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第十七章~丹羽長秀の奮戦~

不気味な程静かな静寂な森の中に身を潜めた五郎は震える足を必死に押さえた。

物音一つでビクリと身体が反応してしまう、暗闇の中を走り回って体力の限界まで動いた五郎は身体を覆える程の茂みを探して静かに身を潜めていた。

(まさかいきなり斬りかかられるなんて…!)

五郎は身の危険を察してから必死に逃げたお陰で気配は近くに感じないものの、自分のいる場所が何処なのかわからなくなっていた。

(とにかく村に戻らないと!)

周囲を慎重に窺いながら五郎は息を整える。

すると五郎の視線の先にぼんやりと灯りが見える。五郎は助かったと安堵したが。

近づいてくる灯りに茂みを出ようとする瞬間、五郎が身体を固まらせる。


「くそっ!あの野郎、何処に行きやがったんだぁ?」


こちらに向かってくる灯りの男は五郎を襲ってきた野盗と同じ格好をしていた。

その口ぶりから判断するに五郎を襲ってきた者の仲間だろうか。

(そっとだ…そっとこの場を…)

五郎がゆっくりと身体を戻し、足を後ろに下げた時。

ペキっ!と落ちていた枝を踏み折ってしまう。


「誰だ!」

「うわあああ!」

「うっ!てめぇ!」


男が五郎を照らす瞬間に身体で体当たりする、その衝撃でよろけた男の横を走りぬけた。

咄嗟の体当たりでよろけた男はすぐに体勢を整えると大声で仲間に叫ぶ。


「居たぞー!こっちだ!」


五郎はその叫びを聞きながら村へ向かって走る。五郎が逃げた先は偶然にも喜助が連れてきてくれた小川だったのだ。

ここからならばほぼまっすぐ村へ向かえるはずである。


「捕まったら何をされるかわからない!逃げないと!」


五郎は追手の姿が見えない内に村へ辿り着こうと必死に駆けた。

それからどれ程の時間走っただろう、五郎がへとへとになりながら森を抜けると大きく息を吐く。

気を落ち着けて顔を上げるとそこには悪夢のような光景が広がっていた。


「そ…そんな…!」


思わず声が震える、目の前に広がる光景をすぐには受け入れる事が出来ずに五郎は立ち竦んだ。

五郎が村に戻った時には既に殆どの家が焼け落ちていた、村のあちらこちらに村人は倒れ、大量に流れたであろう血溜まりは乾きかけていた。


「そ、そうだ!庄吉さん!雪さん!喜助!」


五郎は叫びながら庄吉の家に向かう。

その道中に転々と倒れる村人は今朝まで五郎と畑仕事をしながら世間話をしていた人々ばかりだった。

(なんて惨い事を!うっ…)

無残に刻まれた傷痕を直視できず、五郎は胃液が逆流しそうな嘔吐に苛まれながら目的の家へ走る。


「!?あ、あれは!」

「き、喜助!しっかりしろ!」


やっとの思いで着いた庄吉の家の前に倒れこむ喜助を見つけた五郎は駆け寄る。

しかし喜助は斬られて大分経つのだろう、既に大量の出血によって虫の息だった。


「に……い……ちゃ………ん」

「喋らなくていい!なんとか…なんとかしないと!」

「にげ…て……」

「喜助!喜助、しっかりしろ!」


五郎に息も絶え絶えに逃げるよう話す喜助は口から多量の血を吐き出す。

必死に喜助を救う方法を考えるが、頭が真っ白になって声を掛けることしか出来ない。

それでも必死に喜助に呼びかけていると声が掛かる。


「もう手遅れですよ、その若僧は助からないでしょう」


五郎が身構えるとその男はゆっくりと五郎に姿を現す。

その男は数日前に村人とにこやかに談笑していた浪人でった。


「わざわざ村に戻ってくるとは思いませんでしたが、手間が省けて助かります。染井五郎殿」

「な、なんで俺の名前を…!」

「ははは、よく噂になっていますよ。あの信長公のお気に入りだと」


男は目をぎらつかせると五郎に少し、また少しと間合いを詰める。

五郎は男から後ずさりながら間合いを取ろうとするが喜助を抱きかかえている状態では思うように動けない。

(どうすれば!どうすればいいんだ!)

