006<腕のいい猟師> ― Ⅱ
「叔父さんと何、話してたんだ?」
一階の食卓に四人が集まると、ハンスは新しく戸棚からパウンドケーキとクッキーを取りだした。ちょっとした豪華なお菓子パーティーに桐子とマリアの目はらんらんと輝き、美味しそうにそれらを頬張っていく。
「色々。そう、クラウンのことも話したわ」
「クラウン?! 何て言ってました?」
お菓子を食べることに夢中だった桐子が急に話しに乱入する。ハンスは驚き、体を強張らせるが、真剣な顔をしながらも菓子クズを口につけた桐子が可笑しくって、ついクスッと小さく笑ってしまった。
「彼はまだ会ってないって。だから会っても喧嘩の売り買いはしないようにって忠告しといたの」
「そうか……」
ウィルヘルムは深刻そうな声で納得するが、桐子は安心したような表情を浮かべ、崩れるように背もたれに寄り掛かる。
「本当に可笑しいわね。どうしてそこまでクラウンの身を案じるの?」
「だって、クラウンは私の友達だから。喧嘩みたいな危ないことはしてほしくないんです。
確かに、彼女からは怖い思いばかり合わされましたけど、その後ちゃんと話したら理解してくれたし、それに今ではものすっごく私に懐いてくれていて……その、とっても可愛い子なんですよ!」
興奮しながら自慢の友人を説明する桐子を、まるで子を持つ親のように、ハンスは嬉しそうに頷きながら聞いていた。
「とっても素敵ね。私も友達になれるかしら?」
「絶対になれますよ! 私が紹介しま……」「なれるわけがないだろ」
今度はウィルヘルムが急に、桐子をバカにしたような気怠い声で会話を遮る。
「なーにが可愛いだ。おいハンス、あいつはグリムアルムを恨んでいる。となると、お前が一番恨まれているはずだ。なにせ俺たちの頭だからな」
「あら、試してみないと分からないわよ。桐子みたいに彼女と話し合えば仲良くなれるかもしれないわ。私だってクラウンとお友達になりたいの」
珍しく桐子たちの前で自分の言葉を言うハンス。それには桐子も嬉しくなって、彼の言葉に頷いた。しかし
「そういう問題じゃなく! クラウンはグリムアルムってだけで俺やハンスの事を敵とみなしているんだ! お前の事だって一人の人間ではなく、一人のグリムアルムとして見ている。
つまり、お前がグリムアルムを止めない限り、クラウンとお前は友達同士にはなれない! お前には一生無理だってことだ!!」
今日のウィルヘルムは、どうも虫の居所が悪いようだ。普段は楯突くこともないハンスに対して随分と立派な口を叩く。
それに対してのハンスの答えは、怒ってるとも呆れているとも捉えられない。何と言うか……彼に親しい人でも例えづらい笑顔をウィルヘルムに向けて浮かべていた。
「そう……それは残念ね」
「そんな事ないですよ! グリムアルムの事だって、ちゃんと話せば分かってくれますって!」
根拠のない慰めに、ハンスは「ありがとう」と優しい声でお礼を言う。しかしその時の彼の表情はもうすでに、いつもの無表情的な笑顔に戻っていた。
折角、ハンスともお話しが出来たと思った桐子はウィルヘルムの事をキツく睨んだ。しかし彼はそれに気付いていないようだ。仏頂面のへの口でもりもりとお菓子を食べていた。
「それはそうと桐子、外はまだ明るいけれど、門限とかは大丈夫?」
そう聞かれた桐子は何気なしに時計を見る。時刻はすでに五時四十五分。ゲッと大きく顔を歪ませ、桐子は急いで帰りの支度をし始めた。
寮の門限まであとわずか。昨日も暗くなってから帰ったので門限はとっくに過ぎており、桐子は随分、管理人に怒られてしまっていた。二日連続で門限を破れば、今後外出許可を取る時の手続きが大変になるだろう。
「ご馳走様でした! すっごく美味しかったです。けど、あの、もう今日は帰ります! 門限破ると反省文書かされるんで……」
「まぁ、それは大変ね」
食器を片付ける桐子を見ながら、ハンスはクスクス笑っていた。
彼とも二ヵ月近く会っている。何となくだがその笑顔はお世辞ではなく、自然と出てきた本当の笑顔であると、そう思えた。
玄関の外に出ると当たり前のようにマリアも一緒についてくる。しかし今日は警戒心を怠らないウィルヘルムが「マリア、今日は家にいろ」と彼女にキツく警告した。
「何で? もう大丈夫よ。帰ったのでしょ?」
マリアの言葉にいつも甘いはずのウィルヘルムは、怒った顔をして無言のまま彼女を睨む。
まだ叔父のことで何か心配しているのだろうか。そう考える桐子は、ウィルヘルムの異様な警戒心に少し疑問を持ち始めていた。
「ルドルフさんならだいぶ前に帰ったんだし、もうここら辺にはいないでしょ。何か後ろめたい事でもあるの?」
「…………」
