第四十一章~魔王も嫁には頭が上がらない~
「……で帰蝶の様子はどうだった?」
「どうだったも何も、優しい方じゃないですか」
「…………お前はあいつの本性を見ておらんからそう言えるんだ」
「本性?」
「あの斉藤道三の娘だぞ?大人しくうふふと笑うだけの女だったら俺が嫁になど取らん!」
信長が断言すると五郎は冷や汗を流す、受け取り方次第ではただの惚気である。
コホンと気を取り直して、信長は五郎を手招きでもっと近づかせると耳打ちしてきた。
「この前、俺が金平糖を振舞っただろう?」
「えぇ……沢山食べてましたね」
「実は帰蝶に黙って買った分なのだ」
「え”っ!?」
「その事が明るみになったお陰で、斬られそうになった」
「!?」
五郎が絶句していると、信長は声を潜めたまま続ける。
「だからわざわざ高い菓子を持たせたんだ、機嫌が直らねば俺が困る」
「…………(パクパク)」
「おい、口を開けたり閉じたりしてないで報告せい」
「それが……お土産は渡したんですが、正直それ所じゃなくて……」
「何ぃ?」
「いて!ちょっと扇子で突かないで下さいよ!」
「帰蝶が怒ったままでは、お前を使いにやった意味がないだろう!」
「酷い!そのせいで俺は一日平手殿と密室に二人っきりだったんですよ!?」
「ちっ!そういや、ばぁさんも居たのか。すっかり頭から抜けておったわ」
信長が悪態をつくと五郎は溜息をつく、信長は扇子で頭を軽く叩きながら考え込むとぼそりと零す。
「……もう一度五郎を使いに……」
「嫌です!!」
「……(にこっ)」
「……(ぶんぶん!!)」
無言で見つめあう二人は、暫く目を逸らさなかったのだが、スッと襖が開く音に顔を向けると……。
「……」
「「……」」
「……お邪魔しました」
「待てぃ!」「待ってください!」
二人の呼び止めにその人物、一益は静かに入室するとゆっくり二人を見る。
「今日はお二人で何を……?」
「それはな、何と言えばいいか」
「え、え~と」
「?」
一益の問いに答えを渋る二人は互いに『五郎、言え』と『いやいや、信長様が言えばいいでしょう』と押し付けあう。
頭に疑問符を浮かべそうな表情で二人を見る一益は、暫く様子を見る事にして腰を下ろした。
「五郎、お前、主君に恥をかかせるのか?んん?」
「うっ……、ずるい!」
「くくく!主君の命令は大人しく聞け!」
「はいはい!わかりました!わかりましたよ!」
五郎は嫌そうに一益に向きを変えると、一つ咳払いをして告げる。
「実は、あるお方が奥方を怒らせたらしく、どうやったらその怒りを静められるのか話を……」
「あぁ、信長様……また濃姫様を怒らせたのですね?」
「……また?」
五郎の話の途中で手をポンと叩いた一益が放った一言に思わず信長に視線を送る。
信長は眉根を寄せて顔を逸らすと、渋々答えを返した。
「金平糖の件で怒られたのだ」
信長は一言だけそう言うと、腕を組んでふんと鼻息を鳴らす。
五郎は『子供かよ!』と叫びそうになるのを抑えると、一益に尋ねる。
「一益殿、またって事は……もしかして?」
「はい、よく叱られてますよ」
「……(じーー)」
「……(さっ)」
信長は五郎が白い目で自分を見た瞬間に扇子で顔を覆って背ける。
「金平糖って高いんですよね?」
「異国からの品物ですからね、流通を考えると高いと思います」
「それをよく黙って買ってるんですか?」
「信長様も一言仰ればいいのに、濃姫様に内緒でいつも買われるので……」
「その事が明るみになったら雷が落ちる、と」
「……(コクリ)」
五郎は頭を抱える、そりゃ夫が自分に内緒で高級な菓子を買って景気よく振舞ってたら怒りもするだろう。
「信長様~、大人しく直接謝りましょうよ~」
「俺が?帰蝶にか?」
「いや、それ以外ないでしょう」
「駄目だ!そんな事をしたら今後俺の立場が低くなるだろうが!」
