012 <若い大男> ― Ⅷ
ハンスに取り憑く<童話>の正体が分からないパウルは、闇雲に腕を振り回しながらハンスを捕えようと必死になっていた。臆する事なく飛び込む姿は立派だが、相手も必死なことを忘れてはいけない。
パウルの腕がハンスに触れようとするたびに、彼の腕を真っ赤な炎が這い上る。手から千切れた炎はパウルの目の前に飛び散ると、火花を弾いて爆発した。
繰り返される猫騙しに毎度パウルは引っかかるのだが、そんな彼をハンスはうまく広場に追い出せずに苦戦している。パウルに対する敵意は十分に持っているのだが、自分に取り憑いている<童話>に恐怖して腰が引けたままなのだ。
押して押されての長い戦いが続いていくが、早く決着をつけなくてはと力んでいたハンスの方が次第に手元を狂わせる。そしてついにハンスの動きを学習したパウルが炎がつくよりも先にハンスの左手を払いのけると、すかさず懐に潜り込んだ。
見上げればハンスの胸元から顎にかけてのラインがガラ空きで、後は喉笛を掻っ切るか顔面をぐちゃぐちゃになるほどの威力で殴り飛ばせば彼の勝利が待っていた。しかし驚くハンスの顔を堪能していたかと思っていると、目の前が真っ赤な炎に包まれる。
「ギャァア!」
気が付けば全身に炎が回っていた。なんと腕から炎を出すだけの能力だと思っていたハンスの力は、彼が敵とみなした者に近づかれると強力な炎で相手を包み込む恐ろしい能力であったのだ。
パウルの身を案じて左手を突き出し距離を保とうとしていたのだが、近づかれるとどうしようもできないようである。
「ッ!! やめて、マルガレーテっ!!」
思わず<童話>の名前を叫んで左腕を抱え込むと、燃え盛るパウルから急いで引きさがる。
パウルもせっかくのチャンスを手にしていたのに、全身を突き刺す痛みに堪え切れず、慌ててハンスから離れてしまう。炎はしぶとく燃え続け、パウルは瀕死の虫のようにもがき苦しんでいた。
どうやらハンスは目くらまし程度に能力を使いたいようなのだが、彼に取り憑いている<童話>はそれだけでは不十分だと思っている。パウルのみならず、ハンスまでもが相棒とのコンビネーションが最悪であったのだ。
「痛いよ……熱いよ……」と時折聞こえてくる悲痛な声は、まだパウルが完全に取り込まれていない証拠なのだろうか。智菊での戦いを思い出すと、あともう一歩先に出た攻撃ができず、ハンスは苦しい顔をした。
あとどれくれらい待てばウィルヘルムは来てくれる。このままでは自分の<童話>が彼を殺してしまうかもしれないと、そうとしか考えられないほどにハンスの視野は狭まっていた。
ハンスが離れたおかげか、パウルを包んでいた炎がゆっくりと威力を弱めてゆく。それと同時に悲痛な声も閉じ込められて、獣のようなうなり声が聞こえてきた。
この炎が消えた後、自分はどんな行動を取ればいい。懸命に生き延びる術を考えるハンスの脳裏に、誰かの声が雑音のように邪魔をした。
「お前が無事ならそれでいい」
「周りがどうなってもお前さえ生きていれば、それでいい」
それは彼の人格を作り上げた大人たちの言葉の波。幼いハンスの身を案じたようにかけられたその言葉たちは、今戦っている路地と同じように狭い道の中で倒れていた彼に向けられた言葉であった。だが幼い彼の上にはアルニム家に仕える膨よかな女性が覆いかぶさり、二人は赤黒い血だまりに身をゆだねている。
「その力を継続させるためにはどんな犠牲を払ってでも、お前だけは生き延びなければならない」
「それが貴方の使命なの」
―― 使命。
大人たちは息をしていない女性を剥ぎ取ると、幼いハンスの手を掴んだ。
使命のためならば人を殺してもいいのだろうか。
自分だけが無事ならば親しい人を見殺しにしてもいいのだろうか。
