018 <森の中のおばあさん> ― Ⅳ
「お帰りなさいませ、クラウン様ぁ〜!!」
カールの葬式を終え、長い旅路から戻ってきたクラウンとハンス。図書館に着いた頃にはすっかり夜になっていた。
シャトンが嬉しそうにお出迎えをする背後でウィルヘルムは苦い顔をしたままチェス盤をきつく睨んでいる。どうやらシャトンとチェスをして二人の帰りを待っていたようだが、盤を見るにシャトンの方が優勢だ。
クラウンも「ただいまー」と言って嬉しそうにシャトンを抱きしめる。
「帰りが遅くなったわね。今すぐ夕食の準備をするわ」
上着をコート掛けに掛けながらハンスが言うが、ウィルヘルムは頭を抱えたまま
「夕食なら先に食った。ハンスたちの分も台所の鍋にある」
と目も合わせずに次の一手を考えながら唸り言う。
「あら、ありがとう」
ハンスは少し意外そうな声を出す。
ドイツでは夕食は簡単にパンとチーズやハムで済ませることもあるのだが、この家ではハンスが料理好きというのもあって基本的に凝ったものが作られる。しかし、
「先程まで桐子様がいらっしゃいまして、一緒に温かい夕食を作って食べたのですよ」
とシャトンが幸せそうにハンスの疑問に答えた。
「まあ桐子が! 今度、お礼しなきゃね」
「そうだクラウン様。桐子様がお菓子を置いて行きましたよ」
そう言ってチェス盤の隣に置いてあった紙袋を手に取ってクラウンに渡す。中には美味しそうな揚げクッキーが入っていた。
「シュネーバルだ!」
細長いクッキー生地を丸めて揚げたそのお菓子は、粉砂糖がかけておりまるで雪玉のよう。クラウンはこれから夕食が待っているというのに、嬉しそうにそのクッキーを頬張った。
「そういえば。お父様、ウィルヘルムが居なくって寂しそうにしてたわよ」
ハンスはチェス盤を睨み続けているウィルヘルムの正面に座りながら報告する。ウィルヘルムは嫌そうにだが、少し照れたように「ふーん」と言って顔をそらした。
「ハウストのお葬式はいかがでしたか? やはり私も一緒に行けば良かったでしょうか」
申し訳なさそうな顔をしながらシャトンは聞くが、ハンスは
「貴方、まだ<青髭>との戦いで失った体力が十分戻っていないでしょう。今の状態で連れ歩いても足手纏いにしかならないんだから、しっかり回復してからそう言う心配はしてよね」
と軽く彼の気遣いをあしらった。
「クラウン様も、シャトンが居なくて寂しくはありませんでしたか?」
シャトンはハンスが自分を必要としていないと気づくと、今度はクラウンに潤んだ瞳を向けてすがりつく。しかし、クラウンはケロッと
「ううん、大丈夫だったよ」
と最後の一口を食べながら、ポリポリと音を立てて答える。
「お葬式は寂しいものだったけど、ハウストの家に行って少しだけあの爺さんの事を知ったよ」
「ハウストの家?」
「うん! 沢山の本があった! それとレコードや患者のメモも沢山!!」
クラウンは両手を大きく広げて興奮気味にシャトンに報告した。クラウンはシャトンが思っているよりも大丈夫そうだ。
「それとグリムアルムの栞と、ハンスたちに向けた手紙も見つけた。ずっと前に書いた手紙。
ハウストは<童話>の事を悪い奴らじゃないと思ってたんだって。人と<童話>がお友達みたいな関係になればいいのにって思ってたんだけど、他のグリムアルムや人間たちはそう思っていなかったからずっと黙ってた。
それで何人もの人が<童話>に傷つけられたり、苦しんだりしたとオイラは思うけど……。けど、その考え方、オイラもちょっとは良いなって思った。<童話>は皆んな封印するべき相手だけど、オイラとシャトンみたいに少しでも仲良くなれたら良いな」
「クラウン様……」
シャトンはクラウンの心の成長に感激し、今度こそ本物の涙で両の目を潤ませる。
「私も所詮は<童話>。人々の悲しみを糧に生きる身体。今も<青髭>との戦いの傷が癒えず、<童話>の力も十分に使えずに貴女様を守ることもできません。ですが今は貴女様の笑顔だけが私の唯一の幸せです。必ず来る最後の日まで、私は貴女様に仕えると誓います」
