011 <雪白姫> ― Ⅲ
「こんにちはハンスさん! シャトンはどこにいますか?!」
童話図書館の玄関が開かれると同時に、桐子の疑問の声が投げかけられる。
読書用のメガネをそっと下ろしたハンスは二階の吹き抜け廊下に目をやった。
そこには二本足で立っている大きな赤い猫が、急いだ足取りで階段を下りてきた。
「おぉ! お待ちしておりました、桐子様!!」
あまりにも熱烈な歓迎に、桐子は思わず固まった。
「桐子様、先日はどうもお世話になりました。このシャトン、あなた様のお言葉を聞いて痛く感激いたしました。是非ともあなた様のお力をお借りしたく思い、こうして参ったのでございまぁ……桐子様?」
「あ…………貴方が、シャトン…………?」
「はい。クラウン様は私めのことをそう呼んでおります。<童話>としての名前は<長靴をはいた牡猫>でございます」
大きな猫眼がキラキラと潤い、尻尾はそよ風のように揺れている。
背丈は年長さんの男の子ぐらいはあって、普通の猫でないことが見てわかるのだが……。
「い……いやあぁぁぁ!! 可愛い! 可愛すぎるよシャトン!! めちゃくちゃプリティだよシャトン! ズュース!!!!」
可愛い物好きの桐子にとって、そんな普通でない部分は特に気にする所ではなかった。
恐ろしいものでも可愛いければ関係ない。そう、可愛いとは正義なのだ。
「き……桐子様とは、このようなお方なのですか? もっと情熱的な方だと……確かに情熱的ですが」
「あは〜ん。たまんないよ、このしっぽ。ずっと夢だったんだよね〜、大型猫のお腹にダイブするの!」
躊躇することなくシャトンの腹めがけて飛び出す桐子。
しかしシャトンは可憐に桐子のダイブを受け流し、倒れた彼女を道端に落ちている犬のフンでも見るかのような眼差しで見下した。
「いきがるなよ小娘。それと、吾輩を軽々しくシャトンと呼ぶでない! 吾輩のことはムルとでも呼んでいただこう!」
「急に態度がでかくなったぞ」
台所から騒ぎを聞きつけたウィルヘルムが、不思議なものを見るような目でこのシャトンと桐子のじゃれ合いを観察し始める。
「ムルってホフマンの? でも、ムルよりシャトンの方が可愛いよ〜」
「だ〜か〜ら〜、シャトンではなくムル……って、そんな呑気な事を言ってる場合じゃなかった! おい、桐子!!」
「呼び捨てになった」
冷静なウィルヘルムのツッコミに、ぐぬぬと己を抑えたシャトンは、猫背を伸ばして桐子に深くお辞儀をした。
「キ・リ・コ・サマ……、どうかクラウン様をお助けてくださいませ。
クラウン様は今、桐子様とあの男の間に挟まれて、大変苦しんでおられます」
「あの男って?」
「クラウン様が"先生"と呼ぶクソ生意気な小僧のことでございます」
その先生のことなら桐子もクラウンの話から聞いたことがあった。
と言っても、「先生と待ち合わせしている」と嬉しそうに話していたクラウンの顔でしか彼の事を知らないのだが。
「私も前々から気になっていたのよ。グリムアルムでもないのに、なぜ彼女らは<童話>を集めているのかしら。それに、青髭事件の際に盗まれていたアナタの栞を、なぜ彼女が持っていたのかも知りたいわ」
椅子に座っていたハンスは、前のめりになりながらもシャトンの顔を覗きこむ。
気まずそうにシャトンはうつむいてしまうのだが、彼らの質問に答えようと少しづつ語り始めるのであった。
「<青髭>との戦いの後は……、申し訳ございませんが何も覚えておりません。
<青髭>から受けた傷はとても深く、ずっと栞の中で寝ておりました。
どのくらいの時間を眠っていたのかも分からないのですが、ある日懐かしい声に呼ばれて私は目を覚ましました。そこにはクラウン様とあの男が立っていたのです。
目を覚ましたばかりの私に、あの男は命令しました。
クラウン様に従えるように、と。
しかし私にはそんな言葉は不必要でした。何故ならば彼女には私を従えさせるほどの素質があり、そして何よりもローズ様と瓜二つでございましたから」
また現れたローズの名前。彼女の名前を聞くとあの優しかった精霊が豹変した姿ばかりが思い出す。
「教えてシャトン。ローズって誰? 悪い人なの?」
「悪い人ぉ?! とんでもございません! ローズ様は我が最高にして最愛なるご主人様でございます!