何度も考え殺した思い。当たり前のように殺し続けていた思考のはずなのに、いつのまにか自分の命を狙う<童話>であっても、傷つけたくはないという思いに強く支配されていた。
ハンスには自分の存在意義に嫌気がさす時、抵抗するように呟く言葉がある。
―― ホークス ポークス。私はお前が嫌いだ。
と。
魔法の呪文は何度も何度も囁いた。
それで何かが変わることも、心が満たされることも決してない。
パウルの体を燃やし続けていた炎が眠りにつくように大人しくなると、<童話>は荒れ狂う猛獣の目つきで思い悩む獲物を捕まえる。
このまま彼がハンスに飛びつけば再び炎が燃え盛り、火だるまになった彼の体を灰になるまで燃やし尽くすだろう。だけどもハンスはもう二度と左腕を上げることはせず、そのまま静かに突っ立っていた。
何も考えなくていい。
言われた通りにしていればいい。
その方が苦しくなることはないから。
完全に過去の亡霊に捕えられてしまったハンスは諦めにも似た笑顔を作ってみせる。
「ホークス ポークス。 私はお前が嫌いだ」
音にもならないかすれた声で囁く呪文は意気地なしな自分につく精一杯の罵倒。
全てを諦め、放り投げた獲物に堪えきれず、<童話>は本能のままに飛び込んだ。
周りの時がゆっくりとしたものに感じられ、ハンスは<童話>が襲ってくる瞬間を微動だにせずに待ち構えている。だがその瞬間、広場全体を大きく揺るがす地震が彼ら二人に襲いかかってきた。
パウルもハンスまで後一歩というところで足を止め、地面の揺れに耐えようとしたのだが息つく暇もなく足元の石畳が盛り上がり、ミミズのような大蛇が現れた。
大蛇は大きな口でパウルの体を咥えると、屋根の高さまで飛び上がる。日光が当たった皮膚がパキッと乾いた音を立てコンクリートのように固まるが、落ちて行く勢いに任せて大蛇は地面にぶつかると新たな穴を掘って潜って行く。
たった今、目の前で起きた一瞬の出来事にハンスは小さく口を動かしながら驚いていた。すると今度は背後から「ハンスさん!」という、この場にいないはずの桐子の声が聞こえてくる。
「き、桐子っ?! なぜここにっ?!!」
「それよりも早く図書館に向かいましょう!!」
とっさにハンスの手を掴んだ桐子は彼の手を強く引っ張った。
しかしハンスは何故だかこの場に留まろうとして動かない。
「どうして戻って来たの?! ここは私に任せなさいと言ったでしょう!!」
「だってハンスさん、さっき無理して笑ってた!! ハンスさんだって<童話>が怖いんだ! それなのに私一人でなんか逃げられないよ!!」
切羽詰まった桐子の声に、思わずハンスは動揺する。
安心させるつもりで作った笑顔の仮面に、本人にも気付かない淀みがあったのだ。
彼の手は今も小さく震えていた。それは桐子に憑いている<いばら姫>に触れられているからではない。火傷で醜く腫れた左腕に、突然現れる過去の亡霊たち。自分の意思で決めたと思っていた覚悟もどこにも存在しなかった。
石畳に繋がれていた両足が引きずられるようにして剥がされる。
桐子がハンスの腕を引き、二人は一緒になって図書館へと向かってゆく。
本当はこの小さな腕を力いっぱいに振りほどきたかった。<童話>がなんたるかも知らない小娘が。と、叱りつけて自分の使命を全うするのが正解だと信じているところもあった。
だけども彼女の熱い眼差しが彼の殺された本心に優しく寄り添ってしまったから、彼はもう何も言い返せずにただただ足を動かす事しかできなくなっていた。
常に口にはしていたが、この時ほど彼女の存在が大きく感じられたことはない。
世話焼きで、危険な場所でも友のためならばと無鉄砲に駆けてゆく。ためらいながらも自分の思った事を口にすることができる彼女に、彼も気付かぬうちに憧れを抱いていたのだろう。
