019 <忠臣ヨハネス> ― Ⅵ
<忠臣ヨハネス>
昔々とある王国の、年老いた王様の元には強い忠誠心を持つヨハネスという名の家来がおりました。
王様は自分の死期を悟ると、忠臣ヨハネスに
「自分が死んだ後に息子である王子に城の全てを案内してほしい。だが、一番奥の部屋に飾られた金の城の王女の肖像画だけは決して王子には見せるでない。その絵を見た王子はたちまちその絵の王女に一目惚れし、そのために災難に遭うだろう」
という遺言を残しました。
しばらくして王様が亡くなってしまうと、ヨハネスは王様の遺言通り新しい王様にお城の全てを案内しました。しかし新しい王様は一番奥の部屋だけを見せてもらえていないことに気が付きます。
ヨハネスは王様の遺言を律儀に守り続けましたが、新しい王となった王子の好奇心を止める事はできませんでした。
とうとう新しい王様の我儘を抑えきれなくなったヨハネスは、仕方がなしというように一番奥の扉を開いて、新しい王様に金の城の王女様の肖像画を見せてしまいました。新しい王様は、前の王様の遺言通り肖像画の王女様に一目惚れしてしましました。
そこから新しい王様の我儘は止まりません。ヨハネスは新しい王様と共に船で王女の住む金の城へと向かうと、王女様を騙して誘拐してしまいました。
初めこそは何処ぞの誰もと知らぬ者に誘拐された絶望に心を閉ざす王女でしたが、相手が王様だと知ると安心して新しい王様に嫁ぐことを決めました。
酷い災いもなく、ほっと一息ついたヨハネスは帰りの船路に奇妙な歌を聞きました。その歌声は彼の上を飛んでいく三羽のカラスから聞こえてきます。
……
………………
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ヨハネス・オクタビウスに左腕を枯れ枝で突かれたクラウンは、焦った顔をして己の左腕を見下ろした。何処にも斬り傷や痣もないのに何故だが力が入らない。
恐らくオクタビウスの持つ武器に触れられると、その場所の自由が奪われる。それがオクタビウスの<童話>の能力だとするのなら、一刻も早くこの戦いを終わらせなくてはならない。このまま長引かせてもいずれ四肢の自由が奪われて、公園に落ちていたそこいらの枯れ枝でなぶり殺されてしまう事になる。
追い詰められているクラウンを、離れた場所から桐子とウィルヘルムが見守っていた。
桐子はなんとか<童話/忠臣ヨハネス>の話を思い出し、物語の中から彼の能力のヒントを得ようと頭を回転させていた。しかし、いくら物語を思い出そうとも、どの部分がオクタビウスの能力なのかが分からない。
「シャトン、今オクタビウスは何をしたの? あれが彼の<童話>の力?」
魂が抜けたように凍りつき、虚な瞳でクラウンを見つめたままのシャトンは「分かりません」とうわ言のように呟いた。
「彼は自分の能力を“幸運を教えてくれる力”だと言っておりました。その結果が相手を殺せずとも、それ以上の不幸を与えることができるとも。
確か前の<青髭>との戦いの時も、彼のレイピアが<青髭>の腕をついて左腕の自由を奪っていた……」
それはまさしく今、クラウンの左腕が力無くぶら下がっている事と重なっている。
もどかしくも見ることしかできない桐子たちとは裏腹に、オクタビウスは怒りに任せたままに枯れ枝をクラウンに振り下ろしていた。
「お前のせいで彼も<童話>に体を蝕まれ、もう元の人間に戻ることもできなくなった! それはローズの待つ天国にも行けずに他の<童話>と封印されるということ。彼はグリムアルムにも助けを求められず十分に苦しんだ!!」
その時、再びオクタビウスのイヤーカフが彼だけに聞こえる声で耳打ちする。
『右足』
その言葉を聞き終わるや否やオクタビウスは思いっきり地面を踏み蹴り、クラウンの懐へと飛び込まんとした。
オクタビウスの速度が上がった事に気がついた桐子は、思わずその場から立ち上がりクラウンに向かって駆け出した。自らが二人の間に飛び込んでクラウンの盾になろうとしたのだ。
それと同時にウィルヘルムの<七羽のカラス>達も彼の命令に従って、煙幕のようにオクタビウスの前に飛び回った。
しかし、
「やめろ!!」
と、クラウンが咄嗟に声を張り上げる。
「オイラを庇うのはやめてくれ! ウィルヘルムも! この戦いはオイラとアイツとの戦いなんだ!!」
「でも、」 「でもじゃない!!」
無意識とはいえ、クラウンを救おうと動き出した桐子の意思を、クラウンは怒号を持って否定する。そしてオクタビウスもまた、軽蔑する目を持ってウィルヘルムを睨みつけていた。
「全ての<童話>を封印し、この混沌を終える事がグリムアルムの使命ではないのか? なのに貴様はこの害獣を助けるのか、フェルベルト!!」
抑えることのできぬ怒りの感情に、ウィルヘルムは一瞬怯んでしまった。しかし、彼もまた己の意思を手放さないよう一生懸命に自分を鼓舞して声を張り上げる。
「俺は、桐子を<童話>との争いから守ろうとしただけだ!
