第十六章~悪夢は突然に~
「はぁ!はぁ!」
五郎は森の中を走っていた。
荒れ道をこけそうになりながらも、必死に足を動かす。
今自分が何処に居るのかもはっきりわかってはいないが、ここで立ち止まる訳にはいかなかたった。
「一体何が…!何で俺を狙ってくるんだ!」
息を切らして走ってきたが、同じような景色が続く木々が五郎の判断を迷わせる。
自分に迫る危険から逃げる為に神経を尖らせながら森の中を走り回る五郎であった。
「眠れないから散歩していただけなのに!」
五郎の叫びと正反対に静まり返った森はどこまでも不気味だった。
長秀が早馬に乗って下山へ向かった日。
その日、五郎は前日の妙な男が村に居ない事を確認すると、首を傾げて昨日感じた嫌な気配を振り払う。
「まぁいいか、それよりも今日は畑仕事終わったら釣りに行きたいな」
のんびり畑へ向かうと、五郎は気合を入れて仕事を始めた。
慣れたもので、大分鍬を持つ姿は様になってきた。
日頃の鍛錬は着実に五郎の身体を強く、そして体力をつけているようだ。
しかし、見た目はまだまだ若い風貌なのに時折見せる仕草は畑仕事をしている御爺さんそのものであった。
「おーい、兄ちゃん!」
畑仕事が終わって、汗を拭きながら休憩していると喜助が向こうから走って来た。
「どうしたんだ、喜助」
「いや、兄ちゃん昨日釣りに行きたいって言ってだろ?」
「うん、言ったね~」
「いい場所に案内しようかなって」
喜助の嬉しい提案に五郎は間髪入れずに頷いた。
「お願いしてもいいかな?」
「任せてよ!」
喜助が元気良く答えると五郎は畑仕事の用具を片付け、急いで出掛ける準備をするのであった。
「釣れない…」
喜助に案内された小川で釣竿を垂らして既に1時間。
「ぬぅ」
「兄ちゃん、全然釣れてないじゃん」
「う…調子が悪いなぁ、あははは…」
喜助がにやにやと五郎を見る、五郎は喜助から静かに目を逸らすとぼんやりと釣り糸を眺めるのであった。
喜助は暫く五郎を眺めていたが、飽きたのか森の中へ入って行ってしまった。
(まさかと思うけど、俺を置いて帰ったりはしないよな?)
喜助なら有り得ない事じゃない、と思った五郎は若干不安になった。
まぁ案内された場所はほぼ村から真っ直ぐの場所だ、夜中ならまだしも昼間なら迷う事はないだろう。
「ここは静かでいいな、ゆっくりするには最高だ」
そうしみじみ呟くと、ゆったりと進む時間を堪能しながら釣りを満喫すべく集中し始めるのであった。
それからどれ位経っただろうか、森の方からガサガサ!っと音がするので身構える五郎。
「誰だ!…喜助か?」
念の為に持ってきた小太刀に手を掛けながら声を張ると。
「おりゃ!」
気合を入れた声と共に姿を表したのは喜助だった。
「脅かさないでくれよぉ~」
五郎は安心して喜助を見ると、喜助は悪い悪いと笑って歩み寄る。
喜助は五郎の傍まで来て石の上に座ると。
「結局釣れたの?兄ちゃん」
「いや、ぜーんぜん釣れない…」
「駄目じゃん、今日の夕餉は魚料理だって張り切ってたのに」
「う…!こんなに釣れないとは思ってなくて、俺って下手なのかなぁ」
「きっと、兄ちゃんに釣りの才能はないんだね。うんうん」
喜助にバッサリ斬られると、五郎は肩を落とす。
そんな五郎にまぁまぁと肩を叩くと、喜助は切り出した。
「兄ちゃん、そろそろ戻ろうか。あんまり遅くなるとこの辺は迷うかもしれないよ」
「あ、あぁ…そうしようか」
「んじゃさっさと帰って飯にしよう!」
