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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
第一幕
16/114

004<狼と七匹の子山羊> ― Ⅱ




 つまりこれらの事件は<童話>の仕業だと言うのだ。しかも沢山の場所で起きている。

随分多くの<童話>が関わっている大事件だとその場の誰もが予想した。しかしハンスの考えは違かった。彼はまるで探偵のように自分の考えを披露する。

「私の勘では同じ<童話>が全ての事件を引き起こしていると思っているわ。

 目撃者の証言により捕らえられた容疑者以外にも警察はとある人物たちをチェックしていたの。事件当時、被害者の一番近くにいたと思われる人物たち。

彼らに事情聴取をしてみると奇妙な共通点を持った人たちを数名見つけることが出来たわ」

「奇妙な共通点?」

「その人たちは事件当日の日、丸々一日分の記憶を無くしていたのよ。

その日、自分は何をしていたのか。誰に会っていたのか。この日に何をしようとしていたのか。その日だけ自分のことなのに何も覚えていなかった」

それは確かに奇妙なことだと誰もが思った。事件が起きた”その時だけでなく”その日一日”の記憶が無い。それだけでも恐ろしい事なのにハンスはそれだけじゃないという。

「だけどね、その日一日何を思っていたのかは覚えていたの。それは『早く殺さなくては』という強い恐怖心」

 犯人(<童話>)の声に桐子とウィルヘルムは身震いした。これは何か嫌な予感がする。寒気が彼女らの背筋を通り、顔から血の気が引いていく。

 ハンスはこの正体も分からない不気味な〈童話〉の声を聞いて、何とも思わなかったのだろうか。こんな恐ろしい〈童話〉をウィルヘルムに捕まえて来てこいとでも言ってるのだろうか。なんて酷な人なのだ。桐子は今までにないほどに冷たく軽蔑するような目つきでハンスを見た。ウィルヘルムも桐子と同じ考えにたどり着いたのかより一層暗い顔をしている。

しかしハンスは彼らの心の内も知らずに、まだまだ自分の推理を熱弁していた。

「それでね、私は同じ〈童話〉の犯行だって、そう思ったのよ。

何かを探している<童話>は宿主をどんどん取り替えていく子が多いからね、そうやって環境を変えながら情報を集めているみたい。この子もきっとそうよ!」

「悪いが俺はやりたくねーぞ」

ウィルヘルムの警戒したような鋭い目つきにがハンスを睨んだ。しかしその言葉はハンスも予測していたのか、彼はさほど驚いてはいなかった。

「えぇ。この<童話>はルドルフに封印してもらうつもりよ」

ケロッとしたハンスの表情から察するに、彼は元からこの<童話>をウィルヘルムに捕まえて来てもらうつもりはなかったようだ。そうかと分かると桐子はホッとして胸をなでおろし、勝手にハンスを悪者に仕立て上げた自分の心にダメだしする。

 それでは、ウィルヘルムが今日しでかした事に対する汚名挽回チャンスは別なのか。ハンスは一体彼に何を頼もうとしているのか。子供達は少し緊張した様子でハンスの次の言葉に注目した。

「だけどね、もしもの時があると思うの。この通り魔の〈童話〉も注意すべき〈童話〉だけれども、桐子が今日他の〈童話〉に襲われた様に警戒すべき〈童話〉がこの国にはあちらこちらに漂っているのよ。だからね、ウィルヘルム……」

 ハンスはまた良い笑顔をニッコリ浮かべた。だがその顔を見たウィルヘルムは、これはまた面倒くさそうな事を任されるぞっ、と察してあからさまに嫌そうな顔をする。

「彼女に自分の身を守る術を教えてあげてちょうだい」

それには桐子も驚いた。ウィルヘルムと桐子は二人揃って「はぁ?!」と大きく声を上げる。

「何でまた護衛術なんか……」

「私だって桐子の手を煩わせるつもりなんてなかったわ。だけど<夜ウグイスとメクラトカゲ>の話を聞いてウィルヘルムに任せっきりにもできないって事が分かったの。頼りすぎたわ。ごめんなさいね。

