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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
序幕
2/114

001 <兵隊と指物師 > ― Ⅰ






ピピピピピッ――――




 目覚まし時計のアラーム音が小さな部屋に鳴り響く。

二段ベッドの上段ですやすやと眠っていた少女が、薄らぼんやりとまぶたを開いてぼーっと天井を見つめていた。

自分の長い髪から漂う甘いシャンプーの香りに夢現つといった状態だ。

しかし鳴り止まぬアラーム音にだんだんと焦りを感じると、彼女は大きく目を見開いた。


「やばい! 遅刻だ!!」


 布団と共に飛び跳ねる彼女に対し、下のベッドで寝ていたルームメイトが負けじと声を張り上げる。そして目覚まし時計を彼女めがけて投げ飛ばした。


「五月蠅い!! まだ六時前じゃんかああぁぁぁ!!!!」





 * * *





「日本ノ皆サン、ヨウコソ ドイチュラント(ドイツ)へ!」


 ドイツの国際交流教室の一室に色んな制服を着た高校生たちと、担任らしき大人が数名集められていた。

席についている生徒たちと教師たちは日本人特有の幼い顔立ちをしており、ホワイトボードの前に立つ青年を期待に満ちた目で見つめている。


 青年はこの学校の生徒代表であり、日本から来た大人たちよりも厳しく引き締まった顔をしている。

そんな彼がたどたどしい日本語で挨拶をしたのだ。

日本からの留学生たちはいたく感激し、嬉しそうな声を出して大きな拍手を彼に送った。

だが彼が覚えていた日本語はこれだけのようで、次に口を開いた時にはドイツ語なまりの英語が話されていた。


「僕たちは今日から十一ヶ月間、君達と一緒のルームメイトになる人たちです。

僕たちは君たちのことを、君たちの国に留学しに行った僕たちのルームメイトと同じくらい……いいや、それ以上に大切にするので、分からない事があったり、困った事があったりしたらいつでも僕たちを頼ってください!」



 素晴らしい挨拶が終わり、教室の中はもう一度大きな拍手に包まれた。

挨拶をし終えた青年は深くお辞儀をして、部屋の後ろにいる友人たちの元へと照れ臭そうに小走りする。


「それでは次に日本の留学生代表からの挨拶です。代表者、前に出て!」


「はい!」


 前の列に座っていた少女が返事をし、元気よく立ち上がる。

肩まで伸びた細い髪先がふわりと軽快に揺らいで、カチューシャがきらりと輝いた。

 彼女がホワイトボードの前に立つと、とてもいい笑顔で新しいルームメイトたちにハキハキと、日本語なまりの英語で挨拶する。


「素敵な挨拶をありがとうございます! 日本の留学生生徒代表として私、久保田 智菊(ちあき)がお礼を申し上げます。


 こうして私たちが素晴らしい体験ができるのも、お互いの先輩たちや先生たちの今まで築き上げてきた固い絆のお陰だと思っております。

ですので、私たちもお互い良い関係が築けるよう、一生懸命頑張りますのでどうかよろしくお願いいたします!」


 明るく爽やかな彼女の挨拶に、現地の生徒たちは驚きつつもにっこりと笑顔で拍手をした。

 彼らの会話の中は

「日本人ってもっと内気で、恥ずかしがり屋さんだと思っていた」

と言ったものや、

「彼女は元気で楽しいね!」

と言うような、嬉しい言葉がドイツ語で小さく囁かれている。

だが智菊はどうもドイツ語が分からないようで、ただ意味もなくニコニコと笑顔を振りまくだけであった。




 一通り生徒同士の交流が終わると、日本人の教師たちが自分たちの生徒に向かってアナウンスする。修学旅行などでよくする点呼の挨拶のようなものだ。


「それでは今日からの十一ヶ月間、日本とドイツとの交換留学教室が始まります。

お互いに有意義なものとなるように、日々、清く正しく、恥と後悔のないように学生生活を送りましょう。

 とくに! 私立刀嶺(とうだけ)女子高等学校代表としての意識を忘れないように! ハメを外しすぎて学校帰りに寄り道をしたり、夜の遅い時間に町を徘徊しないように! 分かりましたか!!」