茨に皮膚の下をくすぐられ、顔面も蒼白になっていたのだが、そんなことが気にならないぐらいにハンスの気持ちは軽やかなものとなっていた。
図書館までの道中、地中で戦う大蛇とパウルの衝撃で何度も地面が揺さぶられる。
地震に慣れていない人たちはその場にしゃがみこんだり、辺りを見渡したりしていたのだが二人は転びそうになりながらも立ち止まる事なく走り続けていた。
あと少しで待ちに待った図書館へとたどり着く。
しかしこのまま入り口に向かっても、悪魔が待ち構えているかもしれない。
その時こそこの炎で悪魔を燃やしてやるとハンスは覚悟をするのだが、ハンスの腕を引く桐子は図書館の入り口に続く通りを過ぎて行き、もう一本先の路地へと目指していた。
すでに町の地理を把握している桐子が道を間違えることは考えられない。だとすると彼女は正面玄関を避けて裏側から図書館に侵入しようとたくらんでいるのだろう。
確かに悪魔と対面せずに済むかもしれないが、図書館の裏側には高くそびえる壁が待ち構えている。入り口になりそうな場所は一階の物置部屋に申し訳程度についた細長い小窓と、二階のバルコニー部分だけ。しかし我々のイメージする二階よりも少しだけ高いバルコニーにハシゴをかけても運よく届く気配はしない。
するとこれまでずっとハンスの腕を引っ張っていた桐子がパッと両手を解いてバルコニーに手のひらをかざしだした。
「ハンスさん、私に掴まって!」
「掴まるって……一体どこに?!」
「いいから早く!!」
一瞬戸惑って手を泳がせたハンスは決意を固めると、桐子の両肩を力強く掴んだ。
それを確認した桐子は頭の中で目一杯にイメージする。
[イメージ、イメージ。恨み、つらみ、苦しみ。あいつが憎い。ハンスさんを傷つけるあいつが憎い! 懲らしめたい!!]
<いばら姫>の食料となる怨恨を思いつく限り浮かべると、その思いが通じたのか白い茨が桐子の両腕から生え出てきた。茨は物凄い勢いでバルコニーの手すりに絡みつく。
「行きますよ、ハンスさん!」
両腕を後ろに引いて深く腰を落とした桐子は、茨が伸びるとこまで伸びきったことを確認すると、力一杯にジャンプする。すると茨は伸びたゴムが元に戻るように二人の体を引っ張って、バルコニーに向かって弾き飛ばした。
思っていた以上に宙を舞った二人の体は、バルコニーに置いてある物干し竿やテレビアンテナをなぎ払い、終いには窓ガラスを豪快に割り散らしてウィルヘルムのいる二階の部屋へと文字通りに転がり込んでしまった。
「痛ぁ……」
桐子の奇行に驚いたハンスは宙を待っている間に本能的に彼女を抱き庇うと、代わりにクッション材となって全身傷だらけになってしまう。だが桐子はそんな事に気づく暇もなく、ハンスを押し倒す形で起き上がると急いでウィルヘルムに報告した。
「ウィル、助けて! <童話>に操られた人がすぐそこにッ!! …………ウィル?」
桐子の目線の先には確かにウィルヘルムがいるのだが、彼は桐子たちに背を向けてテレビをじっと見つめている。だがしかし、画面は砂嵐で何も映ってはいない。
彼は何も言わずにただただ真っ直ぐに両手を伸ばしてテレビの画面に触れていた。
「これは……お前たちがやったのか?」
テレビを凝視し続けるウィルヘルムに、桐子とハンスは首を横に振る。
「放送局の……事故かなんかか?」
外では相変わらず<童話>たちの戦いと、小人たちの修復作業が繰り返されていた。
桐子とハンスはさらに首を横に振る。
「それじゃあ、いったい……誰がやったんだ?」
後ろ姿からでも感じられる異常な雰囲気に、桐子とハンスは揃って玄関を指差した。
夏も終わりが近づいているというのに、割れた窓ガラスから嫌な熱気が吹き込んだ。
