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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
序幕
3/114

001<兵隊と指物師> -Ⅱ



『助けて……助けて、お願い』

 桐子の耳には未だに少年の声が響いている。

先のようにはっきり大きく聞こえる事は無いが、初めよりかは大分良く聞こえてる。

狭い路地と路地とが絡み合う町の大迷路。桐子は何の迷いなく、よく知る道を通るように走って行く。右へ左へ大きな道から小さな道へ。階段を全力疾走で駆けて登れば、坂道を転がるように降りていく。しかしもう体力の限界か。段々と息が苦しくなり、口の中に血の味が染み渡る。だが、彼女の足は止まることはなかった。

『お願い助けて、早く来て――……』

「待っててねぇ~……いま、おねえちゃんがぁっ…………迎えにぃ、行くかぁらねッ!」

 どうしてこうも見ず知らずの、姿も分からぬ少年の為に励ましの言葉を贈る事が出来るのか。

その理由はただ桐子が世話好きなだけだと言っても過言ではない。

特に困っている子供はどうしてもほっとけないのだ。そこが彼女の良い所であると同時に、トラブルに巻き込まれやすい性分なのだが、彼女はそれをわかっていない。


 次第と少年の声が大きくはっきりと聞こえてきた。

ここまで走ってきたのだ。だいぶ少年の元に近づいてきたのだろう。

彼の声も『早く。お願い、早く』と、より一層力がこもっていた。

 階段の踊り場から続く見通しの悪い一本道へと入っていく。人一人が入るのも目一杯なこの道は大小様々な建物に挟まれていて、一本道と言っても大変デコボコと曲がりくねっていた。だが、桐子は諦める事無くずんずんと道を進んでいった。

そして長いこと走り続けた桐子へのご褒美か。目の前に一筋の光が眩しく輝き始める。その光は正しく終点か。少年の声もその光の中から聞こえていた。



『早く……、早く……、早く!

早く僕を、…………連れ出して――……』



 力いっぱいに差し出した彼女の右腕が、まばゆい光をつかもうとする。

しかし建物の隙間から抜け出すとそこは何の変哲の無い建物に囲まれた小さな広場で、辺りを見回しても少年どころか人っ子一人いなかった。それだけではない。あの少年の声が、耳にかけたヘッドフォンを取ったようにどこからも聞こえなくなっているではないか。

「え! うそ? まじで?!」

いくら耳を澄ましても人の声どころか飛ぶ鳥の鳴き声すらも聞こえない。無音状態の広場に桐子は一人、ポツンっと取り残されてしまった。

 我に返った桐子はいまの状況からはただただ恐怖しか感じられない。異国の見知らぬ土地で迷子になる、これほど心細いものがあるものか。先ほどの勇敢な走りを見せた彼女はもう何処に居ない。心に大きな不安がのしかかると桐子は子猫のように小さく震えた。

「だ……誰かー。誰かいませんかー? えっと、イッヒハーベ ミッヒ フェリアト《道に迷いました》!…………」

今度は自分が助けを求める番。しかし彼女の声は誰にも届いていないようだった。

 潤んだ瞳でもう一度辺りを見まわした。どの建物もそっぽを向いていて、小さな窓一つついていない。ここから抜け出す道は自分が出て来た道と、あと二本。だが、その道も随分と入り組んでいるようで外に続いているようには思えなかった。完全に死角区域。助けを求めるのを諦めかけた。その時、一つの建物だけが桐子の方を向いていることに彼女は気付いた。

 おかしなことに、その建物は桐子が出てきた道の前に建っており、何故今まで気づかなかったのか不思議なぐらいに存在感が無かった。しかし桐子は藁にもすがる思いでその建物の扉の前に駆けて行った。



 どうやら建物は何かのお店のようだ。本が描かれた看板が吊るしてある。

「何の店だろう。マ……マァーじゃなくって、ムゥエールゥ、ヒィ……ェン…………!」

 メールヒェン。

その単語を読んだ途端、桐子の顔から不安の色がパッと消えた。それどころか、満開に咲く花のように、クリスマスプレゼントを開ける子供のように、純粋で無邪気な笑顔を一瞬にして浮かべてみせた。

