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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第一幕
32/114

007<夏の庭と冬の庭> ― Ⅳ




 教会の鐘が細く高く鳴り響く。

黒く伸びた参列は小さな棺に次々と花輪を手向けていった。

「フェルベルト卿……。この度はご愁傷様でございます」

 教会の入り口で会葬者たちの相手をするフェルベルト夫婦に声をかけたのは、とても背が高い二十代前半の好青年であった。

 彼は少し長い髪を後ろの方で一つに束ねており、金ピカなフクロウのブローチを左胸のポケットの下につけている。着慣れないスーツなのだろうか、お腹当たりのボタンを何度もつけては外しを繰り返し、忙しそうに指先を動かしていた。

「やぁハンス君、久しぶりだね。君も立派な管理人になったみたいじゃないか」

「いいえ!! 私はまだまだ……父の偉大さを日々痛感するばかりです」

ハンスと呼ばれた青年は物腰低く、何度もフェルベルト夫婦にお辞儀をした。

「君のお父様も来てくれるとは思わなかったよ。姿を見た時はとっても嬉しかった。……体調の方は大丈夫なのかい?」

「はい、前よりかは幾分。ですが、万全という訳ではないので……。申し訳ございませんが、先に席の方で休ませてもらっています」

 彼が目配せた先には車いすに乗った男性が一人、柱の隅から小さな棺を眺めていた。

柱に隠れて顔は見えないのだが、後姿から察するにそこまで年齢の行っていない、若い印象を受けられる父親であった。だが、車いすの手すりに乗せた彼の腕は骨のように細く、触れれば簡単に折れてしまいそうなほどに弱々しかった。

 動けない父の代わりに、ハンスが白い花を持って参列の後ろに並んだ。そしてその列も時間が立てば短くなり、次は彼が棺の中に花を手向ける番が来た。

 沢山の花輪に囲まれた小さな棺のすぐ隣には、喪服を着た少年が花占いをするかのように供え物の花を一枚一枚ちぎっている。

「こんにちは、ウェルヘルム。覚えてはいないだろうけれど、九年ぶりだね。

私は君と……、妹のマリアちゃんが生まれた日に会いに来たことがあるんだよ」

優しい声で話しかけるハンスに、ウィルヘルムはツーンッとそっぽを向いてしまう。

そんな息子の態度をイルゼがキツく叱るのだが、ハンスは「気にしないで下さい」と彼女の方をなだめてしまった。そして彼はウィルヘルムに軽く会釈をすると、棺の中で眠る幼いマリアの黒髪に一輪、白い花を可愛く髪飾りのように挿してあげた。



「本日は娘、マリアの葬式に集まっていただき、大変ありがとうございました。

ささやかながら、レストランにて軽食の準備をしております。お時間がある方はどうぞ引き続きご参加願います」

 まだ心の傷が癒えていないであろうイルゼが、一生懸命に会葬者たちを案内する。彼女に言われた通り、参加できる人々はレストランの方へと歩いて行った。

「ウィルヘルムも早く行かなきゃ! クーラーがよく当たる席がとられてしまうよ」

 ハンスが、今度はおどけたようにウィルヘルムに声をかけた。彼の父はアルノルトと会話をしながら先の方を進んでいる。

 この時のハンスも、まだグリムアルムの(かしら)として十分な経験を積んではいなかった。少しでもウィルヘルムと打ち解けるようにと、アルノルトが気遣って彼ら二人を残していったのだ。

 しかしその気遣いも無意味であった。ウィルヘルムはハンスの言葉を無視して、一言もしゃべらずに教会の入り口を見つめていた。

 教会の前には新しい車が止まっており、葬式のスタッフたちが教会から小さな棺を担ぎ出している。

 彼女を運ぶ見知らぬ人たち。もちろん彼女も彼らを知らない。

葬式のスタッフたちが棺を車に積み込むと、ウィルヘルムたちとは反対の道、火葬場がある別の葬式場へと、彼女を一人だけ連れて行ってしまった。



 葬儀の予定は全てが終わり、会葬者たちは各々の家へと帰って行った。

ハンスは体調が悪いと言う父を車に乗せると、自分は急いで墓地の方へと戻って来た。

 埋葬だけは親族とグリムアルムの関係者たち……と言っても、今ここにいるのはハンス一人だけなのだが、とりあえずこの少人数で彼女の最後を見届けるのだと決めていた。彼らは墓地の中でも一番美しい、小さな花々が咲く生垣の前に集まった。

