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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

閉じた世界から抜け出すために

作者: じゅうぜん

 ティルは、小さな村に住んでいる。


 両親がいて、ご近所さんがいて、友人がいる。のどかな雰囲気で、ティルは誰かが喧嘩しているところなど見たことがなかった。

 住んでいるのは老人ばかり。みんな優しいが、ティルには少し退屈でもあった。話が長いのなんのって!

 子供はティルの他に、友人であるシアンしかいない。


 外ではしゃぎまわるのが好きなティルと違って、シアンは大人しい子供だった。シアンが特に好きなのは機械をいじることだ。暇さえあれば機械を分解して、ふむふむと頷いている。大人たちの退屈な授業もしっかりと聞いている。すごいものだ。ティルは眠ってしまって、よく叱られる。

 趣味は反対だが、いっぱいに持っている好奇心は同じだった。よく二人して出かけては、泥だらけになって帰ってくる。大人たちに呆れた視線を向けられるが、ティルはシアンといる時だけが唯一、退屈を忘れていられた。


 だってこの村は小さすぎる。

 本当に小さいのだ。

 まず平凡な村がある。村は森に囲まれている。そしてその先に行こうとすると、行き止まり。それだけ。ティルの世界はそこで止まっていた。

 村を囲む森をさらに囲っている、とても大きな壁がある。壁が空まで伸びていて、ドーム状に村を閉ざしている。とても頑丈で、トンカチで殴っても傷一つ付かない。


 だからティルたちは空を知らない。

 ティルたちが見ている蒼い空や天気の移り変わりは、すべて壁に映る映像なのだそうだ。綺麗な星空も、映像なのかと思うと味気なかった。


 その壁にも、外につながる門はある。巨大な壁に見合った巨大な門。見上げると首が痛くなる高さで、幅は両端にいたら大声を出さないと話せないほど広い。門が開けば外に出られるはずだが、開け方は誰も知らない。


 決して開くことのない門と、全方位を覆う壁でこの村は隔離されている。


「仕方ないわよ」母さんは言った。「だって私たちにはどうしようもないでしょ?」


 空気も綺麗で、電気も通っていて、食べ物も機械兵が持ってきてくれて、びっくりするくらい過ごしやすい場所なのよ? それでいいじゃない。


 それが退屈なのだとは、理解してもらえない気がした。


 だからティルは非日常に敏感だった。

 例えば、支給品が届かないとか。


 支給品は普段、機械兵が届けてくれる。

 機械兵の銀色に光る外装は大木が倒れてきてもびくともせず、レーザー銃は岩すらやすやすと貫通する。それが、二体も。村の人間が束になっても絶対に倒せないだろう。でも、彼らは何もなければ平和的だ。大きな体をキャタピラでゆっくりと動かして、研究所から食べ物なんかの支給品を運んできてくれる。シアンがぺたぺた触っても、なすがままにさせてくれる。


 優しい兵士さん、というのが大人たちの評価だった。

 その兵士さんが、今日は来ない。


「おい聞いたかシアン!」


 話を聞くなり、ティルはシアンの家に飛んで行った。

 シアンは勢いよく開いたドアに目も向けず、小難しい顔で言った。


「聞いてないよ。ちなみに僕は今から時計を分解しなくちゃいけないんだけど?」

「後にしろ。機械兵が今日は来なかったらしいんだ。森に行こうぜ」

「なんだって?」


 シアンの顔が向けられる。その口元が笑みに変わる。


「それを早く言ってよ」

「さすがシアン!」


 ティルもにやりと笑った。





 二人は森に入った。

 今までに何度かあった出来事だから、明日には届くだろうと大人たちは楽観的なものだった。ティルたちには、また行くのかと呆れた視線を向けただけだ。どうしてそんな顔をするのだろうか? 退屈じゃないのか?


「とりえあず研究所に行こうか?」


 隣を歩きながらシアンが言った。


 研究所は、機械兵が守る建物だった。

 森の外れにぽつんと立っていて、とても村にはそぐわない無機質に真っ白い建物。誰も入ったことはない。入ろうとすると、機械兵が甲高い警告音を鳴らしてレーザー銃を向けてくるからだ。あれは本当に怖かった。

 支給品なんかを運ぶために離れる時も、機械兵の片方は残っている。隙は無い。


「そうするか」


 ティルは頷いて、機械兵がキャタピラでならした平らな道を歩き出した。


 そういえば、あの人と今同じくらいの年齢だなぁと思いだす。





 ――それはティルが七歳の誕生日を三日前に迎えた日で、少し蒸し暑い夜だった。

 村に、悪戯が好きで有名だった青年がいた。支給された物をくすねては、食べ物が足りなくて困る人々を笑っていた。

 ティルが寝つけず窓の外を覗いた所、夜の闇の中をこそこそ動く影があった。


「何してるの?」


 窓から飛び出してその影に声をかけると、影はぎょっとしたように振り向いた。

 あの青年だった。

 青年はきょろきょろと辺りを見渡して、ここじゃまずいとティルを引っ張っていった。

 村から離れて、研究所の近くまで二人は歩いてきた。


「あぶねー、まったく驚かせんなよティル坊」


 青年は「ひやひやしたぜ」と強張った笑みを浮かべた。


「ごめんなさい」

「はは、いや、黙ってくれさえすれば何も言わない。いいな?」

「うん、でも」ティルは純粋な疑問をぶつけた。「にいちゃんは何してるの?」

「俺かぁ?」


 青年はにやりと口を釣り上げた。楽しくて仕方がないかのような、そんな笑みだった。


「ちょっとあのふざけた建物にお邪魔しようかと思ってな」


 ティルは目を丸くした。


「研究所のこと?」

「ああ」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だろ。あの機械兵どもだって、うるせえ音鳴らして銃で脅してくるだけじゃねぇか」


