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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第二幕
48/114

010 <池にすむ水の精> ― Ⅳ






「なんと喜ばしいことか! グリムアルム……、久しい響きよのぉ。

しかし、今のグリムアルムはこんな可愛いらしい、おべべを着て戦っているのかえ?」


水の精は嬉しそうに、ウィルヘルムのマントを掴むと左右にひらひら振ってみせた。

無邪気な彼女の振る舞いは、無害そうではあるがまだ油断はできない。


「俺は<童話>の力を使う時、体が変形するから、それを隠すためにマントを着用しているんです。余分なひらひらはハンスの趣味です」


「ハンス? あの筋肉の塊がかい?」


"筋肉の塊"言う、なんともハンスには不釣り合いな単語にウィルヘルムと桐子は互いの顔を見合わせた。


「ハンスさんはノッポですよ? 二メートルはあるかな?」


「筋肉とは無縁だな。背ばっかりが高い女装癖」


今度は二人の言葉に水の精がキョトンとする。

お互い同じグリムアルムのハンスを言っているはずなのに、なぜだか容姿が全く違う。


「すまぬが今は何世紀かのぉ?」


「二十一世紀です」


「なんと! それではお前たちの言うハンスは、(わらわ)が知っているハンスの子か孫か! はぁ……、時間とは残酷なものじゃのぉ」


無情な現実に水の精は、そうか……そうか、と泉の淵に腰をかけた。


「お子が死んでからそんなに経つのかのぉ……」


 寂しそうにしみじみと、昔を思い出す彼女の顔からは、恐ろしい<精霊>という雰囲気は全く感じられなかった。

彼女は本当にグリムアルムと共に戦ってきたのだと、その立ち振る舞いからもうかがえられた。


「あの……、精霊様はかつてグリムアルムに仕えていた<童話>なんですよね? それなのに、なんで男の人を泉に引きづり込むようなことをしていたのですか?」


「妾のお子……あぁ、狩人のグリムアルムのな、その子の子供を探しておるのだよ。

まだグリムアルムとして働いておるのなら、是非ともその子にお仕えしたい」


 揺るぎなき忠誠心。しかし本家本元の"狩人"のグリムアルムは、だいぶ前に途絶えてしまっている。


「残念ですが今はもう、フェルベルトとハウストの二家、それとハンスの家しか残っていません」


「フェルベルトとハウスト……。そうか、それでは妾たちの戦いは、<青髭>との戦いで終わってしまったのだな」


静かに頷くウィルヘルムに、精霊は更に眉間にしわを寄せた。



 仕えていたグリムアルムはもうどこにもいない。

それは、人の手から離れて自由の身になったという意味になるのだが、彼女は決して喜ばなかった。

なぜなら、彼ら(グリムアルム)が彼女にとって本当に大切な人々であったからだ。

しかし彼らはもうどこにもいない。


 突如現れた悲しみに、精霊はただただじっと遠くの空を見つめていた。

もう彼女の目から涙が流れることはないのだろう。それほどの長い年月を、彼女は一人で過ごし過ぎてしまったのだ。


「ねぇ、精霊様。精霊様が仕えていたグリムアルムって、一体どんな人だったんですか?」


「気が弱くって、のんびり屋で……、見ていて危なっかしいほどにお人好しな人であった。

しかし、いざという時は経験に基づいた判断を下す、とても賢い人でもあった。

あの子はあの戦いでも、仲間を救おうと懸命に戦っておったのだ。そして己の身を盾に、妾を守ろうとしてくれた……」


 精霊の話す優しい声に、その人がどれだけ素敵な人だったのかを垣間見ることができた。

桐子も話しを聞いて、とてもその人に会いたい気持ちになっていた。



「しかし……、主人を亡くした<守護童話>は、契約していた栞の中に封印されて、他のグリムアルムに回収される。と、そう言う風に聞かされているのですが?」


ウィルヘルムの疑問に、精霊はキッと顔を締めて彼を見る。


 確かに彼女は、"狩人の青い栞"の中にはいなかった。

代わりに<腕のいい猟師>が、新しく青い栞と契約して、その中に踏ん反り返っていた。


「ああ。主人を亡くした<守護童話>が、そのまま野に放たれて悪さをしないようにと、自動的に栞の中に封印されるのだ。封印の力は栞から流れ出ているからのぉ。

しかし、妾は<青髭>との戦いで、栞を破られそうになってしまった。