ローズ様を悪く言う奴は、たとえグリムアルムでも容赦いたしませんよ!!」
急に怒りをあらわにしたシャトンは、自分が本気だということを示すかのように牙と爪をむき出した。
怪しく光る牙の威嚇に桐子はぶるりと震え上がる。
「クラウン様はまさしくローズ様の生き写しでございます。生まれ変わりでございます。私は初めて彼女に会った時、そう直感いたしました。
決して見分けがつかないとか、そういう事ではございません。彼女自身がローズ様そのものなのでございます。
容姿も、声も、優しさも……、何もかもがそっくりそのままなのです! そんな彼女が我が主人になるのも必然なことでございましょう?!」
主人への愛を熱く語っているのだが、クラウンが聞いたら悲しんでしまいそうな演説だ。
彼女ははっきりと「オイラはローズじゃない」と言っている。だから今の言葉をクラウンが知ってしまうのは、あまりにも残酷な話になってしまう。
そう思った桐子たちは黙ってシャトンの言葉を聞き流した。
「しかし月日が進むに連れて、ローズ様との大きなズレが現れ始めました。
それは<童話>に対する憎悪です。
日に日に<童話>への恨みは増していき、なりふり構わず狩っていく。
哀れみにも蔑みにも見えるその顔が、傷だらけになりながらも戦う痛々しいその姿が、私は<童話>として悲しみと恐怖を覚えるのです。
先日なんて、ついに<冥府の魔女>を狩ってしまったのですよ!!」
腕を組みながら真剣に話を聞いていたハンスが一瞬だけ、その言葉に小さく反応する。
しかしその彼の反応を、シャトンの話に集中していた他の人たちは誰も気づくことはしなかった。
そして桐子はシャトンの話を聞いて泉での戦いを思い出す。
いくら殴られ、傷ついても彼女は怯むことなく真っ直ぐに泉の精霊を見続けていた。
狙った獲物は必ず狩る。その狂気に当てられたことのある桐子には、彼女の恐ろしさが痛いほどに分かっていた。
「あの男は世界平和なんかの為にとほざいておりますが、私には全然そのように見えません。
ただ自分の欲望の為にクラウン様を利用している。とんでもなく卑怯な奴だと思います。ですがそんな奴を、クラウン様は慕っている……。
本当はこの瞬間もクラウン様のそばにいたいのですが、今のクラウン様のままでは私の首と胴体とが離れ離れになるのも時間の問題です。そしたら彼女の嘆きの声を、誰が外へと届けるのでしょうか?
ですから私は、泣く泣くクラウン様の元から離れてきたのでございます。
桐子様、どうかクラウン様をお助けください。私の身はどうなっても構わない。
元々クラウン様のためならば、いくらでもこの命を捧げる覚悟をしておりました。
このままでは彼女は自分の思い描く理想郷にたどり着く前にあの男に裏切られて、傷つけられてしまう。
そんな悲しい事……悲しいこと……あんまりじゃないですか…………」
ぽろぽろと涙を流し出すシャトンの肩を、桐子はやさしく抱きしめる。
「大丈夫だよ、シャトン。私はクラウンが困っていればどこにでも駆けつけるって、ずっと前から決めていたんだから、貴方が命を捧げる必要はないんだよ」
「桐子様……」
温かな彼女の心根に、シャトンは深く敬意を持った。
彼女という存在に今まで出会えなかった不運を嘆くよりも、出会えたことに感謝する。
シャトンはもう一度大きな涙の粒を静かに流して、桐子の肩を抱きしめた。
しかし桐子がこれから起こるであろう戦いの渦の中で、どれだけのことが出来るのかは誰もわからない。それどころか何も出来ずに終わってしまうのかもしれない。
それでも彼女はこの時、この場所で、足掻き続けることを誓ってしてしまった。それが当の本人が自覚していたのか否かも別として……。
「それにしても……、その"ヒモ男"はクラウンの一体何なんだろうね?」
聞いて早々に見たこともない人を"ヒモ男"呼ばわりにする桐子。
それに乗っかったシャトンもヒモ男のことを思い浮かべると、怒ったように眉間にしわを寄せる。
「保護者だとか言っておりましたが、クラウン様への扱いは最悪です!
