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第二十章~丹羽揚羽の苦闘~

―――父上、どうして。


五郎が丹羽家に戻った時、そこに父の姿は無かった。

父上が死んだ、その事実を知ったのは父が物言わぬ死体として我が家に帰ってきてからの事。

揚羽は突然の父の死体を前にしても泣き喚く事もなく、そっと父の顔を眺めた。

その表情は身体に残る傷痕とは対照的に穏やかなものであった。

(きっと父上は、見事な最期だったのでしょう)

揚羽は目を閉じると祈る、父が『あちら』でも穏やかなに笑っている事を。


「揚羽」


揚羽は目を開けると振り返る、そこには勝家が腕を組んで立っていた。


「柴田殿……」

「長秀は主君の命令に殉じた、見事な最期だったろう」

「はい、とてもよい顔をしています」

「あぁ、あいつらしい穏やかな顔をしている」


勝家は長秀が握り締めたまま拳を解くと、長秀の刀を手に取る。

所々刃こぼれした刀身からは激しく打ち合った形跡を感じる事が出来た。

長秀は滅多に打ち合いはしない、相手との間合いを見極め、それから己の太刀筋を定める。

ここまで打ち合う状況だったのか、気が昂ぶっていたのかはわからないが、長秀は必死に敵と戦ったのだろう。


「揚羽、この刀。預かってもいいか?」


勝家は鞘に納めた刀を眺めながら揚羽に問う。

驚いた表情を一瞬だけ浮かべた揚羽だったが、深く頭を下げて答えた。


「柴田殿になら、父上も喜ぶでしょう」

「すまんな、また来る。――揚羽、無理をするなよ」


勝家はその言葉を最期に屋敷から去って行った。その背中は何処か寂しげに見えたのは、揚羽も寂しさを感じているからかもしれない。




「―――父上、私は一体どうすれば」


父が死んで数日、その死を悼む暇は勝家が訪れたあの晩が最初で最後だった。

揚羽は長秀の一人娘、母も数年前に失ってから親子二人でずっと暮らしてきた。

突然の当主の訃報、丹羽家を守る為に揚羽は必死に動いた。

まだ17になろうかという年齢だ、父を失って紛糾する丹羽家を取り纏めるには荷が重い。

それでも揚羽にとって丹羽家を守る事は父が生きた証として諦めるわけにはいかなかった。


「父上、教えてください。父上……」


武将の娘として生きてきた、勿論、戦で父が死ぬ可能性も覚悟していた。

しかし本心は父なら大丈夫だと、いつものように帰ってくると思っていたのだ。

結局揚羽が長秀と交わした最後の言葉は話とも呼べない掛け声。

珍しく焦りを見せた長秀を止める事が出来れば、そう後悔してもしきれない。

揚羽の目から涙が一滴、自分が泣いていると気づいたのは、それから暫く後だった。




「信長様」


信長は勝家の呼びかけに顔を上げる。

勝家は腰を降ろして一礼すると、長秀の刀を差し出す。


「これは長秀の……」

「はい、あいつが最期まで握り締めていた刀です」

「そうか、この刀を」


勝家が頷くと、信長は刀を抜く。刀の全身をゆっくり眺めるとふっと笑った。

どこか寂しそうに笑う信長、勝家はその姿がまるで泣いているような気がした。


「勝家、丹羽家はどうなっている」

「揚羽が、必死に取り纏めています」

「……」

「信長様、このままでは長秀の娘……いえ、揚羽まで倒れてしまいます」

「だがな勝家、揚羽はあいつに似て意外と頑固者よ。――勝家暫くの間でいい、揚羽と丹羽家を頼むぞ」

「はっ、わかりました」


勝家が深く頭を垂れてから部屋を去る。

信長は形見となった刀を静かに構えると一閃する。

それから息を吐く、信長は鞘に刀身を納めると握り締めた。


「長秀、最期まで見事だったぞ……」


信長の言葉は先に世を去った親しい友に届いてくれるだろうか。

信長は静かに眼を閉じると、長秀と過ごした日々に思いを馳せた。




五郎が塞ぎこんでどれ程経っただろうか、未だ落ち着きを取り戻せない丹羽家では揚羽が懸命に皆を纏めていた。

まだ若干17とはいえ、長秀の娘として日々研鑽を積んできた。

その揚羽が家を守ろうと身を粉にして動く姿は丹羽家の家臣に伝わっていた。

しかし揚羽にとって一番の問題は五郎である。


「染井殿は、まだ塞ぎこんでいるのですか?」


勘違いしてはいけないが、揚羽は決して五郎を嫌ってはいない。

それはたとえ父が死んだ原因が五郎を守る為だったとしてもだ。

胸中は複雑ではあるが、長秀を父として育ってきた揚羽は、父が命がけで守る程、五郎を大事に想っていたのだろうと推察する。