質問の返事は帰ってこない。ウィルヘルムは唇をかみしめ、未だにマリアを睨んでいる。
そんな彼に痺れを切らしたのは桐子ではなくハンスの方だった。彼は腕を組むと大きくため息をついて桐子に説明する。
「この子たち家出兄妹なのよ。だからあんまり親族には会いたくないの」
「えぁ? 家出?! それで逃げてたんだぁ……」
彼が叔父に対してとっていた態度の納得いく理由。そして、先の仕返しのように秘密をばらされたウィルヘルムは「バカっ! ちげーよ!」とハンスに悪態を吐いて隠そうとするのだがもう遅い。桐子は眉を細めてウィルヘルムの事を見つめていた。
別にこれは彼のことをバカにしたり、憐れんでいるわけではない。家出するような過去があることに意外性を感じて、そうゆう表情になってしまったのだ。
だがウィルヘルムから見てみれば、あの、お節介焼きの泣き虫桐子に同情されている。っという屈辱的な事実に腸が煮えくり返りそうになっていた。
「大丈夫よウィル。私、桐子ちゃんともっとお話ししたい!」
彼らの間に巻き起こる不穏な空気に全く興味を示さないマリアは、可愛らしく桐子の腕に抱きついた。そして、じっとウィルヘルムの顔を見つめておねだりする。もう可愛いを通り越してあざとい表情を浮かべるマリアに、ウィルヘルムはついに根負けしてしまった。
「いざとなったら俺が絶対、守るから……」
覚悟を決めて、顔を引き締めるウィルヘルムはポンっとマリアの肩に手を置いた。彼女は変わらず「うん!」と嬉しそうに返事をするが、腹をくくるほどの家出劇だったのかと、桐子は更に驚き、ハンスはすっかり呆れかえっていた。
「それでは、また明日」
兄妹二人の世界に挟まれて、窮屈そうな桐子はハンスに一礼して帰路につく。それに応える様に彼も小さく、桐子の武運を願って手を振った。
三人は図書館の広場を出ると、川に接した大通りを歩く。日の光を浴びた川はキラキラと、光を小さく反射させて道を明るく色飾っていた。
桐子の腕を抱いたままのマリアは、ぴょんぴょん楽しそうにスキップする。今日の朝は何をして遊んでいたのか、何の童話がおすすめか。桐子の母国、日本にはどんなおとぎ話があるのか。何の当たり障りない、他愛無い会話に少女たちは花を咲かせていた。
「でもまぁ、お前もいい加減<童話>との付き合い方とか分かってきただろうし、<童話>に襲われても図書館の場所を知ってるんだ。もう俺たちの送り迎えが無くても大丈夫だろ?」
ウィルヘルムの寂しい言葉に少女たちは頬を膨らませ、声を合わせて「酷い!」と彼を非難した。
「冷たいよウィル! 訳の分からない<童話>に憑りつかれて、今でも不安でいっぱいなのに!」
「そうよ、ウィル! グリムアルムらしからぬ発言よ!」
双方から酷く攻められ、煩わしさを感じるウィルヘルム。彼は二人の間から逃れるように、あたかも自分は正しいといった、堂々とした振舞いで一歩先を進んで歩いた。
そんなどこか微笑ましい子供たちの帰り道は、とっても平和なものだった。
大げさに話を盛り上げて笑いを誘う桐子と、迷惑そうにしながらもちゃんと聞いて、受け応えてくれるウィルヘルム。それをみてマリアは楽しそうに笑っている。
桐子が心配しなくとも、彼らとの関係は何処にいても一緒であった。気遣いしなくとも、その絆は壊れはしない。そう思えるほどに三人の友情はきつく結ばれていたのである。
柔らかな黄色い日差しが町を包み込み、三つの影が長く伸びる。今日と言う日を最後まで味わおうとするように、子供たちの影は未練がましく来た道に落ちている。
それでも歩き続ければ勝手に前に進むもの。閉店時間を迎えて締め切った狭いショッピング街を進んで行けば、寮までの距離はあと半分。
まだ半分か、もう半分か。それはその子たちによって感じ方は違うだろう。しかし桐子にとってはもう半分だ。それはきっとマリアも一緒。残念そうに強く手を握りしめ、顔を合わせると二人は寂しそうに微笑んだ。そしてその時、その一瞬、マリアの体を何かがかすめる。
不意に立ち止まる彼女に桐子とウィルヘルムも不思議そうに立ち止まる。
「? どうしたのマリア」
まだ桐子とさよならしたくない。そんな駄々をこねているのであれば、どんなに可愛いかっただろうか。彼女は道の先を真っ直ぐ凝視し、無表情のままで動かない。
不安になる桐子は、具合が悪くなったのかとマリアの目線に合わせてしゃがむ。ウィルヘルムも、彼女の周りに何か変なものでもあるのかと、注意深く見て回った。すると彼女の足元には、砕かれた石畳の小さな欠片が転がっていた。
ウィルヘルムは更に注意深く観察する。うっすらと土埃の臭いがして、砕かれてから全く時間が経っていないと推測した。彼は一番大きな欠片を手に持ち、もっと近くで見ようとする。
