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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
幕間
101/114

断片 <いばら███████>






 時は桐子たちの時代から70年ほど(さかのぼ)り、1943年9月の初め。

昼頃ならばまだ暑さが残るが、日も傾けば冷たい秋風が吹き始めるそんな曖昧な季節だった。


「ローズ! 隠れてないで夕食の準備を手伝っておくれ」


 ローズたちが人ごろし城(<青髭>)へと向かってしばらく経ってからスワルニダがいつもの調子で馬小屋を(のぞ)きこむ。しかし馬小屋に居たのは彼女の愛娘ではなく下男のマテス。そしてローズの愛馬であるピラトゥスの一人と一頭だけだった。


「マテス、ローズは何処にいる?」


 もう一頭いるはずの老馬ヴェンデルも居ない事にスワルニダは不思議に思いながらもマテスの元へと歩いて行った。マテスは一瞬だけ眉を細めたかと思えば、いつもの感情の読み取れない顔をして目を()らしながら小さく言う。


「人ごろし城へ……行きました」


 ローズの行き先を聞いたスワルニダは両目を大きく見開いた。


「まさか……! 本当に行ってしまったのかい?!」


「はい」


「なんと聞き分けの悪い子だ…………」


 スワルニダは未だに信じられないとでも言うように震える手で頭を抱える。あんなに従順だった愛娘が、自分の言った言葉を無視して死地へと向かってしまった。嘘だと信じたいが、マテスが主人である自分(スワルニダ)に嘘を付くとも思えない。

 スワルニダは今までの威厳をかなぐり捨て、下男であるマテスの両腕に力強くすがりついた。


「おぉマテス、お願いだ!! 下男のお前に頭を下げて願おう! もうお前しかいないのだ!! ローズを連れ戻しておくれ。今すぐにだ!!」


 ローズの気持ちを尊重すると頭では決めていたはずなのに、心は揺らいでいたマテスにとってその言葉は蜜のように魅力的であった。

 最初こそは思い悩んだマテスだが弱く縮こまるスワルニダの姿に居た堪れなくなり、気が付けば(ピラトゥス)(またが)り小屋の外へと飛び出していた。


「いいかいマテス! お前に取り憑いている<童話>の名は……」




 * * *




 自分に取り憑いている<童話>の名前を教えられ、マテスは清々しい気持ちを感じながらも一心不乱に人ごろし城へと馬を走らせていた。


「ピラトゥス、もっと早く走れ! お前の主の元へと急ぐんだ!!」


 その言葉を耳にしたピラトゥス()は更に力強く草を踏み締め、滴る汗を輝かせながら草原を風のように駆け抜けた。




 空は一面雲に覆われて辺りは黄昏(たそがれ)のように薄暗い。目的地は老夫婦に教わって大体の位置は分かっていた。マテスは遠くにそれらしき屋敷があるのを目視すると急いで馬を向かわせる。


 屋敷を繋ぐ石橋の前には怯えた馬たちが縄で停められていた。一頭は老夫婦から借りた荷台のついた馬車で、もう一頭はローズの師であるフリードリヒが乗ってきた大きな馬。そして何時も世話をしている老馬ヴェンデルの合わせて三頭。

 馬たちを見て直ぐにこの屋敷が人ごろし城である事と確信すると、マテスはピラトゥス(マテスが乗ってきた馬)から飛び降りて彼女(ピラトゥス)を他の馬たちと並べて停めた。


 屋敷の方に振り向き直し、いざ突入しようと決心していると石橋の上に麻袋が転がっていることに気がついた。馬の上にいたので視界に入っていなかったが、その麻袋の異様な雰囲気に嫌な気配を感じ取る。

 マテスは恐る恐ると麻袋に近づくと、横に空いた袋の口を覗き込んだ。袋の中には生気を失った女性が一人、マテスの瞳を見つめ返していた。

 驚き後ずさるマテス。死体だ。彼女はもう死んでいる。乾いた女性の目を見てそう確信するマテスだが、彼女が誰かは分からない。しかし人ごろし城(<青髭>の城)の前にいるという事は彼女も被害者なのだろう。


 恐らくローズたちが彼女を屋敷の外まで担ぎ出したのだろうが、途中で<青髭>と出会い何らかの理由で屋敷から出られなくなっているのかもしれない。それならば急がなくては。今の私になら<青髭>を抑えるぐらいの力を持っているはずだ。

 そう思い込むほどにマテスは今までにないくらいの自信を持ち合わせていた。幸いなことに彼に取り憑いた<童話>も暴れずにじっとしている。



 マテスは音を立てぬようにひっそりと、屋敷の中に入ると広間は夜のように暗かった。視覚は闇に覆われ、それ故か嗅覚が鋭く発達し満ち溢れる血の匂いにむせ返る。

 咳き込み口と鼻を覆うマテス。その時、(うつむ)いた視線の先にローズが家から持って来たランタンが落ちているのに気が付いた。ランタンの芯には燃やした跡が残っているが、火が消えてだいぶ経つのか温かさはもう無かった。

