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グリムアルム  作者: 赤井家鴨
序幕
10/114

002<靴屋の小人> ― Ⅴ



* * *




 次の日、騒がしく廊下を歩く音と窓を揺らす風の音とで桐子は目を覚ました。のっそり起き上がる感じが、まだ疲れは取れきっていないと物語っている。二段ベッドの下の段でまだ寝息を立てている智菊を起こさぬ様にと、そろりそろりと階段を降りていき、淡い朝日を顔に浴びてスッキリさせようと、窓にかけられた薄いカーテンに手をかけた。

 時計を見ると午前七時半頃。日本の朝と比べるとまだ外は薄暗い。カーテン越しから漏れる青い光に肌寒さを感じる。流石、二月のドイツは朝が遅いのだなあ。と感心しながらカーテンを開けた。ら、そこには一羽のカラスが窓にへばりついていた。

「うわ!なんだ? このカラス。え! ちょっと、怖いんですけど?!」

 風の音だと思っていたものの正体はどうやら彼の様で桐子の顔を見るや、先よりも激しく窓を叩いて大きく鳴いた。カーカー鳴きわめくカラスを追い払おうと、桐子も威嚇して窓を強く叩くが一向に離れる気配がない。

「ちょっと桐子~。昨日といい随分と早起きねぇ」

寝ぼけた調子の智菊の声。彼女はまだ眠り足りていない様だ。

「う、うん。うるさくしてごめん」

 彼女の安眠のためにもこのカラスを追い払わなくては。観音開きの窓を勢いよく開けてカラスにぶつけようと思いついた桐子は早速、窓の取っ手に手をかけた。が、今度は

『いつまで待たせるんだ。このトンマ!』

という声が、昨日散々桐子を悩ませた、耳の中に響く声と同じ様にして彼女の耳に入ってきた。

トラウマになりかけているその耳鳴りに「ヒイッ!」と引きつる声を出して窓から離れる。

『おい寝坊助。さっさと支度しろ。俺まで遅刻扱いされるじゃねえか』

 しかしどうやら、耳の奥に響く声の正体は、目の前で鳴き叫ぶカラスの様だ。昨日とは違い、声の正体がわかっている分、落ち着いていられるのだが、カラスにトンマや寝坊助と言われる覚えがない。恐る恐る窓の外を見た。カラスはまたカーカーと普通の鳴き声で鳴くと、寮の正門に立つある人物の元へと飛んでいった。服装は桐子の通うギムナジウム指定の制服なのだが、顔は昨日見た彼そのものである。

 ウィルヘルムがへの口をして、桐子の部屋の窓を睨んでいた。カラスはウィルヘルムの右腕に留まると、彼の空いているもう片方の手でサッと振りかざされて、一瞬隠された。すると、手品の様にカラスは居なくなってしまい、ウィルヘルムが痺れを切らしていると言いたげに、ワザとらしくつま先をカツカツ鳴らし始める。

 あのカラスも〈童話〉だったのか。昨日の夜願った願いが叶っていないことに悲しみを感じるも、そんな暇などを与えないようにウィルヘルムの顔が見る見ると怒りの形相に変わっていく。

 何か言い忘れた用でもあるのかな? そう思った桐子は彼のカラスに言われた通りに身支度し、ウィルヘルムの元へと走って行った。

「おはよ……」「遅い! 遅刻する気か?!」

彼の言う通り、寮の生徒たちも駆け足で門をくぐっていく。

「ごめん。まさか迎えに来てるとは思わなくって……」

「いいからさっさと行くぞ!」

そう言うとウィルヘルムも駆け足で学校の方角へと向かった。通学路を走る学生はまちまちで、大半の人はもう登校し終わっているようだった。桐子も彼に遅れまいとついていく。



 彼女らが通う学校、ギルベルト・ギムナジウムはこの学生都市随一の広さと、独自で考案した勉強カリキュラムを売りとしている学校だ。十一歳から十八歳までの生徒たちが大学進学を目指して日々勉学に励んでいる。まだ設立されて間もないが、他国の留学生を積極的に受け入れるなどして自分の生徒たちに多くの刺激を与えている。

 ウィルヘルムはまだ日本で言うところの中学三年生にあたる第九学年のため、第十一学年に通う事となった桐子とは少し離れた、初期学生用の別校舎に通っていることになる。


 二人はなんとか授業が始まる前までには、初期学生の校舎の玄関に着くことが出来た。

「ギリギリ間に合ったな。俺が迎えに来なかったら完全に遅刻だったぞ」

 息を切らしてはいるが、ウィルヘルムの方はまだ全然余裕が残っている様子。対して桐子は、まだ昨日の疲れが残っているのか足をさすりながら肩で息をしていた。

「い……今更だけど、私たち留学生は……まだ、授業始まって……ないの。明日っから本格的に始まって……今日は午後からのガイダンスだけで……」

一瞬間が空き、桐子の整えきれていない呼吸音だけが響く。しかし、彼女の言った言葉の意味を理解したウィルヘルムが「ふっ、ふざけるなよ! そういうことは先に言え!」と声を荒げて桐子に怒鳴った。

 突然迎えに来られて、朝食も食べずに走らされた桐子としてはなぜ怒鳴られなくてはいけないのかと不満を感じるも、本当に授業が始まるギリギリだったのか、ウィルヘルムは「昼休みに学食に来い! 分かったな!」と捨て台詞のように言葉を吐いて校舎の中へと消えていった。