それに、グリムアルムの使命は<童話>をただ暴力的に封印するだけではない! 彼らも、かつてはこの土地で暮らす民であった。彼らの声を聞くのもグリムアルムの使命ではないのか!!」
「何たる甘い思想。今のグリムアルムたちの体たらくはなんだ?!! <童話>の言葉が優先されて、今を生きる人間は放置しろと習うのか?!!」
声を荒げで威圧するオクタビウスに隠れるように、再びイヤーカフのカラスが囁いた。
『このまま続けてもかの<童話>に勝つ見込みはなく、しかしかの<童話>を護るあの娘を突けば<童話>は自ずと貴方に服従する』
もう次の手を選ぶ暇もなくなったオクタビウスは、間髪入れずに桐子の方へと飛び出した。
騎士の風上にも置けぬ行為。しかし彼女を守ろうと走り飛んでくるクラウンを目にするや、すかさず軌道を変えてクラウンの右足を枯れ枝で突き刺した。
オクタビウスの突きは見事に命中し、右足の感覚を無くしたクラウンはもつれる様に倒れ込む。オクタビウスの目当ては変わらずクラウンのままで、桐子を傷つける気は微塵もない。
「クラウン!」
桐子は咄嗟にクラウンの元へと駆け寄ると、彼女の身体を隠す様に覆い被さった。
「桐子、危ないからウィルヘルム達の方へ戻ってくれ!」
「嫌だ……」
桐子はより一層体を強張らせてクラウンをキツく包み込む。そんな彼女らの、桐子の隙をすぐ側でオクタビウスが静かに狙っている。
一向に離れる気配を見せない桐子に痺れを切らしたクラウンはもう一度、今度はキツく言ってやろうと息を吸い込んだ。と、それに合わせて桐子もクラウンの両肩を硬く掴んで、彼女の上半身を立たせると泣きそうな顔をしてクラウンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私<いばら姫>に取り憑かれているの……」
「そんなの、知って」 「違うの!! <いばら姫>だけじゃなくって、彼女の主人、ローズの記憶も一緒に私に取り憑いていたの!」
桐子の口から聞くことはないと思っていた“ローズ”の名前に、大きく目を見開いたクラウン。オクタビウスも腕を止めて彼女の言葉に耳を傾けた。
「私は、私の意思でクラウンに好意を抱いたり、親近感が湧いてたりしてたんじゃなかった! 私の中の<いばら姫>が、ローズに似た貴女に魅かれていたの!!」
苦しい告白を聞くクラウンは、より辛そうな表情へと顔を歪めていく。こんな事、聞きたくは無かった。心から信頼できる人間に出会えたと思っていたのに、また自分は<童話>に騙されたのかと、より深い絶望の谷底へと落とされる。
「私もこの事に気づいたのは最近で、クラウンが童話図書館に来てからで……、それまでに感じていた貴女を想う気持ちは全て私のモノじゃなかったのかもしれないって怖かった……。
でも、今なら分かるよ。たとえ私が貴女に惹かれたきっかけが<いばら姫>の心の起伏だったとしても、ローズの記憶が<童話>を憎んでいたとしても、私は私の意思で貴女に惹かれて、<童話>を今も愛している。
言ったでしょ。どんな貴女でも受け止めるって」
桐子の熱い眼差しが、クラウンの絶望に凍えた瞳を激しく燃やして溶かしていく。
「何度でも言うよ。一人で抱え込まないで。<青髭>とか<童話>とか関係ない。私はクラウンの友達だよ」
そして確固たる自信を持った桐子の両腕が、優しくクラウンを抱きしめる。彼女の頬を温かな涙が滑り落ち、クラウンの頬にも触れていく。揺らいでいた自己を強く繋ぎ止める桐子の言葉に、クラウンも瞳を震わせて天を仰いだ。
きっと自分の命は長くはない。それでも自分を想ってくれる存在がいるのなら、あと僅かなこの時を彼女のために使おうと、クラウンは静かに桐子の肩を持って彼女を離した。
「もう大丈夫だ。ありがとう」
付き物が落ちたような顔をしたクラウンは、桐子を置いて立ち上がると再びオクタビウスに体を向けた。
「桐子、離れていてくれ」
「またどこかに行くの?」
思わずこぼれる不安の声に、
「どこにも行かないよ」
と子供をあやす様に優しく笑う。
「だけど、蹴りはちゃんとつけなくっちゃいけないからな」
凛々しく締まるクラウンの横顔に、桐子も彼女を信じて立ち上がる。そして足早にウィルヘルム達の元へと戻って行くと、力強くクラウンの方へと振り返り、信じる友の行く末をしかとその目に焼き付けようとした。
「待たせてすまなかったな」
右足を引きづりながらオクタビウスの前へと進んでいくクラウン。左腕も未だに自由は戻らず、このままではクラウンの負けしか見えない。
「女に庇ってもらわなくっていいのか?」
「ああ。もう、大丈夫だ」
そう言うとクラウンは首に下げていた紐を引き上げて、服の下に隠していた金の鍵を引きずり出した。それは桐子から受け取った友情の印であり、あの夜、ハウストの家で真の力を見せた鍵。
クラウンが力一杯にその鍵を掴むと、鍵はあの日の夜のように不気味な光を強く放った。地面に伸びる幾つもの影はリボンのように宙に浮かび上がると、クラウンの全身を締め上げる。
まるで影が立体となってその場にある様にクラウンの姿が真っ黒く包まれた。かと思うと次の瞬間、影は黒い霧へと姿を変えてその中から青白い左腕がゆっくりと、霧をかき分ける様に伸び出てきた。
黒い霧の中から出てきたクラウンの衣服は全てが真っ青に染め上がり、首に巻かれた大きなスカーフで口元もよく見えない。
右手に握られた大剣も先ほどよりも古めかしく、使い慣れた物のように刃がボロボロに欠けていた。
彼女はついに<青髭>としての自分を受け入れてしまったようだ。そしてそのまま彼女の意思も、かの<童話>に支配されたのかと誰もが固唾を飲んで凝視した。
注目が集まる中クラウンはゆっくりと顔を上げると、その血のように赤い瞳を前髪の隙間から覗かせてオクタビウスの姿を捉えた。