第三十二章~大宴会の洗礼~
「うっぷ……ぎぼぢわるい……」
五郎は自室で吐き気を我慢していた、ガンガン響く頭痛に顔色は悪くなる一方だ。
症状を見ればおわかりだろう、そう……五郎は二日酔いだった。
芋虫のように這いずって自室の襖を開けようとすると、五郎の手が伸びる前にスッと開く。
「……五郎殿、何をしているのですか?」
「あはは……は……、ちょっとお水を……」
「持ってきました、いいから布団に戻ってください」
「はい……」
揚羽にジッと視線を向けられ五郎はいそいそと布団へ戻る。
大人しく布団に戻った事を確認した揚羽は、ゆっくりお膳を持って部屋に入る。
お膳には水、そして出来たばかりなのだろう、湯気を立てるお粥が載っている。
「全く、折角の宴会で酔い潰れるとは何事ですか」
揚羽はお膳を五郎の傍まで運ぶと、呆れたような声を出して嘆息する。
そう言われても五郎は酒を好んで飲む方でもないし、強いわけでもない。
揚羽に愛想笑いをしながら、水をごくごくと一気飲みする。
「しかしですね?揚羽殿、酔い潰れるまで飲むつもりもなかったんです。こうなったのにはちゃんと訳があるんです」
そう、五郎は酔い潰れる前にちゃんと丁寧に断りを入れていたのだ。
信長は意外にもちびちびと酒を飲んで無理に五郎へ勧めてこなかったし、利家は自分が飲み食いするのに必死だった。
予想外だったのは……いや、ある意味予想通りな人物だったのかもしれない、五郎を潰したのは二人の酒豪だった。
「無事帰ってきたと思ったら、二日酔いで倒れるなんて……一体どんな理由で潰れるまで飲んだと言うのです?」
「鬼に……捕まったんです、逆らえませんでした……」
揚羽は五郎の言葉に首を傾げる。
五郎は遠い目をすると、昨日の長い戦いを思い出す。
それは楽しい宴の始まりだった。
勝ち戦を終えた織田軍は盛り上がり、桶狭間の勝利を祝う宴は大勢の兵や家臣が集まる大宴会となった。
集まった皆は宴の開始を今か今かとそわそわしている、そこに悠々と信長が姿を現すとざわめきは消え、水を打ったような静けさに変わる。
信長は皆をぐるりと見回すと、声を張り上げて告げた。
「此度はよくやったぞ!今日は無礼講だ!遠慮せず楽しむがいい!」
信長の言葉に歓声があがる、皆は思い思いに話し、食べ、酒を飲んで宴の雰囲気に溶け込んでいった。
そんな中、五郎は宴会場の端っこにポツンと座っていた。こっそり一人で楽しもうと逃げたのである。
「きっと、皆お酌されたりするだろうから、邪魔にならないように……うん」
賑やかな雰囲気は嫌いじゃない、そんな光景を眺めながら食事でも堪能しよう、そう考えながら五郎がのんびりしていると……。
「長秀殿!何をそんな端に居られるのです!ささっ、此方へ!」
「えっ……いや、俺はここで……」
さぁさぁと引き摺られ、五郎は兵達が集まる輪に混ぜられると次々に兵達が話しかけてくる。
「長秀様!大手柄でしたね!」
「流石、信長様が目を付けられた御方だ!」
「ささっ!ドンドン飲んでください!」
勢いに押される五郎だが、兵達の嬉しそうな顔を見せられると断る事が出来ない。
一人一人に『ありがとう』と礼を返しながら応対していると、兵達は感激しながら盛り上がっている。
(頑張ったのは皆……だと思うけど、この笑顔を見せられたら余計な事言えないよね)
生きるか死ぬかの戦いを終えたとは思えない皆の表情に、この世界で生きる彼等の生き様を感じると、五郎は彼等が眩しく輝いているように見える。
五郎が生き生きとした皆の表情を見ながら軽く酒を口に含んでいると。
「見~つけた!」
後ろから掛けられた声に振り向くと、そこには一益が蛸のように顔を赤くして立っていた。
漫画の様な顔になっている一益を見て、五郎は口に含んでいた酒を噴き出す。
「ぶーーーー!」
「…………」
「か、一益殿!」
「ごろ……長秀殿、探しました……ヒック」