 桐子、申し訳ないのだけれども、もしもの為に護衛術を一つでも覚えておいてもらえないかしら? 別にこれは強制ではないのだけれども……」

 ハンスは本当に申し訳なさそうに桐子に頼んだ。断られることは十分承知。桐子の立場を考えれば、そんな危険なこと断ってしまうだろう。しかし彼女は以外にも「いいですよ」と軽い声で彼らに言った。

「私も最初は、全部ハンスさんやウィルヘルムくんに頼りっきりになるつもりでしたけど、そもそも最初に<童話>に首を突っ込んだのは私自身ですし……。それに、いざ<童話>と戦う事になったら私、何もできなくってすごく歯痒かったんです。<童話>と戦うのは嫌だけど、自分の身ぐらいは守れるようになりたいです」

 思いの外乗り気な桐子にウィルヘルムは更に驚いた。彼は桐子ならこの話、断るだろうと思っていた。だが彼女の瞳はらんらんと輝いて「ご指導、よろしくお願いいたします!」と鼻息荒く頼んでくる。これはもう決定事項となってしまったようだ。彼はもうこの二人の頼み事からは逃げられない。しかし期待の空気に押しつぶさたウィルヘルムは痺れを切らしたように怒鳴りちらした。

「だーれーがっ! お前なんかの世話なんてするもんかっ! いーっだ!!」

 子供のよに歯を見せ嫌がると、彼は食べかけのケーキも片付けずに自分の部屋へと逃げていった。それを見ていたマリアも「あ、ウィル待って~」と急いで彼が残した分のケーキを平らげて兄の元へと駆けて行った。

 残された二人は静かにマリアの後ろ姿を見送った。ドタバタと二階へ登る音が響き、しばらくして音が止むと、ハンスと桐子は互いに顔を見合わせて呆れたように笑い合った。

「あれはもう部屋から出てこないわね。ホント、しょうがない子。桐子、今日は私が寮まで送るわ」

「え?! いや、大丈夫で」「大丈夫じゃないわよ! さっきの話ちゃんと聞いてた?」

ハンスは今でも呆れたように口元だけは笑ってはいるが、その声はちゃんと桐子のことを心配していた。

 確かに事件の話を聞いて桐子は外を出歩くことが少し怖くなっていた。それはどの事件の内容も普段いつでも自分の身に起こりうるものばかりであったから。それにまだ<夜ウグイスとメクラトカゲ>への恐怖の余韻がまだまだ桐子の胸の中でブルブルと震えて残っていた。最初は断ろうとしていた桐子だったが彼の心遣いを素直に受け取る事にした。

「お願いします」と遠慮がちに言う桐子にハンスは優しく微笑んだ。

 彼は女性もののポンチョコートを羽織り、赤い本のグリム童話集を専用バッグにしまうと、その大きな肩に斜めがけをする。そして玄関扉を開けてハンスは桐子のことをエスコートするのであった。




 帰りの道中、意外にも二人の間には長い沈黙が続いていた。この二日間の彼女らを見る限り、二人はどちらかというとお喋りな方だと思われるのだがどうも違うらしい。

だが桐子の方はまだハンスという人物がどういった人間なのか掴めていないので緊張しているっという風にも捉えられる。体をカチコチに強張らせ、ハンスの歩くスピードに合わせることで目一杯のようだ。

 しかし桐子には彼に話しておきたいことがあった。緊張に押しつぶされて黙ったままではいけない。決意した彼女は緊張の重みに耐えて勇気を振り絞り、か細い声を出して言った。

「あの……ハンスさん。その、ごめんなさい」

「……? 何がかしら?」

「クラウンに……<いばら姫>をあげるって約束しちゃった」

 ハンスたちグリムアルムが管理する<いばら姫>を、彼らに断り無しで取引の道具として使ってしまった。桐子は怒られる覚悟でハンスに謝罪したのであったが、彼はそんな事かといったようにまた「ふふっ」と可笑しそうに声を出した。