 確かに、今までレーザー銃の引き金が引かれたという話は聞いたことがなかった。


「でも……危ないよ?」


 おっ、と青年は一瞬驚いた顔をして、それから笑い出した。


「心配してくれんのかよ!」あっはっはと青年は大声で笑う。「嫌われ者の俺を! 面白いなティルは!」


 ひとしきり笑った後、青年は唐突に神妙な顔になって、ティルの頭にぽんと手を乗せた。


「俺はさぁ。外の世界が見てみたいんだよ。この村で満足してるババアどもなんてくそみてぇなもんだ。あの建物には何かあるかもしんねぇ。俺はそれが気になるんだ。大丈夫。なんか面白そうなものあったら持ってきてやるよ。シアンと一緒に遊べるようなやつがいいよな」


 ティルはその時の青年の顔を忘れられない。

 好奇心を押さえきれない、年相応の純粋な表情だった。


「よし、じゃあなティル!」――青年が手を上げた直後、閃光が走った。


 夜を一筋の光が貫いて、青年の胸を通り過ぎた。光線はそばにあった岩を貫いて、細くなって夜に途絶えた。

 映像の月明かりの下で、青年がゆっくりと傾く。

 胸が赤く、丸く縁どられていた。

 まるで穴でも開いているみたいに。

 静かな音と共に、地面にうつぶせに倒れる。

 目が釘付けになって離せなかった。

 胸の穴から、何か流れ出している。

 よくわからなかった。ただ硬直する。何が起こったのか教えてもらいたかった。

 横から、キャタピラの駆動音が聞こえてきた。

 機械兵。

 青年を見据えて、動きが無い事を確認している。アームに持ったレーザー銃が青白く光っている。


 ――あぁ。


 ただ事実だけがすんなり頭に入ってきた。


 ――撃ったんだ。


 機械兵が顔をこちらに向ける。はるかに高い場所から見下ろされ、ティルはびくりと体を震わせる。


「危険因子を排除しました。他の生体反応を感知。確認します――マーク:イエロー。要観察対象。今後の動向に観察が必要と推測」


 まくし立てて、機械兵は身を翻す。巨体からは似合わない機敏さで、それでいて静かに遠ざかる。

 後には茫然としたティルと、もう動かない青年だけが残っている。





「――どうしたのさティル」


 シアンが訝しそうに声をかけてくる。


「あの兄ちゃんの事思い出してた」

「あぁ、あの人」


 あの青年は、翌日になって埋葬された。

 誰もが目を伏せてしょうがないと言った。仕方ないね。機械兵に逆らったんだから。

 仕方ない? そんな言葉で済ませていいのか?


