第二十一章~繰り返される悪夢~
「う……」
ここは、何処だろう。俺は一体何をしていたんだっけ。
頭がぼーっとする、軽く頭痛もするし、まるで二日酔いの朝みたいだ。
まだ視界がぼやける、やけに体中が重く感じる、まるで誰かに乗りかかられているようだ。
「おかしいな、何処かで見たような?」
少しはっきりした目を右へ左へ動かすと、平和な田舎の風景が広がっている。
五郎はふらつく足を動かすと、澄み渡る青空の下で心地よい風に吹かれながら周囲を散策する事にした。
何か大事な事を忘れているような気がするが、はっきりと思い出せない。
考えても仕方が無い、誰か居ないか探し回る五郎だったのだが、暫く歩いても人の気配を感じられない、それどころか村全体は不気味な静けさを漂わせている。
「見た目は長閑な村なんだけどな」
五郎は首をかしげながら顎を手でさする、今更だが髯が凄く伸びている。
(髯がじょりじょりするな、そういや髯剃りなんて暫くしていないっけ)
暢気に髯を触りながらぼへーっと空を眺めていると。
―――ひそひそ ひそひそ
すぐ後ろから聞こえた声にギョッとして後ろを振り返ったのだが、そこに人影は無かった。
「声が……聞こえた気がしたんだけどな」
頭を振ると五郎は息を吐く。きっと幻聴だろうと思うことにして、これからどうするか考える事にした。
このままでは夜になってしまうだろう、何処か厄介になれそうな家を探さないといけない。
(野宿はできれば遠慮したいよな、やっぱり)
ここが何処か調べるのは後にしよう、最優先するのはゆっくり休める場所を確保する事だ。
「しかし問題は、人が居ない……よなぁ」
点在する家屋を見る限り、それなりの村人が住んでいてもおかしくない。
まさか村人全員が出払っている……?いや、そんな事があるのだろうか?
「勝手に家にお邪魔するわけにはいかないよな」
もし見つかって野盗に間違われて襲われでもしたら。丸腰の自分はどうする事も出来ないだろう。
「野盗?う……ん、何か引っ掛る気がする」
野盗に何か嫌な感じを覚えた五郎だが、結局その正体はどうしてもわからない。
すっきりせず、どこか気持ち悪い感覚を持ったまま、その場で立ち尽くしていたのだが。
「五郎さん?」
「えっ?」
「五郎さん、こんな所でぼーっとして……どうされたのです?」
名前を呼ばれて振り向くと、不思議そうに此方を見る雪がそこに立っていた。
「え?あれ……雪…さん?」
「はい、雪です。どうされたのです、こんな所で。――そろそろ日が暮れますよ?家に戻りましょう」
「家、ですか?でもここは下山じゃないみた……い」
「五郎さん、何を言ってられるんですか?可笑しな方」
ふふふと雪が笑うと、さっきまで不気味な静寂を漂わせていた村だった場所は、下山の村に変わっていた。
五郎は何度も目を擦ってみたが、そこは確かに下山だった。
ちょっと古めかしい家屋、五郎が耕した記憶がある畑。
そして見渡せる畑には村人達が仕事に精を出している。
「あれ……うっ」
「大丈夫ですか!?五郎さん、さぁ家に帰ってゆっくりしましょう」
「え、えぇ……イタタ」
何かおかしいと思った五郎だったが、その違和感を探ろうとすると頭痛が酷くなる。まるで考える事を拒否しているようだ。
雪は心配そうに五郎を支えながら家に向う、それから家に着くまでの間、五郎は痛みを我慢しながらやっとの思いで庄吉の家に辿り着いたのであった。
「ふぅ~」
五郎は深く息を吸うと、ゆっくりと吐く。家に帰ってから暫く横になっていた五郎は頭痛が治まると居間に顔を出す。
そこには「いつもの様に」食事を囲んでいる親子と元気な若者が居た。
(何でだろう、いつもと同じ光景のはずなのに。頭に何か…つぅ)
ズキっと痛む頭をさすると、五郎はこれ以上頭に負担をかけないよう考えを止めるといつもの席に座る。
「お待たせしてすみません」
「いやいや、頭の痛みは良よくなりましたかな?」
「おかげさまで!」
庄吉に元気良く返事をすると、庄吉はにこりと笑う。
心配かけては駄目だと思った五郎はそれから横に居る喜助に声を掛けた。
……声を掛けたのだが、喜助はどこかほーっと食事を眺めている。
「おい、おーい!喜助くーん」
「……」
「聞こえてないのかー?」
「うわ!五月蝿いな兄ちゃん、耳元で大声出さないでよ!」
「あ、すまん」
突然喜助はびくっと身体を飛び上がらせると、五郎に向って怒る。
そこまで怒らなくてもと思った五郎だったが、喧嘩になったら力で勝てる自信が全く無い。
手を合わせて素直に謝ると、喜助はぷんすかと怒りながらも許してくれたのであった。
「ご飯時にぼーっとしてるなんて、喜助調子が悪いのか?」
「そんなことないよ、ただお腹が空きすぎて待ちくたびれたんだ」
「ははは……すまん」
「兄ちゃんが来るまで待とうって、雪さんが言うからさー我慢したんだぜ」
「それじゃあんまり待たせてもいけないから、早く食べようか」
相当待ちくたびれたのか、五郎が手を合わせて『いただきます』と言うと、喜助はがつがつとご飯を食べ始めたのであった。
「それにしても、毎日変な夢を見て嫌になります」
「変な夢ですか?」
「はい、え~っと…あれ?」
「?」
「あ、いや!すみません、肝心の夢がどんな夢だったのか……忘れてしまいました」
はははと照れ笑いをする五郎、そんな五郎に苦笑すると雪はご飯の御代わりを差し出す。
「忘れてしまう程の夢なんて、思い出さなくてもいいじゃないですか」
「え……?」
「きっと嫌な夢でも見たのでしょう、五郎殿は昨夜うなされてましたし」
雪が真剣な表情で話すので、五郎は少し呆気に取られた。
普段おっとりした表情を崩さない雪が、ここまで真剣な顔を見せたのは初めてかもしれない。
五郎はそこまで心配するほどうなされていたのかと思い、雪の言う通り嫌な夢でも見たのかもしれないと思うことにした。
その姿を見ていた雪、庄吉、そして喜助の目は気のせいか生気を失っていたように見えた。しかし、五郎はその目に最後まで気づく事は出来なかった。
「「ぎゃああああ!!!」」
深夜に響き渡る叫び声に五郎は飛び起きると、急いで居間へ向ったのだが。
そこには雪と庄吉が血まみれで倒れていた、その姿は死んで間もないのだろう、未だ流れ続ける鮮血は床を真っ赤に染めていた。
「庄吉さん……!雪さん!!」
五郎は近寄ろうと足を伸ばそうと力を入れる、だが足は竦んで動いてくれない。
(くそ!どうしてだ!どうして動いてくれないんだ!)