契約したままの栞を破られるのは、己の身を引き裂くみたいに痛くてのぉ。

あの子はとっさに契約を解消して、妾を栞から追い出したのだ。


 真っ二つになるのはなんとか免れたものの、深手を負った妾は意識を失ったまま、あっちこっちを彷徨い続けた。

回復するのにもだいぶ時間がかかっての、気づけば知らぬ土地にいた。

それでも妾はがむしゃらに、あの子の住んでいたハーメルンまでなんとか辿り着いたのだよ」



 <守護童話>ならではの苦労に、緊張しながら話を聞いていたウィルヘルムと桐子は深く息を吐き出した。


 戦い傷つくことはできても、死ぬことはできない。そんな運命の中を何十、何百年も生き続けている。

<童話>のすぐそばにいるウィルヘルムにさえ想像できない世界に彼は言葉を失っていた。

桐子に至っては精霊の気持ちになって、彼女の代わりに瞳を潤ませている。

だが当の本人(精霊)は当たり前のこととして受け止めているようで、「そうだ!」と何か別の事を思い出していた。


「この泉の周りに集まって、何かを作ろうとしていた男たちなら平気だぞ。

泉に引きづり込んだ後、ここで起きた記憶をすべて消し去って、自分たちの故郷へと帰してしまった」


 その話を聞いて、すっかりこの場に来た意味を忘れていた二人は、ハッと頭を起こさせた。


 つまり行方不明となっていた技術士たちは、依頼された仕事の事をすっかり忘れて、自分たちの家や故郷に帰ってしまったというわけだ。

だから依頼主であるオーナーにも、仕事を辞めると言った連絡が来なかったのだと、二人は深く納得する。



「それで、見つかったんですか?」


意地悪なウィルヘルムの問いに、精霊はもの悲しそうに視線を伏せた。


「頼みたいことがある……。主人の子孫を探してほしいのだ。どうしてもあの事件のことを謝りたい」


 最後まで一途な精霊の頼みに、二人が断る理由などどこにもなかった。

桐子は晴れやかな顔をして、精霊の冷たい両腕を取る。


「どんな特徴をしているか、教えてもらえませんか?」


桐子の質問に精霊はちょっと困ったような顔をすると、しばらく考え込むそぶりを見せる。


「髪は確かこげ茶色で……瞳は青っぽかったかのぉ。猟で生計を立てていて、あとは……」


「桐子、人の特徴を<童話>に聞いても無駄だぞ」


急なウィルヘルムの言葉に「どうして?」と素っ気なく返事を返す。


「<童話>には人を見分ける力がないんだよ。多少はあるだろうけれど……、大きいか小さいか、髪の色は何色か、性別は男か女か。自分の目で見た情報でしか人を判断できないんだ。


 お前だっていろんな国籍の白人が、一斉に並んでいたら誰がどこの国出身かなんて、すぐにはわからないだろ?

俺もアジア人が一斉に並んでいたら、どれが日本人なのかすぐには見分けられない。多分それと同じだ」


「そうだ……。いくら長く仕えていたとしても、初めの主人の顔も、最後に仕えていた主人の顔も、妾には同じようにしか見えぬのだ。あんなにも可愛がっておったのに……」


より一層、顔を伏せる精霊の姿に、桐子は頑固になって彼女から情報を得ようとした。


「名前は分かっているんでしょう? まだ町にいるのなら、きっと見つかるはず!」


「おい、そんなこと言って大丈夫か? そこそこ大きな町だったじゃねぇか」


「出来るだけのことはしようよ! とりあえず役所に行って聞いてみよう!」




 二人は急いでキャンプ場の出口へと戻ると、依頼主の代わりに彼らを待っていた部下の人に頼んで、ハーメルンへと直行した。


 精霊を町に連れて行く事も考えたのだが、完全に<童話>の力を取り戻した彼女を普通の人々の中に放り込むのは、一種の集団パニックを起こしかねないということで、彼女には留守番を頼むことにした。



 石造りの古い市庁舎。というわけではなく、白くて細長い菓子箱のような役所に二人は迷わずやって来た。

観光地として栄えている旧市街とは違い、ここは全くと言ってもいいほどに人がいない。

キーボードを打つ音と、仕事をする人の小さな話し声だけが待合室に響いている。




「申し訳ございませんが、本人様以外に戸籍情報を見せるのは、固く禁止されております。お二人はリッツ様とどういったご関係で?」


 受付カウンターに並ぶ子供二人相手に、受付嬢がぶっきらぼうに聞いてくる。

人を見下すような目つきから察するに、二人のことをかなり警戒しているようだった。しかしそうなるのも無理もない。片や見慣れぬ東洋人。もう片方は雨でもないのにしっとり髪が濡れている。