……

………………

………………………………

…………………………………………




「って、言うけどさぁ~」


 白い息を吐いて、智菊が呆れたような声を出す。

冬の寒さが肌に突き刺さる冷たいラーン川の橋の上。二人の少女が町の地図を眺めながらたたずんでいた。


 智菊ともう一人の少女、長い髪を一本の三つ編みに束ねてマフラーのように首に巻いている少女は、地図をくるくると回しながら眉間にしわを寄せていた。


「折角の初海外なんだからさぁ~、遊びたいよねぇ~。

日本に行った留学生たちだって、絶対にチューチューランドとか行ってるし……」


「だからこうして学校帰りに寄り道してるんでしょ?」


 三つ編みの少女は北風にあおられる地図と未だに奮闘している。

時おり地図の角が風にあおられて彼女の顔と頭を叩くのだが、集中している彼女には無意味なことであった。


「人生とはねぇ~、楽しんだもん勝ちってもんですよ~。楽しまなきゃ損、損!」


「先生たちも、まさか私たちが寄り道してるなんて思ってもいないだろうね。

……! あった!」


少女はにこやかに微笑むと地図を小さく折り畳み、目的の方角へと指さした。


「おんじゃまあ、楽しみましょうか!」


智菊が張り切ってそう言うと、二人は指さした先、旧市街の方へとスキップするように駆けて行った。




 旧市街の町並みはそれはもう絵本の世界そのもので、少女たちの心を激しく踊らせた。

 綺麗に敷き詰められた石畳、お洒落な木骨の家々がお行儀よく並んでいる。

坂がキツくて階段も多い町なのだが、彼女たちはそんな事も気にせずに駆け上り、所々にある動物のオブジェを見つけては大いにはしゃぎ回っていた。


 高台には古城が重々しく建っており、そこから見える町の景色はそれはもう絶景で、二人はその美しさに息を飲み込み、教会の鐘が澄んだ音色を響かせては穏やかな気持ちになっていた。