「それなのに、あの人は……」


揚羽は歯痒くて仕方が無い、こんな時自分にもっと力があれば、あの情けない男を叩き出せるのに。


「あの人は……、あの人は何見ているのでしょう」


五郎は突然奇声を上げると暴れ出すようになった、利家が五郎を押さえ付ける場面を何度見ただろう。

何処を見ているのか分からない、虚ろな目を右に左に彷徨わせ、誰かに許しを請うているのだ。

食事も取らず、日に日に衰弱していく。そんな五郎を見て揚羽は無性に悔しくなるのだ。


「父上、どうか教えてください。染井殿は何に怯えているのですか」


この数日何度問いかけただろう、このままでは父が命を懸けて守った五郎はいずれ死んでしまうだろう。

なんとか手を打とうと考えを巡らせても浮かぶ事はない。

せめて五郎が此方の声を聞いてくれたら、自分をしっかり認識してくれたら。

長秀が残した証を失わないよう無理を承知で日々動く、揚羽は身体が悲鳴を上げそうな程の疲労を感じながらも神経を集中させる。


「私は、丹羽長秀の娘。これしきでは負けません、見ていて下さい父上……」


揚羽は折れそうになる気持ちを奮い立たせると、部屋を出る。

五郎や利家に食事を作る為だ、長秀はよく食事を作っては皆に振舞った。

その姿を幼い頃から見ていた揚羽にとって食事を振舞う事は大切な思い出でもあったのだ。


「揚羽、邪魔しているぞ」

「柴田殿」

「ちょいと、長秀に酒を持ってきたのだ」


にやっと笑って酒を見せると、勝家は揚羽を座らせる。


「もしかして、何かしていたのか?」

「いえ、これから食事の支度をしようと思っていました」


揚羽は笑って答えると、気にしないでくださいと続けた。

その話を聞いた勝家は暫く考えると、揚羽の肩を優しく叩いて言った。


「長秀の飯は旨かった、揚羽の作る飯もあいつと似て旨いだろう。俺の分も頼んでいいか?」

「えぇ、いいですよ。是非食べていってください」

「それまで、犬を叩いてくる。馬鹿なのに考え込みやがって、長秀に笑われちまうよ」

「ふふっ」


揚羽の口から漏れた笑いに、勝家は表情を僅かに緩めると手を振って去っていった。

思いつめないように気を使ってくれたのだと気づくと、揚羽は心の中で感謝した。

父は良い仲間に恵まれた、その事が揚羽の沈みそうな気持ちを明るくさせた。




「おい!馬鹿犬!」

「……」

「ほう、俺に返事も無しとは……。いい度胸している…なっ!」

「あいた!!」


勝家はうんうんと考え込んでいる利家に拳骨を入れると、やれやれと溜息をついた。


「あっ!勝家さん、いつの間に!」

「いつの間に!じゃない、折角訪ねてきたのに返事位よこせ」

「ご、ごめんなさいぃ」


勝家は適当な場所に腰を降ろすと、利家に問いかける。


「で、何を考えていた?」

「それは……五郎の事だよ」

「――様子は?」

「わからない」


ふんっと鼻息を鳴らすと、勝家は部屋から見える離れに目を向ける。

今は静かだが、五郎が暴れたせいだろう戸が破れていたりと損傷がみられる。

それにしても、この利家がこうも意気消沈しているのは。やはり長秀の死を利家もまだ持余しているのだろうか。

まだまだ若いなと勝家は頭を掻くと、利家に話しかける。


「利家、良く聞け」

「はっ」

「五郎は近しい人間の死を認めたくないんだよ」

「……」

「普段は飄々としているように見えたが、五郎は俺達の想像以上に平和な国にいたようだな」

「そう……ですね」


勝家は利家がしかめっ面をしたまま返事を返すと、もう一発拳骨を入れる。


「痛い!痛いですよ!勝家さん、俺が阿呆になったらどうするんですか!」

「手遅れだ、馬鹿犬」

「酷い!後、犬犬と連呼しないで下さい!」

「ほう、飼い主に噛み付こうとは少しは根性がついたのか?ん?」

「ぐぐぐ」


沈んだ利家は利家らしくない、こいつは馬鹿な位が丁度いい。

勝家は急に騒がしくなった利家で遊びながら再び離れに目を向ける。

(五郎、お前は長秀の命を……その思いを無駄にするのか?)

結局、利家は騒ぎを聞きつけた揚羽が訪れるまで、延々と勝家に弄ばれる事になる。

その光景を見た揚羽は静かに笑い、勝家が来たお陰で久しぶりに屋敷が明るくなった気がして、勝家に再度お礼を言うのであった。

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