最近は少しばかりまともになってきましたが、最初の頃はそれはもう可哀想で、可哀想で……見ていられないほどでした」
「親の言葉に、はいはい言ってるだけじゃダメなのにね〜」
「その通りでございます! 誰かに命令されるのではなく、クラウン様の意志で自由に動いてもらいたい! それがシャトンの最終的な願いです。
だからどうにかして、あの男をクラウン様から引き離したい!!
ですが今はあの男だけでなく、ハウストのクソガキッ……じゃなかった、クソ爺も我々に歯向かう形で動いている。あぁ、一体どうすればっ!!」
苛立つシャトンは帽子の上から自分の頭を掻きむしる。
猫だから一生懸命に耳の後ろを毛づくろいしているように見えてしまうのだが、彼は大真面目にやっているのでそう言う事を言うのは控えておこう。
「そういえばあれ以降、影も形も見てないな。なぁハンス。……ハンス?」
「えっ?! あぁ、そうね。本当に……」
急なウィルヘルムの声かけに、ずっと考え事をしていたハンスは驚きながら返事をする。
そして誤魔化すようにヘラヘラと笑って見せるのだが、周りの視線はとても冷ややかなものであった。
「おい、大丈夫かよ? ちゃんと話を聞いてたのか?」
「ええ、もちろん。だからちょっと気になるところがあって……。いいえ、やっぱり何でもないわ。ごめんなさい」
薄ら笑いを浮かべたままハンスは、自分のひたいに手を当てる。
彼の行動は少々人に不信感を与えてしまうものになってしまったが、ちゃんと頭の中では情報を整理したり、繋げたりしていた。
<長靴をはいた牡猫>、彼が契約している黄色い栞はプフルーク家に預けられた栞の一枚であった。
そしてプフルーク家にはローズと言う少女が存在していたという記録が残っている。
そして彼女は……。
「そうだハンスさん、今度から寮の電話じゃなくって、私の携帯に電話してもらえませんか?」
シャトンをギュッと抱きしめたまま、桐子はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。
折りたたみ式の携帯電話を慣れた手つきでパチンっと開く。その手さばきに「おぉ」とハンスとウィルヘルムは感心したような声を漏らしてしまった。
「"海外でもかけ放〜題"って言うのに登録したんですが、実家にかける以外、全然使ってなくって……。
それに、もう夜の廊下を一人で歩きたくないんです」
話の最後の方はボソボソっと、恥ずかしそうに囁いて言ったのだが、ちゃんと二人と一匹の耳には届いてしまった。
「あらまぁ、気が利かなくってごめんなさいね。私、携帯もっていないからメモさせてちょうだいね」
せっかく小声で伝えたのに、ハンスは可笑しそうに確認し直す。
夜の廊下を怖がる少女に、シャトンは一抹の不安を感じてしまった。
* * *
寮に戻って昼食をとっていた小澤と吉原。そして智菊。
彼女たちは自室に戻って宿題の続きをしていたのだが、未だに智菊はこのグループの中に居座っていた。
スペルミスやらを直してくれるのは本当にありがたいのだが、相変わらず吉原に引っ付いたままで彼女は困り果てている。
だが小澤の方はと言うと、この状況にすっかり慣れてしまい、うーんっと大きく背伸びをしてリラックス体勢をとっていた。
「ちょっとスーパーでお菓子とか買ってくるわ。何か欲しいものとかある?」
「私……、オレンジジュースが欲しいです……」
「それじゃあ、私もおんなじものを」
「オレンジジュース二本ね、あいよ」
小澤は気だるそうにカバンを持つと、吉原と智菊を二人っきりにして部屋の外へ出て行った。
部屋の中には気まずい空気が流れ出す。
無言のまま作業を続ける吉原に、智菊は恍惚とした目つきで見続けた。