喜助に急かされながら五郎は釣りを断念した。
結局何も釣れなかったが、いい憩いの場所を知る事が出来た事は満足だった。
結局その日は畑仕事に釣りにと田舎暮らしを満喫した五郎。
(最近慌しい事が多かったけど、のんびり出来るっていいなぁ)
しみじみ思いながら、就寝した五郎だったが。
「寝れないな、妙に目が冴える」
中々寝付けない五郎はむくりと身体を起こすと頭を掻く。
隣の喜助を起こさないように襖に手を掛けようとしたのだが…。
「んぁ?兄ちゃんどうかしたのかい?」
「いや、ちょっと散歩に行ってこようかと思って。寝付けなくてさ」
「そっか…」
寝ぼけ眼を擦りながら喜助は「野犬に気をつけて」と五郎に言うと再び寝息を立て始めた。
五郎は「お休み」と小さく喜助に言うと、用心の為に小太刀を腰に差すと静かに家を出た。
五郎が散歩に出て数十分後、暗闇の中を動く気配が増えた。
その姿は野盗の様な風貌をしていた。
その野盗集団のリーダーらしき男が身振り手振りで指示を出すとそれぞれが村人の家に待機する。
その様子を確認した男は静かに命令を出す。
「よし!例の男を捜せ!」
「旦那、村人はどうしましょう?」
「殺して構わん!女子供も逃がすなよ、これは野盗が襲った事になるのだからな!」
「へい!いくぞお前等!」
男が命令を下すと野盗に扮した男達は思い思いに家に入り込むと村人を襲った。
一斉に悲鳴が上がると人々は逃げようと家を出るが、待ち構えた別の野盗が斬りつけていく。
静かな夜が一気に阿鼻叫喚に変わると、リーダーの男は庄吉の家へと向かった。
「さて、あの男が五郎と言うなら。大した抵抗は無いだろう」
雪斎様からは、[生きていれば構わない]と言われているのだ。
もし抵抗するなら少し怪我をしてもらうことになるだろう。
「悪く思わないでくれよ」
にやりと男は笑うと、庄吉の家に乗り込んだ。
「ぎゃあああ!お助け!」
その悲鳴にバッと起き上がると喜助はまず自分の得物を手に取る。
それから静かに庄吉と雪の様子を見に足を運ぶ。
「雪さん…、庄吉爺さん…」
声を潜めて声を掛ける、二人の返事が無い事を確認すると喜助は襖に手を掛けた。
そっと襖を開けた喜助の目に映りこんだのは血を吐いて倒れる庄吉の姿だった。
「爺さん!」
庄吉の姿を確認した喜助は思わず襖を開け放つと駆け寄る。
大量の血を流す庄吉は誰かを庇ったように背中を斬りつけられた痕があった。
「ちくしょう!誰がこんな事を!」
そう叫んでハッとすると、喜助は雪と五郎を探す。
「雪さん!兄ちゃん!」
喜助が慌てて外に出ると、そこには村人の死体が無残に斬り捨てられ。
村の家々が煙を上げていた。
喜助は衝撃のあまりに声を出せなかった、呆然と立ちすくむ喜助は背後に忍び寄る気配に気づくのが遅れてしまう。
「なっ!」
「ちっ……死ね!」
後ろから斬りつけられた喜助は反撃する事もなく意識を落とした。
倒れた喜助の身体からじわりと血溜まりが広がっていくのを確認した男は手下に向かって叫んだ。
「森の方も探せ!村に居ないようだ、見つけたら多少の怪我は構わん!捕まえろ!」
男の声に手下が一斉に森に向かうと男は生き残りが居ないか燃え盛る村を歩く。
「あの男、惚けた感じだったが運が良かったな」
上手く事が運ばなかった事に若干の苛立ちを隠さず村を見て回った男だったが。
生き残りが居ない事を確認すると、自身も森の中へと消えていった。
後に残されたのは血に染まった村人の死体と煌々と燃え盛る家々だけだった。




