020 <千匹皮> ― Ⅴ
日もすっかり昇り晴れやかな朝日が降り注ぐ中、桐子は急いで童話図書館へと向かった。それは昨夜見た夢をいち早くハンスたちグリムアルムに伝えるべき緊急事態であると思っての行動だ。
「おはようございます、ハンスさん!」
元気よく挨拶をしながら扉を開ける。すると、そこには見知らぬ男性がハンスと対峙して椅子に座っていた。歳は四十後半といったところか。桐子を見るために振り向いた彼の顔色は酷く疲れていた。
「あら桐子、ごめんなさい。今お客様が来ていて……奥の部屋で待っていてくれる?」
言われるがままに奥の部屋、詰まるところの台所なのだが、いそいそと台所へと向かう桐子。その背後を男性がじっくりと、桐子がこの部屋から出ていくのを急かせるように見守っていた。
熱い視線を感じながら桐子は重々しく台所の扉を開いた。だが扉を開けばそこにはウィルヘルムとクラウン、そしてシャトンが朝食のパンを咥えながらトーテムポールのように縦に並んで台所の入り口を塞いでいるのが目に見えた。
「ウィル! クラウンも、何してるの?」
「しっ! 部屋に入るなら、早く入れ!」
勢いよく腕を引っ張られ、よろける様に台所に入る桐子。そして扉が再び閉められると、しばらくの沈黙ののちに男性の声がボソボソとハンスとの会話を再開した。
「お客さんが来るなんて珍しいね」
「ああ、しかも人探しだってよ」
ウィルヘルムはそれだけを言うと、聞き耳に集中して黙り込んだ。説明不足で頭にハテナを浮かべる桐子に、クラウンがこれまでの経緯を説明する。
お客である男にはウィルヘルムぐらいの年頃の娘が一人居るのだが、半年以上も行方不明だという。警察や探偵に頼んで娘らしき女性を見つけることはできたのだが、彼女に近づこうとすると瞬きをしているうちに姿をくらましてしまうのだという。
父親である彼も一度だけその少女を見つけることができたのだが、話しかける直前に彼女は何かボソボソと小さく囁きながら建物の角を曲がって行った。そしてその後を追って角を曲がると、彼女の姿は何処にもなく、煙に巻かれたように消えてしまったという。その囁きが、
「“そこにネズミが走っている。そいつで帽子をこしらえな。”……だって。その呪文を唱えて消えるだなんて、アイツしかいないだろ」
そこで桐子の頭の中に、ラッティの顔が思い浮かんだ。
なんと、彼女もまた人間に取り憑いた<童話>であったのだ。彼女自身の我が強く、実態がありすぎるせいでウィルヘルムもクラウンも、今まで彼女が人間に取り憑いているタイプの<童話>だという事を見抜けていなかった。
「<消された童話>なんて特に力が強くって、モノに取り憑かなくても人間に認知されやすいからな。完全に見落としてた」
悔しそうに振り向きながらウィルヘルムは目線を伏した。聞き耳を辞めたということは、お客様は帰ったようだ。
扉を開けて広間に入ると、早速ハンスに事の話を詳しく聞くことができた。
「話を聞いた限り、ラッティで間違いなさそうね」
皆が想像した通り、ラッティは<童話>に取り憑かれた人間であった。
行方不明になる前の彼女は外向的で、友人付き合いも父親との関係も良好な女性だったらしく、恐らくは<童話>に意識を乗っ取られて無理矢理に不幸への道へと歩まされている途中のようだ。
「不味いわね、早く彼女を見つけて<童話>を祓わないと」
「そうだ、ハンスさん。昨日の夢で気になることがありまして……」
と、その時外から、
「クラウンー! 出てきなさい!!」
と地響きのような怒号が聞こえてきた。
急いで外へと飛び出すと、そこには仁王立ちをしたラッティが鬼の形相でこちらを睨んでいる。なんと、こちらから探さずとも獲物の方からやって来た。
「ラッティ?!」
驚きの声を上げる桐子の背後からクラウンが顔を覗かせる。すると、気が立ったラッティはクラウンに襲い掛かろうと飛び出した。
「私の<童話>を返せ!!」
エプロンドレスのポケットから細いナイフを取り出して勢いよく振りかざすラッティ。だがその動きは不慣れなもので隙だらけ。クラウンは咄嗟に桐子の肩を後ろに引くと、己が前に出て瞬時にラッティの腕を掴んで捩じ伏せた。
力の違いは歴然。「離して!」と騒ぎ、バタバタと足や体を捻っても、ラッティを押さえつけたクラウンはびくともしない。それどころかラッティの手から離れたナイフを蹴り飛ばす余裕すらある。
「<ネズミの皮>ってどんな話だったか、教えてくれねえか?」
