表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第一幕
17/114

004<狼と七匹の子山羊> ― Ⅲ



* * *




 女性の固い言葉を聞きながら桐子はのっそり起きあがる。

重たい瞼を擦りながら声の方へを見下ろすと智菊が朝のテレビニュースを観ていた。

「あ、起きた? おはよー」

桐子の大きなあくびに智菊は軽く挨拶をし、手に持った電子辞書でニュースの言葉を調べている。ノートにはびっしりと調べられた単語が書かれており、今もなお調べた単語をメモしていた。

「昨日はちゃーんと起こしましたからね~。制服のまま寝ちゃって、もー!」

「本当?! ごめんね、まだまだ疲れが残ってて……ねえ何のニュース観ているの?」

「んーとねぇ……昨日の夜、事件、捕まった?」

智菊が聞き取った単語が気になり桐子も急いでニュースを観た。

テレビの箱の中では真剣な面立ちの女性ニュースキャスターがこちらをじっと見つめている。

『――これで今年に入って五件目となります。些細なものばかりですが、最近こういった通り魔事件が多いですね。皆さんも夜道には気をつけてください。それでは次のニュースです……』

 智菊が観ていた肝心のニュースを観る事は出来なかったが、彼女が聞き取った言葉は大方当たっているようだった。まだ学校の授業も始まっていないというのに智菊は着々とドイツ語をマスターしている。それには桐子も「やっぱり飲み込み早いよねー羨ましい」とえらく感心し妬んでいた。

「ふぉっふぉっふぉ~! あの後学校の図書室に行ったりクラスメイトと話しまくって猛勉強よ。ウィルヘルムくんをあっ! と驚かせてやるんだから!」

そう言って彼女は自慢げにシャーペンをくるくると回してみせた。どうやらウィルヘルムの優しさが智菊の負けず嫌いな闘志を刺激してしまったようだ。「もっと褒めてもいいのよ」と鼻高々に調子に乗るも、桐子は彼女に構わずに「シャワー浴びるからうるさくするね」とタオルを持ってシャワー室へと向かった。無視された智菊は特に文句を言うこともなく「ヤー」とドイツ語で返事をする。


  各々が朝ののんびりとした時間を過ごそうとしていると、テレビコマーシャルが『次の時間はスポーツニュース! 今週の注目の試合は?! この後7時30分!』と力強く宣伝した。

その声を聞いて二人は凍ったように動きを止める。

「7時30分……? 今何時?」

「7時……20分」

「今日から一時限目だよね……」

「一時限目って……」

7時30分開始。そして今は7時20分。

「ウボァ!! 遅刻だぁぁああああ!!!!」

二人の顔が青ざめて、そろって大きな悲鳴を上げた。シャワーなんて浴びている暇がない。即席で髪を結いだり教科書を鞄に詰め込むと、まるで漫画のような土煙を巻き上げながら二人は急いで学校へと駆けて行った。



 バンッ! と教室の扉を開けた時間はちょうど7時29分。なんとか授業に間に合ったものの日本とは違うドイツの授業内容に二人は心底苦しんだ。智菊に至ってはドイツ語の勉強をしてからすぐに英語の授業を受けたものだから二ヶ国語が頭の中で踊り狂い、より一層苦しんでいた。軽食を取った後も数学、ドイツ語、宗教学といった授業が襲い掛かる。何とか全授業を乗り越えた頃には二人とも完全に燃え尽きていた。食堂の机に並んで突っ伏し、頭から湯気を出している。

「なんでみんなあんなに手を上げられるの?」

「宗教ってなんだよ。どれ選べばいいんだよ」

散々授業の愚痴をこぼしてふてくされていると「よお」と少年の声が桐子にかけられた。

「ウィルヘルムくん」

「お前も午前授業なの? ふーん」

そう言って彼は桐子の隣に座り、紙袋からサンドウィッチと小さいリンゴを取り出した。

「お弁当?」

「ああ、お前も今のうちに食えるだけ食っとけよ。このまま図書館に行って特訓だからな」

「え?」






……

………………

………………………………

…………………………………………


「よーし、喜べ! ビシバシ鍛えてやるぞ」

放課後、桐子とウィルヘルム。そしてマリアの三人は図書館前の小さな広場で<童話>から自分の身を守る特訓を始めようとしていた。

 今までとは打って変わって上気分なウィルヘルム。昨日は怒って部屋に閉じこもってしまったのに、彼は黒いマントを羽織って堂々と桐子の前に立っていた。この気合の入れよう、一体何があったのか。

