019 <忠臣ヨハネス> ― Ⅰ
童話図書館にマテスが現れ、クラウンの真実を告げられた夜は無情に過ぎゆき、次の朝日が昇ってくる。
何も知らない桐子は今日という日を楽しみに、元気よく学生寮の門を出たところでウィルヘルムが誰かを探しているのを発見した。
「ウィル、おはよう! 誰か待ってるの?」
「ああ、桐子。今日も図書館に来るか?」
ウィルヘルムは桐子が出てくるのを待っていたようだ。
「行くつもりだよ。昨日、クラウンとハンスさんにも会えなかったし」
「その、クラウンがな……」
曇った顔をして言い淀むウィルヘルムをよそに、桐子の友人である智菊も遅れて彼らに合流する。
「桐子、お待たせ―! って、ウィルヘルム君? グーテンモルゲン!!」
底なしの明るさで挨拶する智菊にウィルヘルムも引っ張られて挨拶をする。しかし智菊は続けて桐子とウィルヘルムを指差すと、「朝からお熱いですな〜」と楽しそうに冷やかした。
それが気に入らなかったのか、ウィルヘルムはムッと唇を尖らせて、
「じゃ、そういうことだから」
と言い残し、そさくさと学校へと向かうのであった。
「あらまぁ行っちゃった。ごめんね桐子」
「うん……」
智菊は茶目っ気を含ませた謝罪を桐子にするのだが、桐子の心はすでにクラウンの事を心配をしている。ウィルヘルムは一体何を言い淀んだのか、気がかりで智菊の言葉も入ってこない。
「今日も図書館デートですかニャ?」
「デートじゃないけど……、今日も学校が終わったら図書館に行く予定ができただけ」
冷やかしに対して照れ顔の一つも期待していたのだが、思っていた反応とは違う桐子に智菊は少しだけつまらなそうに頬を膨らませ、
「いいもーん! 私も今日は放課後のお茶会に誘われているもーん!」
と拗ねるマネをしてそっぽを向いた。
「え? どこのお店に行くの? 知らないところ?」
「いつもの大通りの喫茶店。先週、隣のクラスに男の子が転校してきたでしょ? その子の歓迎会をしようって昨日クラスの子に誘われてたの。桐子も一緒にどうって言われてたんだけど……」
ギムナジウムの最後の年に転校生とは珍しい。桐子は毎日が忙しくって転校生の情報を何も知らなかったが、学校内ではちょっとした話題になっていたようだ。
「うーん、魅力的だけどクラウンのことが気になるから今回はごめんね」
しょんぼりと眉を垂らす桐子に智菊は「やっぱりね」とでも言うように肩をすくめた。
そして智菊は学校内の人間関係に疎い桐子のために学校に行くまでの道中、その転校生の話を細々と話してくれた。
オーストリアの方から親の転勤で引っ越してきたとてもノリのいい青年で、女性に優しく紳士的。特に智菊と意気投合したという。
「ついに私にも王子様が……!」
転校生を思い出しているのか、智菊は恍惚とした表情で天を仰いでいる。
思えば桐子達も留学してから半年以上経っていた。桐子が図書館のウィルヘルムやハンス達にかまけている間にも、智菊は現地の友人たちと留学ライフを楽しんでいる。
桐子も<童話>と出会わなければ、智菊と同じように学校の友人たちと平和な学生ライフを送ることが出来たであろう。
しかし桐子は決して<童話>との出会いを後悔しているわけではなかった。少なくとも、彼らの出会いによりウィルヘルムやクラウン、ハンスたちといった大切な友人たちに出会うことができたのだ。
だからこそ、友人となったクラウンが困っているというのであれば彼女の助けになりたいと、それは変わりない想いだと桐子は強く再確認した。
* * *
桐子達は学校に着くと自分たちのクラスに向かい、いつもと変わらない学園生活を送り出す。各授業をなんとかこなし、昼食を食べると残りの授業を受けてあっという間に放課後になっていた。