「言い訳にしか聞こえなかったね」


 思っていることに返答される。昔から、シアンはティルの考えていることにすぐ気づいた。


「そうだな」


 慣れた様子でティルも返事を返す。


「今思ったけどさ、ティルが外の世界を見たいって言ってるのはあの人の影響だったりする?」

「あぁー」今気づいて、声が漏れた。「そうかも」


 シアンは額を押さえる。


「とんでもない置き土産を残していったものだね」

「どういう意味だよ」

「ティルがヤバいってことだよ」

「よせよ、照れるだろ」

「褒めてないよ」


 はぁとシアンはため息を吐いた。見慣れた仕草を横目に、ティルはふと思う。


「なあシアン。やっぱり、外に出たくないか?」

「もう出てるじゃないか」

「いや、門っていうかさ……壁の外に出るってことだよ」

「なんだよ改まって」


 不審そうにシアンは眉根を寄せる。珍しく神妙な口調で喋ったから、何か警戒しているのかもしれない。


「いや、つまんねーじゃん」


 シアンは首をがくりと倒した。


「なんだそれだけ? 何か気づいたのかと思ったよ」


 ずり落ちたメガネを直すシアンに、ティルは言う。


「んー、でもさ」

「でも?」


 ティルは後ろ手を組み、空を見上げた。


「なんか今日、変わる気がするなぁ」

「うわ」シアンは顔をしかめた。「嫌だ嫌だ。ティルのその感じ。本当に何か起こるんだよねぇ」

「そうか?」

「そうだよ。あぁ……大したことじゃありませんように!」


 シアンは祈りを捧げ始める。口をへの字に曲げながらも、ティルはぼんやり、こういうのも良い時間だなと思う。





 それはしばらくたってから見つけられた。

 二人は初め、それを岩だと思った。鈍い銀色の巨大な物体。


「あんなとこに岩なんてあったか?」

「いや……」


 そろそろと近づくにつれ、全貌がくっきりと見えてきた。

 それの正体が分かった時、二人は戦慄に声が出なかった。

 鈍く光る銀色の鎧。

 レーザー銃。

 光を失った顔。

 零れ落ちた支給品。

 横に転がった段ボール。

 間違いようもなかった。





 あれは、機械兵だ。





 永久に動くと思われた機械兵にも限界はあった。いくら動力を自分で補給できようと、内部の部品には寿命があった。

研究所から村へ支給品を運ぶ機械兵は、その道中で突然ぐらつき始める。顔の青い光が不規則に点滅しだして、体はふらつき真っ直ぐ進めない。


 やがて彼は道半ばで傾くと、倒れた。


 そして静かになった。


 点滅していた目の奥の光が、ゆっくりと消えていく。


 掴んでいたレーザー銃が零れ落ちる。


 その体はもう動かない。


 沈黙が降りる。


 彼の時間はここに止まる。





 老兵は、長き務めを終えた。


 ――少年たちに武器を残して。





「……シアン」


 口の中が渇いていた。体はまるで錆びた機械みたいだった。動かしたらぎしぎしと嫌な音を立てるような気がした。


「シアン」

「……ごほっ、うん」


 一度咳き込んでシアンは答えた。二人は視線を釘づけにされたまま話し続ける。


「あれは……動かないのか?」

「多分」

「あれは……襲って来たりしないか?」

「多分」

「あれは」ティルはつばを飲み込む。「――機械兵か?」

「――そう、だね」


 見間違うはずも無かった。あれほどの異質な存在を。

 あれが、機械兵。

 あの無様な姿が機械兵。

 地面に倒れ伏して、顔は光を失い、稼働音も聞こえない。


「どう、するの?」


 動揺を隠しきれない声。そこで初めてシアンの顔を見た。機械兵を見つめる瞳は驚愕に見開かれて震えている。

 それだけでは無かった。

 その奥には、歓喜の色があった。


「はは」


 俺と同じじゃないか。ティルは思う。

 シアンが顔を向ける。口がつり上がっていた。ティルも同じだった。

 二人は同じ笑みを確認し合った。未知の出来事への高揚が、妙に熱のこもる笑みを浮かべさせていた。


「どうする、だって……?」


 そんなの、決まってんだろ。

 シアンが口を釣り上げたまま頷いた。

 二人は恐れなど知らないように足を進めた。無遠慮に機械兵を眺め、その横のレーザー銃に目を留める。


「シアン、あれ使えるか?」

「使えると思うよ。確かエネルギーは外部から充電する型式だったはずだ」シアンはそのそばにかがんで、手を触れる。「うん、少し熱がある……いけるよ、ティル」


 シアンは持ち上げようとして、うめき声を上げた。


「うっ、重すぎ! なんだこれ! よくこんなの持ってたなぁ」

「ちょっと貸してくれ」


 ティルがおもむろに手を伸ばして力を込めると、レーザー銃は軽々と持ち上がった。


「持てたな」


 シアンが言葉を失っている。


「なんて馬鹿力だよ……」

「よせよ、照れるだろ」

「どちらかといえば褒め言葉じゃなかったんだけど」


 ティルは銀色の銃身を覗き込み、全体を眺めて首を傾げる。


「どうやって使うんだ?」

「うーん、撃つ時は手元のトリガーを引けばいいと思う――あ、撃たないでね――へぇ。トリガーを引いている間はずっとレーザーが放出されるみたいだ」

「ふーん。割と簡単なんだな」

「そうだね。さて……武器も手に入ったわけだけど、どうする?」


 試すような視線をシアンは向けた。

 きっとシアンも、答えは分かっていて聞いている。

 ティルは真っ直ぐに見返して、言った。


「俺は、外の世界を見てみたい」


 シアンはふっと笑った。


「うん、そういうと思ったよ」

「手伝ってくれるか?」

「えー? 僕ってそんなに信用がないかな?」


 おどけてシアンは言う。

 ティルは首を振った。


「いや、シアンは最高の親友だ」

「僕もそう思ってるよ。ティル」


 悪戯を楽しむ子供みたいに、二人は笑みを交わしあう。


「ただね、ティル」シアンはぴっと指を立てた「決行は今じゃない」

「今じゃ駄目なのか?」

「駄目だよ! だって僕らは何の準備もしてないじゃないか。今行っても、もう一体の機械兵にやられるだけさ」

「じゃあ、夜か?」

「夜も駄目だ。明日の朝にしよう」


 ティルはきっぱりと言ったシアンに眉根を寄せる。


「なんでだよ?」

「今のままのティルが帰ったら、絶対に怪しまれる」

「え、俺そんなに変な顔してるか?」

「うん。ちょっと頬っぺた触ってごらんよ」


 手で頬に触れる。そこではっとなった。

 いつの間にかにやけている。まったく気付かなかった。


「シアン」

「ん?」

「こういうわけか」

「うん、だからね。今日だけはずっと何を聞かれても黙ってて欲しい」

「黙秘権ってやつだな」

「なんでそんな言葉は知ってるのさ……。まぁ、黙ってても当然お母さんは怪しむでしょ。夜にこっそり出ていこうとなんてしたら、絶対にバレる。そして当分機会は訪れない」

「そ、それは困る! シアン! 俺はどうすればいいんだ!」

「セールストークしてるみたいだね。うん、怪しむと言ってもね、お母さんだってずっと気を張っていられるわけじゃない。さすがに眠ると思う。だからその眠ってる朝――というより日が昇るくらいだね。誰も起きていない時に行こう。早朝ならきっと大丈夫だと思う」


