017 <いばら姫> ― Ⅷ
「……いいえ、この家は数年前に私が買い取った物です」
「え?!」
驚くシャトンと桐子の声にハンスは気にせず、まるで元々分かっていたかのように話を続ける。
「そうだったのですね。私たち、そのプフルークさんの知人なんですけども……。どうしましょ。この家の前の持ち主を知っている方に心当たりはありませんか?」
警戒したままの顔をする店主はしばらく考えたのち、
「ちょっとお待ちください。私の祖父はずっとこの村に住んでいますので、そのプフルークさんのことを知っているかもしれません」
と言って奥の部屋へと帰っていった。
待っている間、桐子は家の中を詳しく見渡した。外装はまさしくあの夢で見た建物と同じだが、店として改築された家の中は明るく綺麗になっている。壁に飾られたクリスマスや収穫祭といった行事ごとの集合写真を見るに村の人々からも大切にされているようだ。
懐かしさや切なさで無意識に体を強張らせていると、店主に腕を引かれながら杖をつく老人がひっそりと現れた。老人は最も近くにあった椅子に深々と腰を掛けると鈍い眼光で桐子達を見上げる。
「なにか?」
その老人の眼光に桐子は既視感を感じた。顔の皮膚は垂れ下がり輪郭に名残はほぼなくなってはいるが、鈍く光る青い瞳はマテスを監視しローズを見下していたあの親衛隊の青年と同じものであった。
「突然すみません。私たちプフルークさんを尋ねに来た者なのですが、今彼らが何処に居るかご存じないでしょうか?」
「もういませんよ。前の持ち主であるプフルークさんは5年前に病気で亡くなりました」
老人は淡々とハンスの質問に答える。「え?」っと驚くハンスを見て老人はより不機嫌そうな顔をした。
「聞きたい事と言うのはそれだけですか?」
「それではその……彼らからグリム童話の、何かおかしな話を聞いた事はありませんでしょうか?」
その言葉に老人の皺くちゃな顔が大きく開いた。
「グリム……アルム?!」
彼はそれだけでハンスたちがグリムアルムの者だと勘づくと、「まだ居たのか忌々しい」と小さく悪態をつきながら曲がった背筋をしっかり伸ばした。
「それで? 今更グリムアルムがどうかしましたか」
より引き締まる老人の雰囲気にハンスも彼がグリムアルムを知る人物なのだと分かると更に深く質問する。
「ローズ・プフルークについて何かご存知でしょうか?」
「ローズ? ローズか!!」
老人は嫌そうな顔をしながら笑った。
「アイツの事はよく知っている。この村の疫病神だ。この村のグリムアルムを途絶えさせたのもアイツだ。今更何を語ればいい」
「実はグリムアルムの間でもローズ・プフルークについては語り継がれておりません。よろしければ彼女がどう言った人物だったのかを教えてもらえないでしょうか?」
「本当に今更ですね。遅すぎる」
失望したような目でハンスを見上げていた老人は嫌味たらしく言い返しはするが、杖を付いて立ち上がると「こっちに来てください」と言ってハンスたちを二階へと招き入れた。
階段を上っている間、桐子の心はとてもドス黒く悲しい気持ちに包まれていた。この気持ちは恐らく<いばら姫>があの老人に向けて放つ感情。その憎しみはまさしくいばらのように鋭く痛い。
三人が案内されたのは、ローズの義父テオドールの大きな絵がしまわれていた屋根裏部屋。だが夢で見た記憶の中よりも物が増え、無造作に押し込まれている印象を受ける。
「この家はしばらく空き家だったところをワシの孫が買い取りましてね。プフルーク家の物は全てこの部屋に移してある」
そう言いながら老人はローズの義母であるスワルニダが使っていた椅子にゆっくり座ると、嫌そうにローズの思い出を語り出した。