 ローズは何処か、無事なのか。それだけが心配で仕方がなかった。マテスはランタンに火をつけると、屋敷の広間に光を当てた。すると階段の下に人影が有るのを発見する。


「大丈夫ですか?!」


 囁く声で人影に駆け寄るマテス。しかしランタンの光がその人を照らし切る前に、彼の息はもうないことをマテスは悟った。胸から腰にかけての大きな切り傷と光を失った瞳。その顔はあの穏やかな青年マックス・リッツのものであった。彼の周りには真っ赤に染まった紙の束が、彼を守るように散らばっている。


 あまりの(むご)たらしい光景にマテスは言葉を失った。最悪な予感がする。すると二階の奥から何かが落ちる小さな音が聞こえてきた。驚き階段を照らすともう一人、階段の途中に大柄な男フリードリヒ・ズィゲートが倒れているのを発見する。彼も腹と背中を深く切り裂かれており、腹からは内臓もこぼれ落ちていた。


 手慣れの二人が遺体となってこの場にいるという事は……。

マテスはリッツの折れた猟銃を奪うように手に持つと、急いで二階へと駆け上がる。

 二階の廊下にも血しぶきの跡が残っていたが、そんな物にも目もくれず物音がしたであろう部屋の扉を考えなしに勢いよく開け放った。



 そこには大男<青髭>の後ろ姿があった。そして男の陰に隠れたベッドの上からは悲鳴にも似つかわしい女のかすれた声が聞こえてくる。


「お楽しみの所、来客か……。無作法なやつめ」


 乱暴に開け放たれた扉の方へと<青髭>が振り返る。その大男の陰から出てきたのは、手足の(けん)を切られ、半裸と言ってもいいほどに服を引き裂かれたローズの姿であった。威嚇するための瞳も右目だけがイタズラに潰されており、脇腹に刺された剣はまるで乱雑に作られた蝶の標本の針のように(きたな)らしい。


 <青髭>がベッドから立ち上がると同時にローズに突き刺さった剣を抜き取ると、栓を抜いたように彼女の口からは「あっ」と(かす)れた吐息が漏れ落ちる。そして傷口からは大量の血が溢れ出た。

 その光景は余りにも(けが)らわしく、拒絶すべき世界であった。マテスは普段の冷静さを失い、我を忘れて<青髭>に向かって声を荒げていた。


「ローズから離れろっ!!」


 だが勇ましく上げた声も、歯がカチカチと擦れ合い喋り終わった今も鳴り続けている。


「こ……この、この銃はただの銃じゃない!  私の<童話>の力だぁ! だからお前にもっ!!」


 その刹那、何か重たい物がマテスの横腹を叩き潰し、次に来た頭を打つ鈍痛を最後に彼の意識は途絶えてしまう。









……

………………

………………………………

…………………………………………




 静まり返った部屋の中、マテスはゆっくりと目を開けた。視界は赤く染まり鼻も鉄の匂いしか感じない。

 自分は死んでしまったのか。だとするとここはあの世なのか。重い頭を抱えながら起き上がると、部屋は瓦礫に変わり果てていた。天井は抜け落ち、壁や床も所々崩れている。どうやらまだ死んではいないようだ。

 ローズは無事かとマテスはただその思い一つでふらふらと、瓦礫の山を被った<青髭>にも気が付かずにローズの眠るベッドへと向かっていた。


 ベッドの上には瓦礫は落ちていなかったが、既に息を引き取ったローズが左目を開けて虚しく横たわっていた。涙は頬に跡だけを残し、傷口から(あふ)れ出た血液ももうすでに枯れ果てている。



 そんな変わり果てた彼女を見て、マテスは全てを思い出していた。それはローズとの楽しい思い出ではなく、彼女に出会う前の記憶。

――嵐の夜に白いドレスを着た見知らぬ女性と赤く染まった自分の手。その女性は自分にとって大切な人であった気がしたが、血を流し死にゆく彼女を見て涙を(こぼ)しながら笑う自分もその場にいた。――



 己に対する嫌悪と憎悪。それらを感じながら思わずケタケタと笑い出す(マテス)の背後で<青髭>がのらりと立ち上がる。そしてベッドの上に横たわる死骸を見下ろしながら笑い続ける男を見て、怯えと疑問の眼差しを送っていた。




 なぜあの男(マテス)は立っている? 握りしめた剣を伝って(マテス)を叩いた鈍い感覚がこの手にまだ残っている。骨が砕け、内臓が断ち切られる音が今も耳にこびり付いている。なのになぜあの男(マテス)はまだ生きている?

 確か<童話>の力と言っていたが、この部屋に香るのは自身(<青髭>)の体に染みついた血と火薬の匂いと死んだ女(ローズ)の薔薇の香り、この二人分だけ。

 <童話>が取り憑いて頑丈になっているのであれば徹底的に切り刻まなくては。何かそれ以上に不味い予感がこの男(マテス)の<童話>から感じられる。




 そう思った<青髭>はもう一度、今度は(マテス)の首を刈り取るように剣を振り上げた。しかしその剣を振り下ろすその前に(マテス)が振り向きながらうっすらと、微笑みを浮かべながら悲しく(ささや)いた。



 その瞬間、<青髭>の視界は暗転する。






 = = =






 轟々と燃える暖炉の前に深々と椅子に座った男が浅い眠りから目を覚ました。暖炉の明かりに照らされてもなお日の光に似た金髪は色あせず、キラキラと美しい輝きを照らし返している。

 男はもう一度椅子に座り直すと口の前に腕を組み、大きく舌打ちを打つのであった。






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