018 <森の中のおばあさん> ― Ⅰ
高く澄み渡る青空の中、一台の車が糠踏む土道をガタゴトと大きく揺れながら懸命に走ってゆく。彼らが目指す先は寂れた村の中心にある、廃墟同然の小さな教会であった。
「やっぱりと言うか、期待通りと言うか……。参列者が私達以外誰もいないわね」
教会の前に停まった車の中でハンスが気怠く言う。彼はもたれていたシートから意を決して起き上がると扉を開けて外に出た。
「やあ、ハンス君。この度はご冥福お祈りいたします」
車の音に気が付き近づいてきたのはウィルヘルムの父、アルノルト・フェルベルト。彼はハンスの顔を見るやにっこりと微笑んで彼を歓迎した。
「フェルベルト卿、お久しぶりです。こう言う時にしか会えずに申し訳ございません」
「いやいや、君も忙しいんだから仕方が無い。私の方こそ息子のウィルヘルムがいつもお世話になっている」
「いいえ! こちらこそ。彼が来てから毎日が賑やかでとても楽しいですわ」
「それは嬉しい言葉をありがとう」
久しぶりの再会に社交辞令の言葉が続く。しかし彼らは楽しく談笑するために会っているわけではない。アルノルトはハンスの陰から時折のぞかせるスカートの裾を見つけると優しくハンスに質問した。
「ところで、ハンス君の陰に隠れているお嬢さんを紹介してはくれませんか?」
彼らが下ろした視線の先。そこには黒いワンピース姿のクラウンがイライラした様子でハンスを見上げていた。
「おい、ハンス! 人がいないって言うからこの格好してやったのに、いるじゃねーかよ!」
「あら彼はこの葬式を仕切る牧師様よ。葬式には立会人が必要なの。申し遅れましたわ。彼女はクラウン。クラウン、この方は四代目の“牧師のグリムアルム”でウィルヘルムとマリアのお父様よ」
ウィルヘルムとマリアの父親と聞いてギクリとするクラウン。彼女は力一杯にスカートの裾を握りしめ、恐る恐るとハンスの陰からアルノルトの前へ出てきた。
「は……初めまして。クラウンと申します。あの、息子さんとは、その……」
彼女から感じられる不安とは違う、しおらしく畏まった姿に何かを悟ったのかアルノルトノは一歩前に出て小さく跪いた。
「君がクラウン君か。息子と仲良くしてくれてありがとう」
「?!! ありがとうは要りません!!」
思いもしなかった言葉に飛び上がり驚き後ずさるクラウン。彼女の大きな声にアルノルトノは豆鉄砲を喰らったかの様な顔をしていたので、咄嗟にクラウンは手をばたつかせて言い訳を口走った。
「え、あ、オイラは貴方の息子さんに酷い事し
を沢山してきた。だから”ありがとう“は……違う……」
「確かに、君が息子にしてきたことは褒められたものではない。しかし、君はもうそれらに関して反省し罪を悔い改めたのだろう? そして息子から逃げずにきちんと彼と話をして謝罪した。息子も君を許し今では仲良くしてくれている。それは良き事じゃないかと私は思っているよ。だから感謝する。ありがとう」
アルノルトの言葉に目を赤くするクラウン。こんな悪い自分にも優しくしてくれるのかと感激しているようだった。
―――― 罪に深く傷つき、悔い改める心があるのであれば、俺は彼らを……赦したい。
かつてウィルヘルムが言った言葉が頭の中で蘇る。同時に自分の犯して来た悪事も思い起こされ、彼らの甘過ぎる考えに疑心的にもなった。だからクラウンは彼らの許しを裏切らないよう、表情を引き締めアルノルノの目を真っ直ぐ見つめる。
「オイラも……ごめんなさい。そして、ありがとうございます」
それからしばらくして教会ではカール・ディートマー・ハウストの葬式が粛々と執り行われた。
クラウンが心配したのとはよそに葬儀屋や墓守と思われる人々は参列者に興味も示さずテキパキと働いて待機室へと帰っていく。
「カールさんの死因についてですが、弟のルドルフが全て処理してくれました」
「持つべきものは警察ね」
