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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第一幕
23/114

005<兄と妹> ― Ⅳ




『あるじ様! 見つけやした! 西の方角です』

 暮れゆく紺色の空を渡って、一羽のカラスがウィルヘルムの元へと帰ってくる。

バルコニーで待機していたウィルヘルムがそのカラスに手を差しのばし「ご苦労!」と言うと、カラスはその腕に止まろうとした。が、次の瞬間、カラスは一枚の黒い羽根に変わり、ウィルヘルムの腰ポケットにしまわれてしまう。


 <妹>の場所を突き止めたウィルヘルムは早くマリアにこの事を知らせて、あの鹿野郎を追い出そうと、そう強く思っていた。彼は急いで自分の部屋からとび出すと、短い廊下を駆けぬる。そしてマリアたちがいる本棚の部屋の扉を開けようとした時だ。扉の向こうから話し声が聞こえてきた。

 一体何の話をしているのだろうか。自分への悪口か? ウィルヘルムは音を立てずに小さく扉を開くと、息を殺して聞き耳を立てた。



「マリアはそんなにこの子のお願いを叶えたいの?」

 桐子はこの子と呼んだ金色の<子鹿>を優しく撫でる。マリアはにっこりと笑って「うん」とうなずいた。

「お兄さんと離れ離れになるのってね、とっても寂しいことなのよ。だから放っておけないの。

 ヨンヘルを見つけた夜もね、ずっとこの子は妹の名前を呼んでたの。だからね、私、思わず外に飛び出して、走って助けに行っちゃった。早く妹ちゃんが見つかると良いね」

 ヨンヘルの首を抱きしめて、彼の背中に頭をのせる。ヨンヘルもそれに応えるように、マリアの頭に顔をすり寄せた。


 彼女たちの会話を一通り聞いたウィルヘルムは、静かに扉を閉めると自室に戻ってバルコニーに出る。

 目元だけではなく、顔全体に疲労の色が出ていたが、それでも彼は己の身をマントに包み、大きなカラスに姿を変えて西の空へと飛び立った。




 暗い夜がまたやってくる。

にぎわう繁華街とは真逆な古くて寂しい、湿った広場に一羽のカラスが舞い降りた。

 カラスがくるりと一回転すると翼は黒いマントに変わり、中からウィルヘルムがトンっと石畳に靴音を鳴らしながら現れた。

 辺りを見渡すも誰もいない。ゆるい坂に囲われたこの小さな広場は、図書館の前の広場とは違い、沢山の飲み屋が並んでいる。しかし今日はどの店もお休みなのか、明かり一つついていない。古ぼけた可愛い看板も不気味に見えるほどの寂しさが、辺りの空気を支配する。

 しばらくすると店の向こう側の濃い暗闇から、レースのように薄くて白い女性の影が、スーッと現れてウィルヘルムの前を横ぎった。



<兄と妹>

 むかしむかしある所に、魔女の継母に虐待されながらも仲睦まじく暮らす二人の兄妹がおりました。しかしある日、お兄さんが「こんな生活もううんざりだ!」と言って大きな森へと、妹と一緒に家出をします。

 しばらく歩いているとお兄さんは、喉が渇いてしまったので美味しそうにふき出している泉の水を一口飲んでしまいました。すると何ということでしょう。お兄さんの姿は一瞬にして美しい子鹿になってしまいました。実はこの泉、魔女の継母が湧き立たせた呪いの泉だったのです。

 妹の方は水を飲まずに助かりましたが、鹿になってしまった愛しいお兄さんを見て三日三晩、悲しみに任せて泣き続けました。

 そして、鹿となったお兄さんと一緒にひっそりと森で暮らすことになったのです。


 それから長い年月が経ち、森で狩りをしていた王様とそのご一行が、子鹿のお兄さんを追って兄妹たちの住む小屋を見つけてしまいました。

 子鹿のお兄さんと暮らす美しい妹を見た王様は、一目で彼女に恋をします。

すぐに王様は彼女に求婚し、国に帰ると壮大な結婚式を開きました。赤子も産まれて幸せな生活が続きます。

 しかし、そんな話しが面白くないのが継母の悪い魔女です。

 魔女は自分の娘を連れて王様の城へと向かいました。そして自分は侍女に姿を変えると、お妃さまとなった妹を騙し、地獄の炎で彼女を焼いて殺してしまいます。

 急いで死んだ妹の代わりに自分の娘を妃として送り込むと、魔女の親子は幸せ一杯にお城で暮らしましたとさ。

 ですが城には妹の幽霊が、夜な夜な赤子と鹿の世話をしに現れます。



『私の子供はどこにいるの?

