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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第二幕
56/114

012 <若い大男> ― Ⅰ






 時は二十七年ほど前にさかのぼり、とある人物の過去に触れてみる。


 普段は学生たちで賑わう旧市街の広場には薄明るい夜が落ちていた。

満月の眩い光で作られた深い闇とのコントラストに一人の老人が歩いている。

古ぼけた外套を身に着けた七十代ほどの老人は、さらに深い闇の底、裏路地の中へと潜って行った。


 このいかにも怪しそうな老人の跡をつけてみると、一軒の不気味な家にたどり着く。

見た目こそは周りの建物と何の変わりない、伝統的な木組みの家であるのだが、建っている場所や建物自体が醸し出す暗い空気のせいで別次元からやって来た異物のように感じられた。

誰一人として近づかせまいとするこの建物に、老人は軽快なノックを三度もする。


「…………どなたですか?」


 建物の中から変に警戒した声が聞こえてきた。


「私です。二代目の、牧師のグリムアルム。フェルベルトでございます」


老人は外套のポケットから真っ白い栞を取り出すと、玄関扉の曇りガラスに張りつける。


「……どうぞ中へ」


 入場チケットを確認した声がそう言い終わると、留め具が外れて自然と扉が開かれた。

少しだけ開かれた扉をもう少しだけ開けようと、皮の手袋をはめた右手がそっと押す。

扉は軋んだ音を立てて大きく開かれたのだが、そこには誰もいなかった。

 二階まで吹き抜けとなっているエントランスには高くそびえ立つ本棚の壁。

外の暗闇からは考えられないほどに満ち溢れている月明かりの中へ、老人は扉を開けてくれた人物を探すように辺りを見渡しながら入っていった。


「お待ちしておりました、フェルベルト卿」


 不意に右手奥にある階段の陰から若い男の声が聞こえてきた。

陰の中には小さな椅子に座った男性が一人、老人の方を向いてる。

顔や上半身は陰に隠したままで全く見えていないのだが、足だけは外に出していた。


「ご無沙汰ぶりです、ハンス君。カール君は……流石に来ていないようですね」


辺りをもう一度見渡してみても、彼ら以外には誰もいない。


「ハウスト様の住んでいるお所は、今は来たくても来れない場所にありますから……」


 屈んだハンスの両腕が膝の上に結ばれる。

その手はどんな力仕事もしたことのない、純粋無垢な滑らかな肌をしていたのだがそれ以上に情報を得る事は出来なかった。


「しかし……、連絡の一つもよこさないなんて寂しいですね。何でもいいから一言だけでも欲しかった」


「そんな無理は言えませんよ。それに、今回は彼女たちがいるから、それだけで十分です」



 安心したように言う彼の言葉が本棚の向こう側にある台所に送られる。

そこには二人の女中が何かせわしく準備をしていた。

一人は丸々と太った風船のように動き回る中年の女性。

もう一人はやせ細った腕を時計の針のように動かし続ける年老いた女性。

彼女たちが注目する中心には一歳ほどの赤子が、指おしゃぶりをしながら、なされるがままに揺れていた。


 短い髪を引っ張るようにすいてやり、ハリのある丸い頬に薔薇色のチークをのせてやる。ツボミのように閉じた唇には紅をさして、ヒラヒラとした純白のドレスを身につけさせた。

するとどうだろうか、立派で可愛らしい小さなお姫様が完成した。


 丸く太った女性は嬉しそうに赤子を抱きかかえると、男たちの待つ図書の間にその子を連れ出した。女中たちやフェルベルトの老人は優しくお姫様に微笑みかけるが、ハンスだけは階段の陰に座ったまま。


「旦那様もどうぞ」


女中が笑顔で赤子を差し出すと、ハンスは黙ってその子を受け取る。

 自分の腕の中で不思議そうな顔をする赤子を見つめたハンスは、この子の行く末がたいそう心配になってしまった。


「お前が男の子だと、<悪い童話>たちに知られたら八つ裂きにされてしまうからね。だから成長して、強くなるまでの辛抱だよ。わかったね」


 つい漏らしてしまった父親の嘆き。意味も分からぬ赤子は話しかけてくれたお礼にと満面の笑顔を咲かせてみせた。

その笑顔がより一層父の心を深くえぐるのだが、そんな事を誰も知らない。

 彼はもう一度赤子を女中に手渡すと部屋の中心、明かりの集まる場所へと立ち上がる。


「それでは始めましょう…………。新たなグリムアルムの当主となる者、ハンス=ニール・フォン・―――― 」






……

………………

………………………………

…………………………………………



 過去の思い出から目覚めたように気分が悪い朝。

天井近くにつけられた細長い窓から柔らかな日差しが射しこんでいる。

分厚い本と衣服と布切れに埋もれた物置部屋には黒いドレスを着た男性が、化粧机を前にして出かける準備を整えていた。


 肩にかかるほどに伸ばした黒髪に金の櫛をそっと通す。頭の後ろに束ねた髪を団子状に固めると、フクロウの髪留めで挟んで留めた。


 キラキラと舞輝く埃の中、仕度を終えたハンス=ニールは鏡に映った自分の姿にワザとらしく微笑み返した。






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