 シアンの言葉に、ティルは少し不安げな表情になる。


「早朝か……」


 起きられるだろうか。寝過ごしたら後悔してもし足りないだろう。

 そんなティルを見て、シアンが笑う。


「大丈夫だよ。だってティルさ、まず眠れるの?」


 ティルは今日の夜中ベッドに潜った自分を想像してみる。

 確信する。


「無理だ」

「だよね。じゃあ明日の朝、穴の開いた岩で待ち合わせよう」

「よし……わかった。明日の朝だな」


 ティルは拳を握りしめた。胸が高鳴っている。こんな気持ちは初めてだった。退屈に包まれたような世界の中で、初めて本当の楽しさを見つけた気がした。


「まずこの機械兵をなんとかしよう。見つけられたらまずいからね」

「おう」

「そっち持ってよティル。馬鹿力の見せどころだよ」

「おう」

「おーいティルー? 聞いてるー?」

「おう」


 気分が高まって仕方ない。返事をしながらも、ティルはどこか上の空だった。

 ようやくだ。よくやく俺たちは外に出られるのだ!

 そう思うと頬が緩んでしまう。


「ティル……」


 気が付くと、呆れ顔のシアンがいた。


「さすがにそのニヤケ顔は気持ち悪いかなぁ……」





 機械兵とそばに置いていた支給品は、ティルの馬鹿力で森の立ち入りづらい場所に移された。レーザー銃は持って帰るわけにもいかず、穴の開いた岩の前に隠しておいた。

 村人が森に立ち入ることはあまり無いが、念のためだ。


 二人は村に戻った。

 シアンは済まし顔で家に戻った。あれならシアンの家族は何も気が付かないだろう。


「問題は俺か……」


 家の前で、ティルは深く息を吸って、吐く。高揚を抑えるためにシアンから教わった深呼吸だ。

 頬に触れてみると、頬が緩んでいないことが分かった。


 よし。


 そっとドアを開け、家に入った。


「た……ただいまー」

「おかえり。今日は遅かったのね」


 母さんは台所にいるようだった。玄関の奥から声が届いている。


「い、いろいろ探してたんだよ!」

「はいはい。いいからお風呂入っちゃいなさい。あんたどうせ泥だらけなんでしょ」

「あ、えっと、うん、分かった」


 母さんがティルの変化に気づいた様子はなかった。

 お風呂に入り、ほくそ笑む。

 これならいける!


 食事の時も、母さんは至って普通だった。

 だというのに、ティルは空回りしてしまう。


「ちょっと、なんで野菜横に分けてるのよ」

「い、いや、後で食べるんだよ!」

「あらそうなの? いつもみたいに残すわけじゃないのね」

「うっ……」

「あんたも成長したのねぇ」

「そ、そうだよ! 成長したんだよ!」


 普通でいようと焦って、なんともぎこちなくなってしまう。

 ただ母さんはいつも通り済ました顔だから、察されているのか分からない。

 不公平じゃないか? なんで俺が野菜を食べることになってるんだよ!


「ティル」


 苦い野菜を食べ終えて部屋に戻ろうとすると、母さんに呼ばれた。


「ほどほどにしなさいよ」


 びくっと肩が跳ねた。

 ば、バレてるじゃん……。


「は、はーい……」


 ティルはいそいそと部屋に戻った。





 村の誰もが寝静まった夜。

 ティルの目は冴え渡っていた。

 今まで発揮できなかった元気があふれ出てくるようだった、

 ベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見つめる。


 悪くない村だった。

 でも、ごめんなさい。

 俺は、村を出ます。





 翌日の早朝。

 穴の開いた岩の前で、二人は出会う。

 ティルが手を上げる。

 シアンが頷く。

 レーザー銃を拾って、ティルは言う。


「行こう」


 世界が変わる、決定的な瞬間だった。





 二人は緊張と興奮に包まれていた。

 真っ白な建物へと歩みを進めながら、足が地についていないような感覚を覚えた。


「なあシアン」


 ティルは横に並ぶシアンに声をかけた。


「何?」

 