 一人取り残された桐子はグゥ~となる自分の腹の音に虚しさを感じ、途方に暮れる。午後の授業が始まるまで時間は十分にある。先に学生食堂で時間をつぶすかと、重い足を引きずって、食堂のある本館へと向かった。



「日替わり定食ひとつね。学生証は?」

「あ、はい。えっと」と言って、お財布から学生証と学食カードを取り出す桐子。

それをレジ打ちのおばさんに手渡すと、あっという間に会計が終わってしまった。

 今日の朝食が乗ったお盆を持って、外の景色が見える窓際の席へと向かう。ドイツの学食事情を日本で調べておいていた桐子は、さほど学食に期待などはしてはいなかった。

 煮え切ったロールキャベツから皿いっぱいに汁が溢れており、添えてあるマッシュドポテトとトマトベースと思われるソースまでもが浸食されている。申し訳程度に乗ったソーセージとキャベツの酢漬け、ザワークラウトの四品が一皿にギュウギュウと詰め込まれていた。見た目の美しさを追求していない所はまさに学食といった感じ。その部分は日本も同じかと、桐子は意を決してフォークを手に持ち、ロールキャベツに突き刺した。

 結果から言って、味は思ったよりも悪くはなかった。

しかし、絶品! 美味! とうたって他人にオススメするほどではないかなっ? といった感想。食べ辛さえなければまた出てきても、お前かと笑って食べきれる自信はあるなっと桐子はそう思った。そんな親しみさがある学食に満足しながら、桐子はカバンから文庫本サイズのグリム童話集を取り出した。


「ネズの木、靴屋の小人、いばら姫……」

本をめくりながら昨日起きた不思議な出来事を思い出す。

「グリム童話の正体は〈悪霊〉で、それを封印していた童話集……」

そして解かれた封印を再び結ぼうと、逃げ出した〈悪霊〉を追う人たちグリムアルム……。

全て夢ではなかった。朝起きたら昨日のことは全部夢でした。で終わっているはずだったのに。今朝、桐子を起こしたのはウィルヘルムが使うカラスの〈童話〉。もう夢だとは言い逃れない。

 深くため息を吐いた桐子はパタリと本を閉じて鞄にしまう。そして、自分の胸に手を置き、静かに目を閉じた。

『私の中に、本当に〈悪霊〉が取り憑いているのかな?

だとすると、なんであの時……クラウンから逃げる時に、私を助けてくれたんだろう?』

人の不幸を餌にする〈魔物〉だというのだから、いたずらに生かされたのだろうか。

 しかし、彼女の声は悲しいほどに優しかった。どうにか助けてやりたいと、切に願う想いのこもった少女の声が、桐子には到底〈悪霊〉とは思えなかった。

『私の中の〈童話〉さん。聞こえますか? あなたは何で私に取り憑いたのですか?』

しかし声は聞こえるはずもなく、桐子はバカバカしいと深くため息をついた。

「あの……」

不意に、桐子に少女の声がかけられる。

「はい?!」

まさかいばら姫の声が聞こえたのかと、驚き喜ぶがそうではないようだ。

 桐子の三つ編みに負けないほどの大きな三つ編みを二つ編んだ、ビン底眼鏡の金髪少女が心配そうに桐子の前に立っている。三角頭巾にエプロン姿で、彼女はこの学食のお手伝いさんだとすぐにわかった。

「具合、悪いのですか? さっきから胸に手を当てて……」

「あ、いや。大丈夫です。思ったよりも量が多くって……ちょっと胸焼け」

なははっと笑う桐子を見て安心したのかホッとしたように「よかった」と彼女は笑った。

「トレーを片付ける場所は分かりますか? レジの隣の……」

「ああ、大丈夫です。平気です。あ、そうだ。胸焼けが収まったから、デザートを買おうと思ってるんですけど……オススメはありますか?」

 食堂で働く人が選ぶ物だ。ハズレはないだろうと安心して聞くと、普通にコンビニなどで売っているようなカップのプリンを勧められた。別に不満はないけれど、ちょっとは冒険したかったなぁと先から文句ばかりを垂れる桐子。

 そうこうしているうちに午前の授業が終わったのか、本館の教室や外の初期学生たちの校舎からも次々と生徒たちが学生食堂へと集まってきた。

食堂はあっという間に学生たちで埋まってしまい、みんな楽しそうに昼食を始める。

 本などを読んで時間をつぶしていた桐子は次第に、この場所にいることに肩身の狭さを感じていた。が、そろそろウィルヘルムも来る頃だ。彼も昼食をとるだろうから、一緒に食事を始めればいい。

 未だに窓際の席を陣取る桐子は、外から来るであろう彼の姿を探しながら三個目のプリンをゆっくり食べていた。

 しかし一向に彼の姿を見つけることが出来ない。最後の一口。それをゆっくり口に運んで、食べ終えたらウィルヘルムを探しに行こう。そう思い付いた時だ。桐子はついに一人の人影を見つけてしまった。彼女の瞳はみるみる恐怖の色に変わっていく。

 身なりがしっかりとした生徒たちに紛れて、一人だけスカーフも巻いておらず、ぶかぶかな服を着た青年がゆっくりと目標に向かって歩いてきていた。

 今ならまだ逃げられるだろう。しかし、桐子は猫に睨まれた鼠のように動くことが出来なかった。ガラス扉が開き、食堂の中に青年が入ってくると、桐子の前に空いている席に何の断りもなく座ってきた。そして不機嫌そうに桐子を見つめて腕を組むと、またあの質問を彼女に聞くのである。


「お前は<童話>か?」




<つづく>



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