1章-21 ブレイド・ウォルダ
ロイス・スティルバートは執務に戻っていた。
正確にはダリム王の無茶な要求への対応である。
眼前では、ダリム王が酒をあおっていた。
くすんだ赤色の髪に、黒い瞳の中背中肉の男だ。
髪と瞳の色を除けば、ごく普通の男である。
シーグ・ペイラックが石室に閉じ込められるまでは、彼こそが【シージペリラス】と噂されていたはずだった。
なるほど、茶色に近い髪は乾きかけた血の色に見えなくも無い。
今では【剣の覇王】と呼ばれている。
覇を競い、剣において支配者を決めるのが草原だ。
血で血を洗うダリムの覇王に、ふさわしい称号といえる。
どちらにせよ、うわさとはずいぶんと違う。
ダリム王は熊よりも巨大な大男だと、メティスではささやかれていた。
槍よりも長い大剣を持ち、岩をバターのように切り裂く。
異界から世に迷い出てきた悪鬼であり、この男が世界中に破滅を振りまく。
大げさな話の中には、まばたきの風圧だけで敵を弾き飛ばすというのもあった。
それが事実なら、部屋は今頃ハリケーンの中心だ。
【シージペリラス】には、大げさすぎるうわさが付き物のようだ。
そもそも噂が本当なら、それはそれで間が抜けている。
騎馬隊が本領の草原で、馬に乗れない男になっていただろう。
王が鈍重ならば、ダリムの騎馬隊が雷撃にたとえられることもない。
「おい、侍従」
「なんでしょうか?」
ダリム王の声は、ろれつが回っていない。
目つきもあやしくて、酔いつぶれる寸前だ。
「……寝る」
短く言うと、ダリム王はさっそくいびきをかき始めた。
敵地も同様のメティスに乗り込んでおいて、無防備に眠るとは恐れ入る。
ましてや、この部屋には自分と二人しかいないのに。
しかし、これが【ダリム流】ということなのだろう。
ダリムは草原の民であり、略奪を産業と考えている。
動物を狩り、木の実を集める事と、人から奪うことが同義なのだ。
護衛の兵に、手土産となる宝飾類。
最上の部屋と料理や酒を奪う。
そして、戦利品の中で眠るのが勝者の流儀だという。
ロイスは【草原の国の典型的なもてなし】を事前に予測して準備しておいた。
そのため、流れ作業のように要求に答える事が出来た。
ロイスは、小さく吐息をつくと窓の外に視線を移した。
結界陣でどこかへ送られたサフィリア・フェルナンディ。
老獪な長老は容赦はしないだろう。
あの小さな少女にどのような罰が下されるのか……。
幼馴染のクレアは、サフィリアの髪結いの担当だ。
書を守る者は、まるで天子か妖精のように可憐な少女だったと。
金の糸のような美しい髪に触れられるだけで、どんな努力でも辛くないと。
天使や妖精という表現は、むしろシリアの方だ。
控えめで、優しく、人を疑ったり傷つけることを極端に嫌う。
あんな、謀略の吹き荒れる場所に、踏み込ませたくはなかったのに。
今頃、泣いていなければいいが……
城塞都市や林立する塔。
そのような場所に、妖精の安住の地はない。
物語の中でも都市に妖精が現れるのは、迷い込んだか捕らわれたときだ。
メティスという場所そのものが、クレアにとってふさわしくない。
森や湖といった豊かな自然の中こそがふさわしい。
書を守る者が罰を受けるとなれば、そばにいるクレアにも魔の手が伸びはしないか?
「ロイス、といったな。貴様」
心臓を掴まれたような驚きと共に、ライスは振り向いた。
ダリム王が杯を手に、こちらを見ている。
鋭い視線に、落ち着いた声。
酒に酔った様子など、みじんもない。
「……何か御用で?」
ライスは平静を取りつくって答えた。
酔ったふり、眠ったふりというわけか。
「ラスティー・クルスはアホウだ」
突然の言葉に、ロイスは面食らった。
「そのうちに、死んだアホウになる」
同意しかけたが、ロイスは沈黙した。
力を持つものが、持たざる者の前で演技をする。
それは、こちらを試す意図があるからだ。
王侯貴族が身分が下の者の名をわざわざ覚える。
その動機は、処罰である事が多い。
ロイスは首元に、刃物を突き付けられている気がした。