 二人の声は、どこか感動したように震えていた。


「これで俺たち、外に出られるんだよな」

「気が早いよ。成功はさせるけどね。これもあるし」


 シアンは背負ったリュックサックを見せる。


「それ何なんだ?」

「着いてからのお楽しみさ。もうすぐそこだけど」


 心臓が跳ねた。

 シアンの指差す先に真っ白い建物が見える。

 あれだ。あれが俺たちをでっかい檻に閉じ込めているんだ。

 壁は全て無機質な白。窓は無い。外と内部を繋ぐのは、開いたことのない入口が一つあるだけだった。

 その入口に機械兵はいない。


「行こうぜシアン!」

「待って」


 がくりとティルは頭を滑らせた。


「おいなんだよ、さっさと行こうぜ」


 シアンは木陰に身を潜めて、じっと白い建物を見つめて答えない。仕方なくティルもかがんで、シアンの横に並ぶ。


「ご、よん」


 その時シアンが時計を見ながら呟きだした。数字を言っているのだと気づいたが、何を意味しているのかは分からなかった。


「どうした?」

「見てて……二、一、ほら」


 顔を上げると、ちょうど建物の陰から機械兵が現れた。シアンが機械兵の巡回を把握して、その時間を数えていたのだ。

 ティルはぞっとする。

 止められなかったら、俺は撃ち抜かれていたかもしれない。

 シアンはにやりと笑って見せた。


「こういうことは任せて。ティルには体力を使ってもらうよ」

「おお……! 任せてくれ!」


 二人は親指を立てて、頷きあった。





「そろそろあいつが二十秒くらいあそこから離れるよ」


 シアンがタイミングを指示して、機械兵が建物の陰に消えた瞬間に走り出した。

 入口に辿り着くが、押しても引いても扉は動かない。


「おいシアン! 動かないぞ! どうする!」

「大声出さないで!」


 シアンはリュックサックから何かを取り出した。

 それは四角く薄い、シアンがいつもいじっている機械だった。名前は確か、パソコンとか言っていたはずだ。

 一か所からコードのようなものが伸びている。コードの先は吸盤のようになっていて、張り付けることが出来そうだった。シアンは慣れた手つきでそれを地面に置くと、コードを扉に取り付ける。

 パソコンの画面が光る。複雑な文字がびっしりと映っていた。

 シアンはそれを一瞬見渡すと、物凄い速度でキーボードを叩き始めた。シアンが指を動かすたび、画面の文字が書き換えられていく。

 指の動きに目を奪われていると、唐突にシアンがばっと顔を上げた。


「行けたよ!」


 ピーと音がした。同時に扉が開き始める。


「すげえ……」

「突っ立ってないで! ギリギリだよ!」


 シアンがパソコンを抱えて言う。

 ティルは現実に引き戻され、開きかけの扉に飛びこんだ。

 中ではすでにシアンがコードを繋げていた。


「閉めるよ!」


 またピーと音がした。開きかけの扉がゆっくりと閉まっていく。

 出てくんなよ機械兵。

 閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ……っ!


 静かな音と共に、扉が閉まった。

 どっと力が抜けた。二人は白い床にへたり込む。


「はあぁ、危なかった」

「シアン……何だよ、それ」

「あぁこれね。色々文献を見て、作っておいたんだ。システムが文献通りで良かったよ」


 なんでもないことのように言う。

 ほとほとあきれ返る思いだった。


「……やっぱお前すげえよ、シアン」

「ティルだって大概さ――ほら、行くよ」


 シアンはパソコンを抱え直した。


「ああ」


 ティルはレーザー銃を握りしめ、立ち上がった。





 建物は内部まで眩しいほどに白で統一されていた。通路は整理されたように真っ直ぐ区切られている。どこの角を曲がっても、同じ真っ白な光景が広がっていた。


「どこもかしこも真っ白だな」

「目が痛いね」

「どこを通ったとか全然わかんねー……」

「一応地図は作ってるよ」


 ほらとシアンはパソコンの画面を見せてくる。細かく区切られた通路が簡単に示されていた。


「すげぇ、そんなことまでできんのかよ」

「うん、この機械を作った人は本当にすごいよ」


 二人は着実に地図を埋めていった。

 道中いくつか部屋を見つけて、シアンが一つ一つ開いていく。

 そのどれもが人のいた痕跡のあるものだった。調理室。仮眠室。研究室など。

 綺麗に整えられた室内を一通り見ていくが、門を開けるヒントのようなものはどこにもなかった。


「無いな」

「……うん」


 いつまでも変わらない無機質な白色は、息苦しさと精神的な疲労を与えていた。


「多分さ」

「え?」


 少し疲れた顔で、シアンがぽつりと呟いた。


「多分、ここは何かの研究をしてた所だと思う」

「……研究?」


 シアンの声音にも疲労が感じ取れる。ティルもそうだった。

 ただ喋っていた方が、気は紛れる。


「何かは分からないけどね。資料も無かったし……薬じゃないかと思うんだけど」

「薬ねぇ……プロテインとか?」

「あれは薬じゃないし。なんでそんなもの知ってるのさ」

「シアンから聞いたんじゃなかったっけ?」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「うーん……思い出せない」


 頭がうまく回らない。景色が変わらないことがこんなに辛いなんて。


 何かもっと面白いものは無いのか……?


 そう考えていた矢先、二人は一際大きな扉を見つける。





 その扉は明らかに他と違っていた。

 まず大きい。そしておびただしい数の細い線が模様のように走っていて、その線はブルーに光っている。まるで脈動するかのようにその青色は点滅していた。


「あ……ここで地図も終わりだ」


 ティルは息を呑んだ。明らかに怪しいこの扉を調べなければならないのか。


「大丈夫そうか? シアン」

「……正直、ちょっと自信が無い。どうするティル? 戻るっていう選択肢もあるよ」


 戻る?

 ここまで来てそう言われるとは思っていなかった。だがよく考えてみると、それも魅力的な提案に思える。

 何も見なかったことにして、また平穏に暮らす。普段通りの生活に戻る。

 悪くない。

 でも。


 そこまで考えて、ティルは笑った。


 それって、また退屈に戻ることと同じじゃないか。


「進もう」


 シアンはふふと笑う。


「そう言うと思ったよ。何が起こっても保障はしないけどね」

「上等だ!」


 シアンはコードを繋げ、また恐ろしい速度でキーボードを叩く。


「うわ……ここちょっとまずいかもなぁ、ティル、レーザー銃は持ってるよね?」

「ああ」


 ティルは銀色に光るレーザー銃を持ち上げた。


「よし……なんとか開いたよ」


 ピーと音がする。

 ――途端、扉の青い光が全て真っ赤に染まった。

 順に通路、壁、全て赤く染まっていく。


「な!?」

『侵入者です。侵入者です。〈キーパー〉が排除にあたります。研究員は速やかに避難してください。繰り返します――』


 シアンが舌打ちをした。


「まずいよティル! 多分キーパーって機械兵のことだ!」


 こっちに、来る。

 心臓が鐘を打ち鳴らしていた。

 どうする。どうする。ひたすら問う。

 やつが来たら終わりだ。

 助かる見込みは無い。

 どうすればいい。


「くそ……ここまで来たのに!」


 シアンが叫ぶ。

 俺は、どうすればいい!?

