1章-18 取引
「……石室を破壊し、シーグ・ペイラックを連れ出したのはそなたで間違いないな」
「はい」
完結に答えながら、アリウスの瞳をまっすぐに見つめる。
同じ事を繰り返すのは、相手が混乱している証拠だ。
「では、なぜ儀式を妨害していないと断言できるのだ?」
「平和の時代が訪れたからです」
アリウスの瞳が細められた。
サフィリアの意図が言い逃れではないと気づいたのだ。
「シーグ・ペイラックは、シージペリラスではない。そう主張するのか?」
「はい」
これこそが、サフィリアの奥の手だった。
シージペリラスは去った。
収穫祈願の春祭りにアリウス長老はそう宣言している。
しかし、シーグ・ペイラックは生きている。
【シーグ=シージペリラス】
この理屈が絶対ならば、終戦をもたらした予知が根本から間違っていたことになる。
ダリムとレイザークの戦端を開いた理由も、虚実となるのだ。
この事実を公表すればどうなるのか?
メティスどころか、トランティア王国全体の大儀が疑われることになる。
書を守るものは、記録の番人だ。
記録の真偽を見極め、偽りの記録を発見すれば王へ報告し公表する権限がある。
総督であるアリウスを飛び越え、王へと直接報告できるのだ。
当然、王から直接の裁きが下されることになる。
魔術の聖域と呼ばれていても、メティスは辺境の城塞都市に過ぎない。
つまり、サフィリアは脅迫しているのだ。
この事実を問題として、王の法を動かすぞ、と。
「……………………」
アリウスは口を開かぬ。
重く長い沈黙が審問の塔を支配していた。
ラスティーは落ち着かず、あたふたと視線を泳がせていた。
【シーグ・ペイラックは生きている】
【シージペリラスは冥府へと去った】
二つの出来事を表面上だけとらえ、混乱しているのだ。
この男は、魔術師にして論理的思考ができないようだ。
「俺にはわからぬ」
闇が口を開いた気がして、サフィリアは右側を見た。
そこにはガリウス・グラムファーレが微動だにせずに立っていた。
うつむき加減なので、表情が全く見えない。
聴聞官は左右両側に立っている。
審問の最初からそこにいたはずなのに。
巨体にもかかわらず、気配さえも感じなかったので、今の今まで存在を忘れていた。
「ガリウス、聴聞官の発言は審問の神聖を犯すことになるぞ!」
ラスティーがどこかで聞いたような警告を発する。
「審問の内容が理解が出来ぬ。これでは、聴聞の任そのものが果たせないだろう。私はサフィリア・フェルナンディに更なる説明を求めたい。長老、いかがなものだろうか?」
低いが良く通る声だった。
聴聞官の権限を犯すことなく、発言は論理的で理にもかなっている。
しかも、このタイミング。
明らかに、アリウス長老の不利を悟った上での発言だ。
ガリウス・グラムファーレは、オーガ並みの知能の持ち主。
その噂は全くあてにならない。
これほど機転の利いた行動を取れるものが、メティスの名だたる魔術師の中に何人いるだろう?
「……許可、する」
喉に何かが詰まったような、くぐもった声だった。
声に覇気がないのも、アリウス長老らしくなかった。
「シーグ・ペイラックは、シージ・ペリラスではありません」
サフィリアは気を引き締めた。
ここが正念場だ。
「正確には、【今は】と付け加えるべきでしょうか」
優位は確保できた。しかし、メティス中枢の殲滅を望まない。
サフィリアは深呼吸をした。
「冥府返しは成功していた。あくまで推測ですが、私はそう考えます」
審問の場であるため、言葉の使い方に気をつける。
事実と推測を分けなければ。
「それに、【公的な場】で長老がシーグ・ペイラックをシージペリラスと断言したことはありません」
ペイラック家は、爵位をもつ公家である。
レイザークに領土を持ち、自ら勇名を誇る戦士の一員でもあったのだ。
他国の公家を、メティスの総督が告発することはできない。
それでは、内政干渉になるからだ。
シーグ・ペイラックがシージペリラス。
この情報は、公的な発言ではなく、噂話から始まっている。
噂そのものをアリウスが誘導したのは疑いないが、政治的発言によってではない。
「現段階においてシージペリラスは去り、シーグ・ペイラックは世界に害をなすことはないでしょう」
一度殺すと予定したものを、アリウスは生かしておかないだろう。
しかし、シーグの安全を保証するなら、むやみに事を荒だてるつもりはない。
それだけで、アリウスもメティスも結局何も失わないのだ。
悪い取引ではない。