 マリアはいつの間にか火葬され、骨壺の中に収まっている。

骨壺は彼女の父にも母にも触れられず、ウィルヘルムがずっと大事に抱きかかえていた。しかも彼は、彼女を誰の手にも渡さない気でいる。意地を張って、周りの大人たちを静かに威嚇していた。

「……大変恐縮ですが、父を病院に送らなくてはいけないので」

 先にしびれを切らしたのはハンスだった。彼は困ったように懐中時計の文字盤をアルノルトに見せる。

「そうか……、お父様とも久々に話せてよかったよ。君もしっかりやるんだよ」

 アルノルトにそんな気がなくとも、余計なプレッシャーをかけられたハンスは辛そうに笑顔を作って、はいっと気持ちのいい返事をした。

「それじゃあね、ウィルヘルム。何か困ったことがあれば、いつでも私に相談するんだよ」

 背を屈め、子供をあやすように最後まで優しく接してくれたのだが、ウィルヘルムは最後までハンスとは口を利かなかった。が、しかし、この時ようやくウィルヘルムは口を開く。

「おまえのせいだ……」

その言葉にハンスは作り笑いをやめた。

「おまえの一族がっ! <童話>を逃がさなければ、マリアは苦しまなくってすんだのにっ!!

 何でマリアはまた熱い思いをしなきゃいけなかったんだ! どうしてマリアが死ななきゃいけなかったんだ!」

 どうして、どうしてと、涙をこぼす幼いグリムアルムに、ハンスはただ静かに「ごめんなさい」と言葉を返す事しかできなかった。

 ウィルヘルムの怒りはまだ終わらない。彼はポケットから白い栞を取り出すと「僕は<童話>が大っ嫌いだ!!」と形相を変えてハンスの胸元に栞を叩きつけた。

 突然のことでハンスはその栞を受け取る事ができなかった。栞はひらりと彼の足元に落ちていき、ウィルヘルムはそのまま屋敷の方へと逃げて行く。

 いつもは温厚な父も、今のウィルヘルムの態度には「ウィルヘルム!」と声を荒げて彼を呼び戻そうとしたのだが、ウィルヘルムが戻ってくるような気配は微塵もない。

 大切そうに栞を拾い上げ、汚れをはらい落としているハンスの表情は、いつもの微笑みに戻ってはいたのだが、やはりどこか寂しそう。

「息子がすまない事をした。栞は? 破れていたりは、してないか……?」

「大丈夫です。彼も大切な妹さんが亡くなって、大変心が乱れているのでしょう。今はあまり叱らないであげてください」

 ハンスは怒る事も呆れることもせず、ウィルヘルムのことを心配し続けた。

しかし、彼が帰り際「それでは……」と言って白い栞をアルノルトに返したのだが、その時の彼の顔は不安の色を浮かべた不自然な微笑みを作っていた。そしてそのまま彼は振り返ることもせず、彼の父が待つ駐車場を取り囲む雑木林の中へと姿を消していった。




 その日の夜、ウィルヘルムは枕もとのナイトテーブルにマリアの骨壺を置いて、一人ふかふかなベッドの上で自分の足を抱いていた。つい先日まで、二人寄り添って眠っていた柔らかなベットも、今はただ広くて冷たい石のように感じられる。

 今日は何とか死守することができたが、明日こそマリアは冷たい土の中に埋められてしまうだろう。

もう二度と触れられない。抱きしめる事もできなくなってしまう。

 恐ろしくも悲しい明日が来なければいいのにと、ウィルヘルムは壁掛け時計を睨んだが、暗闇の中で響く秒針の音が止まることは決してなかった。

眠らなければ明日は来ないのではないかと、子供の浅はかな抵抗を思い付いて実践しようとしたのだが、また一分、時計の針が進んでいた。

 ウィルヘルムはのっそりとベッドから下りると、骨壺を抱いて窓の外を見た。

窓の向こう側には夏の庭と冬の庭とが変わらぬ姿で眠っている。青い月明かりに照らされて、二つの庭は気味が悪いほどに美しかった。


――お庭さんを、怒っちゃ嫌だよ。


 マリアの最後のお願い。だけどその約束を今のウィルヘルムが守れる自信はどこにも無い。

今の彼は<夏の庭と冬の庭>を恨んでいる。マリアを殺した<童話>(張本人)を憎んでいる。

 ウィルヘルムもまた、ルドルフと同じようにマリアが死んだ理由を別のモノに求めていたのだろう。しかし結局のところ、彼は代わりのモノを心の底から恨む様な事はできなかった。