顔を紅潮させた一益の目が据わっている事に気づいた五郎は嫌な予感がして一益を取り合えず座らせる。
周りの兵達は驚いた表情を浮かべ、五郎と一益の様子を見守っている。
「兎に角、お水でもどうです?」
「ありがとうございます……ヒック」
「で、どうしてそんなに酔って……」
お水をちびちび小動物の様に飲む一益に声を掛けようとした瞬間、一益は湯飲みを叩きつけると。
「わ、私は酒に弱いと言っているのに……皆がドンドン飲ませるのれす!」
「れす……?えぇと、断れなかったのですか?」
「……(コクリ)」
「な、なるほど。兎に角暫く休んで下さい、皆も良いよね?」
五郎の声に皆はうんうんと頷いてくれる、その様子に安心した五郎は一人にお水をもっと持ってきて貰えないか頼んだ。
「滝川様はお酒が苦手なのですな~」
「それは大変でしょう」
「滝川様程の御方になれば、皆がお酌しに来るでしょうしね」
兵達は口々に話を始めると、一益に水やお吸い物を差し出す。
「皆さん、ありがとうございまする~」
五郎は一益の言葉遣いがいろんな意味でカオスになっていくのを知り恐怖した。
(無表情で真っ赤な顔の一益殿が『れす』とか『まする~』……こえぇ!)
これ以上酔ったら五郎の中の一益像が崩れそうだった。
「ささ……お水でも飲みましょう?」
「はい~」
「おっとと、はい、どうぞ」
冷や汗を掻きながら五郎は危なっかしい手つきで湯飲みを持つ一益を補助する。
こうやって見る分には仕草が小動物みたいでほんわかする。
(これはこれで癒されるかもしれない……)
少し駄目な思考を生み出し始めた五郎だったが、背中に圧し掛かってきた何かに、ひぎゃっ!と悲鳴上げると畳みに顔面を叩きつけた。
「おい!五郎、楽しんでるか!ぎゃはは!」
そう楽しそうに笑うのは前田利家その人である。
利家は五郎の背中に圧し掛かったまま、五郎の後頭部をバシバシと叩くと何が楽しいのか笑い声を上げる。
その隣ではちびちびと一益がマイペースに水を飲み続けていた。まさにカオスである。
「と、利家殿……どいて下さい」
「ん?すまんすまん!うひひ」
「わざわざどうしたんです?」
「何、お腹いっぱい食ったから酒飲みながら回ってたんだよ!」
「……テンションたけぇなぁ~」
「ん?テ…なんだって?」
「あ、いえ。こっちの話です」
五郎が酔っ払って更に手が負えなくなった利家の相手をしていると。
ドン!とさっきまで水を飲んでいた一益が湯飲みを再度叩きつける。
「利家!」
一益は利家に声を張り上げると、五郎は助かったと思って視線を向ける。
「五郎ではなく、ちゃんと長秀殿と呼びなさい!」
そこなの!?と五郎が内心突っ込んでいると、利家は一益を見て笑う。
「一益~、そんな固い事言ってると、また怖いって逃げられちまうぜ~?けけけっ!」
「余計なお世話です!」
「今日は無礼講なんだから、お前も五郎って呼べばいいじゃねーか。なぁ?」
五郎は利家からのキラーパスをスルーしようと試みたが、視線を逸らした先で此方を見ていた一益がそれを許さない。
(猛犬とハムスターに挟まれてる……どうしよう)
平和的解決を模索しようと、五郎はどうにかこの場を納めようと言葉を放つ。
「す、好きに呼んで貰って構わないですよ」
判断を個人に委ねるという、逃げの一手である。
利家は五郎の言葉に気を良くしたし、一益は何やら考え込んでいる。
「ささ……利家殿も一益殿も皆と飲みましょう?ね?」
五郎の言葉にドカっと座ると利家は満足したと言ったにも関わらず食べ物を漁り始めた。
一益はじーっと湯飲みを眺めて、微動だにしない。
そんな二人に囲まれて苦笑しながら、世話を焼く五郎を見て、兵達は思った。
長秀様はきっとこれから苦労されるなぁと……。
宴は始まったばかり、宴会場のあちらこちらで飲んで食って歌って踊る人達……その賑わいはまだまだ続く。




