人柱
「こう日照りが続くと、稲がとれなくなってしまうな。そうすると、酒も作れなくなってしまう」
瓢箪に入った酒を飲みながら、衫子は言った。
「さりとて、少し雨が降りすぎると、すぐに河があふれて、大水になってしまう。どうにかならないものか」
それを聞いて、長彦が言った。
「その事だがな。近々、大君が河に堤を築く仕事を始めようとしているらしい。そうなったら、この河内の国に住んでいる、我ら茨田連の族がその仕事を請け負うことになるだろう」
「ほう、それはいいな。民のために堤を築くというのは、今までの大君がしたことのないことではないか?堤が仕上がれば、この国の人々も、大君を敬うだろう」
「そうだな。ただ、我がおそれているのは、堤を築いて、河の流れを変えるということを、人々が良く思わないのではないかということだ。聞いた話では、かつて初めてこの国に田畑を作った時も、人々は受け入れなかったという話だからな」
「そうだな。しかし、大水のために苦しんでいるのは、他ならぬこの国の人々なのだから、受け入れない人は少ないだろう。巫や祝の中には、そういう人もいるかも知れないが」
それからしばらくして、茨田連の氏上が、族を集めて、言った。
「大君の仰せで、この度、この河に堤を築くことになった。ついては、我ら茨田連の族に、その仕事を仕上げるようにと言われている。
このように堤を築くというのは、今までなかったことで、我らにとっては誉れでもあるが、それだけに、し損ねることも許されない。お前たちおのおの力を尽くし、他の者たちとも助け合って、仕事を仕上げてくれよ」
「承りました」
人々は答えた。
さて、仕事が始まって、茨田連の族と共に、河内の国の人々と、新羅から来た工匠とが合わさり、南の河に溝を掘って水を西の海に流し、また北の河に堤を築いて、水を防ぎ止めた。
仕事は少しずつ進み、時には、大君が自ら仕事を見に来ることもあった。大君は茨田連の氏上に言った。
「仕事の進みはどうかね」
「はい、うまく進んでおります。このまま行けば、次の次の月くらいには、仕上がると思います」
「それは良かった。昔の大君は、墓は築いてきたけれど、こうして民のために堤を築くということは未だなかったことだ。これが仕上がれば、この先の仕事もやり易くなるであろう」
そこへ、仕事の司がやって来て、言った。
「確かに、大方は、この仕事は仕上がって来ています。ただ、北の河の堤には、少しばかり心にかかることがあります」
「どういうことだ?」
「堤も大方は仕上がっているのですが、二つだけ、幾たびふさいでも、破れるところがあるのです。何ゆえにそうなるのかは、未だわかりません。
人々の中には、これは河の流れを変えようとしたために、河の神の怒りを買ったのだと言う者たちもいます」
氏上は言った。
「この度の仕事は、何としても仕上げねばならぬ。場合によっては、人柱を立ててでも、仕上げるぞ」
衫子は、これを聞いて思った。
(嫌なことを聞くものだ。人柱とはな。人柱を立てるとなれば、誰が選ばれるか知れたものではない。南の河は何事もなく仕上がったのだから、北の河だって仕上がりそうなものを)
とはいえ、衫子も、人柱を立てれば、堤はともかくも仕上がるだろうとは思っていた。人柱の上に築かれた建物は、やはりそうでないものより、強い力を持っているものだ。
その後も仕事は続けられたが、やはり北の堤の、二つの破れ目がふさがることはなかった。そしてついに、使いの者がやって来て、言った。
「この度の仕事では、人柱を立てることになった。大君に夢で神からのお告げがあり、二つの破れ目にそれぞれ一人、人柱を立てよとの、みことのりがあったのだ」
長彦が言った。
「まさかまことに、人柱を立てることになるとはな。大君も氏上も、この度の仕事でそれは避けたかっただろうに」
衫子は言った。
「して、誰が選ばれるのですか?」
「誰を人柱に立てるべきかについても、やはりお告げがあった。一人は、武蔵の国の人である強首、そしてもう一人は、茨田連衫子…つまりお前だ」
「えっ!?まさか、何かの間違いではないのですか?」
「いや、茨田連で、衫子という者はお前しかいない。辛いだろうが、これに選ばれたことは、お前の誉れでもあるのだぞ。しっかり務めを果たせよ」
衫子は思った。
(何と、いわれのない災いに遭うことよ。何とかして、避ける術はないものか)
しかし、お告げがあった上は、どうしようもなかった。