「別にいいわよ。それしか助かる方法がないって、アナタはその時そう思ったのでしょう? アナタの場合、どんな事でも自分の命を最優先にしてくれればそれでいいから。<童話>のことなんて気にしないでいいわよ」

 桐子が思っていたよりもハンスは怒ってはいなかった。彼だって<いばら姫>が欲しくって自分に優しくしてくれているのだろうと思っていた桐子は内心、ハンスの言葉に随分と驚かされてしまった。

「? どうしたの。そんな驚いた顔しちゃって」

立ち止まる桐子に不安そうな声でハンスは聞いた。

「いや……<童話>を勝手に取引に使っちゃって、怒られるんじゃないかなーって思ってて……その、ハンスさんの言葉にビックリしました」

「うーん、確かにそうね。でも、私がアナタだったらきっと同じ事をしていたと思うから、アナタの事は責められないわ」

困ったようにハンスが笑うと、桐子もまた何が可笑しいという訳でもないのだがつられて小さく笑ってしまった。


 一通り二人は気味悪く笑い合うと、桐子は大きく深呼吸をした。

「ハンスさん。私、本当に強くなりたいんです。一生懸命に戦うクラウンの姿を見て、何もできない自分に腹が立って悔しかったんです」

「別にアナタは強くならなくったっていいのよ」

「違います! きっと、ハンスさんが考えている"強い"と、私の言う"強い"の意味が……。

 私は、傷つくハンスさんやウィルヘルムくん、そしてクラウンの姿をもう見たくはない。私が足手まといになって傷ついているのなら尚更。だから私、強くなりたいんです! そして、できる事ならグリムアルムの人たちの為に何かお手伝いがしたいんです。少しの間だけですが、どんな事でもハンスさんたちが許す限りの事を手伝いたいんです! 駄目ですか……?」

 <童話>に恐怖し、おののいていたあの少女が随分とたくましくなったもんだ。とハンスは深く感心した。桐子の顔つきは凛々しく締まり、目つきもキッとあがっている。

 だが正直な所、ハンスとしてはこれ以上桐子には動いてもらいたくはなかった。彼女に護衛術を教える事だって本当は嫌だった。しかし、やる気を出している彼女の心をへし折るのも可哀想。

「それじゃあ一つ、頼もうかしら」

その言葉に桐子は期待を持って息を飲み込んだ。

 どんな辛い頼み事が飛び出してきても、今日見たクラウンに比べれば何ともない。どんな事にも受け耐えよう。強い覚悟を決める桐子にハンスは、彼女にしかできない事だと優しく寂しそうに笑って言った。

「ウィルヘルムと仲良くしてもらいたいのだけれども……いいかしら?」

 その頼みは桐子にとっては大分肩透かしな内容であった。が、彼女もウィルヘルムと仲良くしたいと望んでいた。自分が願っていた事とハンスが頼んできた事。それらが同じだと知り桐子は大いに喜んだ。何処にも迷う余地などない。桐子は自信をもってその頼みを引き受けようとした。その時だ。急に、彼女の脳裏にクラウンの言葉が思い出される。

 ――腰抜けフェルベルト。

”腰抜け”。とは一体どいういう事なのだろうか。引っかかる疑問に桐子は不安を感じだす。

「あの、ウィルヘルムくんってフェルベルトっていう家の子なんですよね? 一体どんな家なんですか?」

「フェルベルト家……ライン川沿いにある小さな町で牧師をしている家系よ。

人にも<童話>にも情の深い一族。あの家に封印された<童話>はみんな安心しきった清い顔になって帰ってくるの」

ハンスの自然な微笑みに桐子の心もホッと和む。しかしそれだけではあの言葉は拭えない。

「さっき、クラウンが腰抜けのフェルベルトって言ってたんです。一体どういう意味ですか?」

以外にもハンスはその問いに大きく驚くこともなく「そうねぇ腰抜けねぇ……」と頬杖を突いて考えた。

「桐子、今日の<童話>使い同士の戦い……どうだった?」

「怖かったです。初めて見た時の、ウィルヘルムくんとクラウンとの戦いが目じゃないほどに」

「そうよね。でもね、それ以上にもっと怖いことが何年、何十年と私たちの間では続いているの。だから、腰を抜かしちゃう子がいたっておかしくないんじゃない? 私達だって、グリムアルム以前に一人の人間よ」