 東京のコンクリートジャングルを見てきた彼女たちにとってここは正しく夢の国。

あたかも自分たちはお姫様にでもなったかのような気分で、ホクホクとショッピング街を歩いて行った。

しかし忘れたころに吹いてく北風。二人は小さく体を震わせる。


「う~さっぶっ! 何で二月っからの留学よ! 夏からの留学だったら最高だったのにぃ~!!」


「まあ、冬からの留学先がドイツなんて言われたら……、勉強頑張るしかないじゃない?」


桐子(きりこ)ドイチュラント(ドイツ)大好きだもんねぇ~。

でも、まぁ、本当に桐子と一緒にドイツに来られるなんて思ってもいなかったわぁ」


 桐子と呼ばれた三つ編みの少女は両目をぱちくり瞬きさせると、いやらしい笑顔を浮かべて「それは喜びの声として受け取ろう~」と偉そうに言い放った。

 二人は少しの間、ムッとお互いの顔を見つめ合う。しかしパッと緊張の糸が切れたように、ニッカリと仲良く笑い合うのであった。



 と言うのも彼女たちが通う高校はとても厳しく、交換留学の権利も学年上位者でなくては手に入らない特権。

友人同士が仲良く留学できるという事は無きに等しい現実なのだが、彼女たちは仲良く二人でドイチュラントに来ることが出来たのであった。

なんと言ったって彼女たちは、学年の首席と二号ちゃんなのである。

こうして二人一緒に留学できたのも、当たり前なことなのかもしれない。

だがそんなエリートな彼女たちも、今は勉学のことをすっかり忘れて年相応にショッピングを楽しんでいる。


 オシャレな異国の洋服屋。甘いお菓子が詰まったショーウィンドウ。色とりどりの宝石箱の町の中、つま先は軽やかに踊り回って右往左往とさまよい歩く。


「どうしよう! 見るものすべてが可愛い! 可愛いの暴力だよ智菊!!」


「あぁ、まさにメルヘンの国! 学校さえなければよかったのにぃ!!」


 すっかり観光客丸出しの二人は、あっという間に両腕をお土産で埋めてしまった。

 まだまだ日にちは沢山ある。いい加減買い物を終えようかと、ため息混じりに相談するが、この町は二人を休ませるつもりはないようだ。



「あ! これ見て、可愛い~」


 桐子の目に留まったお店は一年中クリスマス用品を扱っている専門店で、店先にはクリスマスツリーに飾るサンタクロースやトナカイたちが、にっこり微笑んで歓迎していた。


「本当だ! 一つずつ手作りなんだねー」


「顔がちょっとずつ違う……あ、このサンタいい顔してる!」


 二人はわいわいと小物を手にとっては、こっちが良いあっちが良いと自分のお気に入りを探し始めた。

しかもそれだけでは留まらず、二人はどんどん店の奥へと入ってゆく。


 お店の中はレジ打ちのおばちゃんただ一人。他には誰もいなかった。

おばちゃんは二人のお客に気づいてはいるようだが、チラッと見ただけでいらっしゃいの挨拶も無く、雑誌の続きを読み返す。

 二人もそんな不愛想な店主なんぞお構い無く、別々に分かれると早速素晴らしい出会いを求めて棚の中身を物色した。


 ゆっくり回るクリスマスピラミッドにガラス玉に入った眠る天使の置物たち。

商品は飾り物だけではなく、レープクーヘンなどのお菓子までもが置いてある。

どれも素敵な出会いに見える桐子の両目はグルグルと回って忙しそう。

更に奥へと進むと、ドイツ語で【旧作、お買い得コーナー】と書かれたポップまでもを見つけてしまった。


「おぉ! お宝はこういう所にあるんだよね~」


 確かに可愛いものがウンザリするほど積まれている。

旧作と言っても、店先のサンタに負けないぐらいの個性と繊細さを持っている小物たち。

彼らはお客の手が伸びることを今か今かと待ち望んでいる。

 そんな小物たちに骨抜きにされた桐子は全ての棚を一つ一つ、丁寧に見て回って素敵な出会いを見定めようと、そう決意していた。がそんな時、


『 ――――…… 』


っと、微かな……声かどうかも分からぬほどに、本当に小さな、小さな声が彼女の耳の中に入ってきた。


「……? 智菊ー、何か言った?」


尋ねられた智菊は棚から棚へと歩きながら「何も言ってないよー」と素っ気なく桐子に返事を返す。

それでは気のせいか。フーンと言った感じで桐子が隣の棚に目をやると、とある商品が目についた。


 沢山のくるみ割り人形が立ち並ぶ棚の隅に、小さな鍵が一本ある。

単なるアンティークの鍵ってだけで、クリスマス要素はどこにもない。特別可愛いってわけでも綺麗なわけでもないが、くすみを磨けば少しだけ金色に輝きそうだ。

店の鍵かもしれないと疑ってもみたが、値札がちゃんと付いている。


「あんまりクリスマスぽくないね」


 背後から智菊が不思議そうに覗き込んできた。

それほど桐子はその鍵に見入っていたようだ。


「うん、そうだよね。智菊は何か良い物見つけた?」


「なかなか良い物があったよ~、桐子も向こうの棚、見に行きなよ」


 指さされた先にも沢山の商品が並べられている。

遠目から見ても溢れ出る可愛らしさに、桐子の顔が自然とほころんだ。


「可愛いなー。どれもこれも可愛いなー」


「可愛い以外の言葉は無いの?」


「これらの商品は一見、量産品に見えるものが多々ありますが、職人たちの鍛えられた技術が惜しみなく使われており、例え安い値段で売られてようとも、職人としての誇りがぎっしりと詰められた、ひっじょー(非常)に洗練された小物たちなので~っす!」