相手してくれるだけありがたいと、感謝すべき場面であるが、ウィルヘルムは大きくため息を吐くと白い栞を受付嬢に差し出した。


「せめてこの栞を、一番偉い人に見せてもらえませんか?」


 今度はいったい何事かと、警戒したままの受付嬢はサッと手早く栞を取った。

これには桐子も興味津々である。


 気だるそうに栞を見る受付嬢は、回転椅子を回して、後ろの席に座る彼女の上司にその栞を渡した。そしてコソコソと、ウィルヘルムとの会話を伝えている。

 話を聞き終わった上司は、急に椅子から立ち上がると、慌てた様子で事務室の奥にある偉そうな扉へと駆けて行った。そして二度、三度、扉を大きく叩くと、返事も待たずに入ってゆく。


「何したの?」


「ハンスに教わった裏技。グリムアルムを知っている人にしか通用しないんだが、今の時代、知っている人が少な……」


話している途中で、偉そうな扉が跳ねるように開かれた。

中から現れたのは頭のてっぺんが若干さみしい初老のおじさんで、彼はにっこりと笑いながら受付の方へと近づいて来た。


「いやはや、グリムアルム様ぁ!  ようこそ我が役所へっ!!  本日はどういったご用件で?」


 へりくだった男の態度に、桐子と受付嬢は仰天する。

身なりから察するに、男はこの役所の中でもかなり上の人だということが分かるのだが、彼はゴマをするように、ウィルヘルムに向かって手をこする。


「狩人のグリムアルム、リッツ家の人を探しているのですが、今はどこにいるのか分かりませんか?」


「リッツ様……ですか……。

グリムアルム様の情報は厳重に管理するように。と、散々言われ続けておりますので、調べるのには少しお時間を取らせていただきます。

あっ、こらキミ! 何をボサッとしておる! 冷たい飲み物をこのお二方に持ってきたまえ!

まったく……、気が利かなくって申し訳ございません。さぁさぁお二人方、奥の部屋でどうぞお待ちになってくださいませ」



 言われるがままに二人は偉そうな扉の、偉そうな部屋へと通される。

フカフカなソファーにドサっと腰掛けるウィルヘルムは、少しだけソファーのクッションに沈み込んだ。それを見た桐子は恐れおののいて、肘掛けにひっつくように縮こまる。


「外見は新しいが、古い役所でよかったな。前にやった時は新しい役所で全く通用しなかった」


 ウィルヘルムが自慢げにそう話していると、「失礼します」と先ほどの受付嬢がやってきた。彼女は満面の笑みで乾いたタオルとアイスティーを運んでくる。


 この数分で人間の裏表を見てしまった桐子は、その場の人たちにちょっとした恐怖を感じていた。



「グリムアルムって……本当になんなの? やっぱり怪しい集団じゃあ……」


「あっ!  怪しい集団ではないことは確かだぞ?! 信者とか、周りのヤツらの方がヤバイ」


「それじゃあどうしてみんな、変に律儀なの?」


まるで腫れ物を扱うかのように。


「それは……」


 急にどもり出すウィルヘルム。彼は何か別の言葉を探しているようであったのだが、平べったいファイルを持った例のお偉いさんが、申し訳なさそうに戻って来た。


「いやはや、お待たせしましたフェルベルト様。

大変言いにくい事なのですが、リッツ様の住民票をこの役所で見つけることはできませんでした。唯一残っていたこのファイルには、軍に全ての資料を渡したと、そう書かれております」


「あ、あー、なるほど」


「なるほど?」


「グリムアルムは戦時中、軍の特殊部隊に保護されていたんだよ。

オカルトかぶれなお偉いさんがいたみたいでさ、<童話>の恩恵を期待してたらしい。

 随分優遇されていたみたいだけど、グリムアルム自体は軍の手伝なんてしていないって話しだぜ」


 特に気にすることなく、軍との繋がりを説明するウィルヘルム。

 彼の言う軍隊とは、世界が極悪非道だと太鼓判を押す第三帝国のことだろう。

そんな悪をバックに従えていた過去があるだなんて、それを知る役所の人にとって、彼ら(グリムアルム)はとても恐ろしい存在なのだろう。


 全てを悟った桐子は、彼らに代わって、声を引きつらせながらも言ってやった。


「やっぱり怖いよ、グリムアルム」






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