下
「どうするんですか。状況が悪化しましたよ」
「こうなったら、僕が召喚術をやるしかないかな」
エプロンを着けたままのハンスさんが名乗り出たが、全く助け船になっていない。
「いや、召喚術自体やめましょう。また失敗しても嫌ですから。それより別の方法で手を打たないと」
「い、色仕掛けとか?」
「なんでそうなるんですか」
どこまでも道を逸れる兄弟子は、この際無視しよう。
「師匠、他に手はありますか?」
「地道に私の魔法で追い払うか、退治するしかないね」
「地道じゃないですよっ。十分、画期的かつ派手な手法です! それでいきましょう!」
「目が疲れちゃうっ」
「後で休めばいいでしょう!」
むしろ、たまには働け!
「な、なあ、ティオちゃん。何がどうなっているんだ?」
ドドーお爺さんが、困惑した声音で尋ねた。
「すみません、説明もしませんで」
要約して事情を説明した。
「ティオちゃんは、本当に魔法使いのお弟子さんになったのか……」
しみじみと呟かれてしまった。
「はい、まあ。ええと、こちらが私の師匠です」
「どうも初めまして。私が彼女の師匠にして、この国で二番目に腕の立つ魔法使いです」
「さり気なく詐称しないで下さい」
私の指摘に師匠はてへっと自分の頭を小突いた。その頭を殴ってやりたい。
「だいたい、なんで二番目なんですか」
「その方がより現実的で、それっぽいかなあ、って」
考えがセコいな……。
「重ね重ねすみません、ドドーさん。この人はあくまで七番目です」
「そ、そうか。七番目も十分すごいと思うけどなあ」
「そうですね。二番目よりは劣りますが、私も七番目だってすごいと思いますよ。嘘をついたりしなければ、もっとすごいと思います」
師匠はいじけて何も言わない。
「そ、そうかい」
ドドーさんは、私達の力関係を見抜いたようで、私の口振りに何も指摘はしなかった。
「ところで、その魔物というのは私らの間では有名だよ。対処法も知ってる」
「なんと。御仁は何をしているのかね」
「しがない農家だよ。じゃがいもなんかを栽培してる」
「じゃが……いも!?」
ハンスさんが反応を見せる。じゃがいもという単語を、こんなに緊迫とした面持ちで呟く人は、なかなかおるまい。多分。
ドドーさんはその様子を見て、悪い意味と取ったらしい。
「じゃがいも、苦手なのかい?」
「いいえっ、大好きです!!」
私は事が複雑にならないよう、間に入った。
「この人、じゃがいもに屈折した愛をぶつけているんです。気にしないで下さいドドーさん」
「く、屈折した愛……」
何やら渋い顔で考え込むドドーさんだが、今はそれに深く突っ込む気はない。
「ドドーさん、その対処法というのを教えていただきたいんですが」
「私からも頼むよ」
「ああ、わかった。やり方は簡単だよ。あいつらは――」
「ああ、良かったですね。ドドーさんから親切に教えてもらえて」
「全くだね。これで私の召喚術も失敗じゃなかったということが証明されたよ」
「いや、あれは紛うことなき失敗です」
私達は退治をするということに決め、急いで畑に向かった。追い払うという手もあったが、近隣の住民や農家に飛び火がかかってはいけないという考えから、この選択に至った。
ちなみにドドーさんは、徒歩でお帰りいただいた。今度、きちんとお詫びをしなければ。
「それにしたって、結局魔法を使わない手段になりましたが。師匠、それでいいんですか?」
「いいんじゃないかい」
「魔法使いなんだから、魔法使って下さいよ……」
「使わない方が楽だもん」
だもん、じゃないわい。可愛くないし、イラッとくる。
「見えてきた。あれです!」
ハンスさんが黒い魔物を指した。
なんて大きさだろう。じゃがいもを食べて、お腹いっぱいになったからか、今はじっとしている。
「ああ……じゃがいもが……」
畑の酷い有様に、ハンスさんは肩を落とした。無理もない。(師匠が気まぐれにやったけど放り出した末に)自分が丹精込めて育ててきたものだ。落胆は大きいだろう。