男は五郎が身体を震わせながら必死に後ずさりしている様子を眺めると。


「このような男があの信長公が…ねぇ、雪斎様も何を考えていらっしゃるのか」

「雪…斎?」

「まぁいいでしょう、五郎殿。私は貴方を殺す気はありません、大人しくしてくれたらですが」

「ひっ!」

「そう怯えず…とは言っても仕方ありませんか。しかし私も貴方の身柄を預かるよう頼まれているのでね。」

「く、来るな!」


五郎は腰に下げていた小太刀を抜くと男へ向ける。

男はその小太刀を見ると鼻で笑って、更に詰め寄る。

そしてそれまで丁寧だった口調を低いものにすると。


「そんな小太刀で何をする気だ?」


男は殺気を纏い雰囲気をがらりと変えると五郎を睨む。

五郎は男の威圧に手を震わせると小太刀を振り回す。

その姿を見た男はやれやれと肩を竦めると、腰に下げていた刀を抜いた。


「仕方ない、生きて連れて来いとは依頼されたが。怪我はさせるなとは言われてない。少々痛い目にあってもらうか」


そう言いながら刀を構えると、五郎の小太刀を一振りで弾き飛ばす。

五郎が一瞬で消えた自分の得物を目で追うが、その前に男が立ちふさがる。


「さて、殺しはしない」


男が歩み寄ると五郎は目を瞑った。喜助を抱いたまま五郎は自分に歩み寄る死神の足音を聞いている事しか出来なかった。




「五郎殿ー!」


長秀が村に着いた頃にはとても酷い有様だった。

打ち捨てられた村人の死体はとても見られるものではない。

燃え尽き焦げ臭い家の間を馬で走りながら声を上げる。


「五郎殿!喜助!何処ですか!?」


長秀は誰か生き残っていないか神経を尖らせながら探し回る。

五郎から聞いていた親子の家を必死に思い出し、馬を走らせていると。

血まみれになって誰かを抱いた人物が刀を持った男に寄られている光景が目に入る。


「あ、あれは……」


長秀は馬の速度を更に上げると腰から刀を抜いて一直線に向かっていった。




「さぁ、一緒に来ていただきますよ?」


男はそう言うと刀を持つ手と反対の手を五郎に伸ばす。

後ちょっとで五郎に手が届くという時、五郎の耳に叫ぶ声が聞こえた。


「五郎殿ー!」


その声に咄嗟に顔を上げると長秀がこちらへ馬ごと突っ込んでくる瞬間であった。


「何!」

「はぁ!」


ガキィと軋む金属同士の鈍い音を響かせると、長秀を男は刀を数回打ち合う。

男は驚きの表情を浮かべると長秀を見る。


「ほう…これはこれは、本当に誘き寄せれるとは。初めてお目にかかりますね、丹羽長秀殿」

「何故このような惨い事を…何者です」

「はてね、ただの流れ者でして」

「流れ者?ただの流れ者が良くこれだけ手際よく村を襲えたものですね?」

「……」

「……」


長秀と男は睨みあうと間合いを取る。長秀はなんとか五郎の傍に寄る為に慎重に相手を窺う。

男と睨みながら五郎の様子を見やる長秀はいつも崩さない表情を渋くする。

それは五郎がとても正常な精神状態に見えなかったからだ。

(まずい…このままでは五郎殿が持たない!)

五郎は殺し合いなどした事が無い事は分かっていたが、目の前で人が死ぬのも初めてなのだろう。顔は青ざめているし、強くかみ締めた口は血が流れるほど力が入っている。

(喜助……くっ!)