 とろけていた笑顔が引き締められて、真面目ぶった口調で流暢に語る。

しかし喜び楽しんでいる様子を隠しきれていない声に、流石の智菊も「はいはいわかった! さっさと行ってらっしゃい!」と呆れたように桐子の背中を押し出した。


「もう少しかかりそうだし、もう一周してくるわ」


「はーい」


元気よく返事を返した桐子は、少し急いだ様子で新しい棚へと向かって行った。


 まだ見ぬ出会いに胸を膨らませる彼女は幸せのそのもので、見ている方も楽しい気持ちにさせてくれる。

だがそれからいくら時間をかけても、彼女の手には店先のサンタクロース以外の商品が持たれることはなかった。

どうやらこれ以上に素敵な出会いを見つける事が出来なかったようだ。


 しかし、実際の理由はそれだけではない。あの鍵の存在が頭の隅でちらついていたのであった。

目の前に可愛い雪だるまのスノードームがあったとしても、美しい陶器のお姫様があったとしても、桐子の心はもうすでに、あの古ぼけた鍵に支配されていたのである。


 もう一度くるみ割り人形の棚に戻って、迷わず例の鍵を手に取った。

見れば見るほどにただの鍵だ。何の鍵かは分からないが、溝が全くと言ってもいいほどに無いので、簡単な箱の鍵だろうと思われた。だけどそれに合った箱がない。


 こんなに思い悩むなら、さっさと買った方が楽なのかもしれない。

値段もとてもリーズナブルで、小学生のお小遣いでも買えてしまう。

むしろ小学生のお小遣いにしては少々高いぐらいだと思ってしまうぐらいのお値段だ。


 他に買うものが無いのにこれ以上時間を費やすのは、待たせている智菊に申し訳ない。そう思った桐子は、買い物袋が二つも増えた智菊の横を通り過ぎ、何の疑いもなくレジ打ちのおばちゃんにその小さな鍵を差し出した。




 さて、すっかり歩き疲れた二人は休憩をしようと川沿いのお洒落なカフェでお茶をしていた。

沢山買い込んだお菓子や小物たちを机の上に並べると、楽しそうに会話する。

そんな時でも桐子の手にはあの小さな鍵が握られていた。


「その鍵どうするの?」


「そうね……」


 少し考えこんだ桐子は、智菊の首にかかっている鎖だけのシンプルなネックレスに目をつけた。少し貸して欲しいと頼み込むと、例の鍵を通して自分の首にかけてみる。


「どう? 似合う」


見事にネックレスへと変貌した小さな鍵は、思いのほか桐子に似合っていた。


 誇らしげに聞いてくる桐子に「良いじゃん、可愛いよ」と、茶化すことなく褒めてくれる智菊。しかし彼女はすかさずに「それがサンタだったらもっと良かったのに」と、結局彼女の事を茶化すのであった。

 その返事に「そうすればよかったかしら?」と満更でもなさそうに聞いてくる桐子。

また二人は少しの間、ムッとお互いの顔を見つめ合い、ニッカリと楽しそうに笑い合うのであった。


 そうやって足の疲れを十分に癒し、今度こそ寮に帰ろうと手荷物を片付け始めたその時だ。


『 ――――…… 』


もう一度、先のお店の中で聞いた小さな声が桐子の耳に響いてきた。


「ねぇ、また何か言った? 」


「? 何も言ってないよ」


「嘘だぁ。だってほら……また……!」


そう言って二人は一緒に耳を澄ますが、風と川の流れる音しか聞こえてこない。


「うーん……やっぱ何も聞こえないよ? さっきの仕返し?」


それでもなお耳を澄まし続ける桐子に、少しだけ気味の悪さを感じてしまう。

すると今度は急に、何も言わずにガタッと桐子は立ち上がった。


「こ……今度は何よ?」


 続く友人の奇行に驚きを隠せないでいる智菊。そんな彼女をよそに、桐子はただ突っ立ったまま遠くの方を見添えていた。


「あっちだ……あっちから声が聞こえてくるよ!」


 声が聞こえてくると言う方角を一生懸命指さすが、やっぱり智菊には聞こえてこない。

桐子がより一層集中して耳を澄ましていると、ついにその声が言う言葉を聞き取ってしまった。


『 ――助けて…… 』



 泣き声を堪える少年の声。聞き過ごすことができないほどに悲しいその声に、桐子の顔がみるみるうちに白くなる。


「やっぱ何も聞こえないよぉ~」


 しびれを切らした智菊が不満げにそう言うが、桐子の耳にはもう彼女の声は届いていない。

なぜなら智菊が言葉を言い終わる前に、桐子は少年の声の方へと走りだしていたのであった。


「助けを呼んでいる! 急いで行かなきゃ!!」


 走る桐子に智菊は一瞬呆気に囚われた。

しかしすぐに気を持ち直して、桐子の後を追っかけようと立ち上がる。

だがそんな彼女の前には、買って広げたお土産たちがそのまま沢山並べられていた。

彼女は机の上のお土産たちと、桐子の後姿をもどかしそうに見比べる。


「んもう! お土産置きに一旦寮に戻ってるからねー!!」


 大声で桐子の背中に伝えるが、彼女は振り向くことも、返事をすこともなく、そのままずっと駆けて行く。


 今までこんな動きをしたことが無かった友人を、智菊は心配そうに見届けた。

しかしそれ以上には大きく不安がることもなく、彼女は平然と机の上を片付け始めた。






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