「あの……久保田さん?」
「なぁに?」
「今日はとても助かりました。感謝しております」
「別にいいわよ。これくらい」
「だけど、久保田さんにも宿題がありますでしょう? ほら、かぐや姫の紙芝居」
「そんな事よりも貴女って、本当に美しいわぁ……。
スラリと伸びた足に控えめなお口。とっても可愛いらしい」
「ちょ、久保田さん、からかわないでくださいよ!!」
「からかっちゃあいないわよ」
クスッと漏らした笑い声。智菊は隣に座る吉原を押し倒すように詰め寄った。
柔らかな太ももに彼女の左手が添えられる。そして左手は蛇のように吉原の体を登って行った。
足から腰へ、腕を伝って首を通り過ぎ、小さな顎にたどり着く。そして口づけでもするかのようにクイっと顎を持ち上げると、智菊の顔も近づいた。
妖艶な雰囲気に吉原は頬を赤らめて、目の前のよくわからない状況に怯えている。
彼女の瞳はすっかり涙で潤んでしまい、ガラスのように透き通った。
「本当にきれいね。本当に美しくって、可愛くって……憎たらしい」
「え……?」
その時、智菊の右手に握られていた大きなハサミが振りかざされた。
ニタリと釣り上がる真っ赤な口。嬉しそうに歪んだ目元が吉原をとらえて離さない。
そこにいる智菊はもう、まるっきし別人の顔になっていた。
* * *
「あ、菅さんおかえり〜。用事はもう済んだの?」
寮の玄関先でばったりと出くわした小澤と桐子。時間はまだ午後の三時ぐらいなのだが、早く帰ってくると吉原たちに約束していた桐子は寄り道もせずに急いで寮に帰ってきた。
「智菊は?」
「私たちの部屋にいるよ」
彼女たちの部屋とは桐子たちの隣の部屋、階段を上ってすぐ横にある。
桐子は分かったと言うと、息を整えて端の方にある階段を上り始めた。
吉原と智菊が二人っきりで部屋にいると聞いた時は少々心配になったのだが、小澤が二人を残して買い出しに行くぐらいには分かり合えたのだろうと解釈した。
そんな安心感を持って桐子は二階に上って行ったのだが、先とは比べ物にならないほどの悪臭が、三階の方からなだれ落ちてきた。
「うぐっ!!」
むせ返るほどの焦げた臭い。
辺りを見渡しても火元や焦げている物はどこにもない。それどころか二階の住民たちは平然とした顔で友人たちとお喋りを続けている。
この臭いが分からないのかと、桐子はひどく驚いた。そしてすぐに<童話>の仕業かと疑うと、上の階から「助けて……」とひねり出された小さな叫び声が聞こえてきた。
桐子は急いで階段を駆け上ると、声がした小澤たちの部屋を勢いよく開いた。
するとそこには、手足に赤い切り傷をいくつもつけられた吉原が、力尽きたかのように横たわっていた。
扉が開かれたことに気がついた吉原は、恐怖で引きつった顔を上げて桐子の足にしがみつく。
嗚咽を漏らしながら何かを伝えようとしているのだが、何を言ってるのかわからない。
しかし部屋の中から感じるもう一つの気配に、桐子は恐る恐る顔を上げた。
部屋の中央には暗い影を落とす一人の女性が立ていた。
右手にはハサミが握られており、桐子と目が合うとニタリと笑う。
「智菊……なの?」
「あら、あらあら嫌だわ。邪魔者が入ってきたじゃない。さっさとそのお顔を、切り刻んでおけばよかった」
智菊の言葉に吉原はより一層大きな悲鳴を上げて桐子に泣きつく。
「貴女は誰? こっちに来ないで!!」
「うふふふふ、近づかなかったらどうなるの? 代わりに貴女がこっちに来てくれるのかしら?」
ハサミがシャギッと音を立て、何度も何度も刃と刃が擦り合う。
いつまでも楽しそうに笑ったままの<童話>に、桐子は携帯電話を突き出した。