「まずは<童話>に襲われた時を再現しよう」

 そう言うとウィルヘルムはその場でくるりと一回転し、マントを自分の体に巻き付けた。彼の体がすっかり隠れてしまうとマントは七つの小さな塊に分裂し、それらはカラスの姿に変形して桐子の頭上へと飛び立った。

 ウィルヘルムがいた場所には誰もいない。そのうち司令塔と思われる一羽のカラスからウィルヘルムの声が聞こえだした。

『<童話>の動きは単純だ。自分の敵がいたら攻撃する。目的の獲物を見つければ一直線に突っ走る。それは<童話>に取り憑かれた人間も一緒だ。

今からこの六羽のカラスに出している命令を解く。<野良童話>の状態になるから、そいつらの攻撃を避けてみろ』

ウィルヘルムの声が止んだとたん、一斉に六羽のカラスが桐子目掛けて襲い掛かってきた。

「え?! ちょっと! 六対一は卑怯でしょ!」

『卑怯なんかじゃねえよ。これは生きるか死ぬかの戦い。正式なルールなんて無いんだ。場数を踏んで自分に合った戦い方を見つけるのが一番の護衛術だっ!』

 ウィルヘルムは強く桐子に指示を出すが、彼女は避けるタイミングを逃してしまいその場に小さくうずくまってしまった。カラス達は彼女の三つ編みを弄び、体中を突っつきまわる。何とか抵抗しようと一生懸命手で振り払おうとするのだが、カラス達の方が可憐にその手をかわしてみせた。マリアが「がんばれ!」と桐子に向かって応援するのだが、頑張ったところで彼女が助かるようには見えなかった。

『違う! 自分の力でどうにかしようとするな! <童話>に捕まったら戦おうとはせずにうまく巻いて逃げるんだ!』

声を荒げてアドバイスを送るが桐子にはもうそんな余裕は残ってはいなかった。

「もうギブ……助けて……」

ついにあがった虚しい声に六羽のカラスたちは満足した様にカーと鳴いた。彼らは優雅に空を舞うと司令塔のカラスが待つ屋根の上へと帰ってゆく。

 すっかりボロボロになった桐子はゼイゼイと荒い呼吸をしながら地面の上に這いつくばっていた。今すぐにでも泣き出しそうな面立ちの彼女にマリアは急いで救急箱をもっていく。

「桐子ちゃん頑張ったね。えらいえらい」

『へっ、だらしねぇな』

優しく看病するマリアと違いウィルヘルムの声は桐子の頑張りを馬鹿にした。これには桐子もご立腹。ムスッと彼女は立ち上がり、ウィルヘルムを一つ睨みつけてやろうとしたのだが、未だに彼の姿は隠れたままで見つけることは出来なかった。

「ちょっと、ウィルヘルムくん! 隠れてないで出てきなさいよ!」

辺りを見渡す桐子にマリアがキョトンと「ウィルはあのカラスよ」と指差した。

その先には司令塔のあのカラスが二人をジッと見下ろしている。

「え? あのカラス?」

驚く桐子の前に七羽のカラス達が一斉に降りて来た。しかし、降りてくる最中にカラス達は互いの体を重ね合わせて一つの大きな黒い塊に変貌する。黒い塊は静かに地面に着地してひらりと黒い包みを剥がしとった。すると中からあの生意気小僧のウィルヘルムが姿を現したではないか。

「え?! じゃぁ、この前の鳥も!!」

「うん。あれはウィルが私の<童話・ネズの木>を身に纏った時の姿なの。その方がね<童話>さんたちの力を普段よりもずっと強く発揮することができるのよ!」

マリアは興奮した様子で自分の兄と<童話>のすばらしさを熱く強く語るのだが、桐子はいまいちピンッと来ていない様子。

「<童話>たちのエネルギー源は人間たちの負の感情だ。<童話>も人間と同じく、何もしていなくてもすぐに腹を空かせてしまう。お前も腹が空いてると力が湧いてこないだろ? だから<あいつら>は人間たちに憑りつくんだ。いつでもエネルギーを摂取できるように。