私の鹿はどこにいるの?』


 白い影が、すすり泣くような声で囁いている。その声を聞き、ウィルヘルムは「見つけた」と息を飲んで彼女に近づいた。

「おい、お前。お前んところの兄貴に迷惑をかけられているんだ。さっさと迎えに来てくれないか」

その声に振り向く白い影。

『私の兄さん、知ってるの?』

「あぁ。うちで預かっているから早く……」

ウィルヘルムが言葉を言い終わる前に、妹の霊は彼の方へと手を伸ばす。そして彼女の手から真っ赤に燃える火の玉が現れると、ウィルヘルムに向かって放たれた。

 攻撃してくるとは思ってもいなかったウィルヘルムは、避けるタイミングを逃してしまい、とっさにマントで火を防ぐ。

 おかげで火だるまにはならずにすんだが、マントは焼き焦げてしまい使い物にはならない。急いでマントを脱ぎ捨てると、ウィルヘルムは店先に立てかけてあったモップを拝借し、<氷の童話>の力をそのモップの表面に流しこんだ。

 モップは一瞬にして氷漬けになると、中世の片手半剣のような重厚感をもった美しい氷の剣へと姿を変える。

「炎相手に不利だけど、抵抗するならお前を……」


――お兄さんと離れ離れになるのってね、とっても寂しいことなのよ。


瞬時、マリアの言葉が頭の中をよぎった。

「離れ離れ……」

 白い影を見ると『かえして……私のお兄さんをかえして』と彼女は両手で顔を覆いながら涙を流している。

 この妹もずっと兄と離れ離れだったのか……。それはいつからなのか。本から抜け出してから二百年近くずっと会っていないのであれば、それはとっても残酷なことだ。

 ウィルヘルムの剣を構える手が緩む。すると、今度は彼女の悲しみに応えるかのようにウィルヘルムの足元の、石畳の隙間から水の壁が湧きだした。

 水圧に任せてウィルヘルムの氷の剣が宙を舞う。あまりの強い勢いに、剣は真っ二つに割れてしまった。

『私のお兄さんはどこにいるの? 私のお兄さんをかえしてちょうだい』

「まて、落ち着け! 俺はお前と戦いに来たんじゃない! 俺はお前を、お前のお兄さんの所に連れて帰ろうとしているだけだっ!!」

しかしその声は届いておらず、また彼女はウィルヘルムに向けて両手を構えた。

「止めてくれ! 頼むから俺の話を聞いてくれ!」

 ウィルヘルムの悲痛な声。しかし彼女の手には真っ赤な火種がともってしまう。集まった火の粉は大きな塊となり、彼女の手から解き放たれる。

 何とかして防がなくてはと、ウィルヘルムは空気中の水分を凍らして氷の盾を作ろうとした。しかし<童話>の力を使いすぎた疲労のせいで分厚い盾が作れない。

ダメだ。間に合わない! そう思った瞬間、

「なーに、ごっこ遊びしてんだよ。この腰抜けが」

と彼を貶す声が、ウィルヘルムの背後から聞こえてきた。

 振り向き、姿を確認しようとするも、声の主の動きは素早く、あっという間にウィルヘルムと火の玉の間に割って出る。そして己の大剣で火の玉を切り裂くと、跡形もなく消滅させた。

「クラウン! てめぇ!!」

 ウィルヘルムが叫ぶように声の主を呼ぶ。しかし彼女は止まる事なくそのまま<童話>にも切り掛かった。


 とっさに出された目くらましの火の玉を、幾つも切り裂き前進するクラウン。しかしその刃は火の玉を切るだけで、肝心の<童話>にはかすり傷一つけていない。だが<童話>の方は力の限界が近いのか、段々と火の威力が弱まっていた。

 急な乱入者にウィルヘルムは威嚇する。それでも彼女はそんな事お構いなしに、剣を構えて<童話>を睨んだ。

「やめろクラウン! 彼女はただ、自分の兄を探しているだけだ!」

「ただ兄を探しているだけ? 本当にただそれだけか?