本当にそう思って言っているのかわからないが、ハンスは嫌味ったらしく小さく笑った。
「? どう言うことだ?」
疑問を投げかけるクラウンにアルノルトが答える。
「昔からグリムアルムの変死は”兵士のグリムアルム“が上手く誤魔化してきたのだがね、もうその兵士も居ないので代わりに私の弟で警察官のルドルフが処理してくれているんだよ」
まるで子供に話しかけるように優しく言うが、やってる事は犯罪臭い。クラウンも眉間に皺を寄せて彼の話を聞いていた。
教会での式も終わり、人々は墓地へと移動していく。すでに開けておいた墓穴に棺を下ろし、アルノルトが牧師らしく聖書の一文を読んだ。
「普段ならばここで故人の人生を振り返り、説明するのだが……」
「配偶者も親族も居なかった男の人生なんて誰も知らないわよ」
つっけんどうに答えるハンスにクラウンが酷く驚いて反応する。
「え?! 誰も知らないのか? お爺ちゃんになるまで生きたのに何もないのか?」
思っていもいなかった驚き様にハンスは頭を捻って考えた。
「そうねぇ……、私が知っていることは意地悪爺さんって事と、グリムアルムの助けを断り最悪の事件を起こした事。それだけでなく<童話>に襲われた村を見捨てた……って事かしら」
ハンスが言葉を並べるたびにクラウンの顔がドンドンとしょぼくれて行き、終いには彼女のアホ毛も悲しそうに垂れ下がった。
「そうか……、ハウストは本当に悪いやつだったんだな」
長い時を生き、自分にとって良い人生を送ったとしても周りの人々から悪く評価されるのは悲しい事だろう。少なくともそう思ったクラウンは自分が今まで良き事としてきた行いが悪く見られていたかと思うと残念に思えた。
だがアルノルトが思い出したかのようにある話を持ち出した。
「<青髭>の事件ですか。私の祖父ももっと早くあの現場に向かっていればと亡くなるまで後悔していました。しかし、その現場に居ても祖父が生きていた保証はありません。そうすると私も、ウィルヘルムもマリアも存在しなかった。そう考えるとカールさんがとった行動は完璧に間違いであるとは言えないと、私は思います」
カールを援護する言葉にハンスはムッと小さく面白くなさそうに目を細めた。そして口を尖らして嫌味を言う。
「そう言えばお爺様はハウストと仲が良かったんですっけ?」
「ええ。私の祖父とカールさんは親友だったそうで。私が初めてカールさんに会ったのは祖父の葬式の時でした。グリムアルムの師である祖父が亡くなり、自信をすっかり無くしていた私にカールさんはこう言ってくれました。
後悔のない人生を送りなさい。そんな言葉があるが、大であれ小であれ後悔は必ずするものだ。それならば自分で決めた後悔をしなさい。嫌でも納得せざる負えないから。お前の人生は誰でもないお前が決めること。だから好きな後悔を選び、受け止め、それでも納得できない事があろうなら、更なる選択をして望む後悔をし続けなさい。
と。
今思い返すとずいぶん不器用な方でしたね」
ハンスの嫌味にも気が付かず爽やかに語り終えるアルノルトにハンスの毒っ気もクラウンの寂しさも全て祓われてしまった。
カールの棺に次々と掛けられる土を見終えてしまうとこれ以上に語ることも無くなったハンスとクラウンは、アルノルトへの挨拶も軽く済ませて車に乗り込んだ。
日もまだ高く、ベルリンから出る帰りの電車までまだ時間はたっぷりある。しかし早めに帰りたいのかと思って車のシートに座ったクラウンは、その車輪が村の奥地へと向かっていることに気がついた。
「こっちの道じゃないぞ?」
不思議がるクラウンにハンスはため息混じりに言った。
「全く、貴女のせいで気になり出したじゃないの。付き合ってもらうからね」
「何処へ?」
「ハウストの屋敷。片付けもしなきゃだしね」
そして彼らは嬉しそうに微笑むアルノルトに見送られながら数週間ぶりにハウストの家へと向かうのだった。