「さっき部屋に入る前にグリムアルムのハンスさんと、フェルベルトに助けの連絡を入れてきた! もう貴女は逃げられない!!」
グリムアルムと聞いた途端、<童話>の表情が一瞬だけ呆けた顔になった。のだが、すぐに口元が大きく釣り上がり、まるで口裂け女のような口をしながら、この状況を大いに楽しんだ。
「あら貴女、グリムアルムを知ってる子なの? とってもつまらない子。
それじゃあ奴らがくる前に、貴女たちをギッタンギッタンに切り刻んでおこうかしら?!」
普段の智菊からは考えられないほどの素早さで、<童話>が桐子に襲いかかる。
まるで一瞬の出来事のように感じたが、恐れることなく<童話>の目を見据えていた桐子は、彼女の動きを読みとって、ギリギリのところでハサミの刃を避けた。
しかし、まだまだ未熟な彼女は完璧に避けきることができずに、左頬に一筋の赤い線つけてしまう。
それでも彼女は血を拭うことなく、じっと<童話>を睨み続けていた。
「あらあら貴女、<童話>との戦いを知っているクチね。ちょっとは楽しい子。だけどこんなのなんて、どうかしら?」
おもむろにハサミを投げ捨てた<童話>は、背中の陰から大きなノコギリを取り出した。
どこにもそんな物を仕舞っておく場所はないのだが、幻ではなくれっきとした本物だ。
赤錆に覆われたノコギリは、切れ味が最悪でとっても痛そうだ。
「ふふっ。驚いた? 素直な子。私が誰だか知りたいのでしょう?
特別に教えてあげる。私は泣く子もウットリしちゃう絶世の美少女、<雪白姫>ちゃんよ!」
「<雪白……姫>?」
そんなバカな、雪白姫がハサミやノコギリを振り回して人に襲いかかってくる童話であるものか!
そう混乱している間にも、ノコギリの刃が桐子の頭上に振り下ろされた。
桐子は手に持っていた折りたたみ式携帯電話をとっさに開いて、ノコギリの刃を受け止めた。
しかし切れ味が最悪だと言っても、そう長くは持たないだろう。
<童話>の怪力に押し負けてしまった桐子は、部屋を飛び出て階段の手すりに寄りかかる。
「吉原さん、立てる?! 今、助けがこっちに来ているから、そこの窓からこの場所を知らせてちょうだい!! 黒いマントの男の子と、背がとても高い大きな人! お願い!!」
「そうはさせないわよ!」
より強く、雪白姫の両手に力が加わった。そしてついに桐子の体が階段の手すりを乗り越えて、二階の廊下に突き落とされる。だが力を込めすぎた雪白姫の体も一緒に二階へ落っこちた。
頭を強く打ってしまった二人だが、すぐに目を覚ました桐子は近くに落ちていたノコギリを奪い取る。
そして立ち上がる前の<童話>に向かって構えの姿勢をとったのだった。
「あら、貴女にできるのかしら? この子、貴女のルームメイトなんでしょう? お友達? それでも私はできるけど?」
今度は柄の長い斧を体の陰から取り出して、ふらりとよろめきながら立ち上がる。
ここでようやく二階の廊下でお喋りしていた住民たちが、騒ぎを聞いてこちらを見た。
他にも階段から落っこちてきた時の音に驚いて、部屋からわざわざ顔をのぞかせる輩も現れた。
夏休み旅行などに出かけている者もいて、普段よりかは住民は少ないのだが、噂を広めるには十分の数はそろっていた。
ーーダメ、だれも出てこないで、智菊がここで生活できなくなる!!
桐子の思いも虚しく、住民たちは彼女たちの怪我を心配して、どんどんこちらへ近づいた。
ーー智菊の夢が、一生が、こんな訳のわからないものに壊される……。
近づく住民たちを見た雪白姫は、新たな惨劇を思い描いて恍惚とした笑みを新たに浮かべた。
ーーそんなの……そんなの……
「いやだあぁぁ!!」
悲鳴のような桐子の叫びに、辺りが一瞬にして白い茨に包まれる。