 辺りを見渡した。真っ赤に染まった世界以外何もない。

 息が荒くなる。

 何か、何かないのか。

 気づいた。

 ああ。

 手元に視線を向ける。

 レーザー銃がその手にあった。


「シアン!」


 シアンが絶望に染まった顔を向ける。

 ティルは自分を鼓舞するように声を張り上げた。


「お前はその中で機械兵を止める方法を探してくれ!」

「ティルはどうするの!」

「俺は機械兵を引きつける!」


 シアンが目を見張る。


「無茶だ! できるはずがない!」

「いや! やるしかない!」


 遠くから、機械兵の駆動音が響いてきた。


「シアン!」

「ぐ……!」シアンは首を振って、自分の頬を張った。「くっそぉ! やってやるよ!」

「それでこそシアンだ! 俺はお前を信じてるぜ!」

「肉体労働! 任せたよ!」

「あぁ! 絶対に、意地でも戻ってきてやる!」


 言い残して、ティルは駆けだした。

 握りしめたレーザー銃のトリガーに指を掛ける。

 音から判断するに、やつはもう少しでその角を曲がる。


「その前に! 撃つ!」


 ティルは角から飛び出して、勘だけを頼りにトリガーを引き絞った。

 その勘は全くのズレも無くぴたりと当たっていた。

 銃口もまっすぐその影に向いていた。本当なら機械兵の胴を貫くはずだった。

 ただ、レーザー銃の衝撃はその全てを破壊した。

 トリガーを引いた瞬間、腕が弾け飛ぶような痛みを覚えた。


「があぁっ!?」


 レーザーは狙いを大きく外れて、壁を抉るだけに終わる。レーザー銃が手からはじけ飛んだ。遠くの床に跳ねて転がる。

 あれが無いとまずい……!

 拾おうとした瞬間、背筋にぞっと寒気が走る。

 咄嗟に横に転がると、一瞬前にいた空間を光線が貫いた。やはり機械兵は躊躇いなく攻撃してくる。

 そして光線は消えずに空間を焼き続ける。

 これで終わりじゃないんだよなっ!

 機械兵はトリガーを引いたまま、ティルに銃口を動かす。光線は後を追って、ティルに迫る。

 ティルは光線をすんでのところで避ける。

 機械兵はティルより、動きが少し鈍い。あいつの後ろの角を曲がれるかもしれない。そうすればシアンの方にこいつは行かないはずだ。

 そう考えたティルは、一瞬だけぴたりと動きを止める。

 来い!

 機械兵はその隙に向けて、撃った。ティルは銃口が向けられる瞬間に、横っ飛びに避けていた。レーザーはその残像を打ち抜くにとどまる。

 ティルが飛び避けた場所は、弾きとんだレーザー銃が落ちている場所だった。転がりながらそれを拾って、ティルは機械兵の横を通り抜け、走る。


 速く。速く。速く!


 歯を食いしばって駆けた。背後で機械兵が振り向く。


「あああああああっ!」


 叫び、ティルは目の前の角を右に飛び込む。機械兵はレーザー銃を構え、躊躇なくトリガーを引いた。

 ティルは空に浮いている。

 レーザーが迫る。


「ぐっ!」


 右足に痛みを感じてティルはくぐもった声を上げる。それでもこのまま転がっているわけにはいかなかった。立ちあがって足を踏み出す。焼けるような痛みが走るが、シアンの場所から遠ざかるため駆けだした。

 機械兵が滑るように追ってきている。

 このままじゃ、俺は死ぬ。

 ティルは体がふらつくのを感じて思った。

 どうすればいい。どうすれば……!


