019 <忠臣ヨハネス> ― Ⅴ
オクタビウスの宣言を合図に空を飛んでいた金細工のカラスが彼の左肩に降りてくる。オクタビウスはその小さなカラスを掴んで耳にかけると、元からカラスの形をした金細工のイヤーカフであったかのように彼の左耳を煌びやかに色飾った。
そのイヤーカフはローズの記憶の中にもあった、彼の<童話>の力を引き出す道具。しかし桐子はその事に気が付かず、ただクラウンの正体が<青髭>であると告げられた事実を飲み込みきれずに固まっていた。
「どういうことだ……? クラウンが、<青髭>……?」
何の情報もなく突然に告げられた真実に一番驚いていたのはウィルヘルムであった。ウィルヘルムは疑いの目を持ってクラウンを見やるが、彼女の目元には深い影が落ちており、一体何を考えているのか読み取れない。
しかし彼女の考えは単純であった。桐子達に自分が<青髭>である事を知られたくはなかった。そう思うクラウンの指先からは体温が消え、瞳の光も曇っていく。誰にも知られず、静かに桐子達から離れたかったが、もうその希望も叶わない。
「桐子……、ウィルヘルム……。ごめん」
掠れた声に乗っかってクラウンの悲しみも伝わってくる。
「オイラもこの間、知ったんだ。オイラは本当は人間じゃないって」
かじかむ指を握りしめ、震える足をなんとか立たせている。
「本当は、先生の描いたローズの肖像画に取り憑いた<青髭>なんだって。オイラ……、ウィルヘルムの妹に偉そうな事、言える立場じゃなかった……」
絶望に染まった言葉で紡ぎ出すクラウンの告白をウィルヘルムは黙って聞いていた。
知らなかったとはいえ、彼女もウィルヘルムの妹役をやっていた<童話>と同様、誰かに思われ愛されていた人間の生き写しであった。
だからと言って、彼女を見過ごすわけにもいかない。かつてウィルヘルムの妹役の首を打ち落としたクラウンが言った通り、たとえどんな姿であろうと、知らなかったとしても<童話>は全て封印しなくてはならない。
そう分かっているはずなのに、クラウンはゆっくりと桐子達の方に振り向きながら続けて言う。
「それなのに……それなのにオイラ、まだ生きたいって思ってる……っ! ようやく自分に素直になろうって思えたのに! みんなと仲良くしたかったのに! こんなのって無いよ!!」
悲痛なクラウンの心の叫びに、桐子とシャトン。そしてウィルヘルムさえもが胸を締め付けられる思いをした。彼女の想いはまさしく彼らも同じであった。ようやく互いの内をさらけ出し、友となろうと手を取り合った矢先にこの仕打ち。
クラウンは再びオクタビウスの方に振り向き直ると、泣くのを堪えながらも懸命に言葉を搾り出す。
「ヨハネス・オクタビウス。こんな事、許されない事だって分かってる。けどよ、桐子に取り憑いている<いばら姫>が祓われるまでは待っててくれないか? そしたらオイラ、黙ってアンタに祓われるよ」
「ダメに決まっているだろ。それに彼女に取り憑いている<いばら姫>は今すぐに必要なんだ。この場で彼女の体から<いばら姫>を引き剥がせば、お前の命乞いも無意味になる」
「今すぐに<いばら姫>を祓うのは無理だ! オイラやハンスたちも桐子に取り憑いた<いばら姫>を何度も祓おうとしたがダメだった。だけども最近、ようやく祓えそうなヒントをハンスが見つけたんだ。だからもう少しだけ」
「今祓えないと言うのなら、彼女には申し訳ないが私と共に来てもらう」
「アンタと……? それって先生……、マテスも一緒に居るのか?」
「ああ、彼はずっと一人でローズの仇として<童話>と闘ってきた。<いばら姫>なら彼のことも分かっているし、協力してくれるだろう。少しでもマテスの力となる者が必要だ」
流暢に語り続けるオクタビウスの話にクラウンはピタリと言葉を失った。
クラウンはかつてマテスから、<童話>を祓えないようであれば桐子を殺せと命令されていたことを思い出す。クラウンの顔はみるみると青くなり、先ほどとは違った焦り混じりの声色で命乞いする言葉もより一層震わせた。
「そ……それはダメだ。だって先生は<童話>に取り憑かれた人間も殺していいって」 「御託を並べるのはもうやめろ!! お前が何を言おうと信用に値しない!!」