それに五郎が抱いている人物が喜助だと気づいた長秀は刀を強く握る。

五郎の着物に染み付いた血液の量はまだ乾ききって居なかった。

きっと五郎は喜助が死ぬ瞬間を看取ったのだろう。その顔は泣きそうに歪んでいた。


「答えなさい、貴方はどこの差し金ですか」

「答える必要はないですね」

「では、捕らえて吐かせるまでです!」

「ふん!」


長秀が放った斬撃を男が受けると火花が散った、何度も打ち合いながら男を押し出すと長秀は威圧しながら五郎へと擦り寄る。


「…五郎殿!……五郎殿!」


長秀が怒鳴るように声を掛けると五郎がゆっくりと長秀を見る。

その目は焦点が合っておらず、自分がどんな状況にあるのか理解が追いついていないようだった。


「五郎殿!しっかりして下さい!」

「お、俺……どうしたら、喜助が…村が…」

「五郎殿!気をしっかり持つのです!」

「うぅ…」


何度声を掛けても呻くように喋る五郎を見て長秀は早くここから逃げる事を決めると、五郎から喜助の遺体を引き離す。

五郎は喜助を抱いた格好を保ったまま、虚ろな表情を浮かべていた。

長秀がこの状況を切り抜ける方法を考えていると。男がにやりと笑った。


「全く、これだから使えない部下は困ります」


その表情から考えられない声色で呟くと、一人、また一人と野盗姿の男達が現われる。

その数は4,5人程だろうか、見た目はごろつきの様だが男達が纏う気配は武芸の心得があるように感じる。


「一体何者なのです…?」


長秀の問いに男は薄く笑うと答えた。


「知らなくても良い事です。丹羽殿、貴方にはここで死んでもらいますから」

「む!」


長秀は左から襲ってきた手下の一閃を皮一枚でかわすと横薙ぎで斬り捨てる。

返す刀で右からの斬撃を受け止めると鍔迫り合いから体勢を崩し上段から斬った。


「流石ですね」


あっという間に二人を斬り捨てた長秀の腕前に感嘆すると男は刀を構える。

男が目で合図を送ると手下はじりじりと散開すると斬りかかった。


「甘い!」

「ごふっ!」

「ぐぇっ!」


片方を刀で受け流し、もう片方は柄で殴打した。

手下を無力化した長秀は残った男に対して身構えるが、男は長秀の予想外の方へ刀を振り下ろす瞬間だった。


「しまった!五郎殿!避けてください!」

「……え?」

「くっ!危ない!」


五郎が呆けた表情で顔を上げると、長秀の肩に深く食い込んだ刀から血が流れ落ちる。


「ぐぅ…なんて卑怯な!」

「甘いですね、そんな男を庇うなんて」

「貴方は五郎殿を捕らえるつもりではなかったのですか…?」

「受けた命令は殺さず連れて来いとだけです。腕の一つや二つ無くなっても問題ありません」

「くっ…」


長秀は傷を抑えると、刀を構えると五郎を怒鳴る。


「いつまで呆けているつもりですか!五郎!死にたいのですか!」


長秀が放つ死ぬという言葉にビクっと反応すると五郎は長秀を見る。


「しっかりして下さい!元の世界に帰るのでしょう!?それともここで死んでもいいのですか!」

「……た…ない」

「……」

「死にたくない!…俺は死にたくない!」


五郎は涙を零しながら死にたくないと叫ぶ。

その五郎の叫びに優しく頷くと長秀は告げる。


「逃げるのです、ここは私がなんとかします」

「で…でも!」


長秀が告げた言葉にしり込みしていると。

五郎は長秀の肩から滴る血に気づいた。

(もしかしてさっき…俺を庇った時に!)

五郎が何か言おうとする瞬間、長秀は被せる様に言った。


「もうすぐ救援が来ます!それまで逃げて下さい!」


長秀が今まで見せた事のない迫力で五郎へ命令すると、五郎は血まみれになった身体を必死に奮い立たせて走り出した。

その姿を見た長秀はふっと笑うと、男と向き合う。


「さて、さっさと貴方を倒しましょうか」

「その傷でよく言えたものですね、丹羽殿。その身体で満足に振れるのですか?」

「試してみればいいでしょう?」

「……臨む所だ!」


五郎が必死に駆け出した後ろで打ち合う刀の音は激しく、その音色が止むのはまだまだ後であった。




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