さて、生け贄を捧げる日になって、人々は破れ目のところに集まって来た。
このためにわざわざ武蔵の国からやって来た強首は、ものいみを済ませ、晴れ着を着て、集まった人々に言った。
「おお、人々よ。人は誰も、自ら進んで苦しい目に遭いはしないものだ。我も同じだ。どうして苦しくないことがあろう。どうして恐ろしくないことがあろう。
それでも、我が逃げずにここまで来たのは、君のため、国のため、また人々のためを思えばこそ、我が身を捧げるためにやって来たのだ。
ああ、ただ心にかかるのは、我が家に残してきた、父母や妻子どものことよ。人々よ、どうか我の死に様は見事であったと伝え、また彼らを養い、慈しんでくれよ」
そうして、強首は手足を縛られると、重石をくくりつけられ、水の中に投げ込まれた。水面には、しばらく泡が立ち、波が立っていたが、やがてそれも静まり、屍が引き上げられた。集まった人々は涙を流して、
「あわれや、見事な死に様であったことよ」
と言って強首をたたえたが、衫子は、心の内で恐れかつ憂えた。
(ああ、よその人である強首があのような死に様を見せたのでは、我はどうして逃れられようか)
人々はしずしずと、もう一つの破れ目に向かって進んで行く。
その時、衫子はふと思い付いて、言った。
「皆の者、少し待ってくれ。いや、逃げたりはしない。ただ少し忘れ物をしたのだ」
衫子は、家に戻って、傷のない新しい瓢箪を二つ持って来ると、言った。
「おお、人々よ。我もまた、あの見事な強首の如く、君のため、国のため、また人々のために、我が身を捧げることをいとうものではない。
しかしながら、夢に見るお告げというものは、まことの事もあれば、偽りの事もあり、それは人には見分け難いものだ。そうであるから、我はこれから誓約をしたいと思う。
もしまことに、神が我を生け贄にせよと言われたのであれば、今から投げ入れるこの瓢箪を、水に沈めて、浮かんでこれないようにして下さい。もしそうなれば、我も水の中に入りましょう。
しかし、もしそうならなければ、それはまことのお告げではなかったのです。
天つ神、国つ神、また全ての神々も、見そなわしたまえ」
そうして、瓢箪を水に投げ入れると、にわかに風が吹いて、波が起こり、瓢箪を水の中に引き込もうとするかに見えた。
(何だと、もしや、まことに……)
衫子は恐れたが、波は瓢箪を沈めることはできず、瓢箪はしばらく水面に漂っていたが、やがて川下に流れて行き、見えなくなった。
(ありがたや。神は我を見捨てたまわず)
衫子は言った。
「人々よ。今のを見たであろう。破れ目がふさがらないのは、神のみ心ではなかったのだ。さあ、仕事に取りかかろう。この次は、きっとふさぐ事ができよう」
かくして、再び仕事は始められた。ほどなくして、堤は仕上がり、二つの破れ目はふさがって、もう破れることはなかった。
そして、かつて二つの破れ目があったところは、それぞれ「強首の絶え間」、「衫子の絶え間」と呼ばれるようになった。
堤が仕上がって、田畑も増え、実りも多く取れるようになったので、茨田連も豊かになった。氏上は宴を開いて、衫子に酒を注いで言った。
「強首とお前のおかげで、堤はうまく仕上がった。その上、人柱が一つで済んだことで、これからの仕事もしやすくなるであろう。嬉しく思うぞ」
「はい、ありがたいことです」
長彦が言った。
「しかし、衫子よ。お前はああやって人柱になるのを逃れたが、そのために祟りを受けて、いつか災いが己に追い付くのではないかと、思わないかね」
「いや、我はちゃんと誓約をして逃れたのだ。どうして祟りを受けることがあろうか。それに、お前はあの野見宿禰の話を知らないかね」
「いや、どんな話だ?」
「それはこうだ。今よりもっと昔の世では、位の高い人が亡くなると、そのしもべを共に墓に埋めて、人柱にしていたのだ。しかし、その頃の大君が、このような習わしは良くないから、やめさせなくてはならないと言われた。
さてその頃、野見宿禰という人がいたが、この人は相撲にも強く、匠の技にも長けていた。この人が初めて埴輪を作り、それを生きた人の代わりに墓に供えさせるようにしたのだ。そこで大君は喜んで、野見宿禰に土師の姓を賜って、その子供らが、埴輪作りを続けられるようにしたのだ。
野見宿禰は、墓に立てる人柱を絶えさせたのに、祟りに遭う事もなく、その子供らは、今に至るまで埴輪作りを続けている。そうであれば、どうして我が祟りを受けることがあろうか」