 封印が解かれてからの今日(こんにち)、コイツらはずーっと探し合っているだけの生活をしていたと言えるのか? それじゃあ何でお前は今、襲われていたんだ?」

「それは……それは<彼女>が勘違いしているからだ! 俺たちは彼女の兄貴を保護したが、彼女は俺たちが兄貴を捕まえたって思っている。だから攻撃をっ!!」

「本当にそれだけか?」

 クラウンの氷のように冷たい目つきがウィルヘルムの心に突き刺さる。そのあまりにも冷徹な眼差しに、ゾクッとした寒気が背筋を撫でた。

 何も言い返せずにいるウィルヘルムと答えを待つクラウン。氷に閉じ込められたように冷たくなった空間の中、<童話>の熱い炎が二人に向けて放たれた。

 その炎は憎しみと苦しみ、そして悲しみに燃える地獄の炎。ウィルヘルムたちは可憐にその炎を避けることができたのだが、炎の中に秘められた彼女の嘆きに感化され、ウィルヘルムはなぜだか泣き出したい気持ちで一杯になってしまった。


「<童話>は存在するだけで人々に害を与える巨悪だ。だからグリム兄弟はその<悪>を封印したんだろ? 本来ならばこの仕事はお前らグリムアルムがやる事なのに、いつまでたっても集めないから、オイラがこうして<奴ら>を捕まえているんだ。それを今更、チンタラと……」

「そう言ってお前は桐子を斬れるのか? 桐子に憑りついた<童話>が祓えなかった時はどうするってんだ?」

 愚問と言いたげにクラウンはウィルヘルムを鼻で笑う。何の迷いなきその瞳に、彼女の真の恐ろしさを垣間見る。

「何てことはない。その時は桐子共々、ぶった斬ってやる。

そして、その<童話>が最も恐れる残酷な仕打ちを受けさせてやるよ……。必ず」

 クラウンの憎悪に溢れたその感情。それはどこから湧き出るものなのか、まだ彼らはそれを知る由もない。しかし彼女の存在が自分たちにとって、とてつもなく危険なものであるということを、ウィルヘルムは改めて思い知った。


「もう話は終わりだ! オイラがソイツを封印するっ!」

「! 待ってくれ! 本当にそいつは兄貴を探しているだけで、今その鹿を連れて……」

 ウィルヘルムは自分の言葉にハッと気付いた。

そうだ、彼女がついて来ないのであれば直接、鹿を連れてくればいいじゃないか。しかし今のこの状況下では無理なこと。自分がこの場を離れれば、クラウンがたちまち妹の霊を狩り取ってしまうだろう。そうすれば<兄と妹>は本の世界に戻っても<鹿と霊>とで離れ離れのままである。ならば一体どうすれば……

 一番の最良策を求めて思考が回る。考えろ、考えろ、考えろ。何かないか。他にいい案が。その間もクラウンは休む事なく<童話>に剣を振り下ろし、ウィルヘルムはクラウンの攻撃から妹の霊を守ろうと氷の盾を出し続ける。早く何か他の策を……。

 今になって溜まっていた疲れがどっとウィルヘルムの体に圧し掛かる。氷の壁が上手く形成されずに刃の侵入を許してしまった。しかもその刃はついに妹の霊を斬り付けた。

 <童話>は悲鳴をあげ、傷ついた右腕をかばう。近づくクラウンに先のような火の玉を出す気配もなく、<童話>は彼女から逃げるように後ずさった。もう逃げるための力以外は使い果たしてしまったようだ。

 ウィルヘルムの<童話>の力も無限ではない。昨日から力を出し続けていた彼もついに限界が来たのか、足元がふらつき、冷たい石畳に膝をついてしまう。

 もう彼らに後はない。このまま目の前で妹の霊が封印されるのを黙ってみる事しかできないのか。救えるはずの彼女をただ見放す事しかできないのか……。




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