彼の答えに桐子は不満そうな顔をした。

<童話>の戦いで腰を抜かす子がグリムアルムにいてもおかしくはないという言葉には納得できる。しかしだ。桐子の知りうる限りのウィルヘルムは腰を抜かすような子には見えない。腑に落ちないといった桐子にハンスは茶化すように聞いてきた。

「ウィルヘルムが腰抜けに見えるの?」

「まったく。口悪いガキンチョにしか見えません」

 唇を尖らせて間髪入れずにそう言うと、それを聞いたハンスが一瞬の沈黙の後に急にケラケラと笑いだした。

「言うわね桐子。ウィルヘルムには言わないでおくわ」なんて、随分と楽しそうな声で彼女に言う。それほど変な事を言ってしまったかと、桐子が驚くほどにハンスのツボにハマったのか、彼はしばらくの間本当に楽しそうな笑い声をあげて笑っていた。



 そうしてなんやかんや話しているうちに二人は学生寮の前まで着いた。

その頃にはハンスの自然な笑みも、普段のどこか胡散臭い微笑みに戻っており、桐子もさほど気にしなくなっていた。

「ハンスさん、今日も色々とありがとうございました」

「いいわよ別に。それじゃあ」

「はい。……あぁ! あの、今度来る時はクラウンも呼んで……いいですか?」

その問いにハンスは返事をしなかった。彼は静かに目を細め、桐子の瞳をジッと見つめる。

「クラウン。彼女が本当に友達になってくれたらいいのにね」

「? クラウンは友達だって、言ってくれましたよ?」

「アナタとは……ね」

そう言ったハンスの表情は、相も変わらず気味の悪い微笑みを浮かべていた。

 暮れゆく紺色の空の中、不気味な程に赤い彼の瞳が輝きを放ちその存在が何故か人ではないモノの様に見えてしまった。しかし不思議と恐怖は感じない。彼はもう一度別れの挨拶をして童話図書館へと帰って行った。それをただ呆けて見届けた桐子はゆっくり静かにと、自分の部屋へと向かって行った。



「ただいま~……智菊ぃー?」

 無事に自室へと帰ることが出来たがルームメイトである智菊がいない。おそらく彼女はまだ別の部屋の子たちと遊んでいるのだろう。

 だがこれは桐子にとっては好都合。昨日といいこんなズタボロ姿を智菊に見られちゃあ、今度こそ彼女は無理にでも桐子の身に起きている事を聞き出すだろう。

 確かにこの二日間で起きたことを信頼している友人に話したら、どれだけ心が救われるだろうか。しかしそれは桐子の望んでいない事だ。

 <童話>との戦いは思っていた以上に自分の生死にかかわる事だと<夜ウグイスとメクラトカゲ>との戦いで桐子は悟った。折角<童話>との接点がない智菊に、どれだけ自分が危険な状況であるかを説明すれば彼女の元にも<童話>の脅威が及ぶだろう。智菊には危険とは無縁な留学ライフを送ってほしい。

 桐子は長く垂れさがる三つ編みをほどいて二段ベッドの梯子を上った。

真っ白な布団へと倒れ込み、全身の疲れをしみこませる。制服のシワなど気にしてられない。伸ばした手の先の枕に顔をうずめると、もう一度今日の出来事が頭の中を巡った。

「腰抜け……か……」

 小さく囁くその言葉に桐子は生意気で力強い少年の姿を思い出しながら、深く暗い眠りについた。




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