1章-1 インボルグ(収穫祈願の春祭り)
魔術都市メティスには天を突くような無数の塔が立ち並んでいる。
塔の一つ一つに神秘の技をもつ魔術師が住んでおり、世界の謎を解き明かそうと日々をすごしている。
メティスは小規模な城塞都市に過ぎない。
剣のように切り立ったけわしい山脈の中にある。
辺境の小都市といってもいいだろう。
本国であるトランティア王国から遠く離れ、どれだけ急いでも一月はかかる。
山も川も海も越えた先にあり、本国からは援軍どころか商隊さえこない。
地図だけを見れば、敵国のただ中に取り残された孤立無援の城塞都市。
大木から離れた葉のように、いずれは朽ちて果てるように見える。
しかし、メティスは世界中から注目を集めていた。
世界の謎を探求しようとする賢者や知者。
魔術の軍事的利用を警戒する各国の軍人。
奇跡の技にすがろうと、来訪する者。
そして今。災厄の来訪を恐れる人々が、メティスを訪れていた。
収穫祈願の春祭りに、重大な発表があるからだ。
この時期にメティスの発表といえば、あの命取りの座の事に決まっている。
世界の災厄。
伝説の呪い。
歴史の惨劇。
命取りの座を中心に、世界が滅んでゆくと魔術師たちは伝えている。
シーグ・ペイラックが産まれたのが10年前。
それから、大陸中に戦火は絶えなくなった。
メティスが、シージペリラスを発見し石室に閉じ込めたのが2年前。
それ以降、大きな戦乱は治まりつつある。
メティスの予言はピタリと当たっているのだ。
三ヶ月前の死神の夜に、冥府送りの儀式が終わると伝えられていた。
葬られたはずのシージペリラスはどうなったのか?
本当に災厄は世界から消滅したのか。
歴史の転機となる日を迎え、大陸中がメティスの発表を待っていた。
*
巨大な広場に一万を越える人々が集まっている。
その全員が、一点を食い入るように見つめていた。
水晶の杖を持ち、純白のマントが風になびいた。
老人の名はアリウス・グラムファーレ。
魔術都市メティスの総督であり、メティスの魔術師たちの頂点に立つ長老でもあった。
銀鎧に身を包んだ騎士と、杖とマントを身につけた魔術師達を周囲に従えている。
人々の視線を集めた老人は、朗々とした声で宣言した。
「シージペリラスの消滅を確認した!
途端に広場は歓声に包まれた。
石造りの塔さえも揺るがすかと思われる大音声だ。
「災厄は去った!」
「これで世界は救われたぞ!」
喜びの声をあげ続ける人々は静まることがない。人並みが大きく揺れて、倒れるものも出てきた。
大声を上げながら、壇上へと登ろうとするものもいる。
狂喜から混乱、そして暴動へと発展しそうな勢いである。
アリウス・グラムファーレは、ほくそ笑んだ。
「予想どおりですな」
「準備は出来ているか?」
「すでに」
短く答えたのはローブに身を包んだ青年であった。
青年が手を上げると、魔術師たちは杖を握り、騎士達は剣の柄に手をかける。
アリウスの周囲に陣取り、壇上を死守しようと円陣を組んだ。
すばやい動きだ。
浮かれ気分が暴動へ発展するのを、あらかじめ予感していたのである。
「横一列、金城鉄壁の陣」
「攻撃開始」、とラスティーは叫んだつもりであった。
しかし、声が全くでない。ラスティーは厳しい顔でのど元を押さえた。
アリウスとラスティーの背後から、一人の少女が進み出た。
白いローブの上に、青色の上衣サーコートを身につけている。
ほっそりとした体つきに白磁のような肌。背中まで伸びる淡い金色の髪。碧色の瞳は宝石のような光をたたえている。
まっすぐ前を見て、ためらいなく歩く姿が彼女の内面を現していた。
サフィリア・フェルナンディである。
魔術の象徴である白、一族の色である青色。
それ自体が輝くように明るい金色の髪。
身につけた物や、彼女の容姿を見れば、それだけで何者かを知ることが出来る。
わずか10才にして、メティス有数の魔術師となった天才児。
『書を護る者』、『一陣の風』の名を持つ稀代の魔術師である。
雪のように白い手を頭上に振り上げると、広場に冷たい風が吹きぬけた。
暦の上では春といっても、風はまだ冷たい。冷水を顔に当てられたようなものである。
浮かれる人々を我に返らせるには十分だった。
「落ち着いてください」
ざわめきが小さくなった瞬間を狙って、鈴を鳴らしたような声が広場全体に響き渡った。
不思議な現象に、広場がシンと静まった。
人々の視線は、壇上に立つサフィリアに集中する。
「アリウス総督の言葉を、聞いてください」
落ち着いた声でそう告げると、サフィリアは騎士たちの作った金属の壁の内に戻っていった。
物語から出てきたような神秘的な少女。
奇跡としか思えない技。
それらを前にして、人々は呆然として壇上を見つめていた。