どんなにクラウンが命乞いしようとも、マテスの危険性を説こうとも、<青髭>だと断定されたクラウンの言葉がオクタビウスに届くことは決して無い。
これ以上何を言っても無意味だと、ようやく理解したのかクラウンも、
「き…………、桐子が危険な目に合う可能性があるのなら……、オイラ、アンタに抵抗するしかない」
と言って、手に持っていたおもちゃの短剣を再び両手で構え直した。
本当はまだ納得はしてない。だけども今は否応にも覚悟を決めなくてはいけない時なのだ。
「クラウン様!!」
主人の覚悟を察知したシャトンは、彼女の動きを止めるために大声でクラウンの名前を呼んだ。しかし、
「シャトン、桐子を頼む」
とだけ言い残すと、クラウンは振り返ることもせず素早くオクタビウスの懐へと飛び込んだ。
瞬時に彼女の腕から赤錆びた鎖が伸び上がると、おもちゃの短剣に絡みつき覆い隠す。そして鎖が弾ける様に解けると、中から大剣が現れた。
ついに始まるクラウンとオクタビウスの譲れぬ戦い。しかしクラウンの武器が大剣に対してオクタビウスはそこら辺で拾った枯れ枝である。威勢の割には舐めている様に見える武器ではあるが、彼は休みなくクラウンの隙を見つけてはすぐに枝を振るって突き刺そうとしていた。
「ウィル! どうしよう、このままじゃクラウンが!!」
桐子は間髪入れずにウィルヘルムに泣きついた。この場を仲裁できる者がいるとすれば、グリムアルムであるウィルヘルムだけだろう。しかしウィルヘルムはいまだに状況を飲み込みきれずに、クラウン達を傍観している。
「おい、シャトン……、お前もアイツが<青髭>だってこと知ってたのか?」
クラウン達から目線を外さずにシャトンに聞くウィルヘルム。シャトンもウィルヘルムからクラウン達に目線を下すと、苦しそうに語り出した。
「私も昨夜、クラウン様の部屋に現れたマテスの口から知りました。正直今も信じとうございません。ですが、ああ、確かにクラウン様の持つ剣は紛れもなく<青髭>の剣。何故今まで気付かなかったのでしょう」
シャトン自身、<青髭>と対峙したのは一瞬の出来事であったので覚えていなくても無理はない。しかし、彼女に取り憑いている<童話>が何者か知ろうとしなかったのは彼の怠惰であった。
彼も初めの頃はクラウンに取り憑いている<童話>について幾度も知りたく思った時があっただろう。しかしそれよりも、愛する主人であるローズに瓜二つのクラウンと共にいることの方が嬉しくて、取り憑いている<童話>なんかに微塵も興味を持てなかったのだ。
その怠惰の先送りのせいか、そのお陰か、クラウンは今この時を迎えるまで自分が恨まれる存在でいる事を知らずに、苦しまずに済んでいた。
「貴様がいるせいでローズは死に、人々を不幸に陥れる!」
憎悪の刃を振り翳し、オクタビウスの武器が再びクラウンの頬を掠めてく。枯れ枝から繰り出されているとは思えないその太刀筋をどうにか受け流すクラウンだが、彼女は未だに彼を説得する希望を捨てきれずに語り続けていた。
「オイラは本当に<青髭>の事なんて知らないんだ! その事だって、この間初めて先生から聞いたばかりで……」
「まだとぼけ続ける気か<青髭>!! お前はこの世に存在してはいけないのだ!!」
怒れる感情に任せて振り上げられる枯れ枝が、クラウンの顔を目掛けて突き出される。しかしその最中、オクタビウスのイヤーカフが彼の怒号に隠れてひっそりと囁いた。
『左腕』
その声を聞き逃さなかったオクタビウスは突き出した枯れ枝の軌道を、クラウンの顔から左腕へ素早く変更して強く叩いた。
バシンッ! と響く大きなムチの音。それはただ一度、クラウンの左腕を赤く腫らせるだけで別段大きな切り傷を負わせるものでは無かった。だが、大剣を強く握りしめていたクラウンの左腕から突如力が抜け落ちる。
ガクッと下がる左腕。大剣はもう一つの右腕でも支え持っていたので落とすことはなかったが、左手は完全にグリップから離れていた。
「お前は生まれてきてはいけなかったのだよ、<青髭>。いや、クラウン」
冷たく言い放つオクタビウスの声。その声は氷柱のように鋭くクラウンの心に突き刺さった。