした。
やる気に満ちた桐子は元気よく「もう一回!」っと声を張り上げてシャトンに向かって行こうとするのだが、彼女の気も知らない教会の鐘の音が夕刻を知らせる音色を響かせる。
気が付けば空は少しづつ影を落としていき、深い紺色に沈んでいた。
「そろそろハンスがバイトから帰ってくる時間だ。続きはまた明日にしよう」
夕空を眺めるウィルヘルムの言う通り、ハンスに特訓をしているところを見られたら隠れて特訓している意味がない。
せっかく溜め込んだやる気をどうにか抑え込み、渋々と広場の隅に置いておいた学校の荷物を取りに行く。その時、
「あら、もう終わり?」
と空から悪戯っぽい少女の声が降ってきた。
誰かいるのかと見上げれば、通りに面した建物のバルコニーにオペラグラスをかけた金髪少女が立っている。
「ラッティ?!」
グラスを取った彼女の瞳は若草のように美しく、しかし人をなめくさった図太い芯までもが遠くの方からでもよく見えた。
「そんなんでハンスちゃんを守ろうとしているの? 滑稽なこと極まりないわね」
だが彼女も<若い大男>の戦いの時に、ハンスの<童話>にビビってすっかり隠れていたことを忘れてはいけない。
「何しに来た?」
ラッティに気づいたシャトンは唸り声を上げて威嚇をする。しかし彼女は恐れることなくオペラグラスを手持無沙汰にくるくる回した。
「ちょっとそこまで散歩してただけよ。そしたら面白い化け猫とズル賢い小狐ちゃんがお遊戯会の練習をしているじゃない。暇つぶしになると思って見ていたの。でもこれで終わりだって言うんならもう帰ろうかしら。お邪魔したわね」
「待てっ!!」
慌ててラッティを呼び止めるシャトンは先ほどの唸っていた態度を改め、か細い声で彼女に聞く。
「クラウン様は……クラウン様は今、どうしておられますか?」
心配のあまりについ畏まった言い方をしてしまったが、彼女が簡単に教えてくれるはずがない。
「そんなに気になるんなら、自分で確かめに行けばいいじゃない」
突き返されたその言葉にシャトンは何も言い返せずに黙っている。
彼だって本当は今すぐにでもクラウンの元へと駆けつけて、もう二度と離れまいと契りを交わしたいぐらいなのに、今のクラウンには彼の気持ちは通じない。
自分の不甲斐なさに苛立ったシャトンは代わりにラッティを睨むのだが、そこにあるのは立ち去ろうとするお姫様の後ろ姿だけ。
しかしシャトンの思いが通じたのか、急に立ち止まったラッティはわざとらしく彼らにヒントをやる。
「そうだ、一ついいことを教えてあげる。もうすぐ大きなパーティーが開かれるみたいよ。私は参加しないけれど、あなた達は楽しみにしてみたら?」
「待てっ! それはいったいどういう……」
意味を聞く前にラッティはさっさと自分の住処へと帰って行く。
「いったい何だったんだ?」
そう彼らが疑問に思うのも仕方がないが、彼女はきちんと自分の利益になる事だと思って彼らのもとへと出向いていた。だから今の会話にもちゃんと意味があるのだろう。
とにかく”大きなパーティー”という新たな情報を手にした桐子たちだが、情報源に一抹の不安を感じてしまう。
渋い顔をしながら互いの顔を見合わせていると、薄暗い路地から買い物袋を担いだドレス姿の男が現れた。
「あら、みんなして玄関先で何をしているの?」
仕事で疲れた顔をしたハンスが子供たちの前にやって来る。彼は不思議そうな微笑みを浮かべると彼女らの顔を見比べた。
特訓の片付けも中途半端に終わらせていた子供たち。慌てて何事も無かったかのように振舞うが、何事も無い動きが最も怪しく見えてしまう。
桐子は急に前髪を梳かし初め、ウィルヘルムはハンスの元へと駆け寄った。
「まだ腕の調子が悪いだろ。二袋ぐらいよこせよ」
包帯が取れていないハンスの左腕から無理やり小麦袋を奪い取ると、力を見せつけるように肩に担いだ。
普段ならあり得ないその行動がより一層怪しさを引き立てる。
ウィルヘルムの気味悪さにハンスは顔をしかめたが、荷物が減って楽になったことには変わりない。この場で追及するのはやめて後にしようと、ハンスは今だけ彼らの挙動不審を見逃がすことにした。
「そうそう、今日から新学期が始まったのでしょう。学校はどうだった?」
「新しい時間割の確認と、留学生たちの発表会。桐子は日本にいた宇宙人の話をしていたが、SFはイマイチ分からないな」
「!! 違いますぅ~! かぐや姫は宇宙人じゃありません~。日本の有名なおとぎ話だよ?」
ムッと怒った表情になってウィルヘルムに訂正を求めるが、彼はヘラヘラと言葉をかわすだけ。いつもと変わらぬ子供たちの忙しい姿にハンスは嬉しそうに微笑んだ。
「私にもそのお話、聞かせてちょうだい」
穏やかな時を分かち合い、彼らは図書館へと帰って行く。
しかしラッティの言っていたパーティーとは何なのか。その答えは桐子たちが思っていた以上に早く開催されることとなる。