たとえ<童話>と友人になれたとしても、<童話>としてあるべき場所へと帰ることは決まっている。いつか来る最後の日を想い、クラウンは悲しい気持ちになりながらも温かくシャトンの頬を撫でた。
「うん。ありがとうシャトン。オイラ、絶対にシャトンの事を忘れないよ」
今まで隠されていた規則を思うと、より一層その“忘れない”と言う言葉に力がこもる。そんな彼らの友情にハンスは、
「早く夕食を食べましょう。もうくたびれちゃって早く寝たいの」
と呆れた様な口ぶりで彼らの会話を終わらせた。
それからクラウン達は桐子が作ったシチューを温め直し、美味しそうに夕食を頬張った。食事を終えると片付けをし、歯を磨いて自室に帰る。明日は何をしようかとクラウンはシャトンと一緒に明るい会話をしながらパジャマに着替え、のどかに流れる時間の中で幸せをしっかりと感じていた。
シャトンも元気そうなクラウンにホッとして部屋の電気を消す。この時間が永遠に続けばいいのにと密かに願うが、それは叶わない願いだからこそ彼は大切にこの時を噛み締めた。
先にベッドに潜っていたクラウンの元へと近づくシャトンは、ふっと部屋の中に流れる夜風に気がついた。ベランダへと続く窓が小さく開いている。閉めたはずなのにと思いながら薄いカーテンに手をかけ開くと、そこには太陽のように煌めく黄金の巻き毛をした男が、手すりに腰をかけて暗い影を落としている姿をみつけた。
「……キサマ!」
男の正体に気がついたシャトンは憎悪の瞳で男を見るが、満月を背にした男の顔は逆光でよく見えない。しかし男がゆっくりと顔を上げ、その顔を月の光で照らすと不気味なほどに青白く光った。男は冷たく沼底の様に濁った瞳でシャトンを見ると、細く息を吐きながらかの名前を呼んだ。
「クラウン……」
その声に、シャトン越しに男をぼんやりと見ていたクラウンの目が一気に覚める。
「先生?」
その声とはハウスト家襲撃以来の再会。久しぶりに聴く先生の声はクラウンの心によく響く。クラウンは彼から生きる術を教わり、彼を父のように慕った。そんな先生がこうしてまた自分の元へと戻ってきた。
クラウンは急いでベットから立ち上がり、ベランダに出ようとしたのだが、シャトンが彼女の道を阻んで警戒体制に入っている。
「クラウン様、離れて!!」
すると先生が静かに口を開いた。
「<長靴を履いた牡猫>。すまないがしばらく動かず黙っていておくれ。お願いだ」
彼の言葉が終わるや否やシャトンの体が一瞬にして硬直し、前のめりに倒れた。まるで全身が見えない縄で締め上げられたかのように自由が効かなくなり、声を出そうにも喉が詰まって息ができなくなっている。
苦しそうに唸るシャトンにクラウンは衝撃を受け、戸惑いの目で先生を見た。彼は変わらず沼のような虚な瞳でクラウンを見る。
「無事だったんだね、クラウン。あの後ハウストの悪魔を追って、君を助けに行けなくなっていた。すまない」
決して彼女を見捨てた訳ではないと優しい言葉を紡いではいるが、その声に全く体温を感じない。先生との再会は嬉しいはずなのに、シャトンを縛る彼の謎の力にクラウンはどう反応すべきか分からなくなっていた。
しかし先生は彼女の感情の整理に付き合うつもりは無い。彼は一歩ずつゆったりとした足取りでクラウンに近づいてゆく。
「僕たちの集めていた<童話>もハウストのお陰で大方ハンスの手元に集まっている。ハンスもようやくやる気を出しているようだし、予定を変えて彼らに<童話>を集めさせよう。お前もこのままハンスの懐に入って<童話>がどれくらい集まったか随時知らせてくれ」
べらべらと喋る先生の口先に未だにクラウンは混乱している。自分たちが<童話>を集めていたのはハンス達が<童話>を集める意志を失くしていたから代わりに集めているものだと思っていた。しかしそのハンスがやる気を出したと言うのなら、先生とハンス達の意志は一致した。だが彼はハンスと手を組む気はないようだ。
クラウンの混乱が次第に疑問に変わる中、更なる混乱を招く一言を先生は当たり前の事のようにスラリと言う。
「そして<童話>の数が残り僅かになったなら、僕は先にあの場所に行く。そこに彼らを連れてこい。そして最後の封印を施す前にハンスを殺すんだ」
「え?」