獲物を見る目でラッティを見下ろすクラウン。そのギラギラとした眼光にすっかり怯えてしまったラッティは並々と涙をいっぱいに溜めた。
そこに桐子が、「クラウン、待って!」と慌てて割り込んでくる。
「ラッティを祓うのはちょっと待って! 彼女に聞きたいことがあるの」
「アンタと話す義理はないわ! 早く私の<童話>を返してちょうだい!!」
「昨日の夜! ……舞踏会の夢を見なかった?」
「……?!!」
「黒い大理石の大広間で赤い垂れ幕が掛かっていた。でもクラウンに似た金髪の白い女の子が入ってきて、貴女の<童話>を奪っていった……」
「なんで……、私の見た夢を知っているの……?」
ラッティの体から抵抗する力が抜けていき、今まで見ようともしなかった桐子の顔を真っ直ぐ見つめた。その力の抜けように気がついたクラウンも、桐子の言ったことが本当だと驚き不思議そうな顔をして彼女を見た。
「桐子がどうしてラッティの見た夢の内容を知ってるんだ?」
「昨日の夜、私も同じ夢を見たの。きっと、あの白い女の子は<いばら姫>。彼女がラッティに会いに行ったから、私も同じ夢を見たのかも」
<いばら姫>が桐子の意思とは別に動き出している。桐子の言葉にハンスは眉間に皺を寄せた。だが彼は静かに彼女たちの話を聞くだけにとどめている。
「<いばら姫>?! そんなはずない! だって私の知っている彼女の顔とは違かったもん!」
「そう。彼女を見た時、私も初めは<いばら姫>だとは思わなかった。でも、あの白いイバラを見てようやく<いばら姫>だって分かった。それまでは……」
そこで桐子は言い淀む。
「なんだよ」
と、急かすように聞いてきたウィルヘルムに桐子はおずおずと、神妙な面立ちをして言った。
「その白い女の子、声も姿もローズその人だったの」
ラッティ以外の、その場の誰もが驚き大きく目を見開いた。
「つまり……、ローズ様はまだ<いばら姫>と共にいるのですか?」
悲しい声を出しながら桐子に近づいて来るシャトン。
「多分……。それならラッティがローズをクラウンと見間違えたのも納得できるし」
「そんな……まだ<童話>に縛られているだなんて、おいたわしや」
かつての主の痛々しい現状に、認めなくないとでも言うようにシャトンは両手で己の顔を覆った。その姿を見てクラウンも悲しそうに目を伏せた。
「そのローズって奴がなんで私のところに来るのよ。他にも<童話>は居るでしょう?」
「お前はまだあの男、マテスの元にいるのだろう? マテスはかつて<童話>に取り憑かれたただの一般人に過ぎなかった。その男の<童話>を祓うと約束したのがローズ様なのだ。おそらく、ローズ様の意思を受け継いだ<いばら姫>が今もその約束を守ろうと、少しでもあの男の情報を得る為にお前に近づいたのだろう」
つまり、ラッティにマテスとの繋がりがある限り<いばら姫>は彼女に悪夢を見させ続けるということか。それは確実に<いばら姫>が彼女の夢に再び現れる確証とも言える。
それ幸い。まさしく一石二鳥と言わんばかりにハンスとウィルヘルムはラッティの手足を縛って童話図書館へと彼女を誘った。
「私たち、貴女のお父様に<童話>祓いの依頼を受けているのだけれども……」
「ようやく桐子に取り憑いた<いばら姫>を祓うチャンスが来たな。長かったー」
「ちょっと何その言い方?! 私の方がオマケみたいじゃない!! ふざけないでよ!!!!」
ジタバタと暴れながら椅子に座らされるラッティ。そんな彼女の前に桐子が申し訳なさそうに屈んだ。
「オマケじゃないよ。<貴女>が取り憑いている彼女にも、帰りを待っている人がいるの。だから」
「さっき図書館に来ていた男でしょ? 私のストーカー。今朝から出向いてやったのに、アイツがいたから図書館に入れなかった」
ラッティの言葉に驚く桐子。ラッティは、彼女が取り憑く少女の父親を知っていながら二人を合わせることなく逃げ続けていた。
ストーカーと言い放つ程に彼を認識し、娘を心配する父親の姿を沢山見てきたであろうに心を痛めることもない。そこはやはり<童話>というべきか。両親との仲の良い桐子にはその感覚が理解できなかった。
「お喋りはそこまでよ」
黒くて厚みのあるトランクを持ってハンスが物置部屋から現れる。
「本当は<貴女>を封印してその女性を助けてからすべき事だけど、その時間ももう無いわ。<貴女>の夢を利用させてもらう。さあ、<いばら姫>を祓いましょう」