『ティル! 聞こえる!?』

「……っ、シアン!?」


 建物にシアンの声が響き渡る。切羽詰まった声音で、シアンは怒鳴るように言った。


『館内放送を使ってる! 君の声は聞こえないけど、場所は分かる! 今から僕の言うとおりにしてくれ! できる!?』


 シアンの声を聞いた途端、腹の底から何かがみなぎってくるような気がした。

 ティルの顔に不適な笑みが浮かんだ。


「誰に言ってんだ! やってやるよ……!」

『次の角を右だ! 曲がったすぐそばの角を左! それから――』


 シアンは次々と指示を繰り出す。ティルは命じられるままに走った。

 足は痛かった。呼吸は荒かった。状況は絶望的だった。

 それでもシアンと俺なら、どんな壁だってぶっ壊せる。


 気づけば機械兵の駆動音は聞こえない。

 指示された最後の場所は研究室だった。ティルの目の前で自動的に扉は開いた。


『その部屋の奥で銃を構える! 時間は少しあるから、膝を立てて、安定した体勢を取るんだ! 僕が合図したらトリガーを引いてくれ!』


 ティルが入るとゆっくりと扉は閉じはじめる。

 奥まで歩くと、ティルは膝を立て、レーザー銃を両手で持ち、構えた。片手で衝撃を押さえられないなら、両手を使えばいい。


 失敗したら死ぬだろうなとティルは思った。

 でも、シアンが考えたなら、成功するに決まっている。





 真っ赤に染まった扉の先、シアンは食い入るように画面に映ったティルを見つめる。

レーザー銃は人が使うようには作られていないはずだ。どんな影響があるかわからない。

 でも、ティルなら大丈夫だ。絶対に。


 二人はお互いのことを信頼していた。





 誰もいない部屋で、ティルは笑みを浮かべる。こんなスリル、普通に暮らしてたんじゃ絶対に味わえなかった。息はまだ荒い。右足は痛む。血が流れ出して、気を抜くと意識が途絶えそうになる。

 それでも、生きていると実感できた。

 俺はまだ死んじゃいない。シアンと外の世界を見るまでは、絶対に死んでやるものか。


『そろそろ来るよ!』


 鋭い声が飛んでくる。

 ティルはトリガーに指を掛けなおす。グリップを握りしめて、長い息を吐いた。

 意識を尖らせ、集中する。

 周りの音は聞こえない。

 心臓だけが鳴っている。

 駆動音がかすかに聞こえた。

 段々と大きくなってくる。機械兵はこの部屋の扉の前で止まった。


『まだだよ……』


 機械兵は扉を調べているようだった。


 シアンは考える。研究室は、壊してはいけない貴重な物が多いはずだ。優秀なAIを積んでいるはずの機械兵は、一瞬迷うだろう。それを見越してシアンはこの部屋を選んでいた。

 やつが扉の前で戸惑って、でも決断する瞬間まで、おそらく後三秒。

 唾を飲み込んだ。


『三。二。一――』


 予測を間違えていたらティルは死ぬ。そして僕も死ぬ。

 そんなことはさせない。

 絶対に、ティルと外の世界へ行くんだ――!


『撃てえええええええ!』


 扉が破壊された。機械兵が中にいたティルを見定める。





 笑みを浮かべたティルを、その目に捉える。





「食らえええええええ!」


 ティルはトリガーを引き絞った。強烈な衝撃を力任せに抑え込んで、ティルは狙いを留め続けた。

 レーザーは空間を引き裂いて、無慈悲に機械兵の胴を貫く。

 ティルはトリガーを引き絞り続けて、機械兵は穴を広げていく。


 打ち終えた時には、機械兵はガクガクと痙攣していた。


 稼働音が異様な音を立て始める。

 致命傷なのは明らかだった。


『もういいティル! 速く機械兵から離れるんだ!』


 気を抜けば消えそうな意識の外から、シアンの声が聞こえる。右腕の感覚が何も無い。銃は腕から離れて、硬い床に落ちた。ティルは体を支えきれず、前のめりに崩れ落ちた。


 機械兵の白熱した穴から火花が散っている。


『爆発するぞ!』

「く……」


 体が重かった。熱が全身をぐるぐると駆け巡り、視界は霞んでいる。

 左腕だけで這うように進むが、それは遅々として進まない。機械兵から漏れる音が次第に高くなり、ティルは焦りが増してくる。

 動け! 動けよ!

 必至に体を引きずる。間に合わないと直感が告げる。

 それでも。それでも――!


「――ティル! 今助けるよ!」


 え?