拾い上げた欠片の下、キラリと何かが鈍く光る。目に映った光に疑問を持ったウィルヘルムは、欠片を片手にその光の正体を知ろうとした。
鉛玉だ。緑がかった鉛の玉。直径六ミリほどの鉛玉が地面に半分めり込んで、不気味な雰囲気を醸し出している。
それを知ったウィルヘルムの顔から一瞬にして血の気が引くと、彼は急いで後ろを見た。
彼らが出てきた分かれ道。その反対側の、建物に挟まれた外階段の踊り場に、猟銃を構えてこちらを狙うルドルフの姿がそこにあった。
「え?」
突然な事で混乱する桐子。彼女をよそに、ウィルヘルムは己の身を盾にしてマリアを隠す。
「叔父さん、もう帰ったのではないのですか?」
「おいおい、そんな邪険に言わないでくれよ。五年ぶりの再会だぞ?」
先ほど図書館で見せた優しい微笑みのままウィルヘルムたちの方へと下りてくる。その微笑みは偽物の笑顔だと見破られてしまうほどに、わざとらしかった。しかも彼は猟銃をウィルヘルムの方に向けて、一時も照星から目を離さない。
「おい、そこの。今度は外さねぇぞ」
引き金にかけられた人差し指に震えはない。
「やめて! ウィルやマリアはルドルフさんの甥っ子、姪っ子でしょ? 何でそんなことするの!」
桐子の叫びにルドルフは、もう一度ニッコリと笑い直す。そして彼女の問いに優しく答えた。
「我々グリムアルムの役目は<童話>の封印だ。だから今、封印しようとしてるんだよ」
「え? 何を言ってるの? ウィルやマリアは<童話>じゃ……」「それはマリアじゃない」
ルドルフの威圧的な低い声が、三人の心に重く圧し掛かる。
猟銃をゆっくりと降ろし、自分の両眼で汚いものを再確認するかのように、ルドルフは小さな少女を見下ろした。
彼の言葉に桐子は固まった。そして、自分の手を握る小さな少女に視線を合わせるが、彼女はただ、無表情のまま叔父の顔を静かにじっと見つめていた。
「私がマリアを殺す? そんな馬鹿な事、あるわけないだろう。
私の可愛い可愛い姪っ子のマリアは、五年前の夏に死んだ。私は火葬されるマリアの棺をちゃんと見届けたから、間違いない」
五年前? 棺? 死んだ……?
その場では理解できない単語が続く。
今年の二月。桐子がマリアたちと出会ってからほぼ毎日、彼女はマリアと一緒に遊んだり、お菓子を食べたりして同じ時間を過ごしていた。
会うたびに無邪気な笑顔を見せて、楽しそうに桐子とお喋りするマリア。
兄のウィルヘルムを誰よりも思いやる優しい心を持つマリア。そんな彼女が実は死んでいる……?
「なあ<童話>。何でそんな姿をしているんだ?」
怒りと憎しみが混じり合う、低い声でルドルフは少女に問いかける。少女はルドルフの質問に答える気はなく、何かをブツブツ唱えていた。
「私は、マリア。フェルベルト家のマリア。マリア・フェルベルト。
兄はウィルヘルム・フェルベルトで、私は彼の妹なの。名前はウィルがつけてくれた。お気に入りの自慢の名前。歳は八つ、好きな童話はネズの木で、それから、それから……」
それはまるで、自分に暗示をかけているような呟きだった。
ウィルヘルムは振り向くこともせず、少女に左手を差し伸ばし「大丈夫だ。安心しろ」と彼女をなだめる。彼女も桐子と繋いでいた手を離し、ウィルヘルムの左手を強く両手でつかんだ。
「ウィルヘルム。まさか<童話>と兄妹ごっこをしているとはね。なぜ君がフェルベルト家の名を継げたのか不思議でならないよ。
マリアの皮を被ったソレは君が使役する<童話>かい? このままフェルベルト家の名前とともにいただくとするよ」
ルドルフは素早く猟銃を構え、間髪入れずに引き金を引いた。息をもつかせぬその早業に、三人はその場で身を強張せる。
――――ダンッ
乾いた音が鳴り響く。威嚇射撃だったのか、ウィルヘルムの後ろの足元を狙撃した。
本当に狙撃した。その事実に桐子は恐怖し、ウィルヘルムは激怒した。
「やめろーー!!」
ウィルヘルムは声を張り上げ、自分の叔父であるルドルフに向かって飛び出した。
彼も一瞬にして<童話・七羽のカラス>を身にまとい、ルドルフの行く手を妨害する。今まで見てきたどの動きよりも鋭く素早いカラスの流れに、流石のルドルフも己の身を守る事を優先した。
『桐子! マリアを連れて図書館に戻れ! 早く!』
そうは言われても、桐子は未だにこの状況を理解できずに固まっている。すると少女が桐子の手を取り、急いで路地裏へと逃げ込んだ。
「どこへ逃げても仕留めてやる。この化け物め」
ルドルフの瞳に暗い影が落ちる。
逃げだした彼女たちの後ろ姿を、彼は憎しみのこもった眼差しで強くジッと見据えていた。