「ローズがプフルーク家の者ではない事はご存知でしょうか? 彼女は何処かの村から貰われてきた孤児で、プフルークの血筋とは関係ない人間です。だからでしょうね、この村に馴染もうと頑張ってはいましたよ。ですが……」
初めこそはつまらなそうな顔をしていた老人がニタリと気味悪く笑った。
「その頑張りが空回りしたんでしょうね。この村ではローズは隣町へお使いに行ったまま先の戦争の空襲に巻き込まれて焼け死んだと言い伝えられておりましたが、本当はグリムアルムの地位を奪い取り<童話>を祓うのに失敗して殺されたそうじゃないですか」
老人の物の言い方に<いばら姫>が怒っているのか桐子も具合を悪くする。しかし老人の語りは止まらない。
「本来ならばプフルーク家の血筋を持つご子息がその地位を継ぐはずでしたのに、認められようとしゃしゃり出た小娘が貴方たちの“領主のグリムアルム”を滅ぼしたんです。
元々継ぐはずでしたアントレアスさん……プフルーク家のご子息が跡を継げば、戦地で亡くなることも無かったでしょうし、彼の息子さんもグリムアルムを継いであなた達やこの村の助けになっていたでしょうに。残念でなりません」
「その息子さんが5年前にご病気で……」
「左様でございます」
「彼にお子さんが居るということは?」
「それはあり得ませんね。彼は生涯独身でしたから、もうプフルーク家の者はこの世にございません」
リッツの一族のように<童話>とは無縁に生きているのではないかとどこか楽観的に考えていたのだが、その希望も無くなってしまった。それにローズと瓜二つだというクラウンもただの他人の空似でしかなかったようだ。受け継がれていると思われていた痕跡もすでにこの村から消えつつある。
「ここの物を少し……調べても良いでしょうか?」
「どうぞ。我々にとってはもうゴミでしかないから、気になる物があったら持ち帰ってください」
そう言われてハンスはプフルーク家の手記は無いかと紙や本の山を漁った。桐子とシャトンもローズの思い出の品がないかと物で塞がれた棚などを無理やりにこじ開けて物色するが、その時にガタンっとはずみで何かを物置の陰に落としてしまった。
シャトンが音の出所に腕を伸ばし拾い上げると、それは4Fサイズのキャンバスであった。シャトンは絵を見て一言「これは……?」と不思議そうな声を出す。桐子とハンスも彼の元に駆け寄るとその不思議な絵に首を傾げた。
その絵は薄暗がりの部屋を描いた静物画。のようだが中心にあるはずのモチーフが何もない。あるのは見切れたベッドとサイドテーブル。そして机の上に置かれた赤い火を灯す蝋燭だけ。
「何を見つけましたか?」
寄り添い固まる桐子とハンスを不思議がって老人も立ち上がり覗きに来る。
「あの、この絵もプフルークさんの物ですか?」
老人はハンスが手にした絵画をまじまじと観察し、左下に描かれたサインを見つけるなり「ああ!」と思い出したように声を上げた。
「これはあの男の物だ!」
「あの男?」
「ローズが連れてきた男の物だ」
老人は深く頷き、さらに思い出話を聞かせてくれた。
「あの男はある日突然この村に現れた。アントレアスさん曰く<童話>憑きという事で我々も警戒していましたが、ローズが亡くなった後に忽然と姿をくらました」
「忽然と? 誰もその人が何処に行ったのかも」
「知りません。軍の方でも見張っていたようですが煙のように居なくなったそうです」
掻い摘みながらではあるがハンスは桐子からその男の話を聞いていた。そしてローズを助けようとして<青髭>に殺されたことも。ハンスは静物画のすみに描かれた作者の名前を小さく読み上げた。
「マテス……ボガード……」
マテス。彼の最後は勇敢であった。そして誰よりもローズの事を一人の個として大切に思い続けていた。