* * *
二人が指差した玄関前には悪魔どころか人っ子一人もいなかった。
しかし地面が大きく揺れ出すと、あの大蛇が勢いよく飛び出して口に含んだ<童話>を地面の上に吐き出した。
役目を終えた大蛇は小さく体を折り畳み、元の小人に戻ってしまう。
「っつたくあの嬢ちゃん、おかしな性格しているぜ。ラインの乙女たちにも見習ってもらいてぇぐれぇだがな」
そう言うとアルベリッヒは嬉しそうに帽子を深く被り直す。よく見れば帽子の飾り帯がハンスのスカーフに代わっていた。どうやら桐子が捨てた後、急いで回収したようだ。
「報酬としちゃあ上等すぎるが、もらっとくぜ」
口は悪いが踊る足を抑えつつ、一仕事終えたアルベリッヒは出て来た穴へと飛び込んで地底の世界へと帰って行った。
ヨダレだらけになったパウルは目覚めの悪い朝のように起き上がり、目の前の建物を見るとギョッと瞳を輝かせた。
「こっ、ここはまさかっ! ああ、そうだ!! ここはあの童話図書館!!」
どうやらハンスが図書館の結界の中に入った事により、暴走していた<童話>の力が収まって元のパウルが出てきたようだ。体のサイズも元どおり、彼は憧れのグリムアルムの聖地にたどり着いて五体投地しそうな勢いで歓喜の舞を舞っている。
その時、図書館の玄関がゆっくりと開かれた。
「来るか小娘。お前の<童話>共々、この図書館の<童話>を奪ってやる!」
散々痛い目にあったというのに、どうやら今までのことは覚えていないようだ。
自分の力に凄みを感じているパウルは嬉しそうに戦いの構えをするのだが、何かが目の前にぽとりと落ちて来る。
一瞬の出来事で何が落ちてきたのか分からなかったパウルは静かに足元を見下ろすと、白くて粘着力のあるものが彼の靴を汚していた。
汚れの正体は一眼見るだけで分かったのだが、答え合わせをするようにカーカーとカラスの鳴き声が降りてくる。気が付けば彼の周りにはカラスが群れをなしてこちらの様子をうかがっていた。
「我が名はウィルヘルム・フェルベルト。牧師の五代目グリムアルム……」
図書館の中からパウルと変わらなぬ大きさの影がぬらりとお化けのように現れる。
「ま、まさかフェルベルト家のグリムアルム様にも会えるとはっ! 感激だっ!!」
「この……」
「この?」
その時カラスたちが今まで以上に大きな声で鳴き出した。それはまるで嵐のように、恐ろしいうねりとなってパウルの耳に押し寄せる。
「この恨み、はらさでおくべきかあぁぁぁ!!!!」
急に怒号を浴びさせるウィルヘルムは腕だけを真っ黒な剛毛に覆わせると、熊のような獣の腕に変形させてパウルに勢いよく飛びかかる。
「良いとこだったんだぞ! クライマックスぎりっぎり! あーーーー! 結末を知ってても行き場を失ったこの焦りっ! どうしろってんだっ! あとちょっとだったんだぞ?! あとちょっとで主人公がっ! 犯人にっ!! っあーーーー!! ちくしょー! ちくしょー! ちくしょー! ちくしょーーーーーーっ!!」
両手だけが熊化したウィルヘルムは感情に流されるがままにパウルに拳を浴びせてゆく。
抑えられたと言っても頑丈さは変わらない<若い大男>を使うパウルは生半可な力では倒せない。
だがそんなことを心配せずとも、今のウィルヘルムを突き動かす感情には誰にもきっと敵わぬだろう。
その感情とは怒りである。
一瞬でもリズムを狂わせるパウルに容赦なく拳を入れてゆく。
<童話>の力は負の感情。童話図書館にたどり着いた喜びで心が満たされてしまったパウルの拳は綿のように軽くなっていた。一方的な力に押されてパウルはついに胸ぐらを掴まれる。
「力を憑けたぐれーでギャーギャー騒ぐなクソタレがーーーーっ!!」