「メールヒェン! ビブリオテーク! 童話の図書館?!」

 古い二階建ての一軒家。どう見ても一般家庭が住んでいるようにしか見えない家だが、かけてある看板には確かにそう書かれてある。足の疲れは何処へやら、嬉しそうに桐子はぴょんぴょんと飛び跳ねながらお店の扉にへばりついた。

「これは道を聞くためよぉ~。道を聞くためには現地の人、そう、お店の人に聞くのが一番なんだから……一番、なんだからっ!」

妙な自己暗示をかけると大きな深呼吸を一つつく。吸って、吐いて。大きく大きく吸い込んだ空気で頭と心を一新し、全ての空気を長く細く出し切ると「よし!」と覚悟を決めて強く扉をノックした。



 ドンドンドンッ――……



と重い音が低く鳴る。

渾身のノック音に叩いた本人すらも目を丸くして驚き、体を強張らせたがいくら待てども返事どころか人が出てくる気配もない。もう一度、今度はゆっくりノックをしてみる。が、やはり返事は返ってこない。

「え? うそ……いないのぉ……?」

留守なのか。舞い上がっていた彼女の心に再度不安の重しがのしかかる。

思い切ってドアノブを回してみたが扉は開かない。

「ああ~そんなぁ~……」

折角の助け舟だと思ったのに。っと悲しむ桐子に更なる酷な知らせ。教会の鐘が現在時刻を教えてくれた。今の時刻は午後三時ぴったり。二月は日が沈むのが早いので、門限の時間まであとわずか。ここで立ち往生してては一生、寮には帰れない。

 寮。という単語。その単語が思い浮かぶとやっと、置いてきた智菊の存在を彼女は思い出した。

『一度寮に戻ってるよ!』

確かそんなことを叫んでいたはず。一度戻るよっということは、またカフェに戻ってる……?

慌てた桐子はこうしちゃいられないと、自分が出てきた路地の方へと振り返った。取り敢えず記憶に残っている限りの道を逆戻りしよう。そうしたらいつしかカフェに戻るか大通りに出るかもしれない。そうと決まればそら早い。二人揃って反省文なんて洒落にならんぞと駆け出した。



 ――ガチャン!!



 乾いた音が、狭い広場に反響する。

何か止めていた金具が外れたような音。その音の鳴った方へと、桐子は静かにもう一度後ろを振り向いた。すると、あの、開かなかった図書館の扉が手招きするように、ゆっくりと開いていく。

その不気味な雰囲気。警戒すべきはずなのに桐子の心は我慢の限界か、十分に疲れ切っていて正しい判断を下すことが出来なかった。もう道に迷いたくはない。店の亭主に安心で安全な道を教わりたい。彼女は嬉しそうに、疲れた足を引きずりながらも開いた扉に手をかけた。


「お邪魔しまーす」

 小さな声を伸ばして図書館の中へと入っていく。そんな桐子を最初に出迎えたのは、高くそびえ立つ巨大な本棚たちであった。一階から二階まで吹き抜けとなっている天井の高いエントランス。壁の本棚にはびっしりと収められた本、本、本。

しかも内容は見えてる限り全て童話。伊達に童話の図書館とは名乗ってはいないようだ。

「わぁ!」と歓喜の声を上げる桐子は先まで考え巡らせていた不安や焦りと言った感情をパッと消し飛ばして、目の前の本たちに、あの純粋無邪気な瞳で見て回る。手垢まみれの背表紙をうっとりと見つめては手に取って読んでみる。

「この本知らないなぁ……あ! この本探してたやつの本場物! こっちは、シリアルナンバーが一桁?! やばい、ここは危険すぎるっ……本たちが!!」

今日見た店一の大当たり。本の虫の桐子にとってはまさに楽園と言える場所。今にも垂れてきそうなヨダレを堪えて気になる本を集めてみるが、ここは図書館と名のつく場所。売り物ではないと思い出すと「くぅ~」と急に悔しさがこみ上げた。