「……もう手遅れだと思いますけどね(ボソ)」
「ん?何か言ったか?」
「いーえ!何でもありません!」
「最近生意気になってきたな、五郎~?」
「信長様の無茶振りのせいです!……平手殿のお陰もありますけど!」
「けっ!」
五郎の言葉に面白くなさそうな顔をすると、信長はムスッとした表情で肘掛に頭を乗せて横になる。
「兎に角、帰蝶の機嫌が直らないと困る」
「でも、どうするんです?」
「それを考える為にお前を呼んだのだ!」
「えっ!それだけですか!?」
「他に何がある?」
「だって、朝から急を要するって伝令が……」
「その通りだ」
「ちょっと!今日は揚羽殿と出かける用事があったのを断って来たんですよ!?」
「気の毒だったな……五郎、お前は気をつけろよ……女は怖いぞ」
「誰のせいですか!?」
叫びつかれた五郎は息を切らしながら畳に手をつくと、額の汗を拭って眉間に皺を寄せる。
帰ったらどう説明すればいいのか頭を抱えるしかない、信長からの呼び出しがあった事を告げた時の揚羽の顔は少し不満そうだったのだ。
しかも呼び出しがただのご機嫌取りの相談なんて知られたら……。
「殺される!殺されますよ!?」
「あぁ、あいつ等はやると言ったら殺る」
「あああああ……近頃やっとお互い歩み寄れていたと思ってたのに!」
額を畳みに叩きつけながら喚く五郎を止めようと一益が慌てている。
「うんうん、お前も恐ろしさが分かったようだな」
信長は深く頷くと、五郎に近づいて肩に手を置いた。
「大丈夫だ、お前も俺と同じ仲間。どうにか機嫌を直す為に協力しようではないか!」
「信長様……!」
「うむうむ」
「……って!あんたのせいだよ!」
くくくと笑う信長を涙目で見つめると、五郎は暫く顔を手で覆ってしくしくと泣いた。
その二人を見ていた一益は『何か持ってきておいた方が良いですね』と小さく呟いて部屋から立ち去った。
「……くしゅん!」
「濃姫様、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、きっと誰かが噂でもしていたのでしょう」
「ならば良いのですが」
濃姫はその誰かに検討がついたが、軽く頭を振ると途中だった話を続ける。
「平手殿、丹羽殿は如何でした?」
「如何と言われても、あの様子ではすぐ死んでしまいます。若様もあのような未熟な男を……」
「まぁまぁ、悪い方ではないじゃありませんか」
「それは……むぅ」
「それに揚羽殿があれだけ心を開いているのです、もし気になるなら平手殿が色々と教えて差し上げれば良いでしょう?」
「勿論ですとも!私も鬼ではありません、あんな事があったのです。長秀殿の遺志を無駄にするわけにはいきません!」
濃姫は政秀の答えに満足そうに頷くと、先日五郎が持ってきてくれた土産を開けてみる。
「……あの人は、お仕置きが必要ですね」
「どうなされ……」
「ふふふふふ」
「……若様、もっと他にあるでしょうに」
濃姫が笑いながら怒りを溢れさせている横で、政秀は土産の中身を見て痛む頭を抑える。
その箱の中身は信長がこっそり隠していた[かすてら]が入っていたのである。
「濃姫様?どちらへ?」
「ちょっと城へ……我が夫に言わなければならない大切な話が出来ました」
「お待ちを!薙刀は置いて行きましょう、お願いです」
「仕方ありませんね、ではこれで」
「小太刀なぞ何に……」
「……平手殿?」
「……いえ、何でもありません」
濃姫の迫力に押されて口をつぐむと、政秀はこれから起こる喧嘩を思って嘆きたくなる。
この夫婦の喧嘩は一度始まると城中を暴れまわるので性質が悪いのだ。
「濃姫様、この平手政秀……ご一緒させていただきます」
「構いませんよ、では支度が出来たら行きましょうか」
濃姫はにこやかに答えると身支度を始めた。濃姫の信長襲撃までカウントダウンは始まっていた。