最大限の力で石畳の上に叩きつけられると、ついに力尽きた<童話>は白い紙吹雪を舞い散らせて封印されてしまったのだった。残されたのは黒い紙一枚とひ弱そうな体型に変わり果ててしまった少年パウル。可哀想に、彼は白目をむいて失神している。
二階からそろりと降りて来て玄関の陰から様子を見ていた桐子とハンスも、ウィルヘルムの怒りには呆れかえることしかできなくなっていた。人々を守り、悪しき<童話>を罰するグリムアルムが自己中心的な感情で暴れ回ってもいいのだろうか。それを学んだはずなのに、根本的なところはちっとも変わっちゃいない。
「<童話>はおもちゃじゃねーんだ。気をつけな」
格好良く決めているはずの台詞であるのに、全然格好良く響いてこない。
だけどもウィルヘルムの戦いっぷりを見ていたハンスは自然と安堵の笑みを浮かべていた。
それは彼にも詳しくわかっていないのだが、ハンスにかけられた呪縛を解くため魔法の言葉がどこかにきっと混ざっていたからだ。
「なあ、ハンス。小型のテレビ……あるか?」
興奮が冷め止んで悲しそうな目をするウィルヘルムに、ハンスは急いで物置部屋から携帯型のテレビを持ち出した。
アンテナを伸ばして電波を取るが、画面に映されたのは映画のエンディングクレジット。それも一瞬だけで後はニュースキャスターの切羽詰まった声が聞こえてくる。
『緊急速報です。先程マルクブルクにて停電とネット通信のトラブルが発生しました。
一部地域では小規模な地震が連続的に続き、それらとの関係性を調査中です。繰り返します。先程、午後三時ごろに――』
ニュースキャスターの真剣な声が薄暗い広場に響き渡り、ウィルヘルムは静かに膝から崩れ落ちた。
* * *
「旦那様、<若い大男>が封印されましたが、回収しに行きますか?」
黒い悪魔と同じ顔をした青い悪魔が車いすに乗った老人に尋ねている。
空には細い三日月が浮かんでおり、だだっ広い屋敷の中を弱々しい光で照らしていた。
「そんなものはどうでもよい。それよりもニールが<童話>を相手に名乗ったか。はてさてこれからどうなるか」
嬉しそうにそう言った老人は机の上に置いてある赤い本をめくりだす。
いくつか破れたページの中には<若い大男>も入っていたのだろう。
「それにしても随分と面白いものを見させてもらった」
「フェルベルトですか?」
「いいや。彼もまあ……、若いな。素直でよろしい。私が面白いと言ったのはあのアジアの娘だよ。今までごっこ遊びで済ましていたニールを本気になるまで追い詰めた。彼らのことはもうよいだろう。次の準備にかかろうか」
するとその言葉を合図に部屋の中の蝋燭が一瞬にして炎を点しだす。
何十本も並べられた蝋燭が部屋を真っ赤な明かりで包み込み、その光景はとても幻想的なのだがどこか冷たく、恐ろしい。それはまるで最も罪深い者たちを閉じ込める地獄の氷のような光を放っていた。
◆ ◆ ◆
潮風かおる夜の港に波の音を聞く少年のような少女の姿が寂しくあった。
細長い三日月をぼんやりと見つめていると、夏の終わりを告げる風に撫でられて小さく身体を縮こませる。
使い古された樽の上に座っている彼女の後ろに黒い傘をステッキのように持ち歩く白いコート姿の男が近づいてきた。
「先生……」
男の足音に気が付いたクラウンは、鼻先を赤く染めながら彼の方に振り向いた。
「ハウストから晩餐会の招待状が届いた。私宛ではなく、キミ宛だ」
コートの胸ポケットから取り出した手紙には赤い封蝋が押されてあるが、封はすでに切れている。
手紙を手にしたクラウンが中身を取り出すと、名刺サイズのカードに軽い挨拶と会場の地図が書かれてあった。開催日は一週間もしないうちにあるとも書いてある。
「当日一緒にその場へ行こう。ハウストの茶番劇を終わらせに」
<つづく>