 そんな彼女の頭上から小さな笑い声が聞こえてきた。

あの少年の声か? いや違う。聞こえてきたのは少女の声だ。

「誰?」と恐る恐る上を見た。もしかしてお店の子供が、喜びはしゃぐ自分の姿を見て笑ったのかもしれない。そう思うと桐子は急にこっ恥ずかしくなってしまった。平常心を取り戻そうとしゃんと背筋を伸ばして持っていた本を丁寧に元に戻す。そして、店の子供が二階から降りて来る前に、恥ずかしさで赤くなった顔が早く元に戻ることを願って身構えた。が、そんな事など心配などせずとも、誰も桐子の前に訪れる者はいなかった。

「あれぇ?」

今の声は聞き間違えじゃないはず。とにかく誰か人に会いたいと思っていた桐子は、声の聞こえた二階の方へと、自ら迎えに行くことにした。

「すみませーん。道に迷ってしまって、帰り道を訪ねたいのですが」

しかし返事はこない。

「誰かいますかー?」とさらに階段を登る。

ついに二階まで着くと、手すりから見下ろす幻想図書館の絶景に感激する。が、誰一人の影も見つけることは出来なかった。

 一階よりも貴重で高価そうな本が桐子を相変わらず誘惑してくる。しかしもういい加減、帰らなくては、待たせている智菊に殺されかねん。彼らの甘い誘いを懸命に断り続けて奥の方へとさらに進んだ。

「すみませーん。お嬢ちゃん、いるのー?」

床にも積まれている大量の本たちを踏まないようにと歩いて行くと、導かれるようにとある机の前にたどり着いた。

 本に埋もれた古い机。使い古されたその机は、一つ手を触れてみたいと思うほどにとても魅力的に思えた。ゆっくりと丁寧に手をかける。なめらかに、ラインをなぞる様に手を滑らすと、カチリッと鍵が開いたような音がして、引き出しがひとりでに開いてしまった。飛び出した引き出しにビックリした桐子は、引き出しの奥にバネか何かが仕掛けられていて、自動的に開くカラクリなのだと、自分に言い聞かせて動揺を抑え込んだ。

 引き出しの中には、目に焼き付くほどに真っ赤な色した表紙の分厚い本が収まっている。だいぶ年季が入った 代物で圧倒的な存在感につい桐子は本を手に取ってしまった。

唾を飲み込みゆっくり表紙をめくって開ける。

〈子供たちと家庭の童話〉と書かれた遊びの紙と目次のページ。

タイトルを読み終えると同時に桐子の瞳が三度光った。どうやらこの本は彼女のお気に入りの童話集のようで、楽しそうに次のページをめくった。が、この童話集、どこかおかしい。

 第四番(KHM004)が書いてあると思ったら、第五番(KHM005)が丸々一話分書いてない。次々とページをめくってみると、同じように文字がびっしりと書き込まれたページと、空白のページとが不規則に入り混じっている。何故だろう。不良品かと桐子はうんうんと頭を悩ませた。と、その時、後ろから「誰だ!」と低く、大きな声が彼女に呼びかけた。声に驚いた桐子は勢いよく持っていた本を閉め、声のした方に振り返る。そして今度こそ、彼女は声の主を拝むことが出来た。

 中世時代の服装を思わせる、体のシルエットを強調した黒いロングドレスを身にまとう高身長の男性が……そう、男性だ。大男。ドレス姿のこの男性は百九十センチはあるだろう。その、大男が声を張り上げて桐子に注意した。彼の放つ威圧はとてつもなく重く恐ろしく、桐子は小さく身をすくめる。