「この絵も貰っていいですか?」
桐子が寂しそうに老人に尋ねる。
「ああ、欲しいなら持っていけ。今年の冬にでも薪にしてやる予定だった物だ」
そして彼らはプフルーク家の手記とマテス・ボガードの不思議な絵画を手にしてローズの生家を後にした。
ハンスは喫茶店で買ったコーヒーを片手に荷物を車に詰め込んだ。その隣で桐子はじっとマテスの絵を見つめている。
「何か気になるところを見つけた?」
「いいえ……でも何故か<いばら姫>がこの絵に惹かれている気がします。昨日の夢といい、あのお爺さんからローズの話を聞いた時といい今まで以上にはっきりと<いばら姫>が何かを訴えかけている感じがします」
「そう。シャトンも何か気づいたことはあるかしら」
「残念ですがなにも。私も<青髭>にやられて栞に封印されてから古い記憶が朧げとなってしまい、あの男がそのような絵を描いていたことも覚えておりませんでした。それよりもナタナエル坊ちゃんが亡くなっている事の方が……私にはショックで……」
シャトンはすっかり意気消沈し耳をたたんで俯いた。桐子も夢の中でシャトンが嫌がりながらもナタナエルを可愛がっていた姿を見ていたので彼の悲しみを理解できる。
桐子はすっかり自分に取り憑いた<童話>を祓うと言う目的よりも、主を亡くしてもなお彼女を探し求める<いばら姫>の手助けをしたくなっていた。
「ねえハンスさん、<いばら姫>の事を知るためにもマテスさんに憑いていた<童話>を探すことってできますか?」
「え?」
「<いばら姫>はマテスさんのお目付け役としてしばらく彼に憑いていた時期がありました。その時の事をその<童話>が覚えていたら、<いばら姫>の事がもう少しだけわかるかもしれません」
特定の<童話>を探すことはとても難儀な事だが、桐子の期待に満ちた眼差しにハンスは暫く唸って考えた。
「シャトン、そのマテスに取り憑いた<童話>の情報は何か覚えているかしら?」
「記憶を無くした<童話>としか。あと何か……、強力な力を持っていたとかでローズ様もどう対処しようかと大変苦労しておりましたっけ」
手がかりがあまりにも無さすぎる。やはり無茶振りであったかと不安そうな顔をする桐子に、ハンスはニッコリと自信たっぷりに微笑んだ。
「大丈夫よ。貴女に取り憑いた<いばら姫>を祓うことが第一だけど、グリムアルムとして<童話>が困っているのを見過ごす事はしないから。アルベリッヒ達にも頼んでその”記憶を無くした<童話>”と<いばら姫>を知っている人達を探してもらうわ」
「目覚めたと言ってもまだ<いばら姫>は貴女から離れる気はなさそうですしね。クラウン様も桐子様に<童話>が取り憑いたままなのは嫌でしょう。仕方がありません。私もわがままなお姫様に付き合いましょう」
シャトンもやれやれと言ったように桐子に優しく微笑んだ。
「二人とも……」
涙は出ずとも潤んだ眼を擦る桐子。それを慰めるハンスとシャトンはクラウンとウィルヘルムが待つローズのお気に入りの丘へと歩き出した。
* * *
「あいつ等おせーな」
すっかりピクニックの準備を終えたウィルヘルムが胡坐をかいて悪態をつく。呆れた眼差しで隣を見るとシートの上には仰向けに寝転ぶクラウンがいた。
「大丈夫か?」
車酔いしたクラウンの顔はまだ白いが先程よりは元の顔色に戻りつつある。
「ちょっとマシになった」
薄く開いた瞳で青空を見上げ、通り過ぎていく冷たい風を感じながらクラウンは不思議な感覚に陥っていた。
「ここに来るの、初めてなんだけどな」
「?」
「なんか初めてじゃない気がするんだ。不思議だな」
そう言うとクラウンは静かに瞼を閉じて遠くの方から近づいてくる桐子達の芝を踏む音に耳を澄ました。
<つづく>