そして満腹状態の<童話>は腹を空かした<童話>たちよりもずっと強い力を引き出せる」

「それってつまり……ウィルヘルムくんも<童話>に取り憑かれているってこと?」

ウィルヘルムは「まぁな」と何もためらいなくさっぱりと答えた。

「俺たちグリムアルムにも一体ずつ<童話>が憑りついている。だけどこいつらは”グリムアルムの栞”に封印されているから俺たちは自我を保てているんだよ」

そう言ってウィルヘルムはマントの内ポケットから短冊状の栞を取り出した。

それは初雪のように白く、クラウンが持っていた黄色い栞と同じ様な美しい装飾が施されていた。

「……ハンスさんは詳しく話してくれなかったけれど、この”栞”ってなんなの?」

「<童話>を封印する力はこの”栞”を通してあの赤い本から送られてくるんだ。この”栞”を無くして<童話>を封印する事は出来ない。そして、俺たちに憑いている<守護童話>の力を引き出す為の大きな器でもあるんだ」

大きな器。またもやイメージの湧かない桐子にマリアが胸を張って説明してくれた。



「たとえばね、桐子ちゃんみたいな普通な人に<童話>さんが憑りついた場合。

<童話>さんの力が2、30パーセント憑りついた人の体を支配しちゃっただけで、その人は自分を見失ってしまい、憑りついた<童話>さんに全精神を乗っ取られてしまうの。

だけどたまに自我を保てていて<童話>さんに指図することが出来る人たちが居るのよ。

私たちはその人たちの事を<童話>使いって呼んでいるの。


 でもね、<童話>さん達が本気を出して50パーセントの力を引き出したら、どんなに強い<童話>使いさんたちでもたちまち<童話>さんたちに乗っ取られてしまうの。

ウィルやマリアだって例外じゃない。そこで登場”グリムアルムの栞”!


 この栞を持っている人は<童話>さんの力が80パーセント超えても自我を保ったまま<童話>さんの力を操ることが出来るのよ! 凄いでしょー! どんな<童話>使いさん達よりも強いんだから。しかもねこの栞、グリムアルムの分しかないからとっても大事! 他の人には内緒だよ」



マリアは自慢げに、誇らしげに話してくれたのだが、この”栞”というものは大分グリムアルムの大事な情報だったのではないか。と、桐子はゴクリとつばを飲み込んだ。

 桐子は恐る恐るウィルヘルムの様子を確認した。しかし彼はどうともしない様子で呆れ顔をしながら、いつも通りマリアの事を見守っている。

「ウィルヘルムくん……私なんかがこんな大切な情報、聞いてよかったの? 他の人に……栞を盗まれちゃったりしない?」

「別に。俺はもう興味ない。それにもうすでに一枚盗まれてるだろうが」

ウィルヘルムの言葉に、あ! 確かにと桐子は驚き頷いた。

 クラウンだ。マリアの話に当てはめれば彼女は黄色い栞を持ったグリムアルム。しかし彼女はグリムアルムと呼ばれることを嫌がっていたし、ウィルヘルムに盾突いていた。

 やはり彼女は危険な存在だったのではないかと今更焦り始めるのだがもう後の祭り。なるべくかかわりを持たないようにしようと、桐子は固く決意するのであった。



『おーい、おーい、大変だー!』

 休憩する彼らの元に何やら慌ただしく屋根瓦を駆け抜ける音が近づいてきた。足音は雨水管を伝って降りてくると桐子たちの前に姿を現す。

『おう、ウィル坊! ハンスちゃんはお家の中かい?』

それはハンスが使役している<童話の小人>であった。

彼は止まることなく忙しそうにその場で足踏みをしていた。

「ああ、居るぞ。それよりもどうした? そんなに慌てて」

『昨日の通り魔、まーた<童話>を取り逃がしちまってさぁー』

ウィルヘルムの眉間にしわが寄る。

「取り逃したって……犯人は捕まったんじゃ」

『捕まったのは人間の方だ。<童話>はまだどっかでうろついていやがる。

つったく、一体なーにを探してんだがなぁー……仕事が溜まる一方だぜぇ』

やれやれと呆れたように<小人>は肩をすくめると『んじゃ、ハンスちゃんにも報告してくるぜー』と言って彼らの元から去って行った。

「先の話って、昨夜の通り魔事件の事だよね? あの事件もやっぱり〈童話〉の仕業だったの?」

不安そうに桐子はウィルヘルムに聞いてみた。しかし彼は普段の調子に戻って「お前は気にするな。ハンスも言ってただろ? これは俺たちの仕事じゃねえ」とぶっきら棒に彼女に言う。

マリアも慰めるようにして彼女の腕を取ると「大丈夫よ。桐子ちゃんは私たちと一緒に、もしもの為の準備をしましょうね」とやさしく笑った。

だがしかし桐子は見逃してはいなかった。ウィルヘルムの表情が次第と暗くなっていく様を。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