「何をしている。この建物は関係者以外立ち入り禁止だぞ」

そう言うと男は桐子の首根っこを掴み、玄関の外へと放り投げた。そして勢いよく扉を閉めると、ガチャリと大きく鍵がかかる音がした。

「違うんです! 何が違うとかは置いといて……私、道に迷っちゃって……」

桐子は声を荒げ、何度も激しく扉をノックする。

すると、あまりにも五月蠅かったのか扉が少しだけ開き、先の男が見下ろすように覗き込んできた。

「後ろに真っ直ぐ、二つ目の家の角を右に。狭い道でも気にしないで。ずっと行けば大通りに出るから」

無愛想な声で言うが彼は指先で丁寧に道順を教えてくれた。しかし桐子が「ダ……ダンケ シェーン《有難うございます》」と声をかけるか否か、さっと扉は閉まり、今度こそカチャンっと開きそうもない音を立てて施錠されてしまった。

「やっぱり、これって……不法侵入だから怒ってるんだよなぁ」と桐子は申し訳なさそうに立ち尽くす。感謝の気持ちも言い切れぬままなのが気持ちが悪いのか、桐子は建物に会釈して、教わった道順通りに、智菊が待っていると思われるカフェか学生寮へと向かうことにした。



 後ろに真っ直ぐ、自分が出てきた元の道に向かって振り向いた。

「あれ? あの路地、あんなに広い道だったっけ?」

と言うのも最初に桐子が通った道は、ギリギリ彼女が入れるぐらいの広さだったのに、今見るともう少し余裕ができている。と思う。桐子は両手を広げて道の広さを図ろうとした。

しかしその時、チクっと右手に針が刺さったような鋭い痛みが彼女の指先を刺激した。

「イタッ!!」

驚き右手を勢いよく引っ込める。人差し指を見てみるとパックリと指を切ってしまっていた。傷口からは大粒のルビーのような血の玉が滴る。

「うへー、痛いなぁ」

気付かなかったが、右の壁には白くて細いイバラのようなものが絡みついていた。これで指を切ってしまったのか。桐子は切った指をパクリとくわえて血をすする。

止血しようと何度も血を吸うがなかなか止まらない。ポケットからハンカチを取り出して裂けた傷口にくるりと巻きつけて強く結んだ。これで大丈夫かと応急処置をした指先を見ていると、

じわりと滲み出てた血の赤が白いハンカチを汚していった。予想以上に傷は深いもののようだ。

うげっ、と気が悪そうに顔をしかめり、もう一度、傷をつけた犯人を確認しようと顔を見上げた。が、イバラ何てもの、どこに見当たらない。

「はれ? 見間違い?」

本当に見間違えだったのか。右手前には白くてゴツゴツとした建物の壁がある。壁に指を引っ掻いたのか。しかし別には壁に鋭くとがった場所も、釘が飛び出ている場所もない。

首をかしげて疑問に思うも、その謎を解明している時間も惜しいほどに日は暮れていた。

とりあえず道の幅は、先は必死に走ってきたから大きく腕を振って狭く感じていたのかもしれない。気のせいだろう。そう結論付けて聞いた道案内を再開する。建物に突き当たり、右に曲がる。そしてずっと真っ直ぐ。狭い道でも気にせず進む。ちゃんと聞いた通りに桐子は足を進め、路地の狭い道へと入っていく。


 彼女が路地に入って数秒もしないうちに、あの広場に扉が開く音が響いた。

図書館の玄関扉が小さく開き、男が顔をのぞかせる。もう広場には誰もいない。

しかし彼は誰かを探すように辺りを見回して「あれ?」と艶っぽい声を小さく漏らした。

「気のせい……じゃないわね」







* * *







 場所は変わり、同じ町でも教会の塔の上。

すんすんと鼻を鳴らす一つの影が、手すりに座って下に広がる町を一望する。何処からともなく漂ってくる甘い香りを嗅いだ影は「匂う……かすかに、……薔薇に似た匂いだぁ」と言って、ゆっくり手すりに立ち上がる。影は大通りを歩く人々の中に、急ぎ足で歩く一人の少女を見つけ出した。長い髪を一本の三つ編みに束ね、マフラーのように首に巻いた一人の少女。

その少女をじっと見つめた影はニタリと無邪気に笑ってみせた。



「新しい<童話>……見つけた!」






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