焦る五郎は必死に身体を動かそうと試す、しかし身体は五郎の意思に従ってくれない。
「なんで二人がこんな目に!ちくしょう!」
五郎は二人の死体を見続けることが出来ずに目を逸らす。
「た……タス…ケ……テ」
目を逸らしていた五郎は、微かに聞こえるその声にハッとする。
(まさか、まだ生きて!急いで手当てしないと……!)
五郎は何故か動かせるようになった手足を不思議にも思わず駆け寄る。
急いで庄吉の身体を見たが、既に冷たくなり始めており、息をしてなかった。
それならばと五郎は雪の身体を起こす、微かに聞こえる呼吸を確認すると、五郎は必死に声を掛ける。
しかし雪の体温も既に熱を失いかけていた、血も素人の五郎が見てわかるくらい失っている。
それでも雪に声を掛け続ける事しか五郎に出来る事は無かった。
「雪さん!しっかりして下さい!」
「ご…ロウ……サ…」
「そうです!五郎です!」
「…せ……い…」
何か伝えようとする雪だが、上手く聞き取れない。
必死に聞こうと雪の口元へ耳を寄せた、その瞬間五郎にとてつもない寒気が走る。
「ア ナ タ ノ セ イ デ」
「――え?」
「アナタノセイデ、アナタノセイデ――ミンナ シンデシマッタ」
「そ、そんな!」
雪の口から聞こえてきた怨嗟の声を聞いた五郎は思わず雪の身体を落とす。
既に息絶えたはずの雪の口はそれでも五郎に語りかけてくる。
『貴方が居なかったらこんな事にならなかったのに、何故貴方だけが生きているのですか?』
頭に直接響くような声に五郎は走り出すと家から逃げ出す。
五郎は今頃になって思い出す、そう、村の皆は死んだというのに、自分だけが生き残ったのだと。
「うわああああ!」
五郎は村から出ようと走る、しかし何時までもその景色は変わらない。
無残に斬り捨てられた死体は散乱し、燃え盛る家屋。
まるで同じ所を延々走らされているような感覚を味わいながら足を動かす。
「俺が、俺が何をしたんだ!」
気が狂いそうだった、あんなに優しい雪から聞こえてくる声はこの世のものとは思えない恐ろしさがあった。
その声がいつまでも頭から離れない、その声を振り払うかのように頭を振る。
五郎は吐き気を必死に我慢しながら走ったが、とうとう限界が来てしまう。
何かに躓いて倒れこむとなんとか身体を起こす、そして五郎が躓いた[何か]に目を向けてしまう。
「き、喜助!そんな……」
喜助が背中に大きな太刀筋を刻まれた姿で倒れていた、その姿に五郎の脳裏にフラッシュバックが起こる。
(そうだ……そうだ!喜助は背中を斬られて――俺の前で死んだんだ)
五郎は目から涙が溢れるのをとめる事ができなかった。
走りすぎて痙攣する足を引き摺って喜助に近寄る、その冷たい身体を抱き上げるた。
「喜助、許してくれ喜助」
涙を流しながら喜助の死骸に声を掛ける五郎だったが、その返事が返らない事も理解していた。そのはずだった。
涙を流して許しを請う五郎に突然喜助から手が伸びた。
「――え?」
呆気にとられる五郎が目にしたのは、苦悶の表情を浮かべて此方を睨む喜助だった。
喜助は冷たくなってしまったその手を伸ばすと、とても人間とは思えない力で五郎を捕まえた。
「ユルサナイ、ゼッタイニ」
「うわああああああ!」
その声を聞いた五郎の手から逃れようと必死に暴れる。
しかし喜助の手は五郎の身体を握りつぶさんばかりに強く捕まえていた。
五郎は恐怖の限界を超えると、喜助の怨嗟の声を最後に意識を失った。
「う……」
何か嫌な夢を見た気がする、とても嫌な夢を。
五郎はどこかすっきりしない目覚めの朝を迎えると、自分の身体を見る。
「うへぇ、凄く汗掻いてる。きっと寝苦しくて嫌な夢見たんだな」
ぐっと背伸びをすると手をさする、そこにはうっすらと強く握られたような痣が残っていた。
五郎はその痣を気にする事無くいつものように、身支度をした。
そして五郎はまた一日を過ごす事になる、この幸せと恐怖を繰り返す夢の中で。




