そして乱される日常
「……失礼ですが、どなたでしょうか?」
それがセレヴィンさんの第一声だった。
それを聞いた金髪の少女は『え?』と呟いて小首を傾げ、ロライアン様はパチパチと目を瞬き、シグルトさんはぎょっとした顔をして、セレヴィンさんとの距離を一歩詰めた。
「お、おいセレヴィン正気か!? あれだけしつこく付きまとってた相手をたった数ヵ月で忘れたのか!? いくら興味を示さずいつもさらりとかわしてたからって……!!」
「……しつこく付きまとってた相手?」
続いて小さく早口で告げられたシグルトさんの言葉に僅かに首を傾げると、セレヴィンさんは再び少女に視線を移した。
そして、まるで記憶をたどるかのようにじっと少女を見つめる。
「……ああ。……失礼を致しました。お久し振りですね、お元気そうで何よりです」
数秒後、その存在を思い出せたのか、納得したような顔をするとそう短く挨拶を口にする。
そして、直ぐ様背後のロライアン様に視線を移した。
「ロライアン様、レイディア嬢、私どもは汗を流して参りますので、もう少々お側を離れます。それでは。行こうシグルト」
「あ、ああ。失礼致します」
次いでそう言って軽く頭を下げると、シグルトさんを促し、セレヴィンさんは少女を見ずにその横を通り過ぎて、スタスタと浴室へ向かってしまった。
それを目で追っていた少女は、セレヴィンさん達が去った方向を見つめながら、口元に両手を持っていく。
あ、泣くかも。
突然現れた見知らぬ来客にどう対応したら良いものか困って成り行きを見守るしかなかった私は、セレヴィンさんに去られた少女の後ろ姿を見てぼんやりとそう思った。
さっきの台詞から考えるに、遠路はるばるセレヴィンさんに会いに来たのだろうに、当のセレヴィンさんには挨拶だけで去られてしまったのだ、泣きたくもなるだろう。
しかし、教わった貴族の礼儀に従うなら、まだ名乗りもしていなければ名乗られてもいない相手にハンカチを差し出す訳にもいかず、困った私はロライアン様を見た。
けれどロライアン様は何故か私に苦笑を返すばかりで、動かない。
それを疑問に思って首を傾げた、次の瞬間。
「……ああ……っ、セレヴィン様ったら、私が長く会いにこなかった事に寂しさを募らせて拗ねてしまわれたのね……! 私を忘れた振りをなさるなんて酷い方! でも、それでも久し振りの逢瀬に汗の匂いを気にして急いで流しに行かれるなんて気遣いをなさって下さるあの優しさ……! 愛しすぎますわ!!」
少女からそんな言葉が聞こえてきて、私は思わず『え』と呟いて固まった。
セレヴィンさんのあの態度をどうしたらそんなふうに受け止められるのだろう……恐ろしいまでのポジティブ思考である。
そのまま呆然と少女を見つめていると、ふいに、コホン、と咳払いが聞こえ、ロライアン様が一歩前に出た。
「お嬢さん、もうじき日が落ちる。セレヴィンを待っていてはいけないよ。同行者が宿を取っておられるのだろう? そこへ帰りなさい」
「えっ? そんな、ご領主様!」
「暗くなっては心配されるだろう? 帰りなさい」
「……はぁい。……じゃあっ、また明日来ますね!」
ロライアン様が毅然と告げると、少女は不満そうに声を上げたが、更に帰宅を促されると渋々頷く。
けれど次の瞬間、パッとその表情を変えて明るい顔で翌日の来訪を告げると、玄関へと進んで行った。
「……ず、随分、無邪気な方ですわね?」
館の人間の事は目に入っていたはずなのに一言の挨拶もなく去って行った少女をどう表現したらいいものか迷った私は、無難な言葉を選んでロライアン様にそう話しかけた。
するとロライアン様は眉を下げ、困りきった表情で私を振り返った。
「申し訳ない、レイディア嬢。彼女は息子の婚約者の幼馴染みで……連れ立って家に遊びに来た時にセレヴィンを見て一目惚れしたらしく、以来よくセレヴィンに会いにきていたのだよ。……まさか、この地まで来るとは思わなかった。先程現れた時は驚いたよ」
「……そうなのですか。ご子息の婚約者の幼馴染みの方……。……積極的な方なのですね」
「……そうだな。……けれど……セレヴィンがどうするか……。彼女に興味はなさそうですからなぁ」
そう言って、ロライアン様は深く重い溜め息を吐いた。
確かに、シグルトさんもさっき、セレヴィンさんは『興味を示さずさらりとかわしてた』と言ってたから、本当にあの子に興味はないんだろう。
だから今後もきっとかわし続けるんだろうけど、それであの子が諦めるようには思えないし……最終的にはどうするんだろう?
そんな疑問を浮かべながら、私は自室へと歩いて行った。
そしてその翌日から、私がセレヴィンさんの姿を目にする事が、目に見えて減ったのだった。
次の更新は27日です。