 放送ではない、くっきりとした声が聞こえた。

 シアンが部屋に現れた。髪が乱れて、荒い息を吐いている。表情に恐怖が見えたが、それは一つの決意によって押さえつけられていた。


「絶対に助けるから!」


 迷わずティルの傍にかがんで、ティルの腕を自分の肩に回す。


「危な、いぞ……!」

「無理に喋らないで! ここから離れることだけ考えて!」


 シアンは顔を歪めて、精一杯の力を込めてティルを持ち上げる。

 ティルは最後の力を振り絞って起き上がった。

 二人は必至の表情で部屋を抜ける。


「まだだ! 少なくともそこの角を曲がるまで!」


 シアンが叫ぶ。稼働音はもはや超音波のように脳を突き刺す音になっていた。


「ぐ……っ!」


 二人はもつれるようにして角に倒れこんだ。

 直後、轟音が響いた。

 音と衝撃にやられ、二人は意識を失った。













「……う、あ?」


 しばらくして、ティルは目を覚ました。オレンジの光に目を細める。

 夕日だった。

 ずいぶん寝てしまったようだ。


 体を起こすと、まず腕と足に痛みが走った。顔をしかめて、辺りを眺める。

 通路の明かりは全て消えていたが、天井が吹き飛ばされ夕日が射している。傍らに、シアンが仰向けに倒れていた。


「お、おい! シアン!」

「う……ん?」


 ゆさぶると、シアンは瞼を重そうに開く。ほっとするティルの横で、シアンは頭を押さえながらティルを見つめた。


「えっと……そうか、ここが天国なんだね。興味深いなぁ」

「おい、しっかりしろ」

「あ、ティル……君は生きているの?」

「足は痛い、腕は動かない。だから生きてると思う」


 ぼおっとしていたシアンの瞳が、段々一つに定まってくる。

 ああ! と叫んだ。


「ティル! 怪我は大丈夫!?」

「……ああ、平気だ。まだ死ぬことはないと思う」

「そ、そう……それなら良かった」

「そんなことより、シアン」


 ティルは興奮を押し殺した声で言った。


「ん?」

「これで……外に出られるよな」


 静かな言葉の意味を理解していくにつれ、シアンの顔が輝いてくる。


「門を開こう。あの部屋ならできるはずだ」

「よし……行こう!」


 二人は立ち上がった。





「――成功だ……!」


 喜びがにじみ出た声でシアンが呟く。その顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。

 ティルは呆けた顔でその視線を受け止める。


「……なん、だって?」

「成功だ、僕らは外に出られるんだ」


 ティルが信じられないといった顔でシアンを見返す。


「おい……本当かよ」

「うん、これで門は開いたよ……あぁ、疲れた」

 シアンは強張っていた肩の力を抜いた。

 村を閉ざしていた門は、二人の少年の手によって開かれた。

 ティルはしばらく声が出せなかった。求めていたことが叶う。それはとても現実味の無いことだった。それでも、段々とシアンの言葉の意味が染み込んでくる。顔がぱあっと輝いてくる。

 やった……。これで俺たちは外の世界に出られるんだ!

 ティルは、痛みなど感じないかのように勢いよく立ち上がる。


「よっしゃ……! 早速行こうぜシアン!」

「あ……ちょっとだけ待って。そこに日記がある。これを読んでからにしようよ」


 シアンは寂れた日記帳を手に取って、床に座りこんだ。

 ティルは嫌そうに口を曲げる。


「なんでだよ、早く行こうぜ」

「外のこと、僕らは何も知らないでしょ。少しでも知識があった方がいいじゃないか。大事なことだよ」


 言いくるめられ、ティルはしぶしぶシアンの隣に腰を下ろす。

 シアンが肩をすくめて、日記帳に向き直る。


「じゃあ見てみよう」


 ――ページを開く。

 読み進めるにつれて、二人の顔色が変わっていく。





 ――これは警告である。後の世に向けて、私はこれを記そうと思う。

 初めそれは取るに足らない病気だと思われていた。だが違ったのだ。発展の進みすぎた世界は、本来ならばありえないはずのものを作り出した。


 『瘴気』と名付けられたそれは、瞬く間に世界中に広まり人口を減らしていった。薬の開発は追い付かず、着実に人類を追い詰めていった。


 私は薬の研究をする一人だった。苦しむ『瘴気感染者』を救いたいという決意はあったが、思うように研究は進まず、もどかしい日々を送っていた。


 シェルターを作ろうと言い出したのはどこの国だったか。結局はどこも賛成したのだから、大した問題ではない。人間は追い詰められると何をするか分からないと聞くが、本当にその通りだった。

 大規模なシェルターを作り、そこに最低限の人間を入れると言う。人類が存続するために必要だとのことだった。そんなことをしている金があるのならば、こちらに回してくれればいいものを。

 秘密裏に計画は進められ、辺鄙な国の辺鄙な土地にこのシェルターは作られた。少しでも『瘴気』に耐性のある人間を探し、選りすぐった二十人をシェルターに入れた。


 私は人々を観察する一人に選ばれた。

 シェルターはサブリミナル効果を絡めた映像と少量の薬を混ぜた空気を送り出すことで、中の人間を穏やかな気性に安定させた。記憶もおぼろげになり、彼らに状況を疑う者はいなかった。

 もし反抗する者が現れた場合、キーパーに処理させる予定だった。そのようなプログラムが埋め込まれていると聞いていたが、強制とはいえ穏やかな性格の人々だ。そんな心配は無さそうだった。

 薬は自動精製されて、誰かが門を開かない限り永久的にばら撒かれるはずだ。しばらくは安泰だろう。


 ただこれから、薬に免疫の付いた子供が生まれるかもしれない。今となっては、そんな子供が生まれないことを祈るしかない。


 今日は、このラボに『瘴気感染者』が現れた。私たちはもう終わりだ。ラボは閉鎖し、必ず誰も入れるなとキーパーに厳命する。彼らはいつまで動いてくれるだろうか。メンテナンスをする人間はいなくなる。可能な限り働いてもらうしかない。


 直に私にも赤い斑紋が現れるだろう。


 もし、後の世に誰かこれを読む者がいるのなら、一つだけ伝えておきたい。


 絶対に、門を開くな。





 ――二人は顔を見合わせる。

 血相を変えて駆けだした。





 焦がれていた壁の先。

 外の世界。


「……なんだよ、これ」


 そこはただ荒れた土地が広がっているだけだった。何もない。岩肌が見え、黒い空気が不気味に逆巻いていた。


 思い描いていた世界とは、あまりにかけ離れている。


 母さんの言う通り、ほどほどにしておくべきだったのだ。


 こんなものを見るために、命を賭けたわけじゃない。


 涙がこぼれた。


 ただ虚無感だけが胸を支配していた。


「こんな……こんな……っ!」


 黒い空気が入り込んで、咽ぶ声を覆う。


 視界が黒く染まる。


 鼻につく匂いに咳き込む。


 恐怖に包まれ、叫ぶ。


 耳が壊れて何も聞こえない。


 ふと黒い空気が途切れた時に見えたお互いの顔には、赤い斑紋と絶望の表情。


 二人は体の痺れを感じて地面に倒れ伏す。


 そのまま動くことは無かった。













 そして地球上から生命は消え去った。






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