「とにかく、今なら簡単ですね。頭の辺りを狙って投げましょう」
そう言って私が手に取ったのは、柑橘類の果物。
『――あの魔物は柑橘類の匂いが弱点なんだ。それを嗅ぐと、身体が痺れて動けなくなる。その隙に仕留めればいいんだ』
ドドーさんが教えてくれた情報。それをもとに、私達はあるだけの柑橘類の果物を樽に詰めて、ここまで来たのだ。あとは実行のみ。
「行きます!」
私は狙いを定めて、レモンを投げた。それに続いて、師匠とハンスさんも投げる。
つい先程まで静止していた魔物は、その匂いに反応し、動き出した。地面に落ちた果物から距離を取る。聞いていた通り、その動きは速かった。
魔物に果物をぶつけようとするが、よけられてしまう。
ああ、逃げられる。
「魔法で援護射撃とか、出来ないんですか!」
「要らない要らない。すぐに効果が出るらしいからね」
「あの速さじゃ、効果が出る前に遠くへ逃げられますよ!」
そのときだった。魔物の動きが急に遅くなった。
この隙に、私は果物を投げつけた。
「じゃがいもの恨み!! 苦しみに悶えて死ねえええええええええっ!!」
ハンスさんが恐ろしいことを叫びながら、レモンをぶつける。もはや、匂いで動きを封じるというより、物理的な攻撃に出ているような気がする。
魔物は鈍る動きで抵抗していたが、ついに足を止めた。
ハンスさんの言ったように苦しみに悶えているのか、巨体を震わせている。
「今の内です!」
得物である槍を掴んだ。何故、槍なんぞを師匠が持っているのか。そこはあまり聞いちゃいけないと思い、無視している。
師匠はやる気がないし、私がこの槍でとどめを刺さなければ。正直やりたくないけど。
「僕が! 僕がやるよ!!」
有り難いことにハンスさんが買って出てくれたが、私は丁重に断っておいた。
だってハンスさん、恨みをぶつけてしまいそうで怖い。魔物を滅多刺しにする兄弟子とか、見たくないし。
「そ、それじゃあ行きますよっ」
慣れない武器を構え、私は魔物に近付いた。あとは刺すだけ。身体の中心をぶすりといけば、よいらしい。
ハンスさんと師匠は、私の後ろでのんびり会話をしている。人が嫌な仕事を引き受けているときにっ。
「――満腹後の異臭は、体内から放たれるんですか?」
「ああ、そうだよ。あれは中身がひどい臭いでねえ。頭に付いてる器官からは、芳香を放つんだけどね」
「それじゃあ、あの魔物は刺したりしたら……」
ぶすりと、一思いに突き刺した。
瞬間。魔物の身体は爆ぜた。ジェルのような体液もしくは内臓がぶちまけられて、私達はそれを……見事に被った。
「うっ」
そして、鼻が悲鳴をあげた。
何これ。
ひどい臭いだ。鼻が曲がるとは、まさにこのこと。即座に鼻を摘んだ。
「あの、師匠」
鼻声で私は師匠に問い直した。
「この臭いは、強烈ですね?」
「鼻が可哀相になるくらいにはね」
「この鼻が可哀相になるくらいに強烈な臭いは、長く続きそうなんですが?」
「まあ、しばらくは」
「で、その臭いの元である液体を被った私達は」
「当然、しばらく臭いだろうね」
私は槍をぎゅっと掴み、溢れそうになる怒りを押さえた。
「私達、ここ周辺に臭いが染み付くのを防ぐために、対策を講じたわけですよね?」
「そうだねえ」
「その結果がこれですか?」
「無事、魔物を退治できて良かったね」
今度こそ抑えきれそうになかった。私は槍を構えた。
「どこが無事だあああああああああああああっ!!」
「て、ティオくん落ち着くんだ!」
師匠は咄嗟に魔法で槍を遠くにやった。
「こんなときばかり魔法使うな!!」
「待とうよ! 僕はじゃがいもの敵を討てて、すっきりしたよ!」
「それはハンスさんだけでしょうが!!」
「師匠の私に刃を向けるなんてっ」
「師匠らしいことしてない人が言えたことですか!」
……こうして、私達は仲良く三人揃って異物を被ったのだった。