智菊と教室を出て、校門前まで今日受けた授業や他生徒の噂話を聞いて歩いていると、
「ああ! もう彼がいる」
と、校門が見えるや否や智菊の声が軽やかに弾んだ。
その声が送られる先には、柱に寄りかかり本を読んでいる青年の姿があった。智菊は素早く青年に駆け寄ると、とびっきりの猫撫で声で話しかける。
「お待たせしました〜!」
智菊に気がついた青年は本を閉じ、姿勢を正すと爽やかに智菊に笑いかける。
「いいえ、私も今来たところです」
緩くて短い焦茶色したウェーブ毛を横に流し、ピッシリと制服を着こなした好青年。背筋もまっすぐに立っており、常に人当たりのいい雰囲気を醸し出している。
何処からどう見ても完璧な美しい転校生に、桐子は何故だかデジャブを感じていた。そして無意識にある名前を呼ぶ。
「ヨハネス……?」
ヨハネス。それは兵士のグリムアルムに仕えていた<守護童話>、ヨハネス・オクタビウスの名前であった。しかしローズの夢の中で見た彼は細い巻き髭を生やした四十代ほどの大人である。
ヨハネスと呼ばれた青年も困ったように眉を寄せて、
「申し訳ございません、麗しきフロイライン。誰かと勘違いしているようですね。私はリヒャルトと申します」
と丁寧に自己紹介をしてくれた。
「あ! ごめんなさい」
我に帰って一歩後ずさる桐子。そんな彼女にもリヒャルトは優しく微笑むと「いいえ、大丈夫ですよ」とさりげなく補う。何処までも出来ている青年である。
「桐子、こちらが今朝言った転校生のリヒャルトさん。リヒャルトさん、こちらは桐子。私と一緒に日本から留学して来た友人ですの」
智菊は浮かれているのかお嬢様のように喋り、リヒャルトも嬉しそうに智菊の話を聞いて桐子に深々とお辞儀する。
目で見た限りでは理解できる。全くもって似ていない。しかし、彼から感じる懐かしい雰囲気を頭の中からぬぐい切ることができない。
「桐子さんもよろしければご一緒にお茶でも」
驚き呆けたままの桐子に気を遣った声かけをしてくれるリヒャルトだが、桐子は少しだけ悲しそうに目を細めると、サッと彼から視線を逸らした。
「ごめんなさい。私、この後予定があって……」
「気がある男の子と図書館デートするのよ」
智菊がこっそりとリヒャルトに耳打ちする。
「そんなんじゃなくって!」
珍しく智菊に向かって声を荒げる桐子だが、リヒャルトは
「図書館……?」
と興味があるように言葉を繰り返した。
「……、友人の家が童話の本ばかり集めている図書館みたいなところなんです」
「童話が好きなの? 僕も昔からよく読んでるよ!」
先ほどよりも表情を明るくし、嬉しそうに話すリヒャルト。このまま言葉がつらつらと続きそうな勢いであったが、
「リヒャルト、智菊! お待たせ!」
と顔見知ったクラスメイトが四人ほど、桐子達に向かって歩いてきた。
「あら桐子。歓迎会に来れるようになったの?」
生徒の一人が桐子に聞く。彼らもリヒャルトの歓迎会メンバーのようだ。桐子は少し助かった、とでも言うようにホッと表情を緩めてしまう。
「ううん、今から予定の場所に向かうとこ。また今度お茶しようね。それじゃあ」
特に悪い事が起きたわけでも無いが、桐子はリヒャルトと居るとローズのことを思い出してしまうので、彼から逃げるように急いで図書館へと駆け出した。
そんな彼女の背後をリヒャルトが口惜しそうに見送るが、智菊が「今日は飲んで飲んで飲みまくるぞ!!」と元気よく意気込みの声を上げるので、彼も青春を謳歌するように新たな友人達と喫茶店へと向かうのであった。