 叔父が言ったように、自分のせいでマリアは死んだのだ。自分が弱いから。自分が<童話>を警戒していなかったから。自分がマリアの気持ちを分かっていなかったから……。

 自分を責めようと思えばいくらでも責められる。だけどそんな考え、時間の無駄だ。そうしている内にもまた一分、時計の針は時を刻んでいた。

 イルゼが確か、明日の朝早くにマリアの骨壺を取りに行くと、ウィルヘルムに怒った声で言っていた。それは朝早くからマリアを埋めてしまうという事なのだろう。

 やっぱり明日なんて来なければいいのに。と、ウィルヘルムは強く願いながら骨壺を抱きしめて顔をうずめた。



『キーウィット!』



 どこからか、小さな鳴き声が聞こえてきた。

とても澄んだ綺麗な声。ウィルヘルムは急いで顔を上げる。

 夏の庭に生えている一本の大きなネズの木に、息をのむほどに美しい純白の鳥がとまっていた。鳥の羽はキラキラと、月明かりを反射させて七色の光をまとっている。堂々と胸を張るその鳥は、窓越しに佇むウィルヘルムの瞳をじっと鋭く見つめていた。

 ウィルヘルムはその鳥が一体何者なのかすぐに分かってしまった。

驚き後ずさる彼はポケットに手を突っ込みある物を探すのだが、目的の物が見つからない。

[そうだ! 栞はハンスの野郎に投げ捨てたんだ!]

 焦ったようにもう一度、鳥の方に目をやるが、鳥が飛び立つ気配はまったくない。

ウィルヘルムは鳥から目を離さずに、どうしようかと思考を巡らせる。そしてその思考が、とある決断にたどり着くと、ゴクリとつばを飲み込んだ。

 ウィルヘルムは急いで外着に着替えて、マリアの骨壺を抱え持つ。

音もたてずにゆっくりと、階段を一段ずつ下りるのだが、気持ちはゆっくりなんてしてられない。一階の玄関ホールを通り抜け、応接間の隣を過ぎていく。

 庭へ出る為の裏口に向かう途中、父の書斎室から<童話>の気配を感じ取った。

毎日嗅ぎすぎて飽き飽きしていた雪の匂い。そして温かな日差しの愛しい匂い。ウィルヘルムは疑問を持って、するりと書斎室に入り込む。

 綺麗に片付けられた机の上には、彼も愛読している童話集が一冊だけ置いてあった。その童話集の間には、ハンスに投げ捨てたはずの白い栞が、何事もなかったかのように挟まっている。

 再開の驚きも一瞬で終わらて、ウィルヘルムは素早くそれを抜き取った。そして裏庭の鍵を開けると、弾けるように外に出た。


 白い鳥は未だにネズの木の上にとまっている。庭に出てきたウィルヘルムに今もなお、呆れたような。しかし、愛おしそうな眼差しを送っている。

 ウィルヘルムはこの<野良童話>を封印するために、勇敢にも一人で立ち向かうのかと思ったが、全くもって違かった。

 彼は急いでネズの木の根元に駆け寄ると、雑草たちをかき分ける。そして木の根元にマリアの骨壺を静かに置くと、あろうことか、泥だらけの両手を固く組んで鳥の<童話>に祈りを捧げた。

「マリア……帰って来て……」

 彼の強い願いに答えるかのように、庭の草木が騒めきだす。

風がないのに木々は大きく揺れ動き、数多の枝先をこすり合わせた。

それはまるで、人が喜びの拍手をするかのように、<童話>は彼のおこないを大いに称えた。









 私はあなた達に神秘を告げよう

 我らは皆、永い眠りにつくわけではない

 我らは皆、変化する

 たちまち一瞬の間に

 終わりのラッパが鳴る時に


 死者は朽ちずに蘇り

 我々にも変化の時が訪れる


 そして記された通りの事が起きよう

 「死は勝利に呑み込まれた

 死よ、汝の棘はどこにある

 地獄よ、汝の勝利はどこにある」


   ――ドイツレクイエム第六楽章  コリント人への第一の手紙 より抜粋






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